ヘルギのキャラバン
ある晴れた日の昼下がり、若き御曹司マグナス・ヴィスコンティは領主のピエトロと領地を視察しに村へやってきていた。
将来はマグナスにもここらへんの領土を治めなければならないと、ピエトロは執拗に言い聞かせた。
だがマグナスは船乗りになりたかったので、土地のことなど、どうでもよかった。
「おやじ。おれ、どうしても船乗りの夢を捨て切れないんだ。あの海の向こうになにがあるか、どんなお宝が待ってるか、知りたくないのか」
「どこぞのアニメの主人公見てえなこと、言ってんじゃねえぞ。寝言は寝てから言え。ああ、おほん。ともかく、マグナスよ。これは領主命令。いいな」
ここでマグナスの鋭いツッコミが。
「いや、アニメとか…なんでおやじ、ンなこと知ってんだよ」
名家ヴィスコンティ家はフランツ・スフォルツの代に継承されて以来、絶えてしまったのだが、ピエトロとマグナスの祖先であるビアンカは隠し種を用意しており、それがピエトロとマグナスの曽祖父だった。
「考えてみれば、スフォルツの野郎が…。おっほん。失敬、フランツ・スフォルツが農民騎士のままでいれば、ヴィスコンティ家は滅ぼされずにすんだのだが」
「おやじ。滅んだんじゃない、途絶えたんだよ」
「同じことじゃいっ。マグナス、おれたちはスフォルツのおかげで苦渋や煮え湯を飲まされ続けてきたのだ。やれ貧乏貴族だの、やれ没落貴族だ、のんだくれだって」
「飲んだくれはホントじゃないか…」
「うるせえっ。少しは親のことを立てろ、馬鹿息子」
ピエトロはマグナスの頭をしこたま殴りつけた。
「よせよせ。それ以上そいつが馬鹿タレになったりしたら、どうするつもりだ。ピエトロ」
宮殿の謁見室に優雅な足取りでやってきたのは、蒼穹色の修道服に身を包んだ錬金術師、ヘルギ・イェンセン・ストルンソンである。
「ヘルギ先生」
「ヘルギじゃないか。いつイタリアに戻ったんだい」
玉座からピエトロが降りてきて、ヘルギの前に膝をついた。
「ぷぷっ。あいかわらず、ちっせえな」
「あん? 師匠のおれさまを侮辱る気か、このクソ弟子めっ。魔法全般の成績はおろか、召喚さえもできなかったテメエが」
「あぁ? なんだとぉ」
「貴様よりマグナスのほうが、ここのデキはいいじゃんかよ」
ヘルギは自分の頭を指差して、ぐるぐると回し始めた。
「こ、このやろう。いわせておけば…師匠だからって…」
「マグナス」
ピエトロは眼中にないらしい。とっさにマグナスのそばへ歩み寄った。
「でかけるぞ。準備しろ」
「どこへだい、先生」
「はん。決まってる、お船で海の散歩にだよ」
ヘルギ先生はあくどい笑顔を向け、マグナスに言った。
「先生。船に乗れるんだね」
「その代わりといってはなんだが、最上級のワインを少々」
「わかってる、おやじのワイナリーからくすねてきてるよ」
「上出来」
ヘルギは耳打ちを終えると、指でOKサインを出した。
「おい、ヘルギ。俺はゆるさねえ。いつマグナスを海賊にするといった」
「船乗りと海賊はちゃうやろ」
「同じことだっ」
「ぜんぜんちがうぜ、馬鹿親父」
結局はピエトロが折れて、イタリアの界隈だけなら、という許しを得ることは出来た。
だがしかし。
我らのヘルギ先生がそうそう素直に耳を貸すとは思えないが・・・。
ましてや、大嫌いな弟子の言葉に、である。
「そういや、なんで先生とおやじは仲が悪いんだい」
ヘルギ先生はコロンブスの調達してきたタバコをうまそうにふかしながら、めんどくさそうに答えた。
「あれは忘れもしない、夏の日のことだった」
遠い目をしながら、ヘルギ先生は回想する。
おれとピエトロは遠征中に魔女が住むという、いわくつきの、グラーニャの森という深い森の奥へ入った。
遠征といって、砂漠の商人がよくやる、キャラバンあるだろ。荷物を運ぶ最中だったわけだよ。
まあ、キャラバンだから複数の商人がいて、ほとんどが護衛の心得のあるものが多かったな。
隊の目的は、商人同士助け合い、出資しあって盗賊から身を守ったり、物資を守ることがつとめだ。
ピエトロは隊長をつとめていた。
リーダーがいなければ隊は乱れる。ピエトロはその役を快く承諾した。
しかし、砂漠のあの暑さときたら。うだるなんてものじゃなかったぜ。
じりじりと下からも上からも、灼熱が照りつけ、歩けば熱砂で火傷する。身体から水分を奪っていく。あの苦痛は地獄だな。
わざわざアラブまでなにをしにいったか、だって? そりゃおまえ、武器の調達だよ。
トルコもそうだがあちらは占い道具から殺しの武具まで、なんでもそろってる。
だからな、海を渡ってでもそういう秘密のアイテムをほしがる連中は多いのさ。
そのうち、オアシスが見えてきたので一行は休むことにした。
そこで見つけたのが、グラーニャの森ってわけだぁね。
照りつける太陽から解放されるんだから、みな喜んだ。それもつかの間、誰かが気づいてしまったんだな。
砂漠の中に森なんてあるはずがない。呪われるぞ、ここは魔女の森だ、ってな。
ピエトロは恐れずに食料があるかもしれないし、森の中へいこう、といったが、みな怯んでいた。
しかたなく、おれとピエトロだけが森へ進むことにした。
森を進んでいくと、金髪のきれいな娘が足をくじいて座り込んでいたのが見えた。
おれは無視して行こうとするが、おまえと一緒でピエトロの馬鹿は女好きだからな。声をかけずにいられなかったんだろ。
「ありがとう。あたしはロゼッタ。あの丸太小屋に住んでるのよ」
「ひとりでかい」
ピエトロは驚いたように言うと、ロゼッタは頷いた。
「そう、ひとり。でも怖いことないわ、これからは、あなたと一緒だもの」
「え」
「は」
おれとピエトロは、同時に言った。
「お願い、あたしと一緒に、ずっとそばにいて」
「残念だがそれは、でき」
「わかったよ、ロゼッタ。俺、がんばってみる」
おいおいおいおい。なにをだ、なにを頑張る気だ、きさまあっ。
「ふざけるな、帰るんだ。トルコへいくんだろ」
「いかない。ヘルギひとりで頼む」
「隊長のおまえがいなくて、隊はどうするんだ…」
「あ、隊長ね。おまえでいいや。よろしくねん」
か、軽い…。
おれは腹が立ったので、勝手にしろと杖を握ってその場から退散したんだが。
森を抜けて隊のみんなに報告すると、これだからヴィスコンティのやつは、とさんざんなじられてしまった・・・。
こういうのが風評被害とか言うのを生み出すんだ、きっとな。
「すまないが、ヘルギさん、あんた隊長をやってくれんかね。みんな年だからとても隊をまとめることなんて、できやしない」
「わかった。こうなってしまった以上、やむを得まい」
「まったく。ピエトロ殿は。なにを考えているんだろう」
あの大バカは、なにも考えてねえよ。あるとしたら、女とやること…。
しかしまあ、あんなデキ悪でもおれの弟子。
ちょっと心配になって、夜中にこっそり様子を見に行った。
ドアをノックしようとしたら、女のぶつぶつ言う声が聞こえたので耳を近づける。
「ヴィスコンティ家のゆかりのものだなんて、早く始末しなければ」
むっ、これはまずい。そう踏んだ俺は、とっさに口をついて出た呪文を唱えた。
「来やがれ。炎の巨人、スルト」
ロゼッタは鬼のような形相で振り返った。
両手にはダガーナイフを握り締めて、ピエトロの心臓狙って突っ立っていた。
おれはスルトに命じて、炎で攻撃させた。
「きゃあっ」
ロゼッタは火傷した手をおさえ、くずおれた。
「なんてことしやがる、ピエトロのだらしなさが招いたといえ、いのちを奪おうとは」
「ゆるしてください。こうでもしないと、あたしは、おばあちゃんを助けられなかったんです」
「なに? ばあさんだと」
「はい。そこにある古井戸におばあちゃんが生きたまま封印されてます。この人を殺して生き血をふりかければ、おばあちゃんは戻ってこられるんです」
いったいどこの古代宗教ですか。
「あぁ、それね、聞いてて種はわかった。言っておくがそんなもん、誰かを殺して血をかけたってムダだぜ。そういう魔法はたいてい、シンプルに出来ててな」
「ど、どうするんですか」
「こうすんの」
おれはスルトに結界をぶち敗れ、と命じた。
井戸はあっけなく崩壊し、井戸から骸骨のような両手が這いだすように現れた。
そして出てきたお顔もやはり、骸骨…。
「おばあちゃん、ローズおばあちゃん」
おれ、複雑だったね。骸骨なお顔でもローズって可愛い名前なんだからさ。
え? そんなのは関係ないって? さすが女好きだねぇ。ババアにもやさしいってか。え? ちがう? 会ってみたいのはロゼッタ?
ははは…いやでもそのうち会えるよ。
ところ変わって、マグナスとヘルギを乗せた船上。
風は穏やかで順風満帆だ。
「だからおやじと先生は仲が悪いのね。それでロゼッタさんといつ会えるの」
「ピエトロに聞いてみるんだな。かなりべた惚れだったから…」
「そんなにキレイな人なんだぁ」
「いやぁ。きっとマグナスの興味をそそる顔じゃないと思うんだが」
夕刻には城に戻ってきた息子と師匠を見て、ピエトロは大笑いする。
「ぶわっははは。なんだ、大口たたいといて、釣りして帰ってきただけかよっ」
「おめえがこの界隈でって制約つけたんだろがっ、おれさまは約束を守ったからなっ。あばよ」
「先生、いっちゃうの」
ヘルギはマグナスに振り返ると、杖で右側を指し示した。
「ほらよ。そこにいるぜ。じゃあまた明日」
マグナスは言われたとおり、ヘルギから視線を右に移すと、金髪の美人が微笑みながら会釈をした。
「マグナス、この人、ロゼッタさんといって」
「うん、ヘルギ先生に聞いた。でも意外と年増だよねぇ…」
「わっ、ばかっ」
ロゼッタはいきりたって回し蹴りをくらわした。
「ま、魔女ってのうそだ…武闘派…」
ヘルギはこのくらいの予想がついていたので、ニヤニヤとえげつのない笑みを浮かべながら、月あかりのもと、研究室への帰路をたどっていった。
おしまい
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