第14話 シスターたちの色恋沙汰 5


 翌日。その日の放課後。トレーニングに椎奈は現れなかった。一面優等生でもあるゼナリは、腕を組むと頭から白煙を立てている。核ボタン一つでいがみ合うスケールには届かないが、高校生にも悩みはつきものらしい。ゼナリは右手で大きな身振りをして口を開く。



「椎奈ってば、昼休みも抜け出したし、今も多分、あの人のところに行っちゃったのね」



 事情を知らないのは弥生だ。生徒会長のゼナリに情報は集まっている。弥生はそのこと自体に不満はない。だが「みんなの保護者」として心のケア、かまちょに応えている彼女だ。椎奈が来ない理由にそれなりの興味は出る。ゼナリに尋ねる彼女は不思議そうだ。



「ある人って。誰? ゼナリ」


「うーん。言っていいのか、野球部キャプテンの近藤瑠伽さん。ちょっと入れ込んでるみたい」


「近藤瑠伽。人気があるあの子か」


「そうです。私が行って、椎奈をちょっと連れてきますね」



 ゼナリは踵を返して、体育館を離れようとする。だがその彼女を止めたのは、驚くことに蓮だ。情も涙もなさげな鬼教官、の生徒会顧問、蓮。その彼が口にしたのは、そこにいるメンバー全員が耳を疑うものだった。



「あー。ゼナリ。やめとけ。人の恋路を邪魔するものはなんとやら。恋愛禁止令下で彼女はこれまで一生懸命やってきたんだ。息抜きの一つでもなけりゃあな」


『息抜き』



 鬼の目にも涙か。意外や意外、温情のこもった蓮の話に、翔たちは声を揃えた。これはチャンスありと見た翔は、自らにも温情をもらおうとする。



「と、いうことは僕らも腕立て、腹筋の回数が減るとか? 息抜き」



 蓮の気持ちはどうだったか知らないが、にこやかに笑って、口を挟んできたのはイケメンアンドロイド櫻さんだった。櫻さんは、その艶のある黒髪にそっと手ぐしを入れると、翔と視線を合わせる。



「えーとですねー、私の記憶によると、昨日まで翔さんは腹筋を150回、腕立てを100回、サバ読みしてるんですよっ。だから『息抜き』はないかと」


「櫻さん、さわやかな笑顔で厳しいことを言うね」


「悲しいことに私の性分なんです」



 翔がどう思おうと、サバ読みは事実。櫻さんの笑顔を前に、翔は撤退するしかない。「くーっ!」と翔は悔しがり、椎奈不在でトレーニングが始まる。

 一方その頃、野球部の練習に見入る椎奈は、瑠伽の姿を目に焼き付けている。その手のひらには汗も滲む。「恋愛禁止」。ルールはあっても、胸にくすぶる想いはなかなか消えず、彼女の手にはタオルとスポーツ飲料が握られている。



「よーし! 一旦休憩! 水分はきっちりとれよ!」



 監督の声がグラウンドに響く。椎奈はその期を見計らい、ここぞとばかりに、他の部員たちをすり抜けて、タオルと飲み物を瑠伽へ渡しに行く。



「る、瑠伽先輩! どど、どぞ!」



 言葉がつっかえる椎奈。加えて、両腕を突きだした懸命な仕草。瑠伽の胸にも届くものはある。だが彼には彼の事情もある。椎奈をなだめるように一言こうこぼす。



「俺、自分で作ってきたのがあるんだよね。ハハ。ハハハ」


「ですよね! せめて! いいぃい! 一瞬でも受け取ってくれれば!」



 椎奈の必死の形相に、瑠伽も右手で頭を抱えて、考えてはみせる。すると様子を見ていた他の部員が口を挟む。



「瑠伽。折角作って来てくれたんだから、もらいなよ。俺らのことは気にせんでいいし」



 後押しされた瑠伽は心を決めたのか、椎奈からスポーツ飲料とタオルを受け取る。瞬間、椎奈の顔から火が噴き出るように、彼女の顔は真っ赤に染まる。瑠伽は受け取ったスポーツ飲料を口に含む。



「あっ、普通のとは違う。美味しい」



 椎奈は歓喜して、派手にお辞儀をすると、種明かしをしてみせる。



「じじっ! じっ、実はですね。魔法でちょっと味付けを!」


「へぇー。そんなことも出来るんだ。椎奈さんの気持ち、ありがたく受け取っておくね」


「ほへ?! あぁありがとうございます!」



 椎奈は両手を顔の前で交差させて、「しし! 失礼します!」と赤らんだ顔でその場を何とか立ち去る。あとには、椎奈を見送る瑠伽の笑顔が残るのみだ。

 それからの一週間、椎奈は野球部の練習に通い詰める。だが、椎奈の恋心は、瑠伽の放った白球と一緒に、澄んだ青い空へと消えて行く。



「椎奈。ちょっと」



 椎奈に切り出したのはゼナリだ。ゼナリは少しキツイ口調だ。ゼナリも人の恋愛事情に口出しするつもりなどなかったのだが。



「椎奈。私、あなたの邪魔はしないけど」


「けど?」



 椎奈も鋭い目で問い返す。ゼナリは悲しそうに現実を伝える。



「私たちは覚醒者なの。それを覚えておいて」


「そんなことは、わかってる」



 強情な素振りを見せる椎奈に、ゼナリはこれ以上かける言葉がないし、かけるつもりもない。ただ一言、こう添えるだけだ。



「ゴメンね。椎奈。私も馬鹿だ。わざわざこんなこと言うなんて」



 後悔するゼナリに、椎奈も少し複雑な気持ちだ。彼女もゼナリとケンカなんてしたくない。二人は分かちあう悩みも数多い。口にこそ出来ないが「仲良し」ではいたい。椎奈もゼナリが生徒会会長だからこそ、そう言うのは分かっていた。椎奈の耳には痛いが、ゼナリは大切なことを付け加える。



「もう十日も訓練に来てないわ。そろそろ顔を出してね。お願い」


「分かってる……」



 椎奈の返事にもかげが差す。そうして二人の話は終わった。だが、その日の放課後も椎奈は野球部の練習に出かけていく。ごくごく普通の、何気ない日常。かけがえののないもの。同時に椎奈はそれが「束の間」のものであるのも知っていた。椎奈の気持ちを知ってか知らずか、青空には一つ、瑠伽の放った打球が舞い上がっていた。



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