第8話 霊感少女のコーヒータイム 3
「さてと」と一言、ごく普通の男子高校生として体育館へ足を踏み入れる翔。だが鼻歌まじりの彼を待っていたのは、突然に襲いかかる化け物だった。化け物は牙が剥きだしで、二本の角の生えた若獅子だ。翔はのけ反るようにして慌てふためき奇声を発する。
「おわぁああぁああ! いきなりちょっと! 待ってよ!」
翔が激しく後ずさりするも、すでに体育館では、ゼナリたちが化け物と戦っている。彼女たちは翔に関心を払う余裕などない。背中から鉤爪が現れる気配もないし、若獅子に抵抗する術も翔にはない。青ざめてたじろぐ翔へ、館内から蓮の声が届く。竹刀を担ぐ蓮の声は妙に冷静だ。
「あー、安心しろ。翔。こいつらは生身の化け物じゃなくて、立体映像が作り上げた偽物だ」
「ニセモノー」
笑顔を零して一安心。若獅子の牙を素手で軽く受け止める翔だが、やはりどうもおかしい。若獅子の牙にはしっかりとした重みがあるのだ。「はて」と呟く翔の違和感を解消すべく、蓮はこともなげに言ってのける。
「だが、彼らの攻撃は体に傷をつける。充分気をつけるように」
「なんちゅうことを! どわぁああああぁああ!」
我、意に関せずで鬼教官っぷりを見せる蓮はさておき、化け物と戦うゼナリたちは真剣そのものだ。何しろ攻撃を受けたら体に傷がつくのだ。「か弱い乙女」たちが肌に傷跡を残すわけにもいかないだろう。
「か弱いからねー。ホントに彼女たちは」。そう自嘲して、やけになる翔ではあったが、とにかくこの異様なパワーの若獅子を倒さねば、体育館へ入ることすら出来ない。翔は、若獅子にグラウンド近くまで、地面をズズズと追いやられ、何とか力を振り絞り、堪えるしかない。
「が! しかし鉤爪が! 鉤爪がぁ! 出る気配がなーい!」
逃げようにも若獅子の鼻息が荒く、戦うにも鉤爪頼り。鉤爪抜きでは、翔はやはりごく普通の男子高校生だ。叫び声をあげては悶える以外にない。先の骸戦では、ゼナリがピンチになって鉤爪は現れたので、翔も一工夫。妄想でもして、追いつめられたゼナリをイメージする。しかし、そこは健康な男子である翔の「妄想」。イメージするは助けを求めるゼナリではなく、ゼナリの艶のある髪、意外とふくよかな胸元だったりする。
「ダメダメダメダメ! やられたら一応怪我するんだからさ!」
そうは言っても自業自得。イメージするは、ゼナリの胸元では鉤爪も応答なし。翔が「参った。降参」と諦めた瞬間、ゼナリの悲しそうな顔が、彼の目に浮かぶ。その顔に効果があったのか、翔の背中から、鉤爪が異様なほどの勢いで飛び出してくる。
荒れ狂い、若獅子と戦う鉤爪。防戦を強いられた若獅子は、一旦身を退いて態勢を整える。だが彼も百獣の王、生半可に弱肉強食の頂点に立ったのではない。鉤爪へ果敢に飛びかかる。
翔の心は穏やかで、時間が止まったように静かだった。それはもう、自分より弱い立場に立った若獅子を憐れんでいたからだろう。翔が瞼を閉じた瞬間、鉤爪はのたうちながら、若獅子を跡形もなく、切り刻んでしまう。
「ごく普通の男子高校生……ね」
何やら切なげな翔の脳裏には、ゼナリの姿がまだ焼き付いている。覚醒者となったからには、もう翔も「普通の」高校生ではいられない。少しくらいの感傷に浸っても許されるだろう。翔は寂しそうに、倒れ伏した若獅子をまたいで体育館に入る。出迎えたのは、一足早く化け物たちを退治したゼナリたちだ。弥生が、次いでゼナリが口を開く。
「遅かったな。翔。覚醒者が、あの程度の化け物にてこずってどうする」
「翔。平気だった? まぁ、これが洗礼だと思ってくれれば」
今は背中に収まった鉤爪が暴れたせいで、ちょっと疲れのある翔だったが、一つ覚悟を決めたのか、背筋を伸ばし、蓮のもとへと足を運ぶ。蓮の前ではゼナリたちが並び立っている。見ると千沙はどうやら不在らしい。列に加わった翔は、ゼナリへ顔を軽く傾ける。
「千沙さんは?」
まず弥生が、後を追うようにゼナリが答える。
「千沙は身体訓練には大抵加わらない。彼女は霊能力を鍛えるため、特別室でイメージトレーニングを受けている」
「霊能力者がガンガン体を鍛えても、ね」
翔も「たしかにそうだ」と納得する。覚醒者の一人となったからには、あれこれ言わずに身を引き締めるだけだ。顔をあげた翔の視線の先。竹刀で肩をポンポンと叩く蓮は、授業の時とはうって変わって目つきが鋭い。メンバーを前に毅然としている。
「『奇襲』をイメージしたトレーニング。みんなよく凌いだ。いつ天徒は襲いくるか分からない。心しておくように」
一つ翔が気になるのが、蓮の話の間も、翔の指を絡めとっては、彼をおちょくる椎奈だ。椎奈の指を解こうとする翔に、彼女は悪戯っぽく「クス、クスクス」と笑っている。その様子にゼナリも気づいているのか、小声で「や、やめろ。椎奈」と顔を赤らめる。蓮はそれを知ってか知らずか、メンバーの前を左右に歩く。
「先日の蜘蛛型天徒から分かるように、敵は日に日に力を蓄えている。より一層の精進が必要だ。それでは早速」
「早速?」と身を乗り出す翔に、蓮は飄々と課題を告げる。
「トレニーングの仕上げとして、腹筋三百回を課す」
「三百回! んな無茶な!」
これは並大抵ではない。この仕打ち。蓮はまさに鬼教官であり、根性論でも持っているのだろうか。「信じられない」と目を震わせる翔を横目に、弥生は早くも準備を始める。
「覚醒者は筋力、持久力等、身体能力が格段に上がっている。だから腹筋三百回なんてさして問題じゃない。試しにやってみるといい」
「そぉ? なの?」
何とか気を落ち着かせて、腹筋に挑もうとする翔だが、そんな彼の心意気を打ち砕くかのように、蓮は畳みかける。
「あー、それでだ。先に私が話している間、じゃれあっていた椎奈、翔、そしてゼナリの三名は、腹筋二百回、腕立ては三百回のプラスだ」
「そんな!」
顔を真っ赤にして、言い抗ったのはゼナリだ。それはそうだ。彼女は椎奈を止めていただけなのだから。
「ちょっ、ちょっと先生!」
「ここでは教官と呼ぶように」
「きょ、教官! 私は教官のお話を聞かずに、じゃれつく椎奈を注意していただけです! しかも小声で!」
この男は本当に鬼なのだろうか。それとも単に厳しいだけか。蓮はゼナリの必死の言い分に聞く耳を持たない。蓮は人差し指で頬をひと掻きする。
「連帯責任という奴だ。一瞬の不注意が命に関わる。それが私たちの任務だ」
「曲げない男」、蓮、ここにあり。ゼナリ、翔、椎奈は三者三様だ。
「もうっ! ホントに椎奈のバカ!」
「腹筋五百回……。み、未知の世界だ」
「ゼナリちゃんもけってー」
精神年齢は、さすがにまだ高校生の彼らを見て、大人びた印象の弥生が両手をパンパンと打ち鳴らす。彼女は右眉をピクリと動かしもする。
「さぁウダウダ話をしても始まらない。教官の指示は指示。しっかり守りましょ?」
間延びして返事をするのは椎奈だ。「はぁーい」と声を伸ばす彼女へ、ゼナリは「巻き込まないでよね! もうっ」と両手を広げてみせる。翔は翔で頭を抱えるばかりだ。
「ご、五百回」
ゼナリも観念したのか「やるしかないわよ。翔」と意気込み、翔の背中に触れる。翔も唇をかたく結び、腹筋を始める。メンバーに内心、鬼と呼ばれようが、何と罵られようが、蓮は満足して立ち去るばかり。メンバーが残された体育館に木霊するのは、腹筋の回数をカウントする声だけだった。
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