操られた右手
「ねえ、バカにしてんの?」
ふたばは無表情のまま、額に怒りのマークを浮かばせながら、銀二の胸ぐらを掴んで、さらに一撃加えた。胸を触られた。そのことで怒っているのでは無く、自分を女扱いしたことが許せないらしかった。
「待て、違うんだ。腕が勝手に」
「ほう、ならばその腕を折ってあげよう」
グギ。
「い、いでぇぇぇぇぇ」
銀二は涙目になりながら、情けなく叫んでいた。それを電柱の陰から、珍念は爽快そうに見守っていた。
「まだだ。こんなんじゃ、俺は満足しない」
珍念の右腕が再び発光する。次の瞬間、さらなる不幸が、銀二に襲い掛かった。
サワサワ。
「くぅぅぅ、こ、この野郎」
ふたばは顔を真っ赤にして、今度こそキレた。銀二の手は、スカートの上から、ふたばの尻を擦っている。それも、乱暴に掴むのでは無く、優しくであるから、結果的に、セクハラをする中年のような、嫌らしさを帯びていた。
「殺す」
「ま、待て。痛、殴るな」
「檜山君。いくらなんでも酷すぎ。ふたばちゃんに謝ろ?」
「明日香、これは誤解だ」
精一杯に言い訳する銀二の、視線の端に、先程、逃げ失せたはずの珍念がいた。彼は電信柱の陰で、クスクスと笑っていた。
「や、野郎」
銀二が走り出そうとした、その時。
「んん、お前、それは流石に」
ふたばは顔を青くして、銀二の行為を見守っていた。銀二の右手は、スカートの中にまで侵入し、ふたばの尻を直接掴んでいた。
「は、放せ。他の奴が見たら、お前が痛い目に遭うんだぞ」
「分かってるが、手が勝手に動くんだ」
「また、下らないことを」
「み、見ろ。この腕を」
銀二は、自分の右腕に浮き出ている、曼陀羅を見せ付けた。
「な、それは傀儡の術か。まさか、さっきのチビ坊主が」
「さ、察しが良いな。その傀儡の術は知らないが、俺の意思で触っているわけでは無いから、安心しろよな」
誤解が解けて一件落着と行かないのが、人生の難しいところである。商店街の真ん中でパニクっている三人を見ながら、青い着物に、黒の袴姿の、異様な学生の列が、そこを通り掛かった。
「清十郎様。アイツら、うちの学校の生徒ですぜ」
「ふん、全く。元気なのは良いが、あまり、我が校の評判を下げないで欲しいな。僕まで同レベルに見られるじゃ・・・・」
言い掛けたところで、清十郎は固まった。よく見ると、その三人の一人に、あの麗しの片想いの少女がいるではないか。しかも、その少女のスカートの中には、彼が最も嫌悪している後輩、檜山銀二の腕が侵入していた。
「う、うう。檜山銀二。僕の前で、なんたる狼藉を」
次の瞬間、清十郎は木刀を片手に、三人の元へ駆け出していた。周りの諌めなど届くはずも無い。
「うおおおお、離れろ。この卑劣漢」
「げっ、清十郎先輩、止めて下さいよ」
「僕だって、僕だって触ったこと無いのに。もうそこまで進展を。いや、ふたばさんが、そんなふしだらなわけが無い。貴様が、強引に迫ったのだろう」
「待て、誤解だ」
言葉など通じる相手では無い。清十郎は木刀を振り回し、銀二のこまかみ目掛けて、それを降り下ろした。
「ちっ、逃げるぞ」
「あ、ああ」
ふたばと銀二は、清十郎に背を向けて走り出した。
「なっ、檜山銀二め。よくも。ふたばさんもふたばさんだ。いや、待て。彼女のことだ、ぎと奴に弱味を握られ。そうだ、そうに違いない。くっ、許せん」
清十郎は追い掛けることはしなかったが、胸に熱いものを抱き、その場を去って行った。
さて、ふたばと銀二は商店街の出口を目指して、走っていた。すると、ちょんちょんと、皺だらけの、小さな手が、銀二の右肩をそっと叩いた。
「ああん?」
見ると、腰の曲がった老婆が、何かもじもじとしていた。
「どうしたばあさん。今、忙しいんだ」
「すいません、あの、ここから久遠駅へはどう行けば・・・・」
「ええと、あそこの路地を抜けて、それで・・・・」
言い掛けたところで、彼の頬を、冷たい汗が伝った。正面の、数メートル先に、珍念が立っている。そして、右手を光らせながら、ニヤニヤと笑っている。
「ま、まずい。ババア、俺から離れ・・・・」
銀二の右腕が光り、老婆の顔面に肘打ちを喰らわせた。
「やべ」
老婆は身体を半回転させ、その場に崩れ落ちた。幸い、命に別状は無さそうだが、それを見た、周囲の人間達は、彼を囲んで何やら、口々に罵った。
「最低」
「おい、警察を呼ぼう」
「キレる10代かしら。怖いわー」
銀二は額に汗の粒を浮かび上がらせていた。このままではいけない。そう思った矢先、ふたばが銀二の左腕を強く掴んだ。
「走るぜ。あの坊主を捕まえるんだ。お前が捕まる前に」
「お、おお」
二人は人の輪を押し退けて、珍念の方へ走って行った。
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