銀二危うし

「待ちやがれぇぇぇぇぇ」

銀二とふたばは珍念の方へと、全速力で走って行った。

「くそ、追い付かれてたまるか」

珍念の放った、傀儡の術の厄介なところは、その射程範囲にある。あまりに相手と離れてしまうと、術の効力は切れてしまうし、逆にあまりに近付けば、簡単に追い付かれ、反撃を受けてしまう。常に、付かず、離れずが基本だった。故に、珍念の方も、ただ無闇に逃げているだけでは済まされない。常に、視線の端に、銀二がいなければならないのだ。


「へへ、これで足止めだ」

珍念の右腕が光る。銀二はしまったと思った。

「ふ、ふたばちゃん。俺から離れ・・・・」

言い掛けた矢先である。彼は右手から、まるで吸い寄せられるように、ふたばにのし掛かり、二人して、道の真ん中で、折り重なるように転倒してしまった。


「く、重い。離れろ・・・・」

「悪い、無理だ。手が動かねぇ」

むにゅむにゅ。

「んん、また、揉んで・・・・」

ふたばの胸を、銀二の右手がわし掴みにしている。無論、彼の意思では無い。

「すまねぇ、本当に俺の意思じゃ無いんだ」

「分かってる。奴を、あん、捕まえるぞ」

「ひょっとして、少し感じてる?」

「て、テメー。ふざけてると、こうだ」

ポカ。優しめに、銀二は頭を叩かれた。


「くそ、こうなったら」

ふたばは顔を真っ赤にしながら、銀二を背中に背負う形で、強引に立ち上がった、火事場のバカ力とは、まさにこの事を言うのだろう。


「うお、何だ、あの女。何て、怪力だ。男一人持ち上げやがった」

珍念は青白い顔で、ふたばの鬼のような形相を見つめていた。

「今、追い付いてやるからな」

「ふ、ふたばちゃん。流石だぜ」

「お前は良いよな、俺におぶられて、しかも、後ろから胸を揉みたい放題だなんて」

「あ、ああ。男冥利に尽きるよな」

「バカ、野郎の胸なんか触って楽しいのか。後で、お金取るからな」

「マジで、逆に金払ったら、いつでも触って良いの?」

瞬間、銀二の体が地面に放り出された。どうやら、術が解けたらしい。珍念との距離が開いたのが原因らしい。


「な、何だ。手が動くぞ」

銀二は感動するのも束の間、ふたばを置いて、珍念の逃げた方角へと、再び走って行った。

「あそこか」

珍念の後ろ姿が、古びた、いかにも創業年数が経過してそうな、製紙所へと入って行くのが見えた。


「クソ坊主、紙でも刷ろうってのか」

銀二はすぐに、彼の後ろに付くと、自分も製紙所の中へと入って行った。

「どこだ?」

建物の中は無人だった。珍念はおろか、従業員すらいない。ただ、紙を刷る機械の音と、シュレッダーの音だけが聞こえていた。


「こんな場所でかくれんぼかよ」

しばらく、建物の中を探索していると、不意に、背後から、人の気配を感じた。言わずもがな珍念である。彼はどこか、確信めいた表情をしていた。


「よお、見直したぜ。男らしいところもあるじゃんよ。俺とタイマン張るつもりか?」

「さっきは悪かったな。テメーから離れすぎて

術が切れちまった。しっかし、この距離なら、へへ、俺の術も冴え渡るってもんだぜ」

「て、テメー」

銀二が殴り掛かろうとした矢先、彼の右手が、彼そのものを引き摺るような形で、作業用のテーブルにぶつかり、身体ごと、仰向けになる形で、テーブルの上に乗っていた。


「何の真似だ?」

「へへ、良く見ろ間抜け」

銀二の視線の先には、稼働中のシュレッダーがあった。バリバリと音をたてながら、機体ごと振動している。


「ま、まさか、テメー」

銀二はようやく悟った。彼の身体は、丁度、右手がすっぽりと入りそうな、シュレッダーに向かって、少しずつ引き摺られている。

「悪いのは、銀二、そっちの方だぜ。俺は少し鬱憤を晴らして終わるつもりだったんだ。それをしつこく追い掛けやがるから、こうしてよぉ、引っ込み付かなくなるんだ」


「うおおお、今なら許してやるから、この機械を停めるか、俺を解放しろ」

「知るかバカ。もう、俺も何が何だか分からないんだよ。そのまま、不要になった書類のように、シュレッダーに解体されろぉぉぉ」

銀二は絞首台に上る、死刑囚の気持ちが分かった気がした。そう、確実に迫り来る死の瞬間に、何もできない、無力な者の気持ちを理解した。


「クソぉぉぉぉぉ」

銀二の叫び声がこだまする中、突然、彼の前に、能面のような顔をした、ふたばが現れた。彼女は、銀二の寝かされているテーブルの端に、座り、彼を見下ろしている。そして、その右手には、少女には不釣り合いな、白い刃が、ナイフが握られていた。


「ふたばちゃん?」

「最後の手段だ。あんたを助けるには、これしか無い」

ふたばはナイフの先を、指で軽く押した。そして、クスッと、妖艶に微笑んだ。少女らしからぬ色気に、銀二は麻薬的な恍惚感を覚えた。美しい。純粋にそう思った。


「な、何のつもりだ?」

「ふふ、このままだと、右手はおろか、命すら危ういね。それなら」

ふたばはナイフを銀二の右手に突き立てた。

「おい、まさか、それで、俺の右手を切断するつもりじゃ」

「ふふ」

「や、止めろ」

「他に手は無い」

「た、頼む、止め、止めろぉぉぉぉぉぉ」

古びた建物の中に、銀二の叫びがこだまする。次の瞬間、彼は強く目を閉じて、これから起こるであろう、恐怖と苦痛に備えた。しかし、意外にも痛みは無く、彼は拍子抜けしていた。見ると、自分の右手はきちんとあって、傷一つ無い。何が起こったのか。目の前を見ると、シュレッダーの中に、ナイフが強引に突っ込まれ、機械が故障、エラーの表示がピコピコと点滅したまま、完全に動かなくなっていた。


「え?」

「バーカ、誰がそんな物騒なこと考えるか」

ふたばは珍念の襟首を掴むと、それを銀二の目の前に投げ捨てた。

「俺は帰るから、後は好きにすれば?」

「あ、ああサンキューな」

感謝したのも束の間、次の瞬間、銀二の目は、怒りと復讐に燃え、珍念の丸まった頭を、強引にわしわしと、撫でていた。


「よお」

「あ、あ」

「さっきはありがとよ。おかげで、死に掛けたぜ」

「まさか、俺を殺すのか」

「バカ、誰がテメーなんぞ殺すか。その代わり、死ぬ寸前まで殴る」

「ま、待て、やめ、ふぎゅゅゅゅゅゅゅ」

その日、寂れた製紙所からは、日が落ちるまで、男性のものと思われる悲鳴が聞こえたという。

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