恋愛禁止令

吉田家には、ある家訓がある。それは、門下生も含めて、一切の恋愛を禁ずるというものである。これに従わぬ者、ケツバットの刑に処するとのことである。


「ねえ、キスしてよ」

「ええ、恥ずかしいよ。こんな場所で」

久遠中学校の校舎裏には、恋人同士のいこいの広場とされる場所があった。それは裏庭にある、大木の下で、昼休み、恋人同士はここに集まり、愛を囁き合うのである。

今日も、二人の若い男女が、互いに見つめ合い、学生ゆえに許される、周りから見れば、鳥肌が立つほどの、のろけを見せていた。


「ねえ、キスしてよ」

「だから、後でね」

「ほう、今しても構わないよ」

二人の間に割って入るように、吉田清十郎は、般若のような顔で、木刀を振り回した。

「ひっ」

「松岡、お前はうちの門下生だよね。良い度胸じゃないか。ええ、おい」

木刀の先で、松岡と呼ばれた男子生徒の顎をつついた。


「吉田家では、一切の恋愛を禁じていたのだが、門下生の君も、例外じゃないこと、忘れたかい?」

「そそ、そんな、先輩だって、いつも、女の人をたくさん侍らせて」

「愚か者 」

バシンと、清十郎は木刀で地面を叩いた。その音、衝撃に、松岡と、その傍らにいる女子生徒は、ビクッと、互いに身体を寄せ合い、震えていた。


「僕のは恋愛じゃない。勉強さ。様々なタイプの人間と話すことによって、自分の可能性を広げている。少なくとも、君のように、本気で愛を囁いたためしなど無い」

清十郎の左右に控えている、二人の門下生が、松岡を無理矢理四つん這いにさせ、その場に尻を突き出すようにした。


「よって、ケツバットの刑に処す」

清十郎はゴルフでもするかのように、木刀を木製のバットに持ち代えて、フルスイングを、松岡の尻にかました。



ふたば達は、教室で昼食を摂っていた。最近は男性よりも女性の姿の方が、板に付いて来たふたばは、弁当の玉子焼きを頬張りながら、銀二と明日香と、机を引っ付けていた。


「というわけなんすよ」

尻を押さえながら、松岡は事の顛末を、涙ながらに語る。ふたばは話を聞いていないし、銀二も食べることに夢中だった。唯一、明日香だけは、彼の話を真面目に聞き、下手すれば、貰い泣きしてしまいそうな感があった。


「可愛そうね。だって、青春は今しか無いんだよ。それなのに、吉田先輩酷すぎ」

明日香は、無関心な残りの二人に苛立ちながら、弁当を食べることを忘れていた。

「もう、ふたばちゃんも、銀二君も酷すぎ。聞いてあげてよ」

「聞いてあげろって言われてもなぁ」

銀二は面倒そうに言うと、とっとと弁当を片付けて、ふらっと、廊下へ出てしまった。


「ふたばちゃんはどうなの?」

「ふん、興味無いね」

「そ、そんな。何とかして下さいよ」

「あのさ、それって、あんたらの問題でしょ。俺には関係無いよ」

ふたばは冷たく言い放つが、そんな彼女を見て、明日香は何かを思い付いたらしい。急に表情を明るくした。


「そうだ、吉田先輩って、ふたばちゃんの事、好きなんだよね。ふたばちゃんが誘惑して、彼をデートに誘うなんてどう。それで二人でイチャついている現場を、門下生の皆で押さえるの。そしたら、彼も気付くわ。恋愛なんて、禁止にできないって」

「下らないね。俺はパス」

「ど、どうして?」

「俺は男だ。今はこんな身体だけど、心までは変えるつもりは無い。これで気持ちまで女になっちゃったら、本物の女だ。悪いけど、女の真似事はしないから」


ふたばは断固反対という態度で、まともに取り合うつもりは無かった。しかし、松岡は食い下がる。


「なら、交換条件です。何でもあなたの言うと事聞くんで、お願いします」

「ばーか、お前に言うこと聞かれても迷惑。いや、待てよ」

ふたばは頭の中に、清十郎の兄を思い浮かべた。吉田浩一。吉田一刀流最強の男。奴と戦える機会を、この松岡に設けてもらえるならば、たかが、一度のデートだ。受けてやらないことも無い。


「おい、お前の所にいる、吉田浩一。アイツとヤらせろ。そしたら考えてやる」

「ヤるって、それはまずいっすよ。てか、吉田流の嫡男と、性交遊なんて、ヤバイっすね」

「バカか。そういう意味じゃない。喧嘩だよ」

「ええ、しっかし、ジェントルマンの浩一さんが、女性相手に本気になるか」

「そこは安心しな。俺は戦わない。代わりに、戦って欲しい奴がいるんだ」


明日香は終始置いてきぼりにされていたが、ふたばがデートを承諾したと聞いて、喜んだ。無論、その裏にある考えなど知らずに。


その後、松岡は清十郎の元へ、ふたばからデートの誘いが来たと報告した。普通は、ほとんど繋がりの無い女子から、いきなりデートの誘いを受けても、警戒するのが常だが、清十郎は、よほど自分に自信があるらしく、即答だった。


「良かろう。自分の可能性を広げるためだ。彼女に恋愛感情は無いが、仕方無く、行ってやる」

他の門下生の手前、清十郎は、そう答えた。


一方のふたばは家に着くなり、帰りに買った、女性誌の、男とのデートでしてはいけない七ヶ条という記事に目を通していた。すると、襖が突然、開いて、立花丞が部屋に入って来た。


「おい、テメー何読んでんだ?」

丞は上から記事を覗き込むと、急に表情をして強張らせた。

「おい、男とのデートとは何だ。まさか、お前」

「ああ、明日デートなんだ」

「ああ、相手は?」

「吉田清十郎」

「な、何だとぉぉぉぉぉ」

丞はいきり立つと、ふたばの読んでいる雑誌を取り上げて、ビリビリに破いた。

「貴様、俺とは風呂にも入らないクセに、男と逢い引きだと。パパは認めんぞ」

「何がパパだ。息子に欲情してんじゃねえ。このクソ親父。聞いたぞ、あんた、随分色んな女と遊んでたらしいな。ええ、俺以外に、何人の子供がいるのかなぁ?」

「う、うるせぇ」


丞はへそを曲げると、ふたばの方をチラッと、横目で見た。


「本気か?」

「まさか、清十郎を垂らし込んで、吉田家の嫡男、吉田浩一に接近するんだ。そして、奴を倒し、本当の意味で、吉田道場を倒す」

「ふん、そうか」

丞はニヤリと不敵に微笑むと、もう何も言わなかった。そして、最後にこう言った。

「俺、これから用があるからよ。帰りは明日になる。飯はレトルトで勘弁な」

「ちっ、またかよ」

こうして、一夜が過ぎた。

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