ミシャグジさま

※ちょっと民話くさい話。


 健御名方(たけみなかた)のお兄ちゃん。


 子供のときの私、つまり理央にとって彼が何者かわからなかったわ。

 あるとき春の暖かな風が吹いて、私を呼ぶ声がかすかに聞こえたんだ。

 そこは小さなお社で村社だったのだけど、私には特別なものでもなかったの。

 それなのに、お兄ちゃんは姿を見せずに理央、とだけ呼んでいた。

 心地よい、若くて凛々しくて、そんな男の人の声だったわ。

「会いたいよ、理央」

 目の前にいたのに、お兄ちゃんは私に会いたいと。

「ここにいるよ」

 お社の中にいるはずのお兄ちゃんに向かって答えたけど、返事はなかった。

 

 なんで神様は、姿を見せないのかな。 


 大学まで進む頃になると、民俗学の授業を選択して、神道について研究した。

 神は自然から成り立っている。

 山そのものがご神体であり、風も雨も神様。

 原始のアニミズム信仰がそうであったように、岩でさえもありがたい神様になる。

 でもはっきり聞こえた、あのときお兄ちゃんの声が、この耳にしっかりと。

 あれは何だった。その答えを知りたかった。

「会いたいよ、お兄ちゃん」

 今度は私がそういう番だった。


 

 お兄ちゃんの神社はきちんと管理されていて、あちこちに補修がなされていたので、胸をなでおろした。

 もしも荒廃などしていたら、とてもいやだった。

 私は境内のほうへ視線を流すと、見たこともない出で立ちの紳士を見つけて凝視してしまった。

 それはまるで埴輪から飛び出したような姿で、白い絹の羽織袴、管玉と勾玉の首飾りをぶらさげていた。  

 羽織袴といっても貫頭衣のような、現代風に近いシャツとパンツのようなもの。

 もうひとつ驚いたことに、その紳士はお面をかぶっていたわ。

 節分のときに豆菓子についてくる鬼の面よりも、とても恐ろしげなね。

 声をかけても返事がない。

 隣に腰かけて、紳士をまじまじと見つめてしまった。それでも微動だにしないのよ。

 そういうときの私って、なぜか意地悪な気持ちがわいてくる性格で、紳士の手を握りたい衝動に駆られた。

 からかってやるつもりだった。

 ところがそっと手を伸ばすと、気配に感づいたのか、紳士のほうから私に覆いかぶさってきたので、必死に抗った。

「いや、離して」

 暴れても男の力にはかなわなかった。

 紳士は力任せに私を抱きしめてきた。

 不思議なことに締めつけられても苦しみは一切なかったわ。

 反対になんだかとっても、気持ちがよくなってきた。

「あなたは誰。私を知っている人なの」

 答えてはくれなかったけれど、抱きしめてくる腕に力が込められた。

 私は、うっと小さく声を上げた。すると腕の力に緩みを感じた。その締めつけ具合がなんとも心地よい。

「気持ちいい」

 つい言葉にしてしまっていた。顔が熱っぽくなっていく。

 なんてバカなことを、と心で自分を罵倒し、言いかけて言葉をつぐんだ。これ以上なにを言い出すか、わからなかったから。

 広い胸板、たくましそうな両腕。抱かれる条件としては申し分のない紳士なのに、なぜか口を利いてくれない。

 もしかしてお面のせいかも。

 何となくそう思ったのは、お面が怖すぎたからだったのか。

 顔の見えない相手に、こんなにもドキドキするのは何故なのだろう。

 以前も似たようなことがあったっけ。お兄ちゃんのことだ。何も見えないのに声だけで好感が持てた。

 今度は逆なんだと私はボンヤリ紳士の腕の中で考えた。

 ゆっくり瞼を閉じ、紳士の上着にしがみついて匂いをかいだ。森の匂いがする。

 紳士は私から離れて身を起こすと服を脱ぎはじめた。私にも脱げと要求していた。

「ここじゃいや。誰か来たらどうするの」

 躊躇していると、問答無用とばかり私の服を剥ぎ取った。

「ばか、なんてことするのよ。ここじゃいやなんだから、絶対してあげない」

 しかもお面だから、キスなし。男って、皆こうだっけ。 

「ふつうは甘いキスから始めるものよね。どうなってるの、あなたって人は」

 それでも私は抱擁される感覚の味をしめてしまったのか、この人に求められると、とうに拒めなくなっていた。 

 


「お面をかぶった紳士ねえ」

 学部ちがいの先輩であるナギくんに相談してみると、禰宜の資格を持つナギくんは即座に答えてくれた。

「ぼくが知る限り、もしかして、ミシャグジと関係あるのかな」

「ミシャグジってなあに」

「諏訪信仰に大きな蛇神が土着の神だとする考えがあるんだよね。真っ白で大きなミシャグジ信仰は、あとから来た出雲のタケミナカタの神様をないがしろにする傾向にある」

「へえ」

「まあ、なんでもタケミナカタの神様が土着であるミシャグジを戦って攻め落とし、無理やり家来にして諏訪大社を建立させたらしいから、諏訪の民衆には好かれなかったのだろうね。しかもタケミナカタの神様の面白いところは、出雲大社しか見たことがなかったんだ。だから出雲大社そっくりに作ったんだよ」

 そうだったのね、それじゃあれか。

「注連縄が大きいのは」

「出雲の大国主神さまが鎮座する出雲大社を真似たのさ」

 ナギくんは説明がとても上手で、勉強はよくできる男なの。なんでモテないのかしら。

「理央ちゃん。どうしてそんなこと気になった」

「いえ、どうということは。なんとなくかな」

 誤魔化したけれど、ナギくんは納得いかない顔してた。

「うそつけぇ。なんかあるだろ、なんかさぁ」

 妙な笑みを浮かべながら眼鏡を押し上げる。

 うげ。なんかキモい。モテないのは、そこかい。

 

 



「あなたミシャグジなの」

 何度も添い寝をしていると、こういう質問をすることすら、ためらわなくなってくる。

 それでもお面男は答えてくれない。私は頬を膨らませた。

「いじわる。答えて」

 お面男は起き上がると私の頭をそっとなでてくれたの。

「ミシャグジなの」

 お面男は否定したわ。

「じゃあ誰。教えてよ」

 愛に言葉はいらないだの言うけど、あれはまったくの嘘ね。デタラメ。愛にだって言葉は必要よ。

 だって、声くらい聞きたいじゃない。

『ミシャグジを攻め落としたタケミナカタの神様は、無理やり家来にして諏訪大社を建立させたらしいから』

 悶々としていると、突如ナギくんの言葉を思い出した。

「もしかして、タケミナカタ」

 お面男の私をなでる手が制止した。

 やはり。私はお面男の手首を急いで掴まえた。

「そうなのね」

 お面男はうなずいた。あなたはタケミナカタ。ようやく正体を知ることが出来て、安心した。

「お面、はずせないかしら。そろそろ顔見たいよ」

 お面男、いえタケミナカタは頭を横に振った。

「ケチ」

 といったら、額を指で小突かれてしまった。     







 ナギくんは昼食をおごるからといって、大学の近所にある喫茶店へと連れて行ってくれた。

 ナギくんにしては珍しいのよ。めったに顔をあわせないこともあるけど、倹約家の別名を持つナギくんが。

「ぼくだって、たまにはね」 

 席につくなりナギくんは宝くじを見せびらかした。

「一万円当たったんだ」

「一万円も。やるじゃん」

「それで。話ってなんだい」

 私は座りなおして、タケミナカタのことを話して見た。

 もう私の手に負える事件じゃないからね。

 ナギくんはしばらく考えてから、

「お面がはずれないのは、きっと呪術、つまり呪いがかけられているんだろうな」

 おそろしげなことを言ってくれる。

「呪いって」

「種類はわからない。かけた張本人しか解けない呪いもあるっていうから、やめさせないと、タケミナカタ様はずっとこのままさ」

「そんな」

「一番考えられるのは浮気防止とか。なんてね、あてずっぽうだけど」

 とか言ってる割に、理にかなった答えだから、ナギくんは頭がいい。

「単純だけど、そうかもね」

「ええッ。浮気で決まっちゃった」

「どうしてもはずれないの。おかしいもん、浮気させない以外ありえないよ」

 そう考えたら悲しさが倍増してしまった。この押さえつけられるような気持ちはたぶん、嫉妬だろう。

 ナギくんは困っている私を見て、切なそうな表情をする。

「理央ちゃんは、タケミナカタ様が好きなんだね」

「顔は見たことないんだけど言われてみたら、かなり好きかも」

「赤い顔してるしね」     

 私は顔に手を当てて確認した。

「ぼくも力になってあげる。だから諦めないほうがいい、いつかきっとタケミナカタ様の顔を見られるよ」

「ありがとう」

 私よりやる気になってないか、この男。

 でもいちおう、礼は述べておくことにする。 

 

  






 タケミナカタの神様と添い寝(馬鹿ばかしいけど、この表現がしっくりでしょ)をはじめて一週間。

「あしたも大学あるから、帰るね」

 眠い目をこすりながら服を身に着ける。

「なに、どうしたの」

 タケミナカタの神様は、どうしたわけか、私の腕をつかんだまま離してくれそうになかった。

「タケッ」

 何だろう。タケミナカタは私の顔を両手ではさんで、見つめているように思えた。

 お面がコワモテだから、私はおかしくなってつい吹き出す。

 この瞬間、ひらめいたことがある。あのときだ。子供のとき聞いた、風にのせて聞こえてきた凛々しい男の人の声。

 私の初恋の、おにいちゃんだ。

「おにいちゃん」

 ありったけの思いをこめて、呼んでみた。

 すると、お面がいきなりパッカリと割れ、お面の中から想像通りの凛々しい、おにいちゃんの顔が現れたのだった。

「お面ってのはけっこう息苦しいものだね。はじめましてかな。理央、会えてうれしいよ」

 心底うれしそうに会釈までして。私は喜びよりも腹が立ってしかたなかった。

「なんか順番が違う気がするんですけど」

 不満だらけな口調でおにいちゃんに文句を言った。

「あん? どういうこと」

「エッチしてから始めましてなんて、言うか。ふつう」

 おにいちゃんは、豪快に大笑いしながら。

「ふつうじゃねえんだよ、オレは。理央こそふつうじゃないんじゃないの」

「な、なにそれ」 

「理央がふつうだったら、そのへんの男ナンパして、デートでもしてるはずだろ。なのにそうしてない。オレの姿が見えること自体、おまえフツーじゃないってことだよ」

 エラそうに威張りながら言うものだから、私はぶち切れ寸前だったわ。乱暴に立ち上がると荷物をまとめる。

「ばかにしてるでしょ。出会ってすぐいきなりあんなことしといて、そんなこというかっ。面白くない、帰る」

「待てって。怒らなくたっていいだろ」

「そんなこと言われたら怒るわよ。おにいちゃんのこと、ずっと好きだったんだもの……」

 勢いあまり嗚咽してしまった。おにいちゃんは頼りなげに、おろおろするばかりだった。 

「な、泣くな理央。悪かった、オレが悪かった、だからもう泣くなって」

 おにいちゃんは私を強く抱きしめた。




 でもこれ、ほんとは嘘泣きだったりするんだよね。へへっ。



   

 ナギくんが言ったとおり、あきらめないでよかったのかな。

 おにいちゃんの素顔を拝むことが出来た。

 結局ナギくんの出番はなかったわけだけど、まあいいか。

「いや、よくないだろ。ぼくは何だったんだよッ」 

 ナギくんのツッコミが空耳のように聞こえてくる。






「おにいちゃん、お面は何かの呪いだったのかな」

 どうしても気になった質問をしてみる。

「それねぇ。ミシャグジのやつがやったのさ」 

 またでたよ。ミシャグジ。

「そうとう根深い恨みもってるんだねぇ。オレが諏訪大社作ったのが、気に入らないと見える」

「そ、そうなんだ」

「あいつね、女好きなんだよ。よりによってオレの親父殿がそうじゃないか。オレの母である沼河比売(ぬなかわひめ)が美人っていうので娶っただろ。本妻さんは怒ってつむじ曲げてたっていうからな。案外、須勢理比売の怒りもあるかも」

 そんなこと言ってると、おにいちゃん刺されちゃうよ。私は背筋が凍るのをおぼえて、気配まで感じて何度も振り返る。

「美形だぜ」

「えっ」

「おまえもヤツ見たら、メロメロになったりしてな。あっはっは」

 おいおい、あっはっは、はないだろうに。

「ま、蛇の化身だからなぁ、ニギハヤヒは……。ミシャグジの正体は大物主だよ。ニギハヤヒという出雲系の神なのだが、いってみりゃオレの従兄弟でもある」

「へ、へえ」 

「オレがいうのもなんじゃけど、あいつイイ男だぜぇ。プレイボーイってやつかいな。女はみんな、ああいうの好きなのかな」

 会ったことないからわからないけど、そんなにいい男なら一度見てみたい気もする。

 でも会ったが最後、虜にされちゃったりしてね。

 

 




  おしまい。

    

 


 ※ ミシャグジさまはニギハヤヒさんとは違いますが展開上そうなりました 笑

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