カンディード

※ヴォルテール卿(1700年代)の作品の二次。



  その晩は蒸し暑く、カエデは悪夢を見ていた。

 冷や汗をかきながらベッドから起きあがると、薄暗い自分の部屋。

 窓のカーテンが開いていたため、風で揺れていた。


「変な夢見ちゃった」


 水を飲もうと水差しに手を伸ばすが・・・・・・。


 窓の外に誰か立っている気配。

 カエデはごくりとつばを飲み込んで窓を完全に開けた。


「あなたは誰?」


 銀色の瞳が印象的だった。

 そしてギリシアのチュニック(下着風の着物)を身につけた長髪男は、


「現実など、くだらない」


 といった。


「どうしてそれを」


 カエデは後ろに下がる。

 じつは常日頃から男の言った言葉を、口癖にしていたから。


「知っているよ。そりゃあな。おれはあそこから来たのだから」


 といって空を指さす。

 満天の星空が広がっていた。


「どういうこと? 悪魔じゃなさそうだけど」


「おれを悪魔に仕立てる気か、きさま;」


 男は銀色のペンダントを手渡した。

 カエデがロケット状になっている蓋を開くと、それは銀の懐中時計。


「おれの名前はクロノス。気が向いたらそれを開いて見ろ」


 次の瞬間に男は姿を消していた――。




 ――現実など、くだらない。



 クロノスのいった言葉は、そのままカエデ自身の心を表していた。

 だからこそ、驚きでいっぱいだった。

 

 アパートに帰ると、いつものごとく鍵っ子になる。

 レンジで食事を温めるよう、手紙で指示する母親の文字。

 カエデにとってそれは「うざったい」存在でもあったが、

 空腹には勝てない。

 レンジで暖め、パスタ料理を頬張る。

 

 ――現実なんて、ホントくだらないわ!


 食べながらカエデは、顔をしかめていた。


 学校に行っていても楽しいことなどひとつもなかった。

 友達などひとりも居ない。

 クラシックをひとつも知らないからと言って、

 村八分にされたくやしさもある。

 こんなことで恨み言を言いたくなどないが、教師とて卑怯者が多い。

 なにかにつけ、当たり障りのない言葉でバカにする。

 

「きさまはクズ以下なんだよ」


 とでも言いたげに。


 カエデは握っていたフォークをたたきつける。

 

 ――ちくしょう! ハルマゲドンかラグナロクでも起こって、

 みんな死んじまえばいいんだ!

 

 やり場のない怒りがこみ上げてきて、ついでに涙まで頬を伝う。


 ――気が向いたらコイツを開け。


 クロノスの言葉を想い出した。


 カエデは言われたとおり、懐中時計の蓋を開く。



 気がつくと、そこは雪国だった。


 て、ちがうちがう

 フランス革命前の時代でしょーが


 カエデは過ぎゆく人が自分を珍しそうにじろじろ見ていることに

 少々疎ましさを感じる。


「何見てるんだよっ」


 おぼえたてのドイツ語で怒鳴るが、通じない。

 彼女は英語など嫌いだったので変わりになる言葉を探し、

 それがドイツ語だった。

 修得日数は、英語を完璧に覚えていなかったため、

 意外と早く、三ヶ月ほどでマスターしてしまった。


 

「あれー、きみ、ドイツ語はなせるんだね」



 振り返ると金髪の貴族がにこにことカエデに声をかけ、突っ立っていた。 


「そうよ、だからなに?」


 目をつり上げてカエデが言うと、貴族は引きつり笑顔で、


「まあまあ。怖い顔しないでよ。僕はカンディードっていうんだけどさ。

 ちょうど連れを迎えに行く途中なんだ。一緒に行かないか?」


「ちょっとそれ、ナンパのつもり? ふん、ずいぶん下手な誘い方じゃん」


 ひねくれ者のカエデだから、カンディードに強気な発言ばかりをする。


「ぼ、僕は・・・・・・」


 カンディードはかわいそうに、少し気後れした感じで、


「僕は困っていたきみがかわいそうだったから、それで!」


「あーら心外だわね。そう見えた? 残念。

 私はひとりでもだいじょうぶですから」


 カエデは肩をすくめながらこういった。

 カンディードが何かいいたそうにすると、黒髪の青年が荷物を抱えて


「カンディードさまー、すみません。店が混んでいまして」


 息を切らしてやってきた。


「おや。そちらのお嬢さんは」


 カンディードのヤツ、ナンパでもしおったか、と言った顔で目を丸くする。


「くだらなすぎるよ。僕もう、姫を捜しに行く!」


「なにさ、ナンパ野郎! お前なんか、○○○して○○しやがれ! サノヴァヴィチ!」


「な、なんてこと!」


 黒髪の青年はただただふたりのやりとりに、唖然とするばかりであった・・・・・・。


 


 



 黒髪青年カカンボのおかげで、カエデはカンディードに同行を許され、

 ブエノスアイレスへ行く途中の船に乗せてもらった。


 このころまではカエデもカカンボも、あまりお互いを意識してはいなかった。

 あるとき海賊の襲来があって、カエデは立ちすくんで動くことすらできないときがあった。


「カエデちゃん、そら、銃剣だ。それをもって戦え! 海賊を殺すんだ!」


「そんな、相手は人間でしょ・・・・・・」


「バカ! つかまれば奴隷にされちまうぞ」


 カカンボに渡された銃剣を握って、どうすればいいかを考える。

 しかし海賊はカエデたちの船に上がり込み、余裕を与えてはくれない。

 いままで、飢えも戦争も知らずに育ってきた自分が、やるせないものに想え、

 とてもイヤな感じだった。


「こんなのイヤ・・・・・・」


 海賊のひとりが、青龍刀でカエデをたたき斬ろうとする!

 カエデは死を覚悟し、目を閉じた。

 甲高い音がしたので瞼を開くと、

 カカンボがカエデをかばい、振り下ろされた剣を銃で押さえつけていた。


「は、はやく逃げろ・・・・・・」


 カエデは安全そうな場所へ逃げ込み、頭を両手で押さえた。

 ――みんなこれで死んじゃうわけ? 私帰りたい、あの裕福な時代へ。

 たとえ寂しくてもいいから、安全な国へ・・・・・・。


 しかし、先ほどの騒ぎで時計は粉々に壊れて使い物にならなかった。

 

 戦闘が終わり、奪われたのは金品だけと、船員たちは犠牲者がでなかったことを心から喜んでいた。

 カカンボはカエデを捜して甲板をうろうろ。

「あ、ここにいたのか」

 カカンボが微笑むと、その場に膝をついて荒く息を吐き出した。

「ど、どうしたの」

 カエデは悲鳴を上げた。

 カカンボの右腕から、鮮血がしたたり落ちる。

「心配するな。どうってことない」

「軽い怪我じゃないのに・・・・・・?」

 カカンボの顔から、血の気が引いていく。

「ホントは痛いよね? 医者に見せたら」

 カエデはただオロオロ。

「俺、医者は嫌いなんだ。服の袖をちぎって包帯にしてくれ、血止めにする」

 言われたとおり腕に包帯を縛りつけたカエデはカカンボによりそう。

「ご、ごめん、私があのとき銃を撃っていたら・・・・・・」

「カエデちゃん。気に病んだってしかたないだろ、そんなこと。怪我はだいじょうぶだから、安心したまえ」

 カエデはそう言われて、ようやくうなずくことができた。

 そしてカエデは、このころから徐々に心の変化を見せ始める。



 カンディードはキュネゴンド姫をブエノスアイレスの海賊から奪い返すために、

 資金集めに励んでいた。

「こうなったら、意地でも集めて見せるぞ」

 ――そこまでする価値があるのかねぇ。所詮愛情もいつかは消えてなくなるのに。

 カエデはカンディードの行動にいちいち難癖をつけては非難する。

「どうせムダよ。あきらめたら? お姫様、きっと提督と仲良く暮らしてるわよ」

 その言葉に逆切れするカンディード。

 ぎろりと目をつり上げて怒りだした。

「何がムダだって? いいかげんなコトを言うな! 姫はきっと僕を待っている」

「さあ、どうだか」

「どうだか? 何を根拠に」

「まあまあ」

 いつものように二人の押し問答をカカンボが止める。

「いったいどうしたの」

 カカンボがカエデに困ったような笑みを浮かべて尋ねると、

「なんでもない」

 カエデはふくれっ面でこう返す。

 カカンボはこんなとき、扱いの難しいお嬢ちゃんに心の中で皮肉を言うのだった。

「私のコトなんて、ほっといてくれたらいいのよ。どうせ他人なんだから。

 カカンボ、あんただって心のなかじゃあ、あたしのことをあざ笑ってるのよ」

「・・・・・・どうしてそう思うんだい?」

 カカンボはしまったかなと頭をかいた。

 今日に限ってはストレートに表情で感情を出してしまったかも知れない。

「私に関わる人はみんな、そういうから。必ずね」

 カカンボはカンディードのほうを見やる。

 するとカンディードもさすがに困惑しており、

 カカンボとカンディードはお互いの顔を見合わせる。 

「私、愛情なんか絶対信じないもん! そんなのインチキに決まってるから」

「インチキ!? インチキっていったい!」

 カンディードが口をきこうとする前に、カカンボがカエデに尋ねていた。

「じゃあもし俺が、カエデちゃんを好きだと言ったら、きみ、どうするね」

 カンディードは今度こそ本当に、口が利けなくなっていた。

 カカンボが言ったあと、彼の頬は真っ赤に染まっていくのがカンディードにもカエデにもわかった。

「ありえない」

 カエデはなおも言い続ける。

「どうして?」

「じゃあ聞くけど、私のドコが好きか言ってみてよ」

 カカンボはうれしそうに、

「いいよ。いくつでも何度でも答える。だからカエデちゃんも俺の気持ちに応えて」

 


 

 カンディードはカカンボとカエデが話し込んでいるのを、

 少し離れた場所から遠目にちらちら盗み見た。

 カエデは悩んでいた。というのも、カカンボにこう告げられたからだった。


「俺がカエデちゃんを好きだと言ったら、どうする?」


 カカンボがカエデを好きになった理由。

 それは、彼女の中に弱さが見えたからだと、彼は言った。

 弱くなどないとカエデは否定するが、人間は思う以上に強くなれない存在だとカカンボは言い返した。

 そんな言い合いがしばらくつづき・・・・・・。


 たき火を前にして、カエデは頭を乱暴にかき、食事も満足にせぬまま、カカンボと向かい合っていた。

「カカンボ」

 カエデが言った。うつむき加減で返事を待っていたカカンボ、ついと顔を上げる。

「あなたが私を好きになってくれたところで、私もそうなるとは限らないじゃん。なのに、なんでそんなつまらないことを・・・・・・」

「人を好きになるとは、そんな簡単じゃないからさ。きみだってわかってる癖に。それにね、つまらないコトかな。俺はそうは想わんけど」

「つまらないよ」

 カエデが口を尖らせる。

「つまらない。誰かを好きになったって、いつか死ぬし、たぶん永遠には愛せない」

「そうじゃないよ」

 今度はカカンボが反論した。

「人は永遠という時間がないから、今を精いっぱい生きたいと想うんだよ、きっと・・・・・・」 

 カカンボはカエデを乱暴に抱き寄せた。

 驚いたカエデはあわてて彼を引き離そうとするが、

 カカンボは力強くカエデを抱きしめる。


「ホントはカエデちゃんだって、知ってるじゃないか。死ぬのが怖いこと、だからあがいて、生き続けたいんだろ。いいじゃないか、弱くたって・・・・・・弱いままでもさ。怖がってもいいし、泣きたいときは泣いてもいい。完璧な人間なんか、絶対にあり得ないんだから、そうであり続ける必要などない」   

    

 弱さを認める勇気が、欲しい。

 でも彼女にはそれができないでいる。

 

 ――カカンボはきっと、それを見抜いていたんだ。


「でも・・・・・・でも・・・・・・」

 カエデはあふれる涙を必死で押さえようとする。

「俺にだったら、頼ってくれていいからね・・・・・・」

 いいながら、カカンボが顔を近づけてきた。

「俺がカエデちゃんを支えるから。それが疎ましいのであれば、言ってくれ。でもこの気持ちは本当なんだ」



 その言葉が今のカエデにはうれしかったのだが・・・・・・。 

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