理央とミコトさま

 桜庭理央はごくごく普通の会社員。

 でも彼氏作らないし、結婚に夢を見ることもしない変わった娘。

 その理由は、理央の幼いときに出会った初恋の君が関係していた。

 理央の焦がれる初恋の君は、幼い理央の心をも動かすほどに美形。

 神社の階段で転び擦りむいた膝に、冷やしたタオルを当ててくれた、優しい青年だった。

 


 理央の変わったところは他にもある。

 昆虫類は受け付けないが、なぜか爬虫類には目がない。

 飼いたいとは思わないようだが、嫌いではなかった。

 もちろん、犬や猫や兎も好きだが、蛇はとくにお好きなようで。



「参ったなぁ」

 理央は、缶ジュースを片手に公園のベンチで落胆していた。

 理央の勤める証券会社に不渡りが出て、破綻してしまい、解雇通告されたのだ。

 あしたからどうやって食べていこう、恐らくそのことばかりを考えているので、このように泣きそうな表情をしているのだ。

 町の喧騒を抜け、気づけば幼い頃、初恋の君と出会った神社まで足を運んできていた。

「お祈りしていくか」

 理央は一段づつ思いを込め、階段を踏みしめ登っていく。ポケットを探ると全財産は、五円玉と一円玉だけだったが。

「そういえば、ここだったわね」

 と小さくつぶやいた。

 長い参道を歩ききると、古びた本殿が現れた。

 無意識に賽銭を投げ入れ、拍手を打つ。

「理央。賽銭が少ない」  

 驚いてあたりを見回す。誰もいなかったので、空耳だろうと再び両手を合わせた。

「あのな。そういう願いは、かなえてやれないんだ。いくら神様でも金塊なんぞ持ってないし」

 肩をたたかれた理央は悲鳴を上げてひっくり返った。

 声をかけてきた相手は幼いときに出会った、美形の好青年だった。   

「そんなに驚かんでも。ほら、俺だよ。おぼえてないかな」

 理央は青年の顔をじっと見据えて、答えを出した。

「あのときのお兄ちゃんでしょ、おぼえてるよ」

「リストラ大変だったんだなぁ。賽銭いつもだったら五百円いれるのに、今日に限って、たった六円だものなぁ。だから、空から金塊が降ってきますように、などと無茶な事を神に願うのか」

「い、いっちゃだめ、そんな恥ずかしいこと。誰かに聞かれたらいやだよ。しかもなんで知ってんの」

 理央は頬を染めながら青年をたたいた。

 青年はずる賢そうな笑みを浮かべて、こう言った。

「教えない。ところでおまえさ、きょう暇だろ。ちょっと付き合わんか」 

「付き合うってどこに」

「い い と こ ろ」 

 理央のお顔は熟れた林檎のそれ以上に赤面していたので、青年もまた頬を染めている。

「ばっ、いいところって、イカガワシイ場所じゃないぞ。何考えてるんだ」

「あぁん、ごめんなさい。どこでもいいから面白そうな場所、連れてってぇ」

「いや。面白いかどうかは、わからないけど」

 青年と理央は街中へ繰り出して大きな神社までたどり着いた。

 その神社の神楽殿では、白無垢を身に着けた新婦と黒い羽織袴の新郎が、皆の祝福を受けて喜びを分かち合っているところだった。

「なになに。人様の結婚式見てどうするの」   

 青年は小さく微笑むばかりで、すぐには答えなかったが、理央は青年を見上げながら、なぜか心が騒いでいることに気づいた。 

「ここで出る紅白饅頭がうまいんだよなぁ。一緒に食べないかと思ってね」

「は、はあ」

 なんだ、饅頭か。理央はがっかりしたように、うなだれていた。 

 この地区では見ず知らずの参拝客にも結婚式の饅頭を配るようで、理央にも饅頭を与えられた。

 青年は口を大きく開いているばかりで自分からは食べようとしない。

「なあに、それ」

「食べさせて、理央」

「ええっ。食べさせてって、それって」

「頼むよ」

 青年のほうが理央よりも年上に見えるのに、この甘えた言動は。

 理央は人目を気にしてしまって、饅頭を持つ手が震えている。

「大丈夫。誰にもわからないよ」

 そういって青年はウィンクをする。

「そんなに言うなら、これっきりだからね」

 もっとも理央の気恥ずかしさは、周囲に対してだけではなかったようだが。

「うん、おいちい。理央の手は昔からいいんだよなぁ。俺の好きな手だ」

 心底幸せそうに饅頭を頬張る青年は、味わうように時間をかけて飲み込んだ。

「か、からかってるでしょ」

 困惑する理央をよそに、青年はまたもや、笑みを浮かべた。

「からかいたかったんだけど、まあいいじゃない。さて、そろそろ元の神社へ帰ろう。かがり火を焚く時間でね」

「かがり火なんて焚くの」

 それから理央は青年と共に再び街道を歩き、もといた神社まで戻ってきた。

「何もないと寒いだろう。それにきょうは特別だ。十何年ぶりかでようやく理央に出会えた記念に、久しぶりに無病息災の火を焚く」

「神職さんみたいなことするのね」

 理央が笑うと、青年は頬を朱色に染めながら言った。

「そ、そうかな、でも大事だろ、そういうの」

「うん。そうだね」

 素直に答える理央の笑顔を、青年は穏やかな表情で見つめながら小さく微笑んでいた。  

「理央」

 青年はかがり火を焚くと、立ち上がって理央の肩に両手を置いた。

「どうしたの、マジな顔しちゃって」

 理央は青年の真剣な表情に面食らっていたが、青年はお構いなしといった様子で理央に迫る。

「今の部屋追い出されたら、ここに来い。俺はいつでもここにいるから、いいね」

「は、はい」

 理央は即座に答えてしまっていた。

  



 とうとう証券会社が潰れてしまい、本格的に部屋を追い出されてしまった理央。

 青年の言葉を信じ、例の神社へやってきていた。

「たのもう」

 角髪を結った青年が本殿の扉を開き現れた。

「おま。『たのもう』じゃねえだろ。俺を倒しに来たのか」

「いやあ、雰囲気出そうかなっと思って、えへへ」

「何が雰囲気。まあはいれ」  

 神社の本殿は古びていても手入れは行き届いており、想像以上にキレイだった。

「お掃除頑張ったのね。私が来るからかしら、なんて」

「えっ」

 青年は理央の言葉に大きく反応、真っ赤な顔で押し黙ってしまった。

「もしかして、ほんとに」

「あははは。そ、それより食事にしないか。俺、腹減ったなあ」

「それなら、チョコレートがあるよ。あっ」

 ぎこちない手つきでカバンをあさったので、板チョコが滑り床に転がり、拾おうとした理央と青年の手が重なり合う。

「ごっ、ごめっ」

 理央は動揺しながら手を引っ込めた。

 青年は理央を切なそうに見つめると、板チョコを拾い上げ、ふたつに折った。

「お兄ちゃんに聞きたかったことあるんだけど」

「なんだい」

 折ったチョコを理央に渡しながら青年は尋ねた。

「私、どこに寝れば」

 青年はチョコを喉に詰まらせて胸板を激しくたたいた。

「まさか、一緒に寝」

「そこまで愚かではないっ」

「あは、だよねえ」

 気まずい雰囲気の中、ふたりは板チョコをかじり始めた。   

 しばらくして、理央から青年に声をかけた。

「怒ってる、お兄ちゃん」

「いいや。怒っちゃいない。気にしてたのか、理央」

「えへ、ちょっとだけね」

 青年は、理央の頭に手を置き、肉親への愛情に似た慈しみの心を向けていた。 

「理央は大切な妹のようなものだからね。放ってはおけなかったのさ」

 理央は唇をかみ締めて、うつむいていた。しかし突然感情が爆発し、理央は青年の胸板をたたきだす。

「ひどいよ。妹だなんて、ひどいんだからぁ。ばかばかばかぁ」

「どうしたんだ、いきなり。それにひどいって、どういう」

「結婚式であんなことしたの、妹だったからなの。それとも、違う意味でなの、私わからない。お兄ちゃんが何考えてるのか、わからないよ」

 理央は勢いあまったのか、上着を脱ぎ始め、下着姿になった。

「お、おい、なにを」

「目をそらさないで、ちゃんと見て。私もう子供じゃない、大人の女になったの。それなのにお兄ちゃんは子ども扱いするの。一緒に寝たってかまわないんだよ、だから私はここへ来る気に」

「り、理央」

 青年は頭を左右に大きく振ると、そうじゃない、と言った。

「理央のことを拒んでるわけじゃない。妹。そういうしか、ほかに言葉がなくて」

 青年は、本殿の扉の前まで歩を進め、陽だまりに視線を向ける。

「おっ、誰か来るぞ。服を着たほうがいいんじゃないの」

 振り返らずに青年は言った。あわてて服を身に着ける理央。その後、青年は腹を抱えて笑い出す。

「うっそ。誰も来るわけねえだろ」

「だましたのねっ」

 膨れツラをしながら青年に拳を振り上げる理央。笑いながら攻撃を避ける青年。そのうち、青年から口火を切った。

「理央は蛇神の伝説、信じるかい」

 理央は小首をかしげた。

「蛇神ねえ」

「怖いだろう、蛇の神様なんてさ」

 振り返った青年は、ぎょっとする。

 理央の瞳は輝きを増し、両手を組んで妄想しているらしかった。

「なんてステキなの。青大将のキレイな澄んだ瞳、ぬめぬめとした真っ青な裸体、蛇族特有の網目模様、蝮もコブラもステキ。何をとっても素晴らしい。どこが怖いの、かわいいじゃない」

 青年は言葉を返せずに戸惑っていたようで。

「なに、どうしたの。変な人ねえ、聞いといて」

 青年は意外な返答だったので、言葉を探しているようだった。

「それで。蛇神様がどうしたって」

「怖がるかと思って」

「いたらステキよね」

 呆気にとられるほど、理央はうれしそうに微笑んでいる。

 青年は、険しい表情をして慎重に尋ねた。

「もしその神様が理央と結婚したいと言ったら、どうする」    

「でもねえ。あくまで伝説でしょ。ほんとにいたら、いいよって言うのにねえ」

「へ、蛇の子供産むことになるんだぞ、いいのかっ」

「あ。それはちょっと」 

 青年は大きく息を吐き出した。

「だけど、その人のこと本気で好きになっちゃったら、蛇の子も人の子もないでしょ。なんで、そんなこと聞くの」 

「理央が、どうするのか気になってさ。もういいんだ。わかったから」

「わかったって、なにが」

 青年は理央を強く抱き寄せ、押し倒した。

 仰向けになった理央のうえに覆いかぶさる青年は、念を押すようにこう言った。

「俺の本当の姿を知っても、嫌わないって約束できるな」

 青年の態度の変化にすべてを理解したのか、理央はいたずらっぽく微笑んでから。

「わからないわぁ。もしかして嫌いになっちゃうかもぉ」

「理央。頼むよ」

 甘えるような青年の声が、理央の心臓を激しく波打たせる。

「その前に、私、あなたから好きとか、愛してるって言葉、まだ聞いてないんだけどな」

 青年はため息を吐いてから、理央に愛の言葉を告げる。

「そうだったね。順番が狂ったから省略してもいいんだけど、この際だから言うことにしよう。理央。好きだよ」

「私も、好き。大好きぃ」

 青年、いや、蛇神さまが理央を少し抱き起こし、接吻しようとした刹那、本殿の扉が開き、通いの宮司がやってきて、咳払いをしながら困惑していた。  

「びっくりした。人が来るんじゃないの、ばかぁ」

「ばかばかって言うなよ、ばか」

 神社から飛び出し、境内で言い合いをする蛇神さまと理央。

 



 両思いにはなったものの、ふたりのこれからは、前途多難のようである。 

    



 おしまい。


 

 

 【その1年後の話】

   


 「そろそろこの神社も、再建しねえとなあ」

 朽ち果てた社の屋根を見ながら、ご祭神として祀られているミコトさまは、大きく息を吐き出した。

「おにい。理央ちゃん、バイトから帰りました」

 警察官のように敬礼する理央の姿がミコト様の瞳に映し出される。

 ミコトさまは神様だけど、理央のことを一目見たときからずっと、好きだった。

 神が人を愛する例なんて、古事記だけでなく、民話の入り混じった物語の風土記にだって書かれている。そのくらい常識でもあった。

 

 ただし、ミコトさまと理央に限っての愛の形は、ふつうのそれとは、少しちがっていて。


「俺、理央のこと、あんまり外に出したくないんだよね」 

 ミコトさまの表情に陰が差した。

「どうして」

「悪い虫がつきそうで怖い」

 すると理央は勢いよくミコトさまの背中をたたきながら、こういった。

「やっだあ。おにいは心配しすぎ。あの誓いをした以上は浮気なんて出来ないし、それに」

「それに」

「おにいちゃん以外にイケメン、いると思う。思わないでしょ、だから大丈夫なんだよ」

 どんな説得力かはわからないが、ともかく、理央の屈託のない笑顔によって、ミコトさまは納得せざるを得なかった。


 蛇の神様は、三輪山の大物主の神様もそうだが、超絶美形のいい男と評判だった。

 古来の昔からそういわれていて、蛇神様は神道(つまり、卑弥呼の時代前後にあたるのだろうが)成立する以前には、もてはやされていた模様。

 蛇の神は人間の娘のもとへ毎夜かよう、それは子供を産ませるためだと。

 もっとも、われらがミコトさまは、理央をそんなふうには見ていないのだったけれど。


 余談だが出雲大社やその息子神である諏訪大社の注連縄は蛇をあらわしていて、性交を意味するのだとか。

 蛇のすさまじい性欲、生殖力などを暗示しているらしい。

 もともとは、その注連縄の太さは大国主神がアマテラス側に自分の居場所を誇示するための権威だったようだが、それが子宝に恵まれるように、と転じたとも言われている。


 話を戻してミコトさまは、しかめ面をしながら理央に話しかけた。

「理央は無防備だし、顔も悪くないだろ、ストーカーなんてのに狙われたら、俺、助けに行かれないじゃないか」  

 などといいつつ、ミコトさまはお顔を真っ赤に染め始めた。

「いやん、照れてるのおにい。かわいい」  

「からかうなっ。でも本当だぞ」

「ありがと。でもさあ、生活費稼がなきゃ。お賽銭だけじゃ、生きてけないよ」

「すまん、ヒモみたいで」

 ミコトさまは、がっくり肩をお落としなすった。

 本殿から離れるわけにはいかなかったので、ミコトさまはバイト探しができないのだ。

「でも考えようによったらさあ」

 理央はニンマリと奇妙な笑顔をつくった。こういうときの考えはミコトさま、お見通しである。

「おにいとは充分エッチしてるじゃん。レイプとかになっても平気だったりしてね」

「ばか。そういうと思ったぜ」 

 ミコトさまは理央の額を小突いて叱咤した。

「氏子のオッサンが持ってきてくれる寄付だけじゃあ、成り立たないのも事実だしなあ」

「そのわりにお酒、断らないよね。おにいは」

 理央のつっこみにミコトさま、ピンチにパンチだった様子で苦笑いする。


 その晩は長かった雨がようやく止んで、満ちた月のかもしだす、美しい白銀のカーテンが夜空に降りかかっていた。

「ねえ、おにい。愛ってなんだろうね」

 ミコトさまは理央を抱擁しながら、近づけていた唇をはなした。

「な、なんだ急に」

「プラトンの本読んでからずっと、考えてたの。同性愛って昔からあるけどさ」

「そういや、大伴家持が男から歌を贈られたこともあった」

「うそ、日本でもあったんだ」

 目を見張る理央にミコトさまは、ふ、と鼻を鳴らす。

「織田信長も小姓を愛でてたんだろ。お前の雑誌に書いてたけど」

「おにいってさあ、マジで賢いんだか馬鹿なんだか、紙一重って感じでモーツァルトと一緒だよね」

「うるせえ。抱きしめるぞ」

「うん、いいよ……。愛ってたぶん、この瞬間なんだよなあ」

「あ?」

「だってさ、だって。おにいが私を抱きすくめるたびに、気持ちいいんだからさ。卑猥な言葉いわれたらムズムズする。これが愛でなくてなんなのよ」

「それはお前が変態か、あるいは……」

「えっ」

「……ま、まぞってやつじゃねえのかな」

 ミコトさまの枕の傍らにマルキ・ド・サドの著書が置かれていたことに、理央はまだ気づいていなかった。

「俺にここまでする趣味はないが」 


  オチがついて、いちおうの〆。

    

     

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