大友皇子の乱
※古代史の検証っぽい。
大友皇子は天智天皇の四番目の子として生を受け、本来ならば母の身分の低い大友が『日嗣(ひつぎは皇太子)』として即位することはなかった。
大友のほかに兄弟は、健皇子(たけるのみこ)、川島皇子(かわしまのみこ。川島はのちに天武の子、大津を裏切る) 、志貴皇子(しきのみこ)があったが、健皇子は病気で夭折(若死にすること)してしまった。
川島も志貴も、大友ほどではなかったが、いずれも母の身分が低い。
天智は、なぜか特に身分違いの采女(うねめ)の身分にある母を持つ大友を皇太子、太政大臣(だじょうおおおみ、皇太子であり政治を行う)という身分につけたという。
「でもね、十市(とおち)。ぼくは皇太子になったからといって、父上や叔父うえのように、権威をふるう気にはなれないよ」
大友はあるとき、正妻の十市皇女(とおちのひめみこ)に語って聞かせていた。
懐風藻によれば、藤原家が天智天皇側にべったりついていたので、天智の側近である鎌足が大友に娘の藤原耳面刀持(ふじわらのみみもとじ)を献上し、妃にしている。
この娘との間に子をひとり儲けている、女の子だった。
しかし天智は、大海人皇子(おおあまのみこ)のちの天武天皇の娘であり、愛人だった額田王(ぬかたのおおきみ)の娘の十市を正妻にむかえるように命じた。
こうすることで大友皇子が皇太子としてふさわしい立場ができあがる。そのことを考慮してのことでもあった。
むろん、兄と仲の悪い天武がそれをすぐに許すはずもなく、渋々承諾したには違いなかったが、十市は自ら進んで大友の妻になったとも窺える。
「お父様。大友様のことを誤解しているわ。あの方は文武にすぐれた穏やかな方ではありませんか。お父様がよく知ってるはずでしょ」
「それとこれとは別だ。お前は額田との間にできた大切な」
「でも私は私よ、お父様。好きにさせて頂戴ませ」
古代の女たちは、自由に生きていた。おそらく現代よりもずっと、自由に。
だからこそ、自分の意思で夫を見つけ、求婚もしていたようだ。
十市が大友の妻になったことも、幼なじみで、ずっと好きだったから。そうとも考えられる。
「姉さん。大友様の后になるのですね。それも正妻だなんて、運がいい」
高市皇子(たけちのみこ)がニヤリと笑みを浮かべ、十市に声をかける。
「ありがとう、高市。大友さまは私のあこがれだったのですもの、そりゃ嬉しいわよ」
「そうですよね。姉さんはいつも大友さま、大友さまと、甘えるようにすがりついてました」
「それ以上言わないで。ところで何の用」
「父上が結納はいつにするかと仰せだったので。しかしいいのですか。父上はあまり気乗りじゃなさそうで」
「ほっときなさい。私、お父様苦手なの」
十市は父のことを持ち出されると不機嫌になる。
「お母様を奪われた恨みだとか言ってるけど、伯父さまはそんなに悪い人じゃない。お父様のほうがおかしいわ」
おかしい、というのには理由があって、酒乱ですぐ頭に血がのぼる習性があった、そんな天武のことを好きになる娘ではなかった。
「大友さまは関係ないのにね」
「そうよ。親がにくけりゃ子供まで、という考えが浅はかなのよ」
十市は高市と夏の終わりの近づいてきた中庭を散策しながら、父への不満を吐き出すのであった。
大友と十市との間には、ゆっくりと穏やかな時間が過ぎていき、一人息子の葛野王(かどのみこ)を産み落としている。
この子がいずれ皇太子になり、自分のあとを継いでくれることを信じていたであろう大友皇子。
だが、無常にも神は、これ以上の安穏を許さなかった。
天智天皇は病に伏し、天武を呼び寄せたが、天武は天智に会うことをせず吉野へ引きこもり出家する道を選んだ。
家臣たちは皆恐れたという。
「虎に翼をつけて、はなつようなものだ」
大友もまた、天武に恐れていた。
「叔父上は何か企んではいないだろうか」
「噂なんて気にしないほうが」
「おまえとも、しばらくは会わないほうがいいだろう」
「お父様は関係ないじゃない。私はあなたの妻になったのよ、それも正妻なのよ、わかってるの」
大友皇子は気が優しすぎたのか、他人の批判を恐れ、意見を言う男ではなかったが、このときばかりは違っていた。
「それでも、ぼくは大海人叔父さまが怖いんだよ。あの人は皇太子になりたがっていたからね。天武派は、ぼくを皇太子の座から引き摺り下ろしたがっている。それはそうだ。采女風情の女の息子が日嗣だなんて、貴族連中からすれば口惜しい結果だからね」
「そんな言い方やめて。あなたのお父様の気持ちをくんであげてよ。身分は関係ない、実力があれば皇太子になれるんだって、そういう考えだからこそだったのでしょ。ご自分を卑しめないで」
「ぼくの身に何か起きたら、おまえと葛野だけでも逃げるのだよ。生き延びてほしいんだ」
その言葉が現実になったとき、十市は。
漢詩の才能を持ち、武芸もたしなんでいた大友皇子。
人当たりもほどほどによく、親しんだ部下からは信頼も篤かった。
だが、誰にでも、というわけではなかったようで、人見知りもしていたようだ。
天武も大友の才能は認めていた可能性はあるが、天武もまた、身分を気にする貴族に違いはなかった。
そしてついに、火蓋を切ってしまった壬申の乱において、大友軍は天武側に追い詰められ困窮していった。
「皇子。急いで即位してしまいましょう。このままでは本当に、おしまいですぞ」
家臣のひとりにそういわれ、大友皇子は即位式を急いだ。
その記録は天武によって削除されてしまったが。
しかも大友討伐を命じられたのは、誰あろう高市皇子だった。
天武は実力があるから、という口実を作ったが、じつは大友と親しいからということもあった。
高市はそれに、父に対して忠実であるから、断らない。その性質を利用したのだ。
苦悩したに違いなかった。
大友は姉が愛する夫であり、自分が慕っている義理の兄だ。けっして傷つけてはならない相手である。
それを父が自分に総大将として始末しろと命じた。
できるわけがなかった。
それでもやらなければ、父を裏切る結果になってしまう。そちらも考えれば恐ろしかった。
どちらをとるか。
高市の選択は、決まっていた。
大友皇子、別名を伊賀皇子(いがのみこ)といったが、大友は滋賀で首をつって自害した。
追いつめられて、というよりは、高市が総大将になったことで、その手を汚させたくない気持ちと、叔父を勝たせてやる気持ちがあったのだ。
十市は狂いそうになる気持ちをおさえ、自害した。
一説によれば、十市は父に密書を送ったとあるようだが、じつは筆跡が違うとか、その事実はなかったとか、憶測は飛び交っている。
だが十市が天武の間者ならば、大友の自害を待つまでもなく自害していた可能性が高いので、やはり結論としては、大友を愛していたことになろう。
高市は、姉の葬儀の際に泣き濡れ、布に託した、短い誓いだったのに、という歌を万葉集に残している。
大友と十市のふたりの間に、いつまでも穏やかでいようという祈りが、その布に込められていた。
大友の子、葛野王は、天武の部下になり、生涯を閉じたという。
完
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