第5話 ブランチはチャールストンの傍らで 4

「そう。『普通』にも限界があった。私は涙するしかない」



 翔は、立て続けに常識をぶち壊される目に遭い、冗談紛いにぼそっと口にする。「普通」よ、さようなら。もう起こったことは仕方がない。ひたすら適応。

 半ば諦めた翔の耳に、ある音が飛び込んでくる。「トパラタタタタ。パラパラパラパラ」。その音の正体。それは基地から飛び立つ自衛隊のヘリ。そのプロペラの音だ。翔は乾いた音を立てるヘリに目をやる。

 自衛隊。自衛のための組織。市民の安全を守る人々。翔はそう思い至る。



「自衛隊は、僕らを、生徒を守ってくれないの?」


「それが、分からないんだけど」



 翔をちらりと見て、一拍置くゼナリは不思議そうだ。だが同時にその「不思議」をさして気にも留めていない。自衛隊と天徒の関係に興味がない。そんな様子だ。涼しい顔をしたゼナリの話を、弥生が引き継ぐ。



「彼ら自衛隊や一般市民、つまりは学園生徒以外の人間には、天徒が『見えない』らしい」


「『見えない』。それはまたどして」



 ゼナリは切なげな瞳で自衛隊のヘリを仰ぎ見る。「自分たちが戦わなくては」。その想いが彼女の瞳を切なくさせたのかもれしない。



「さぁね。とにかく彼らは天徒を倒すためにはあてにならない。学園を守るのは、私たち覚醒者だけ。自分を守るにも自分の力で、ということね」


「それは。また。負担が」


「不満? 翔」


「ちょっとね。だけどギャーギャー泣きわめくのは趣味じゃないし、やりましょう。生徒会のお仕事って奴を」


「案外物わかりがいいのね。私は覚醒者になった日には、それから三日間泣きっぱなしだったけど」



 泣きっぱなし。弱音の一つさえこぼさなそうなゼナリが。よく考えればそうだ。いきなり「普通の」高校生活を諦めて「戦ってください」とくれば、それはショックだろう。学園の平和はゼナリたちに守られている。そう考えると翔も胸に「来る」ものがある。

 翔が口元に人差し指をあてていると、ゼナリと弥生はとある一室で立ち止まる。そこが生徒会室らしい。弥生とゼナリは扉に手をかける。と思いきや、ゼナリと弥生は後ろに飛びのき、翔をかばう。



「翔! 伏せて!」



 何が起こったのか。ゼナリの掛け声と同時に、爆風で扉がふっ飛んでいく。「ひぇええ」と冷や汗を流す翔。だが弥生とゼナリは冷静だ。弥生は砕け散った扉の先、生徒会室へ呆れて声をかける。



「椎奈。化学薬品の調合ならよそでやれ」



 ゼナリも顔に着いた砂埃を払い、両腕を思いっきり、地面に突きおろす。



「もうっ! 勘弁! いい加減にしてよね! 椎奈ってば」



 ゼナリの仕草は、弥生よりゼナリの方が相応の女の子っぽさが残っていることを窺わせる。翔は椎奈。弥生とゼナリがそう呼んだ女生徒に視線をやる。



「あちゃちゃちゃ。またやっちゃった」



 室内ではフラスコを両手に持った少女ががっくりと膝を落としている。その子は眼鏡をかけたポニーテール姿だ。弥生はズカズカと大股で室内に入り、ゼナリは少し内股気味に、壊れた扉をひょいと飛び越える。翔は顔だけを生徒会室に覗かせる。



「ホンット。化学室があるでしょ? 椎奈ったら!」


「エヘヘヘへ。ゴメン、ゴメン。つい思い立ったら吉日で、魔法の実験をしてみたくって。ゼナリちゃん」


「ちゃんづけ。やめるように」


「ゴメンなさい。ゼナリお姉さまぁ」



 ゼナリと楽しげに話す椎奈は「魔法」と言った。魔法の実験。察するに彼女も覚醒者らしい。それに、と翔は身構える。

 その椎名。とにかく胸が大きい。その背丈や幼い顔と相反するように、胸がとにかく大きいのだ。これは、と翔が身構えるのも仕方がない。

 しかも実験のせいで、彼女の胸元ははだけている。翔は目のやり場に困って、椎奈から視線をそらし。



「あー、コホン」



 咳払いする翔を見て、椎奈は指をさす。



「あー! お前は、今朝の鉤爪男! 妖怪、妖怪こあいこあい」


「妖怪! ってあのね! こっちはこっちで!」



 翔の言い分には一切構わず、椎奈はやや濡れた唇に手をあてて、色っぽく彼の胸元に迫る。



「ねぇ、ねえ、そう怒らないで。興奮しないで。女の子は何より『雰囲気』を大切にするものよ」



 椎奈が潤んだ瞳を、じっとりと口元に寄せるので、翔は「やめましょうね。そゆことは」と引きつるしかない。体をそらせる翔へ勝機あり、と椎名は踏んだのか、留めをさす。



「あら。結構マジメなのねー。でも体は反応してそうなので、そういうご報告ー」



 翔に吐息を吹きかける椎奈をさすがにゼナリが止める。ゼナリの顔はやや火照っている。こういうのはゼナリは少し苦手らしい。



「や、やめなさい。椎奈。その辺で」



 弥生お姉さまも、朱鷺の声のごとき咳払いの一つでもするしかない。



「いい加減にしろ。椎奈」



 二人に止められてようやく飽きたのか、椎奈は翔の襟元を正すと、最初から彼に関心がなかったように離れていく。「ほっ」と一息つく翔。ゼナリは椎名に「椎名。あんたねー」と指さし注意をしている。この生徒会、結構厄介そう。心配する翔に、弥生が椎奈を紹介する。



「彼女が覚醒者ナンバー13の朱雀椎奈だ。よろしく頼む」



 だが当の椎奈は、翔には最早興味がなさそうで、ゼナリをからかっている。



「あらー。ゼナリちゃん、顔まっかっか。どしたのー?」


「う、うるさい! 椎奈。あんたには恥じらいってものがないの?」



 椎奈とゼナリの勢いに吹き飛ばされそうだが、翔はとりあえず自己紹介をする。



「あー、えーと。僕の名前は春風翔。覚醒者として、とにかくも異能力が『現れ』……、ました」


「はぁい。よろしくぅ」



 椎奈は横目を一瞬、翔に向けただけで、やはり翔には関心がないらしい。ゼナリをからかってばかりだ。見かねたのか、弥生があらためて翔の名前を口にする。



「春風翔。生徒番号103。覚醒者ナンバー16。初めての男性覚醒者であり、私たちの、仲間だ」



 「仲間」。そう呼ばれて翔も少しは奮い立つものがある。襟を正すと窓辺に立つゼナリ、椎奈、弥生の三人に挨拶をする。その声は透き通り、芯があった。



「よろしくお願いします。翔って呼んでください」




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