第4話『シュウ・ヴォクン・オミ』(6/6)

 石積みの壁を見上げた。

 思えば三ヶ月前、初めてナグハに訪れた頃からずいぶん様変わりしたものだ。 石工場の職人は素早く丁寧に石を四角く切り分けてくれた。 大工たちもそれに応えて、見事に壁を完成させてくれた。

 自分の足が着いているこの道もそうだ。

 わずかな期間で無理を強いたが、悪くない景色に仕上がった。


 これを残して旅立てるのだから満足だ、とシュウは思った。


「本当に行っちまうのかよ、おかしら」

「ああ」


 傷が癒えたばかりのグレンが不満げに告げた。

 シュウは腫れ上がった顔で無理矢理笑ってみせる。


「俺はもうここにいない方がいいのさ」

「俺はおかしらにいてほしいと思ってるよ。 みんなだってそうだ」

「いてほしくないと思ってる奴もいる」

「そんな連中、みんなぶっ殺しちまえばいいじゃんか」


 グレンがなんでもないことのように言い返したので、シュウは吹き出しそうになった。 グレンの後ろにいる幾人かの兵も大真面目にうなずいている。

 危なっかしい連中だな。


「ノリに任せて誰でも殺してると、肝心な時に剣が折れちまうぜ」

「でもよ」

「今はお前がナグハ軍の筆頭だ。 ただの乱暴者にはなるな」

「……はい」


 グレンは応えはしたものの肩を落として小さくなった。 慰めに頭に手を乗せてやると、初めて会った時より背が伸びているのが分かる。 食い盛りの伸び盛りという年頃で、成長を楽しみにしていたこともあった。 実は今もそうだ。


 シュウはこれから旅に出る。

 行き先は決まっていないが、どこへ行ってもやることは定まっている。

 もう一度、起ち上がる。 別の場所でやり直し、再び土の民の度肝を抜く。

 目指すのは無論のこと、王。 風合わせの前はほとんど諦めていたが、終わってみれば気持ちは変わっていた。


 シュウが見てきたこの世界は、いつも息が詰まりそうな程に苦しかった。

 そんな世界をぶち壊して住みやすくする為なら、何度挫折しても立ち上がって戦い続ける。 それが幼い頃から抱いてきた夢と呼べるものだったから、迷いはない。


 だが、再びどこかで立ち上がった時、このナグハに攻め入るような成り行きにもなるかもしれない。 その時俺は、淀みのない策でこいつらと戦えるのだろうか。


「シュウ殿!!」


 防壁の上から声がしたので、シュウは首を上げた。 まだ少し痛む。

 手でひさしを作って日の光を防ぐと、おぼろげながらクリクが立っているのが分かる。

 防壁の四隅に塔を建て増すことにしたので、その測量か何かだろう。


「行ってしまわれるのですか!?」

「おう! 見送りはいいから、仕事を進めておけ!」

「午後から二代目総長の着任式です! 俺は演説のひとつなど読まねばなりませんので、最後によろしければご同座願えますか!」


 そういえば、今日がその日だった。

 引き継ぐべき仕事を教えるばかりで、予定に気が回っていなかった。

 最後の機会だし、見てから消えてやった方がクリクもすっきりするか。


「分かった! 気張ってやれよ!」


 返事はなかった。 職人が指示を仰ぎに来て、そっちに気を取られたらしい。 まだこなれてはいないが、いい働きぶりだ。

 あいつはあの手の堅実な仕事に向いていると、前から思っていた。


「出発はちょっとだけ先送りだな」

「ほんとに?」

「ちょっとだけだ。 いちいち浮かれるんじゃない」


 すげなく言い放つとグレンは唇を曲げた。


「さっさと俺離れしろ。 クリクの奴を見習えってんだ」

「はあ」

「あいつ、結構いい総長になると思うぜ」

「ふーん……」


 グレンは真似をするように手で庇を作って上を見ていた。

 何か思いついたように、ささ、とシュウの後ろに回る。


「おかしらがそう言うんなら、俺もあいつを見習うよ」

「ん……? うん」


 グレンが何故か自信深く言った。

 こういういたずらっぽい顔は、何からしくない気がするのだが。


「さあ、帰ろうぜおかしら! 新総長さまの演説までまったり待とうや!」


 単にもう少し一緒にいられるのが嬉しくなっただけなのだろうか。

 背中を押されて市場へ戻されながら、ぼんやりと考えた。


 まあ、どっちでもいいことか。

 最後の機会だし、広場で魚の串焼きでも奢ってやろう。

 大人しく運ばれてやって、シュウはしばし市場で時間を潰した。



 やがて日が暮れかけた頃、大広場の出店が撤収を始めた。

 出店の引き払いが済むと速やかに兵士が壇を運んできて、市場の装いが少しばかり厳粛なものに変わっていく。


 普段より少し早い店じまいは、言うまでもなく二代目総長就任式の為である。 シュウは儀礼に時間を使うことをほとんどしなかったが、総長の着任となれば普通は真っ先に行うことだ。


 村人にも出店の関係者にもさっさと帰ってしまうものはあまりいないようで、広場は聴衆で埋め尽くされた。

 自分がいると騒ぎになる。 シュウは広場の陰にもたれかけ、二代目総長の登壇を待った。


「よっ」


 かけられた声に横を向く。 カイナだ。

 上背うわぜいの高さを気にして腰を低くもたれていたのだが、目ざとい。


「こんなとこで最後の立ち会いか、元総長さん?」

「あんまりでかい声を出すな。 みんなに気づかれる」

「気づかれたらええがな。 笑顔で握手でもして、交代したったら?」

「俺とあいつが並んだら、かわいそうだろ」

「それもそうやな。 きっと緊張してるやろうし」


 あっけなく肯定されて、なんだか面白くない。 そこはいつものように冷たく言い返してほしかった。


 あほちゃう、とか。 最後に言ってくれてもいいではないか。

 そんな言い合いが楽しかったのは俺だけなのだろうか。

 シュウは急にさみしい気持ちになった。


「なあ」

「あ、来たで」


 絡みかけたところでカイナが遮った。 前を見やると、クリクが壇を登っているところだ。 思った通り、緊張してしまっている。 ぎしぎしと音が聞こえそうな動きで立ったクリクの顔が青くなる。 満場の人々を前にして血の気が引いたのか。


(俺もよくそうなるよ。 頭に血が集まらなくなってくるんだ)


 心の中でクリクの肩を叩き、慰めた気になった。

 初々しくて、立ち会って良かったと思う。


 頑張れよ、クリク。 お前の仕事だ。


「あ、えと…… こんばんは。

 このたび、二代目総長に就任しました、クリクです……」


 辛うじて聞こえる程度の声でクリクが語り出した。 演説というよりは、つぶやきに等しい。 後に続く就任の挨拶はぼそぼそ声で、もうろくに聞き取れもしない。

 段々ざわめきが大きくなってきて、尚更声が届きにくくなってきた。


(足下ばかり見て喋るんじゃない。 一番遠くにいる奴の顔を見ながら喋るんだ)


 手に汗が浮いてくる。 クリクに届くはずもない助言を、つい心の中でしてしまっていた。 クリクに声の出し方まで伝授することは出来ずじまいだった。 こういうことも教えておくべきだったか。 もどかしい。


「あ、あ、すみません、静粛に。 静粛に……」


 ざわめきに気づいたクリクが促したが、効果はない。 壇の傍らに控えていたティラードが無言で剣を振りかざすと、それでようやく静かになった。


「あ、ええと…… それでですね。

 よき総長には、条件があるって、ゲンガン大市場では言われてます。

 みんなに尊敬される強いリーダーであること、みんなの長所を見抜いて適した仕事を与えられること、それから何より、みんなが考えもつかなかったすごい発想ができること…… なんですけど……」


 相変わらず口の中で籠もった声だが、聞こえはした。

 なんですけど? どうなんだよ。 さっさと言え。


 シュウの念が届きでもしたか、クリクが顔を上げた。

 居住まいを正し、正面を見据えて語る。


「……ぶっちゃけこれ、俺のことじゃなくないですか!? どう考えても!!」


 ひっくり返りそうになった。


 何言ってんだ、こいつ。 やっと大声を出したと思ったらそれか。 真面目に総長の仕事をやっているはずだったのに、急にヤケクソにでもなったのか。


「先代に言わせれば、俺は見てきたものを見た通りにしか出来ないそうです。

 誰でも思いつくことは出来るけど、誰も思いつかないことは出来ないって……

 きっと優秀な奴がいても、見つけられない。 見つけたって、その才能を伸ばす為にあれこれやれる自信はないです。

 その上発想なんて…… 今だって、いい演説が思いつかない」


 ぶち殺すぞ、てめぇ。 誰が好きこのんで総長の自虐なんぞ聞きたがるんだ。

 一番偉い奴は、自分に嘘をついたっていつも自信満々でいるもんだろうが。

 絶叫しながら飛び出して殴りつけたい衝動に駆られながら、シュウは地べたを踏みにじった。


 袖を引かれて横を見やると、にやついた顔のカイナがこっちを見ている。

 何がおかしいんだ、こんな惨状を見せられて。

 顔で言いたいことを悟ったのか、半笑いの顔でカイナが言った。


「いやぁ…… あんたでもクリちゃんに驚かされることがあるんやねぇ」

「んだと!?」


 驚かされている? 俺が、あいつに? 馬鹿なことを言うな。


「呆れてるだけだ。 むかついてんだよ」

「へえ」

「へえ、じゃねえよ。 あんな奴に……」

「あんな奴に?」


 言いかけた口を咄嗟に閉じた。

 しかしカイナには、その先の言葉を見透かされてしまっている。


「……なんでもねぇよ」

「ほんまか? あんな奴に、なんやて?」


 ――あんな奴に、任せておけない。

 それを口にすれば、俺はもっと余計な事まで口にしてしまう。


「うっせぇな! なんでもねぇんだよ!!」

「ははは、素直やないなぁ!」


 カイナは笑って言うとシュウの背中を叩いて押した。

 前につんのめりながら、シュウは振り向こうとする。


「うわっ!?」


 出来なかった。 複数の何者かが現れて、シュウを横から掴んだせいだ。


「おおっとシュウ様、いらしてたんすか」

「言ってくださいよ、水くさいなぁ」


 見知った顔の連中。 グレンを始めとする兵士たちだ。

 水くさいも何もない。 さっきまで一緒だっただろ、お前ら。 言い返す間もなく、シュウは担ぎ上げられた。 聴衆をかき分け、前へ前へと流されていく。


「あ、シュウだ」「前の総長じゃない?」「シュウ様?」「何やってんだ?」


 担がれて通り抜ける男を見た村人が口々に騒ぎ立て始める。 シュウは狼狽した。

 こいつら、なんてことしやがる。 ただでさえめちゃくちゃになりかけているクリクの演説をぶちこわしにする気なのか。

 あんな様でも、あいつの晴れ舞台なんだぞ。


 抵抗できず、壇のすぐ手前まであっという間に持って行かれた。

 壇上のクリクと目が合う。 騒ぎになってるのに、何故止めねぇ。 怒りを込めて睨みつけると、クリクは見えなかったように前を向いた。


「だから…… 俺は今日をもって、二代目総長をやめます。 急な話でまたあれこれ手間をかけるのは申し訳ないので、この場で三代目を決めてしまいましょう」


 では。 クリクが小さく咳払いをして、改めて聴衆へ向き直った。 誰もが黙っていて、クリクが息を深く吸う音はやたらに大きく聞こえる。


「……二代目総長として、諸君に最後の命令を与える!

 急速に発展したこのナグハを更なる高みへと導く領袖。

 俺たちの力を引き出し、夢を与え、戦に勝利する力を持つ指導者。

 英邁にして開明なる三代目総長の名を知る者は、高らかに声を上げよ!」


 手をかざしてクリクが告げる。

 聴衆の静寂は、長くなかった。


「シュウ・ヴォクン・オミッ!」


 沈黙に投げ込まれた誰かの声が、波紋を呼ぶ。


 そうだ。 シュウ。 やってくれた。 ウルザを倒した。 あんなんでもがんばってた。 ここで初めて商売できた。 シュウ。 楽しかった。 儲かった。 すかっとした。 シュウ。 シュウ・ヴォクン・オミ。


 ばらばらの波紋が呼応し、やがて大きな波が、押し寄せる。


 戴くべき名は、シュウ・ヴォクン・オミ。


『シュウ・ヴォクン・オミ! シュウ・ヴォクン・オミ! シュウ・ヴォクン・オミ! シュウ・ヴォクン・オミ! シュウ・ヴォクン・オミ!』


 留まることのない音が市場を埋め尽くした。 寄せて返す声の波が、聴衆の最前にある自分に集まっていく。


 シュウの名を叫ぶ誰もが、シュウを見ている。

 男、女。 若者、子ども、年寄り。

 まるでばらばらの人々が、同じ名前を叫び続けている。


 たった今、俺という人間が人から望まれている。

 求めさせるのではなく、求められている。 それも自らの意志に反して。


 そんな事態は、今までの想定にはない。


「さあ、シュウ殿!」


 壇上のクリクが腰を落とし、手を差し伸べた。 シュウは反射的にその手を握り返し、引っ張り上げられて壇上に登った。

 しっぽの震えを取り繕おうとするが、上手くいかない。


「お前……」

「このままシュウ殿がいなくなったのでは困ります。

 いい市場が出来たのが誰のお陰か、みんなには分かっているんですよ」


 耳元でクリクがそう告げた。

 人々を映し出す鏡としてこの男を認めたのは、シュウ自身だ。


「だからってよ……!」

「それに、俺はまだ王というものがよく分かっていないんです。

 俺の頭にも分からせてこそ、シュウ殿なんじゃありませんか?」


 クリクはそう告げるとにやりと笑う。 柄に合わない生意気な顔だ。

 そういう笑いは俺の独占商品。 こいつにはもっと、似合いの顔がある。

 尾の緊張が解けていく。

 肌の内側に張り付いていた重苦しい何かが、流れて消えた。


「だったらお望み通り分からせてやるぜ! オラァッ!」


 クリクの横っ腹に足を入れる。 続けざまに台の下へ蹴り落とした。

 ぐえ、と呻きを漏らしたクリクが二回転がって素早く起き上がる。

 立て膝をついて見上げてくる眼が、期待に輝いている。

 黙ってうなずくと、クリクもうなずきで返した。


 求めを導くのではなく、求めに応える。

 培った流儀ではないが、それで往くのも悪くない。


「……待たせたな、野郎ども! お望みのシュウ様は、ここにいるぜッ!!」


 腹の底から叫んだ。 未だ鳴り止まぬ聴衆の声を、一息で覆い尽くす。

 シュウを求める声が歓声へ変わり、やがて熱を持った沈黙へと移る。


 さあ、奴らに何を語って聞かせよう。 実を言えば、話の種は何もない。

 どう言えば奴らが喜び、沸き立つのか、まるで考えもしていない。


 それなのに少しも不安はない。 軽やかな心持ちだ。 この声を受け止めたいと願う者の為ならば、どんな遠くにでも、どんな言葉でも、俺は伝えられる。

 そんな気持ちで人に向き合う日が来るなど、想像したこともなかった。


 繰り返してきた想定は、人間の深さに及ばない。 王への道は、まだ遠い。

 だから、俺はここから始める。


 口を開いた。

 夜の近づく空へ。 太陽の沈む地の果てへ。

 そして一人ひとりの心へ、声を届かせる。


 それを新たな時代への産声と捉えているのは、もうシュウひとりではなかった。



      ◆


 ――専制君主政治とはエゴイズムの究極的発露である。

 しかし君臨する為には、存在を人々に求められなくてはならない。

 名君とは、この大いなる矛盾を乗りこなした一握りの人間を指す。

カシュ・ルボヤスカ(ポーランドの歴史学者)


(第4話『シュウ・ヴォクン・オミ』了)

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やがて王へ至る道 米屋太郎 @komeya_kangan

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