丹後のすばる星(第二稿)

 あずみは自慢の栗色長髪をなびかせて、学校からの途中、川べりで夕日を眺めてから帰宅するのが日課だった。

 両親は、父親はスウェーデンへ帰り再婚し、母親は男と逃げたのか、行方をくらましていた。

 この間まで修道院のシスターが経営する養護施設に暮らしていて、18になった今、ようやく独り暮らしを始めることが出来た。

 その日は夕方放送の時代劇の再放送のある時間なので、そろそろと腰を上げた刹那。

「あずみさん、あずみさん。あなたにお願いしたいことがあるのですがねぇ…」

 場違いなほどデカイ図体をした亀が、あずみのスカートの端をくわえて、帰るのを引き止めていた。

「ちょ、やめてよ。人が見てる」

 通行人はパフォーマンスとおもっているのか、笑いながら去っていく。

 あずみは赤面しながら亀を退けようと躍起になった。

「見えちゃうでしょ、こら、やめてってば」

「はっ、すいません。つい我を失ってしまいました。じつはあなたにお願いがあるのですがねぇ…」

「それ。さっきも聞きましたけど」

「はぁ。年をとると、今言ったことも忘れちまうんですよ」

 亀は平たい水かきで頭をかいた。なんとも滑稽な姿である。

「筒川の村に島子という青年がいましてね。ぜひとも会ってやってほしいんですよ」

「筒川ってどこにあるの」

 あずみは腕組みしたままで亀に尋ねた。

「丹後の国です。山陰とか京都あたりですかね」

「ふうん。それでその島子さんがなんで私に会いたがってるの」

「いえ、会いたがっているのとは、ちょっと違いましてね。わたしてほしいものがあるんです」

 亀は甲羅から黒いすずり箱のようなものを取り出した。

「これです、玉くしげという化粧箱です。これは島子さんのお母上が大切に持っていたものでして…わたしてあげてくれませんか」

 亀はうるうるした瞳であずみを見上げていた。こうなると断りづらい。

「わ、わかったわ。島子さんに会えばいいのね。それで…」

「はい」

「お駄賃とかお手当てって、ないわけ…?」

「えっ…」

 困ったように引きつる笑顔の亀さん。

 あずみちゃん、がめつい!




 空は突き抜けるほどに高く、真っ青で。

 海は限りなく広く群青色に染まり、穏やかに波を打つ。

 ここは丹後の国、筒川村という人里はなれた漁村で、老齢の住民が多かった。

 この村でたったひとり若者がいて、釣り竿と魚篭を手に砂浜をのんびりとした足取りで歩き、小船を出した。

 沖まで出かけていって、魚をとるのが若者の仕事。

 白いサギが若者の頭上までやってきて旋回し、角髪に装飾品と絹服を身に着けた貴族の姿に変わった。

「よう、島子。きょうはどうだ。釣れてるか」

「これは吉備津彦様。まあまあですかね」

 筒川島子は魚篭のほうに視線を落とす。吉備津彦も同じようにして覗くとニヤリと笑んだ。

「さすが島子だ」

「ぼくには海を見守るくらいの力しか、ありませんもの」

「和歌好きだったよな。じゃけど、女もいないこの地域で歌なんか読んでも…ねえ。たまには都へ出てこんか」

「いえ、ぼくはにぎやかなところは、ちょっと」

 島子は丁重に断った。

「おまえ不老不死だからいいだろうけど、やはり女。女だよ、男は女を抱かないと、つまらん人生じゃけえね」

 島子の母上が蓬莱山の亀比売という神仙の仙人だったので、島子も不老不死の能力を引き継いだ。

 しかし亀比売は神でさえもいのちをうばう病で逝去してしまっていた。

「はは…。昔から変わりませんね、皇子さまは」

「そうじゃ。姉上はいかがかな。まだ決まった人がおらんけえね」

「遠慮します。ぼくにはもったいない」 

 吉備津彦の姉の百襲比売(ももそひめ)は島子には苦手な存在だったようで、ふたつ返事する。

「そうかねえ。血筋的にはちょうどいいと思うけど。おまえだってツクヨミさまの子孫じゃんか」

 ツクヨミ様というのは『月読命(つくよみのみこと)』のことであり、月日を読んだり海を守る神様の名前。

「血筋とかそういうことではなく…」

「あ。好みの問題か、すまんの」

 島子は顔を赤くして釣竿を握りなおす。

「うん? こ、これは大きそうだぞ」

 手ごたえがあったらしい、島子は踏ん張って釣竿を引っ張った。

「がんばれぇ」

 応援するだけであぐらをかき、頬杖つきながら傍観する吉備津彦に、島子は耐え切れなかったのか救援を求めた。

「手伝って、皇子さま! お願いですから…」

「ははん、しゃあねえのう。まっ、おめえさんじゃ頼りねえけぇ、手ぇ貸したるわ」

 ふたりで釣竿を勢いよく引くと、大きな亀とセーラー服の少女、あずみが船底へ引き上げられた。

 亀のほうは気を失ってひっくり返っている。

「えっ、女の子…と、亀だ…」

 島子はあずみの身体が冷えないように、上着をかけてやる。

「お、やさしいね。好みか、べっぴんさんやもん、気に入ったらしいな」

「そんな場合じゃないでしょ、ああ、呼吸が弱くなって…。ど、どうしたらいいだろう」

 うろたえる島子に、吉備津彦は頭をめぐらせ、助ける方法を思いついたようだ。

「たしかなあ、オレ、その方法知ってんだけど」

「教えてください、皇子さま」

 懇願する島子に吉備津彦はいやらしい笑顔でこう教えた。

「最初、抱きしめて身体を温める」

 島子はいわれたとおり、あずみを抱きしめた。

「そ、それで」

「それからぁ、くちづけする」

「えっ…」

 島子の顔色が、急激に熱を帯びて、真っ赤に染まっていく。

「早うしてやらんと、死ぬるでぇ」

「そ、そんなん言うたって…」

 あずみのか細いうめき声を耳にして、島子は決心する。

「それから?」

 キスをしながら吉備津彦に視線を送った。

「息を吹き込んでやれ、あ、思いっきりな。おまえの身体がぶっこわれるんじゃないか、ていうくらいに」

 いわれるとおりに息を吹き込むと、あずみは激しく咳き込んで海水を吐き出した。

 あずみは意識を取り戻し、ふらつく頭を押さえながらそろそろと起き上がる。

「ここ、どこ」

「よかった…。無事だった。ほんとうによかった」

 胸をなでおろし、船底に両手をついてくずおれる島子と、傍らで片膝をつき、見守っている吉備津彦の姿があった。

「ああ…頭がぼうっとして…。筒川村で島子さんって人、捜さないと」

「ぼ、ぼくが島子だけど」

 あずみと島子は視線をぶつけて見つめあった。

 島子のほうは既に意識していたようで、視線を泳がせながら、あずみを盗み見るようにして様子を窺う。

 あずみはあずみで、頬を赤くしながらうつむき、上着の存在に気づく。

「そ、それ、ぼくが…。服が乾くまで使ってていいからね」

「ありがとう。それじゃもう少しだけ」

「のうおめえさん、とびきりのべっぴんさんじゃが、名前は?」

 頃合を見計らい、吉備津彦が例によってニヤニヤと笑んで船の縁に寄りかかり、あずみに尋ねた。

「あずみです。亀さんがね、あなたに『玉櫛笥』とかいう箱があるから、わたしてほしいっていうの。なんでもあなたの、おかあさんの形見だとか」

「なに、亀比売の」

 先に声をあげたのは吉備津彦で、あずみは意外そうな表情で吉備津彦のほうを見た。

「どんな箱だ」

「えっと、黒いすずり箱みたいなのだった。きれいだったわよ」 

「いま、持ってるか」

 あずみは持ってきた鞄を探すと玉櫛笥をとりだし、吉備津彦に見せた。

 吉備津彦は箱から文を手に取り、青い顔をしながら手紙を腰に下げた道具袋にしまいこんだ。

「やっぱりだ、このままにしておけない。島子、悪いがオレは朝廷に帰る」

「もうですか」

「あとは楽しんでやれ」

 吉備津彦は片目をすばやく閉じると、拍手を打ち、白さぎに変化した。

 島子は吉備津彦の言った意味がわかってしまったので、頬を赤く染めていた。

「ねえ、ねえってば。亀さん。しっかりしてよ」

 目を回して倒れている亀を介抱するが、耳を立てればイビキをかいているではないか…。

「心配して損した」

 あずみは島子の苦笑いも気にせずに、亀の腹をひっぱたいた。 



 朝廷に戻った孝霊天皇の第三皇子、吉備津彦は、亀比売の手紙の内容をそのまま、兄たちに伝えた。

 すると兄たちは、もう決まったことだから、と話を交わそうとすらしなかった。

「島子は温羅(うら)一族ではありません。その証拠に筒川という姓(かばね)をいただいとるでは、ありませんか」

 都へのぼると吉備津彦は岡山訛りから京訛りに戻す。

 兄たちは吉備津彦の言葉に対して一笑し、その場から消えた。

 ひとりになると、廊下で拳を握り、つぶやくように吉備津彦は言った。

「吾は、オレは、島子の母から遺言されとるん。かならず島子を守ると。その約束だけは守らなあかんと…」

 幼い頃の吉備津彦には亀比売の言葉がわからなかったが、いまなら理解できた。

「こういう意味だったのかよ。朝廷は、島子を処刑し抹殺しようとしている。それだけは阻止せねばならない」

「皇子さま」

 奥の部屋から少女が現れて、吉備津彦の胸に抱きついた。

 可憐とか、はかない、という言葉が当てはまる、かわいらしい娘だ。

「弓矢比売。どうしたら救えるだろう。島子を守りたい…そうしなけりゃならないんだ」

「お父上に逆らえば、あなただってどうなるか」

「かまうものか。あいつが生き延びてくれるほうが大切だろう」

「わたしには、あなたが必要です」

 まっすぐ吉備津彦を見つめ、凛とした言葉に、吉備津彦は唇をかみ締めて嗚咽をこらえた。

「それじゃあ、わたしに任せてくれませんか。だいじょうぶ、危なくなりそう、そうなってきたら、島子様は弓矢がお助けしますから」

「どうするつもりだ」

「皇子さまは、なにも心配しないで」

 吉備津彦は穏便に済ます性格の弓矢にしてはめずらしい強気な態度が気にかかった。

「だから…連れて行って。島子様のもとへ」

 吉備津彦は言葉を出しかけていたものの、比売を見据えてばかりいた。   

     


 吉備津彦と亀比売の関係は、師弟といっても過言でなく、鳥に化ける術を教えたのも亀比売であり。

 3歳違いの島子とも蓬莱山で一緒に暮らし、幼少時代は神仙で寝食ともにしていた。

 その亀比売も、病で倒れ死んでしまった。

 亀比売の死後、吉備津彦は島子を連れて下山し、島子は筒川の村で暮らし、吉備津彦は朝廷で暮らすようになる。

 時間さえあれば吉備津彦はほかの術も教わって使えたのだが、今は白さぎに化ける術だけで精一杯だった。

 

 

 あずみは島子の家で滞在することになった。

 亀はというと、あのあと目を覚ましあわてて亀比売の神殿まで戻っていってしまった。

「島子さん、あずみさんをよろしくお願いしますねぇ。あずみさんはこの時代の子じゃないんです、わたしが無理やり先の時代から連れてきてしまったのですよ」

「先の時代…?」

 島子は何のことかわからないといった表情で小首を傾げている。

「亀さんもういいから、ありがと」

 亀を強引に海へ帰してから、あずみは島子に誤魔化すような笑いを向けていた。

 空はすっかり茜がさして、美しいオレンジ色をかもし出す。

「日が暮れたなぁ。『あかねさす 陽の暮れゆけば すべをなみ ちたび嘆きて 恋ひつつぞをる』てね。そろそろ夕飯つくろう。あずみ魚は好き?」

「ものにもよるんだけど…ふだん、あんまり食べないから」

「そっか。じゃあ、手を加えたものでもこしらえてみよう。気に入ってもらえるように作ってあげるからね」

 先ほどの歌のように微笑む島子の頬にもまた、あかねがさしている。

「さっきの歌いい響きね。どういう意味なの」

 島子はあずみの問いには答えず、照れ隠しなのか、手のひらで顔をこすっていた。

「日が暮れてさみしくなると、どうすることもできずにため息ばかりが幾度も出て、きみを想ってしまう。そういう意味だよ…」  

 島子は聞こえぬようにひっそりと、あずみへの想いを吐露していたのだった。



「ねえ、あかねさす…てあの歌すてきだったよ。いいよね、あかねさすって」

「はは。気に入ったんや」

「うん、とってもね」

 夕食が終わり談笑して、歌の話になると声をはずませながら、あずみは笑顔で言った。

 島子は一瞬だけ、あずみに釘づけとなったが、すぐに下を向いてしまった。

 しつこいくらいに、いろりの灰を木の枝でかき混ぜている。

「ほ…ほかにも枕詞いうてな、たとえば、あかねさすは朝焼けや夕日を、あるいは天皇をさすし、八雲立つといえばそれは出雲をあらわし、あをによしで奈良。ぬばたまのといえば、多くは黒いものをつけるんよ」

「島子さんて風流なんだね」

「そないなこと、あれへんわ…」

 あずみと視線をあわせるのが恥ずかしかったのか、うつむきかげんで言う。

「いいなあ。私もそういうのつくりたい」

 島子はその言葉を聞いた途端、枝を放り投げ、身を乗り出すようにして叫んだ。

「そんなら、ぼくが教えてやる。わかりやすいように教えてやる…」

 あずみは間近に迫った島子の顔を見つめて、まばたきした。

 島子は自分でも仰天するほど興奮していたことに気づいたのか、あわててあずみから身を離した。

 そして、昼間のできごとを思いだしたのだろう、胸を押さえた。

「ごめんぼく、昼間のこと謝らんと」

「え」

「あの…」

 何度も息を呑み、のどをつまらせ、あずみに言いよどんだ。

「ど、どうしたの島子さん。昼間なにがあったの」

「きみを助けるときに」

「あ…」

 あずみは口もとを押さえて赤くなっていた。

 おそらく、島子以上に『あかねがさして』いただろう。

「いいの。ありがとう。だから…その…う、うれしいから」

「え。うれしい?」

 意外そうにあずみを見ている島子。あずみは言葉を続けた。

「助けてくれたのに、どうして嫌いになるの。むしろその逆…好き」

「え。好き?」

「うん、好き。大好き」

 あずみは感極まって瞳を潤ませ、島子に抱きついた。

「ありがとう。島子さん」

「そんな、ぼくはなにも」

 あずみは島子の首に両腕を回し、顔を近づけていった。

「いいよね、二度目だもん」

「あかんよ、あずみ。いくら二度目でも恥ずかしい」

「そんなこと言わないで。あれ、じつを言うと気持ちよくて…」    

 あずみのうっとりした表情に、島子はごくりとのどを鳴らした。

「あ…あずみのようなベッピンさんが、なんでぼくに」

 島子は異性に見つめられることに慣れていないためか、視線をそっとはずしながら言った。

「あなたカッコいいわよ。私こそ、そんなにキレイじゃないよ」 

「きみはキレイや」

 いつの間にか島子のほうから、あずみを抱きしめていた。

 あずみも島子の背中に腕を回す。

「それに和歌をあんなに褒めてくれた。今までそういう人おらんかったから」

「島子さん」     

「ぼくも好きや。初めてきみを見たときから、苦しうて…」 

 どちらからともなくキスを交わし、島子があずみを押し倒すと、いろりの炎がはじけて飛んだ。 

 


 はだけた下着を直しながら、あずみは荒い呼吸を鎮めようと起き上がる。

 島子はいろりの脇で満足そうに転寝をしていた。

 淡い桃色のカーディガンを肩に引っかけ窓の外を見やれば、闇のカーテンにちりばめられた宝石のような星々たちが煌いていた。

「きれいねえ」

 声で目を覚ました島子は、服を身に着けてあずみの横に立った。 

「筒川の名物やもん」

「名物。ああ、それわかる。夜道を照らすみたいに、こんなに輝いて」

「すばる星とあめふり星。ぼくの母上が住んでいた蓬莱山にはそう呼ばれてるたくさんの星の子たちがおって、あの輝きをまもっとるんよ」   

「そうなんだ」

「ぼくにはもう、関係のないところかも知れんけど…」

 寂しそうな表情で遠くを眺める島子の姿に、あずみは胸を痛めた。

「皇子さまに頼んでは、どう」

「あかんよ。皇子さまは蓬莱に未練はないらしいし」

「そうなんだ…」

 島子は軽めにあずみの肩をたたき、眠そうな顔をした。

「まだ夜明け前。寝ておこう」

 あずみは島子の手に触れ、空を見上げて答えた。

「私はもう少し起きてる。あの星を見ていたいから」    

 島子は小さく微笑むと、むしぶすま(ふかふかのかけ布団)を引っ張り上げ、横臥の姿勢になった。  

  

   

 

 昨夜は遅くまで星を眺めていたのだろう、あずみはまだ夢の中。

 島子は自分のむしぶすまをかけてやると、朝食を作り始める。

「島子、いるか」

 火をおこして湯を沸かそうとしていた島子が振り返ると、吉備津彦と見たことのない貴婦人が肩を並べて立っていた。

「皇子さま。こんな早い時間から、どうしたんです」

「この手紙のことで、ちょっと」  

 いつか吉備津彦が道具袋に入れて持っていった、亀比売の手紙のことだった。

「それが、なにか…」

「まあ聞け。これから話すことは、ここにいる人間以外には言うんじゃないぞ」

「はあ」

 吉備津彦と貴婦人弓矢比売、それに島子の3人がいろりを囲んで話していると、あずみが目を覚まして、のんきにおはようと言った。

 だが吉備津彦は軽い性格からはめずらしく、あずみに会釈をしただけで、話を続けた。

「ここは危険だから、早いこと移動したほうがええな」

「皇子さま。ぼくは逃げるなんてイヤです」

 凛とした声で島子が自分の気持ちを告げると、吉備津彦はそうなることも覚悟していた様子で言った。   

「あほ…そんなんいうとる場合じゃなかろう。ことはそれほど切羽つまっとる。この状況で逃げるのはいやじゃと? ふざけとんのか」

「たとえ相手が朝廷でも、ぼくは逃げません。温羅ではないんだし」

 島子は表情を引き締めていた。吉備津彦は説得してもムダなことが徐々にわかってきたらしく、額を押さえてうつむいた。

「そういうまっとうな意見が通ればオレだってなあ、こげに苦労はせんかったよ」

「心配に及びません。わたくしが島子様をお助けしますわ。皇子」

「弓矢…。おまえにどんな考えがあるのかオレにはわからんけど。いったい何をするつもりで」

 比売は口角を持ち上げ、吉備津彦に寄り添った。

「ねえ、なんの話? うら…ってなあに」

 寝ぼけ眼で尋ねるあずみを見て、一同は苦笑する。

「な、なによ。私変な顔でもしてる?」

 寝癖のついた長い髪を、わしわしとかき乱した。

「あずみにも話しておいたほうがいいかな」

 島子はあずみを隣に座らせて、吉備津彦の顔を見た。

「オレはかまわんよ。島子がかまわんならそうすりゃええ」

「それじゃこれから話すこと、よく聞いてくれる? あずみ」

「え、ええ」

 島子があずみの左手を自分の両手で強く握り締める。

「ぼくは今、朝廷にいのちを狙われているらしいんだ」

「どうして」

「温羅という一族がいてそいつが島子だと疑いを持ってしまったんだな、その勅命らしい。勅命ってのは天皇の命令。だが本質的に父上がやっているわけじゃない…ほかの役人さ」

 吉備津彦は肩を揺らし、大きく息をついた。

「それじゃ、これからどうするの。逃げるの」

「オレがそれをすすめても、この頑固者が言うことを聞いてくれない。あずみから逃げるように言ってくれ」

「イヤだと言っている。ぼくは絶対逃げたくない。このことをただ運命だからと、背負わされた宿命だからと、なにかのせいにして、逃げるわけには…」

「島子さん…」

 あずみの手を握り締める島子の手に力が加わる。

「気持ちはわかる。オレも似たようなこと経験したから、知ってるよ…。亀比売のときは病気でしかたがなかったんだ」

「ですが、父は…父もやはり温羅だと疑われて処刑されたのでしょう? これもなにかの因縁ですか、皇子さま…」

「それ…は」

 吉備津彦はそれ以上強くは言えずに口ごもる。

 あずみは島子の手を握り返した、そうすることしか出来ない自分がもどかしいようにして。 

 

     

 



「ちょうてい…? 母上。ちょうていとは、なんですか」 

 幼い子供が、美しい貴婦人に手を引かれて、大きな城の前で話をしていた。

 あずみの姿も幼くなって、ちょうど目の前にいる少年と同じくらいの年齢になっていた。

「朝廷というのはね、すめらみこと(天皇)がいるところなのよ。父上がお勤めになっていらっしゃるわ」

「父上が」

「きっと、明日には戻っていらっしゃるわね。それまでお待ちしていましょう、島子や」

「はい、母上」

 親子が城の中へ移動しようというとき、使いがやってきて貴婦人に手紙を渡すと、母親の身体が大きく崩れてよろけるように倒れてしまった。

「母上…母上…母上」 

 幼い島子は貴婦人、つまり亀比売を抱き起こそうと必死になって叫んでいた。

 





「父上はいつお帰りですか、母上」

 病に伏した亀比売の看病をする島子に、亀比売は涙を流すばかりで答えはいつも同じだった。

「もうじき、もうじきお帰りになるわ」

「いつでしょう」

「島子や。母は疲れました、どうか休ませておくれ…」

 島子と入れ替わるように、あずみは亀比売の枕元に座り、比売の手を握った。

「あずみ…」

 高熱にうなされているのか赤ら顔で亀比売はささやいた。

「時間…時間がありません。このままだと島子までが朝廷の手にかかってしまいます。どうか皇子さまと、力をあわせて島子を守って…」

「どうすればいいの? どうすれば島子さん助かるの」

 あずみの姿は成長し、18歳の姿に戻る。

「あの子の父は温羅という一族の疑念を抱かれ処刑されました。ですからその疑念さえ払拭されれば…しかし温羅とて、ただの豪族です。悪いことなどなにもしていないと聞き及びます…わたしは朝廷が嫌いです…」

「亀比売さま」

 あずみは言葉をつまらせ、瞼を赤く腫らしていた。亀比売はあずみの手を握り、最期の言葉を振り絞る。

「お願いです、わたしの無念を晴らしてください…いいえ、無念でなく島子を助けて。わたしはどんなに汚いことをされても、人間を憎みたくないのです…」    

 亀比売は休みたいからといって、あずみを下がらせた。






 あずみは島子の胸に抱かれ、涙で島子の服を濡らし朝を迎えていた。

「あずみ、泣いてたね。悲しい夢でも見た」

「うん、悲しい夢だったよ」

 目頭を服の袖で拭う。

「ずっとうなされていたようやけど。どんな夢やったん」

「亀比売さまが」

 島子はあずみの顔を覗き込んだ。

「え、母上が」

「なんでもない。きょう、出かけてきていいかな」

「どこいくの」

「船着場のあたりとかよ、たまには散歩もいいかなって」

 島子は漁へ行く準備をするため、あずみは島子よりも少し早めに家を出た。


 

 大きな一本松が村の高台にあって、あずみはそこに立った。

「皇子さま、いたら返事して」

 あずみは松の梢に羽根を休める白さぎのいることを知っていたので声をかけた。

「おう、いるいる。どうしたんじゃ。珍しいなオレを呼ぶなんて」

 吉備津彦は鳥から人間に姿を変えてあずみの前へ降り立った。

「ゆうべ、亀比売さまの夢を見たわ」

「なに、それで」

「島子さんを助けてほしい、皇子と力をあわせて守ってほしいって。それと、島子さんが温羅であるという疑念を晴らしてほしい、そうすれば助かりますって」 

「なるほど、単純でいい。しかし事実を歪曲して伝えるのが朝廷だ。うまくいくもんかね」

 吉備津彦は頭をかいた。

「そこをなんとか、お願いよ。島子さんは私のパートナーだから」

「なんだ、そのぱあなんとかって」

「大切な人って意味よ。ねえ皇子。お願いだから」

「オレよりも弓矢に考えがあるらしいんだ。聞いても答えちゃくれないがね」

 吉備津彦は拍手を打つと、鳥に化け、大空高く飛び立った。

  

 


  あずみは島子の家に戻ってきてから塞ぎこんでいて、島子は非常に案じていた。

「とにかく島子さんの温羅疑惑を晴らさねばならないが、どうすれば晴れるのか」

 そのことばかり考えていたようだった。

「あずみ。どこか悪いとこでもあるんちゃうか」

「どこも悪くないよ。考えたいことがあって。ごめんね、心配かけて」

 島子は指で頬を引っかくと、あずみの背中に手を当てて尋ねてきた。

「もしかして、うちに帰りたくなった」

 あずみは、いいえ、と答えていう。

「そっか。亀さんがいうてたやん、きみはここの時代の人やないって。その意味がようわからんかったけど、家に帰りたい、いうことなのかなて」

「そうじゃないの。私、帰る家なんてどこにもなくて。だからここにいさせてほしい。できればずっと」

「あずみ」

 島子は眉をひそめ、日に焼けた大きな両の手であずみの手をしっかり握り締めた。

「いやなの。このまま島子さんが朝廷に殺されてしまうのは。あなたが違うっていっても、言うことなんて聞いてくれないんでしょ。やっぱり逃げたほうが」

「あずみ。いうたやろ、ぼくは逃げたくないって。話せばわかってくれるはずや、殺されはしない、きっとしない」

「あなたがいなくなったら、私、居場所なくなっちゃう。あなたがやっと見つけた幸せだったのよ。島子さんを失ったらどこにいけばいいのか、わからないよ。親もいない。家もない。たったひとりの部屋に戻るのだけは寂しくて、もうイヤなんだよ」

 島子は嗚咽するあずみをきつく抱擁した。 

「逃げよう。島子さんが行くところなら、私どこへでもついていく。お願いだよ、一緒に生きて、私とずっと生きていようよ。どうか死なないでいて」

 あずみの思いつめた表情に戸惑いを見せ、島子は言葉を失っていた。

『本当に自分を失ったら、この子はどうなるかわからない』

 そう思えばいたたまれなくなって、島子はあずみを抱きしめたまま、迷っていた。

「その必要はないですよ、あずみさん」

 泣きじゃくった顔をそのままに、あずみは戸口のほうを振り返ると、弓矢比売が立ったまま笑っている。

「弓矢さん」

「島子様が逃げる必要なんて、もうなくなりますわ」

「どういうことです、いったい」

 弓矢比売は玄関へ腰かけ、一部始終を語って聞かせた。

「わたしが温羅の末裔で、わたしさえ名乗ればすむことですから」

「弓矢さんが温羅。ではそのことを皇子さまは」

「知らないでしょうね…」

 島子はあずみと顔を見合わせた。

「朝廷に殺されたあなたのお父様には申し訳が立ちません。皇子さまの部下の楽々森彦(ささもりひこ)はわたしの父ですが、じつは養父で本当のお父様ではないの」

「温羅の末裔なら、どうして別の人の娘になったんですか」

 あずみが尋ねると、弓矢は目を伏せながら答えてくれた。

「わたしが幼い頃、朝廷が一度攻めてきましてね。そのとき逃げ遅れたわたしを、今のお父様が拾って育ててくれたのです。そして吉備津彦様に嫁ぐようにと命じられたの。政略結婚だったかもしれないけど、わたしは皇子さまが大好きですから、よかったと思っているの」

「そうだったのね」

 あずみは思い切って夢の話を弓矢に打ち明けることにした。

「亀比売さまが皇子さまと力をあわせて島子さんを救うようにと言ったのよ。だけど疑念を晴らせば助かるともいってた。だから弓矢さんが犠牲になることないんだよ」

「ありがとう。でもそうはいかない。一族のうらみは晴らすべきですもの。わたしたち温羅は、悪いことなんてしていないのに…」

 あずみは弓矢の身を案じ、そして予感さえしていた。これが弓矢と会える最後の機会なのではないかと。

「あずみさん、あなたと島子さまはお似合いです。あなたたちを不幸にはしたくありませんものね。どうぞ平らけく、安らけく、お過ごしくださいますよう」

「弓矢さん」

 去り際、思い出したように弓矢は振り返り、あずみに意外なことを告げた。

「それと、皇子さまのこともよろしくお願いします。あのかたは、あなたを好きですから」

 弓矢の最後の言葉に、あずみは驚きを隠せない様子でまばたきを繰り返す。

「え。どういうこと、皇子さまが私を好きって」   

 島子は表情を曇らせて、弓矢を見送っているあずみの背中を長いこと凝視していた。

「恋ひしきに 命をかふるものならば 死にはやすくぞ あるべかりける」

 あずみは島子の重々しい口調の歌を耳に入れ、勢いよく振り返ると、どういう意味かと尋ねた。

「あずみに会えるんやったら、たとえ死んでもええと思ったんよ。きみに会うためやったらな」

「し、島子さん、ちょっと怖い歌ね。顔も怖いよ」

「さっきの弓矢さんの話がホンマなら、皇子さまも同じ気持ちだったらと思うと、ぼくは…」

「私、あかねさすの歌のほうが好きかな。きれいじゃない、夕焼けみたいでさ」

 島子の言葉を遮って、どうにかこの話を免れようとしていた。 

「たしかに皇子さま、凛々しいし勇敢そうで私も好きよ。でも島子さんへの気持ちとはちがう。愛の形がちがうのよ」

「あ、愛…」

 愛などと聞いて、島子は久々に赤くなる。

「島子さん、耳まで真っ赤だね」

「からかうなや」

「弓矢さん、無事だといいわね」

 あずみの言葉で島子は重大なことを思い出したように、大きく頷いていた。

    

 

 数日して、島子のもとを訪れた吉備津彦は、弓矢が自害したことを告げた。

「オレは弓矢が温羅だと聞いて、心底驚いた。よもや楽々森彦がさらった温羅の娘とは」

「皇子さまは弓矢さんを嫌いだったの」

「ばか。そんなわけ、なかろうが。愛していたさ…」

 両手で顔を隠し、疲弊した様子だった。

「皇子さま、少しお休みを」

 島子は枕を持ってきて吉備津彦に差し出した。

「あいすまぬ。ではしばし休ませてもらおう」

 少々むくみを帯びた瞼は、隈を生み出してもいた。

「そうとう疲れてるのね」

「寝かせておいてあげよう」

「そうね」


 

 吉備津彦は、弓矢が死ぬ直前の会話を回想するかのように、夢の中で再現していた。  

   

  

「わたしが温羅一族の末裔だったのです…」

 弓矢比売はそういうと、自分の胸に小太刀を突き立てた。

 吉備津彦は弓矢を止めようとするが、遅かった。

「これで島子様は助かります…わたし、皇子のお嫁さんになれてよかった…楽々森彦(ささもりひこ)の娘であったときから、ずっとあなたをお慕いしていました。あなたがわたしをそれほど愛していないことも…」

「そんなわけないじゃないか。弓矢のことは好きだったよ」

 吉備津彦は弓矢を抱きしめながら、頬を伝う涙を拭おうともせずに、感情をこめ心のうちをありったけ見せて、語って聞かせた。

「わかるんです…あなたが好きだったのは、きっと…あずみさんです。でもいいの、これで少しでも楽になれたら。だってわたし、ずっと苦しくて…ようやく解放されるのね…」

「ちがう。あずみはオレにとって、そんなんじゃ」

 吉備津彦は握りしめていた腕がぐったりしたので顔を上げ、弓矢を見た。

 比売は、静かな…安らかな表情で息絶えていた。

 


「いかないでくれ…弓矢…弓矢」

 吉備津彦は鼻をすすり、あふれ出た涙を袖で拭うと、あたりを見回した。

 蜜柑色に染まった夕焼けが部屋全体にさしこんで、外ではヒグラシが寂しげに鳴き出して、島子の家はいつもよりも広く思われた。

 戸口の向こう側から、あずみと島子の楽しげなやりとりを聞いている吉備津彦。

 疲れが取りきれないのか、顔を押さえて苦しそうに息をついていた。

「あかねさす、あかねさす。なんだっけ」

「あかねさす 日の暮れゆけば すべをなみ ちたびなげきて 恋つつぞをる。だよ」 

「そうそうそれ。やっぱいいよね、短歌って。あ、皇子さま、起きたの」

 たきぎと食材を運んでくるあずみは、吉備津彦に明るく声をかけた。

「楽しそうだな…」

 落胆していることが一目でわかるほど、吉備津彦は疲れていた様子だった。

「皇子さまも早く元気になってよね。私も島子さんも感謝してるの。皇子さまがいたから私たち、一緒にいられるんだって。弓矢さんのことも本当は救えたはずなのに、それだけが心残りで」

「いうな」

 吉備津彦は自分でも驚くほどに大声を張り上げていたため、あずみと島子の仰天した顔を見て、思わず引きつった笑みを漏らす。

「すまない…。どうかしとった。そうじゃ、島子が助かったんじゃもん。オレもうれしいよ」

 ふらつく足取りで戸口に向かう吉備津彦に、あずみは気遣いの言葉をむけた。

「だいじょうぶなの、泊まっていけばいいのに」

「帰る。新婚の邪魔をするほど野暮じゃないけえ」

 横目であずみに、悪戯をする子供のような視線を投げかけた。

「皇子さま。もう、ふざけてばっかりなんだから」

 拍手を打ち、白さぎに姿を変え大空へ舞う吉備津彦。

「いってしまわれた?」

 あずみは島子に頷いた。

「見せつけてたのかな…」

「そんなことないんじゃない。皇子さま、かわいそうだけど」

「悪いことしたかな。皇子さまに」

「なんで、島子さん悪くないよ。朝廷が悪いんでしょ。謝ることない」

 島子とあずみの姿は窓から差しこむ山吹色の夕焼けで照らされ、全身その色に染まっていく。

「ありがとう、あずみ。皇子さまも尽力してくれた結果やけど、ぼくはやっぱり、いややな…誰かが死んでしまうのだけは、もう」

「私だっていやだ。弓矢さんは最後まで皇子さまを」

「ぼくたちは、ずっと生きてこう。ふたりでこれから先もずっと。約束してたものな、あずみをひとりにせえへんて」

「うん」

 恋人たちはひしと抱き合い、まだ見ぬ未来を心に描き出している。


 夜空に一番星が輝く頃、吉備津彦は上空で弧を描いていた。

 遠い黄泉へと旅立ってしまった、弓矢のことを想いながら。



 完   

 


 

  


 


オマケのはなし





   ※ 短編集にした部分を掲載。




 島子の本名は、筒川島子という。

 率直に言って『筒川村の島子』ということなのだが、これはレオナルド・ダヴィンチと一緒の理屈で、彼も『ダヴィンチ村のレオナルド』という意味だからである。

 余談はさておいて、島子のご先祖様は月読命。

 ツクヨミのみこと、と読むのだが、このツクヨミさまは伊勢神宮のアマテラス大神さまの弟ぎみで、海をつかさどり、月日を読むので、ツクヨミ、と呼ばれた。

 ツクヨミさまもたいそうなハンサムさんであったが、この島子もまた、乙女であれば誰でも心を奪われるほどの美丈夫、つまり、いい男なのであった。


 ただし、頼りなく、少し気が弱かった。

 母親は亀の化身の亀比売で島子の父と不死の国、蓬莱山で暮らし、島子の父だけがこちらに戻ってきて玉櫛笥(たまくしげ、化粧箱)を開いた途端、息絶えた。

 島子は母が神でさえも感染するという強力な病に伏して逝去した際、父のいたこの筒川の村で暮らすことにしたのだった。

 母のいた蓬莱の国では星の子たち、スバル星(プレアデス)、アメフリ星(ヒアデス)と

 呼んでいたその星たちが、島子を見守っているかのように、いつも輝いている。


 



 あずみに聞かせている『筒川の名物は星空』というのは、ここから来ていた。




 あずみとのことも自信があるわけではなく、あずみが自分を好きだ、カッコいいね、などとのろけてくれるから、そうしているだけ。

 じつは島子本人も、はじめは流されているだけ、と、そう思っていたのだった。

 自分から誰かを愛したわけではなかったので、愛されるということの意味さえ、島子には理解できなかったのかもしれない。

 だから、めんどうなことは避けてきた。 

 しかしあずみと出会ってからの島子には、少しずつ心の変化が見られるようになっていった。

 あずみは島子が地上で初めて目にした女の子。

 しかもとびきりの美人であり、美形の島子と釣り合いの取れるのもうなずけた。

 それでも、島子には自信がわいてこなかったので、どうしても一歩が踏み出せず自分も同じはずなのに、あずみにだけ、好きだと言わせてばかりいた。


「そうさなあ。今のおまえに足りないのは、勇気だよ」  

 吉備津彦の皇子さまが島子にアドバイスを送る。

 皇子様は17歳で島子は20歳、ちなみにあずみは18歳である。

 年下で経験豊富な皇子様は、赤子同然の島子に知恵をつけてやるのが仕事でもあった。

「女にいわせてばかりじゃあ、人生つまらん。たまには、おまえから迫ってやれ。そのほうが、あずみも惚れてくれるぜ」

「ど、どうすればいいのでしょうか。なんて言ってあげたら」

「とろけるような甘い愛の言葉」

「いいっ、言えません…思いつきませんよ…」

 頬を赤くしながら島子。

 皇子は、額に指を当てがいながら言った。

「うーん…。島子は迫るキャラじゃねえもんなあ」

「すいません…」

「おう、そうじゃそうじゃ。おめえ、丹後生まれじゃろ。京都弁であずみに告白したらええで。そのほうが確実にしとめられる」

 皇子は岡山出身なので、岡山弁で島子を急き立てる。

「京言葉ですか」

「な、伝えてやれよ。女を悲しませたらいけん、愛してやれ。それができて、男ってもんだぜ」

 皇子に言われたとおり、あずみといろりを囲んで食事というときに、島子はあえて隣に腰を下ろす。

 そしてあずみの肩を抱きながら、京言葉を繰り出した。

「じつはな。ぼく、きみのこと好きなんや。勇気がないばっかに、おそうなって、すまんことした。待たせてごめん」

「ううん。待ってた甲斐あったよ。やっと答えが返ってきて、私うれしいもん」

 島子は顔をあずみのほうへと、ゆっくり近づけていく…。

 窓に降り注ぐ星の光、蓬莱の子供たちが照らしている、か細い光は、愛に目覚めたばかりの恋人たちを祝福して、競い合うかのようにして輝いていた。





 ◆ 性格の違う島子編



  


 島子の先祖なのに、月夜見登場してねーなーなんて思いつつ、登場させてみた。




■ おおざっぱな概略。



 島子が沖に出て海老や鯛を釣っていると、最初にでかい亀が釣れて、ついでにセーラー服の美少女あずみが釣れました。

 島子は意外なものが釣れたので、ホクホクして家に帰りましたが…。



「ああ。亀か…。亀はいらねんだよなぁ」

 島子は海岸へ大亀をぽい。

「ひっ、ひどいですよ、島子さん」

「勝手に釣られるお前が悪い。とっとと巣に帰るんだな」

「あずみさぁ~ん…」

 亀はあずみを案じながら、沖へ流されてしまった。

「さてと。じゃまものは追っ払ったし、釣れた餌でも料理しますかねぇ」  

 島子は水浸しのあずみに手を伸ばした。

 透けて見えるブラジャーに萌えたらしい。

 そのとき、あずみが目を覚ました。

「はっ。ここ、どこ」

「あん? 筒川の村だよ。おれの住んでる村。おまえこそ誰だ。まっ、おれが助けてやったんだから、感謝してくれねえとな」

「あ、ありがと…」

 あずみは豪胆な若者、島子におずおずと礼を述べた。

 しかし、それだけでは終わらなかったのだ。

 島子は、さらに話を続ける。

「でさあ。お礼してほしいわけよ」

「はい?」

「だから、お・れ・い。虫でさえ助けてやったら恩返しする時代だぜ。おれに恩義感じてたって、いいわけだよな」

「あっ…」

 あずみは溺れていたためか、回復しない体力を恨めしげに思い、島子の手を払いのける気力もなしに、覆いかぶさってきた島子にきつく抱きしめられる。

「やめて、やめてよ…」

「おまえ、いい女だよな。こんなに色っぽい、男がほっとかないんじゃないの」

「い、いや…」

 島子の胸板に手をおいて、押してみるが、力が入らない。

 あずみは諦めたようで、ぐったりとしたままだ。

「いやじゃねえだろ。おれみたいないい男が、おまえみたいなべっぴんを抱いてやろうって言ってるんだ。おれたち似合いだぜ、うれしいだろ」

「う、うん、うれしいわ。だから、抱いてもいいから、ここじゃいや、誰かに見られちゃう」

「いいだろ、べつにどこだって」

「お願い。恥ずかしいの耐えられない。お願い、どこか」

「ちっ、うるせえなあ…」

 島子は自分の家にあずみを招くと、取ってきた魚を台所において、あずみの腕をつかまえ、あっという間に組み伏せてしまった。

「よしよし、あきらめたか。いい子だな」

 あずみは、島子から逃れるすべのないことを知り、目を閉じて観念した。

「ねえ、やさしく抱いて。私、はじめてなの」

 あずみは少し甘える口調で言う。よくみると島子はとてもハンサムだから、このまま抱かれてもいいと思ったのだろう。

「へえ、初めてか。わかった、乱暴はしない。おれ、おまえが好きになっちまったよ。ほんと天女みたいに、べっぴんだよな…」

 首筋を伝う舌の感触に、あずみは小さく悲鳴を上げた。

「へへっ、ほんとに初めてなんだな。男を味わうのは」

「やだ。そんな言い方しないで…」   

「悪かったよ。そう怒るなって」

 島子は、あずみに約束したとおり、乱暴にはしなかった。

「私も、あなたのこと好きみたい…。会ったばかりで、どうしてだろう」

「そりゃ、おれがウマイからさ。気持ちいいだろ? どんな女も惚れさせる自信あるんだ」

「それはいや。抱いたのだから、私だけを好きでいてくれない?」

「えっ…」

 島子はあずみにしがみつかれて、考え込み、うなった。

「け、結婚して…」

 思いがけないあずみの言葉に、島子は声を張り上げた。

「ええっ」

「いや?」

 上目遣いで見つめられ、島子は視線を泳がせ、頬を赤くした。

「い、いやじゃねえけどよ…」

「ほんと? うれしい」

 島子は愛しそうに、あずみを抱きしめた。

 


「なんですって、あずみが筒川の青年に?」

 投げ捨てられて神仙郷へ戻ってきた亀の報告に、亀比売はいきりたつ。

「まったく。その男に文句言ってやりたいわね。人の娘に手を出すなんて」

「しかし亀比売さま。あずみさん、まんざらでもなさそうでしたよ」  

「まっ…」

 亀比売は呆れ顔で亀を見やった。

「様子みちゃどうですか」

 亀比売はわかった、といって、部屋へこもってしまった。

「は。やれやれ。亀比売さまがヒステリー起こしたら、たまったものじゃないですからね…」

 



 とまあ、亀と亀比売の心配をよそに、あずみは島子に身をゆだね、その愛を一身に受けている最中だった。

 


「あずみ。あした都へいくけど、着替えほしいだろ。買ってやる」

 乱暴に自分へ手をつけた男の、意外なほどやさしい言葉だったので、あずみはうれしくなって頷いた。

「もしかして、女…」

「それね。ごめん、あれ嘘。おれも、はじめてだったんだ…つい見栄張っちまった」

 聞けば男ともだちが都にいて、経験している話をうらやましく思い、偶然っ引っ張りあげたあずみに手を出したといった。

「でもアイツら、きっとびっくりするな。あずみのような美人がおれのカミサンだぜ。こんなすげえこと、ねえよな」

「それだけのために、私を友達に会わせるの?」

「悪いかい」

 悪気はなく、けろりとした顔の島子に、あずみは哀しそうな表情で島子を見つめていた。


 

 島子のいったとおり、都へ出ると、たちまちあずみは噂の人となった。

「こいつはたまげた。島子さん、あんた、いい女連れてるねえ」

「あたしら女も惚れ惚れするじゃないかい。名前、なんていうんだい」

「ちやほや、ちやほや」

 とこんな具合で都はとても落ち着く気配を見せなかった。

 島子など、あずみを隣に立たせては、自慢げにしていて、着物を買ってくれる約束はどこ吹く風。

 騒ぎの対象になりたいがための嘘だったのか。あずみは唇をかみしめた。

「あずみ。帰りますよ」

 市場からの帰り道、島子とあずみが肩を並べて沿岸沿いを歩いていると、突然背後から凛とした声を耳にしたので、ふたり同時に振り返ると、おそろしげな形相の亀比売が、腰に手を当て、威嚇するように島子を見据えていた。

「筒川島子殿とおっしゃったか。人の娘に手を出すなど、言語道断です。娘は連れて帰りますからね。いくわよ、あずみ」

「あっ…」

 あずみは島子に手を差し伸べ、助けを求めた。

「いやよママ。お願いだから、島子さんといさせて」

「いけません、あなたはあの男に無理やり手篭めにされたのでしょ。これ以上、汚らわしい真似はよしなさい。おまえは神仙の聖女ですよ。自覚を持つのです」

「…はい、ママ」

 唇をかみ締めてうなだれ、島子に近づきかけたけれど、亀比売に力強く引き戻される。

「ま、待ってください」

 島子は地面に正座して、亀比売にむかって土下座した。

「お願いです、あずみを…娘さんをおれにください。後生大事にします、本当です」

「信用できません。もう二度とあずみに近づかないで」

 冷たい口調で告げると、島子はそれでもなお、土下座を続けた。

「待ってママ。せめて島子さんとお別れさせて」

 亀比売はため息をつくと、少しなら、と許してくれた。

 あずみは島子にすばやく耳打ちした。

「島子さん、これ以上は無理、ママに逆らえないもの。でも、もし私といたいなら、方法があるわ。トリスタンとイゾルデっていうお話があって、ふたりは毒を飲んであの世で愛を結ぶの。島子さんにそれができる? 私と一緒に死んでくれる?」

「死ぬ…お、おまえと…」

「そう。できる? その覚悟があるなら、あしたの朝、一本松のあるところまで来て。待ってるから。だけどね…あなたが来なかったら、私たちはもう二度と会えない」

 あずみは亀比売のあとを追い、神仙界へ帰っていってしまった。


 ひとり浜辺に残された島子は、あずみの言葉どおりにするか否かで決断を迷っていた。








「月夜見さま、おれの先祖の月夜見さま。あずみをあの母親から救うにはどうすれば…」







 島子は今まで、誰かのために祈ったことがなく、あずみにした行為のことも含め、激しい後悔の念に囚われ始めた。

 銀色に輝く丸い月は、島子をやんわり包み込んで、風が吹くと精霊の吹く笛の音に聞こえてくる。

「俺がいって、交渉してやろうか」

 島子が振り返ると、角髪を結った美青年が立っていて、年のころは島子より上のようだが、おっとりした雰囲気をかもし出していた。

「あ、あんたは誰だ」

「月夜見。いま、おまえが呼んだだろう」

 月夜見尊は声を上げて笑う。

 島子は月夜見に両手をついて頼み込んだ。

「お願いします、月夜見さま。どうかおれの…いいえ。私の願いを聞き届けてください…」

「承知しているよ。あずみという少女、俺もすこし興味あってな」

「…は?」

 島子はあんぐりと大口を開いたまま、月夜見を見上げていた。   

「まあ、俺にまかせたまえよ、島子君」  

 ニンマリ笑うご先祖様の、嫌な予感の拭えぬ島子は、一種の戦慄さえおぼえ、身震いしていた。



「あずみ。苦しくはなかったかい。ああ、かわいそうに。処女(おとめ)でなくなってしまって…」

「べつに哀しくなんてないわよ。大人になったんだもの、通過儀礼でしょ。それに私、島子さんと結婚してるんだし」

「認めないわ。あんな乱暴な人間なんかと」

「…ママ」

 亀比売が部屋へ引っ込むと、あずみは窓に立ち、胸の前で両手を組んで、月に祈った。

「どうか、明日の朝、島子さんとまた、会えますように」

「朝じゃないけど、会えたよ」

 あずみが振り返ると、そこには愛しい島子の姿があったので、あずみは駆け寄り抱きついた。

「どうして…」

「愛の力だよ。愛は天空さえも越えるのさ」

「キザね。あなたってそういう人だっけ」

 不思議がるあずみに質問させたくないのか、少々早口でまくしたてる。

「ま、いいじゃない。俺、あずみにどうしても、会いたかったんだよ」

「私も…」

 うっとりして瞼を落とすあずみの唇をふさいだ。

 そして敷物の上にあずみをそっと寝かせると、島子は服を脱ぎ始めた。

「やっ、ここでするの?」

「かまわないさ、みんな起きてこない」

「えっ、それは」

「考えなくてもいい。いまは…俺のことだけ考えて、あずみ」

 抱きしめられる瞬間、あずみは艶のある声をたてた。

「お、いい声のあずみちゃん。ああ、俺、きみを抱けるだけで幸せだな…」

「島子さん」

 甘えるような声をだす。

「なんだい」

「なんか、いつもといってる言葉違うよね…」

 島子はごまかすように、

「気にしちゃ駄目だよ。俺の愛を疑うのか?」

「ごめんなさい、そのつもりじゃ」

 だが、いつものようにゴリ押しのようには襲ってこない。

 あくまでもやさしく、そして柔軟に、あずみをいたわるような抱擁で迫ってくる。

「好きだよ…。好きだよ、あずみ」

「いつもの荒々しいのも嫌いじゃないけど、きょうのあなたって、なんだか、とても…」

「よけいなことは考えなくていい。いまはただ、俺に身をゆだねていたら、それだけでいい」

 あずみは島子に抱きつくと、満足そうに吐息を漏らした。

  


「わたしの可愛い娘に、なにをしているの」

 何時間も経った頃、亀比売が気配に感づき部屋から出てきて、この光景を目の当たりにすると、鬼のごとく形相で島子の前に立ちふさがった。

「これは亀比売さま。ごきげんうるわしゅう」

「筒川島子…」

「いえ、そうではございませんよ」

 言いかける亀比売の言葉を遮り、島子は正体を明かした。

「月夜見さま」

「そういうことです。申し訳ない。あなたの大切なあずみちゃんは、いただいちゃいましたけど」

「神のお手つきとあれば、それはありがたいですが…」

 古代の慣わしにおいて、神が通い婚をしたり手を出せば、それだけでおめでたく、大騒ぎとなる。

 亀比売はそのことを言っていた。

「あなたが来て下さるなら、堂々と入ればよかったですのに」

「それでは面白みに欠ける。やはり天下の大泥棒は、こっそりと宝石を盗むものですから」

「まあ…。輝かしいイザナギさまのご子息なのに、あきれましたね」

 月夜見と亀比売の談笑に目を覚ましたあずみは、島子ではない別人に驚き、倒れそうになった。

「あれ? それじゃ、島子さんは…」

「ごめん、島子じゃなくてね、俺が抱いてしまった」

「そ、そんな…。浮気…」

「いや。浮気にはならない。俺が勝手にしたことだもの。ただ…」

 月夜見はあずみに耳打ちした。

「こうしておけば、きみが島子に会いやすいだろ。いいから俺とのことは忘れて」

 月夜見は片目を閉じた。それから、さらに囁いた。

「さあ、いきなさい。あの一本松へ。島子が待ってるよ」

 あずみは亀比売の足止めをしてくれるこの貴公子に、何度も心の中で感謝をした。

「でも、あの人はいったい、誰…?」

 走りながら考えていた。 

  


 村の高台に生えている一本松の根元では、島子が襲衣(おすい)を引っかけて、あずみの帰りを今か今かと待っていた。

「あずみ…」

 島子は腰をおろすと、膝を抱えて寒さをしのごうと考えた。

「島子さん」

 鈴を転がすような可愛らしい声が島子に届くと、肩にかけていた襲衣を投げ捨て、あずみを抱擁した。

「あずみ、あずみ! おれ、一晩中ずっと待ってたんだよ」

「やっと帰れたの、あの人のおかげね」

「あの人?」

 あずみから顔を離すと、じっと見据えた。

「貴公子って感じの若い人。あれ、誰だったんだろう」

「まさか、月夜見さま…」

「月夜見さま? それって島子さんのご先祖様でしょ。どうしてその人が」

「ゆうべ月に向かって祈ってたら、月夜見様がたすけてやろうかって。それで頼んだんだけど…」

 あずみは月夜見とのことを思い出し、真っ赤な顔を見られまいと島子の胸にすがりついた。 

「ど、どうした。あ…もしかして、やりたいんじゃねえか」

「ちがうわよ、ばか。お願いだから、このままでいて」

 


 ひしと抱き合い、夫婦になったふたりは、この筒川村で、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

   

 ちなみに月夜見とのことが、どうなったか、というと。 

   

「私、月夜見さんと浮気しちゃったけど、抱いてきた本人が忘れなさいっていってたから、そうしとく」


 あずみは舌を出しながら、悪びれた様子もなく、島子の隣で今日も…。

 

        

   

    


 おしまい

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