第13話 シスターたちの色恋沙汰 4


「あ、雨だ。多分結構降るぞ。これ」



 そう危ぶんだのは、未だ下校途中の翔だ。雨は一粒、一粒翔の掌に落ちてきて、弾けては散る。その姿はまるで一瞬にして消える、翔たちの学園生活のようだ。翔はなぜか悲しくて、掌の上の小さな水たまりを握りしめる。だが手傘をするゼナリを見て、彼はすぐに感傷から離れた。ゼナリは徐々に強くなる雨を見て困り顔だ。



「やだな。私、今日傘持ってきてないし」


「俺も。仕様がない。あの喫茶店のひさしで」


「雨宿り、ね。それがいいみたい。翔、ありがとう」


「ありがとう? どうして?」


「い、いや」



 一瞬自分でもなぜ「ありがとう」と言ったのか、ゼナリにはよく分からなかった。多分、当たり前のように学園を守っているのに、感謝されることが少ない日々が彼女にそう言わせたのだろう。「ありがとう」。その余りの初々しい響きにゼナリは気恥ずかしくなったのか、目を伏せて、翔と歩調を合わせていく。二人は強まる雨とともに駆け出して、一緒にひさしへと飛び込んだ。雨はより一層激しくなり、やむ気配はない。



「どうしよう」



 初々しい一面を見せたゼナリだったが、とりあえずの敵は天徒などではなく、降りしきる雨だ。空を見上げてやや途方にくれて、時間を持て余すゼナリ。だがそのゼナリを置いて、翔は思いがけない行動に出る。



「ゼナリ! ちょっと待ってて」



 声を一つあげて走り出した翔は、近くのコンビニへと走っていく。「濡れちゃうよ!」。なのに一切振り向かずに駆けていく翔。事情がよく分からないゼナリは心配で口を結ぶしかない。ゼナリは、翔が心遣いから、コンビニに駆け込んだのだとは想像もつかないらしい。

 しばらくして翔は、ものの数分もしない内に、買い物袋を左手に、ビニール傘を右手でさして、喫茶店のひさしへと戻ってきた。ここに来てようやく事情がわかったゼナリは、ハンカチを取り出し、翔の肩にあてる。翔の肩は雨でしっとりと濡れている。翔が体を冷やさないようにと、ハンカチで雨粒を拭うゼナリは、最早人の目など気にしていない。



「濡れちゃったね。風邪ひくよ」


「大丈夫。これくらいで覚醒者たるものはっ」


「無理しないで、身体能力は上がっても、風邪。引く時は引くんだから」


「うん。そだね」


 

 鉤爪が飛び出そうが、蛇龍剣、獅子若刀といった両刀を振るおうが、果てはマシンガンを乱射しようが、風邪を引く時は引く。そんな当たり前のことを気遣ってくれるゼナリ。そんな彼女に翔はあらためて惹かれていた。



「傘、だったんだ。今お金渡すから待って」


「いやいいよ。たかだか200円だし」


「200円でもお金はお金。きちんとしなきゃ」


「そういうことなら。あ、あと。それより、これ」



 翔はもう一つ、左手にさげていた買い物袋をゼナリに差し出す。買い物袋からは湯気が立ち込め、いい匂いがしてくる。その匂いはゼナリの鼻を心地よくくすぐる。だが、もちろん翔には恩着せがましいところなどない。彼は袋から「それ」を取り出し、ゼナリに勧める。



「肉まん。体あったまるよ。少し濡れて、体が冷えたでしょ?」



 ゼナリは困ったように言葉が詰まる。目も少し泳いでいるのが翔にはしっかりと見て取れる。ゼナリは慣れない厚意に、戸惑っているようだ。



「あ、ありがとう。お金は……」


「きちんとしなきゃ?」



 翔は白い歯をこぼした。そこにいるのは、まだ未熟な「鉤爪使い・翔」ではなく、一人の優しい青年、春風翔だった。翔の笑顔を見て、さすがのゼナリも肉まんを黙って受け取る。二人は湯気の立ち込める肉まんを頬張る。身も心も温まったのか、それとも。理由はわからない。ゼナリはふとこう零す。



「恋愛。どうして禁止なんだろうね」


「ん? どしたの? 急に改まって」


「う、ううん。何でもない」



 すぐさま、自分の心に芽生えた感情を隠すゼナリだが、胸に灯った翔への想いは隠せない。雨で濡れたゼナリの髪の毛は、妙に色っぽい。それに翔は気づいてか気づかずか、ゼナリと一緒に言葉なく、雨音の響く中、静かに立ち尽くしていた。

 場所変わって校長室、隠し部屋。ピラミッドフィールドで、宙に浮かぶ男を見上げるのは、東機と江連だ。二人は、半植物人間状態の「この男」を憐れんでいる。だが二人は目的のためならやむなし、といった様子だ。江連は、一度ゆっくりとまばたきをする。



「春日祭儀。28才。26の時に重い統合失調を患い、その一年後交通事故で半身不随に。私たちが彼を『幻想具現化装置』に使い始めたのは3年前のこと。そう。それは覚醒者が現れた頃と重なる」



 江連の口調は滑らかで、覇気に似たようなものがある。そこには憐憫などカケラもない。両掌を口元へ祈るようにあてる東機も悲しむ素振りはない。江連と東機は、天徒との戦いの秘密。その正体そのものであるかのようだ。東機は口元にあてていた掌を前へすっと差し出す。



「『幻想具現化装置』。それは、脳でイメージする『幻想』を、現実にカタチにするもの。その装置を動かすには、人一人の献身が必要だった。それを果たしたのが」



 窓の外では雨音がまだ響いている。その雨の香りが、江連と東機の冷たさをあぶり出すようだ。江連の目は男から離れることはない。



「それが、校長、春日東機の次男、春日祭儀」



 東機は、次男の祭儀に顔を近づけて、愛おしく頬に触れる。その目には妖しげな光が灯っている。



「よくやってくれたよ。祭儀。お前は本当に尽くしてくれた。でなければ、長男、才知を止めることは出来なかっただろう。感謝、しているよ」



 一度雷がほとばしり、校長室の東機と江連の顔を照らし出す。江連は口元を引き締めており、東機は陶酔したかのような表情だ。東機は天井を仰ぎみる。



「それもすべては妻、聖奈の不死のため」



 江連は痛ましげに下唇を噛む。この男の偏愛からすべてが始まったと知りながら、彼女は東機と離れるつもりもなさそうだ。雨音は徐々にしずまり、雲の隙間からは太陽が顔を覗かせようとしていた。

 翔とゼナリは空模様を見て、ひさしから抜け出す。ゼナリは翔の先を走り、心地よさげだ。ゼナリは、もう一般生徒の視線を気にするつもりなんてないようだ。彼女はからかうように翔へ呼びかける。



「翔。早く帰らないとママが心配するぞ」


「そんな言い方ないよなぁー」


「アハハ。冗談っ」



 翔とゼナリは、車が跳ねさせた水もひょいと軽くかわしてみせてる。瑞々しい二人の背を、機嫌のよくなった太陽が、鮮やかに照らしだしていた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る