第4話『シュウ・ヴォクン・オミ』(2/6)

 言った。 言いたいことを全て言った。

 ずっと胸に秘めてきた恨みを、本当の自分と一緒に明らかにした。

 何もかもやけくそになっていたが、それだけに清々しい気分だ。


「シュウ!」


 カイナが小走りに駆け寄ってきて、シュウの隣に並んだ。 シュウは歩調を変えずに市場の小道を歩き続ける。 小柄なカイナが、早足でついてきた。


「よお。 どうかしたのか?」

「あんた、うちと同じやったんやな」

「ああ。 育ちは別だが、生まれは長耳さ……」

「だからか?」


 カイナの言いたいことは分かった。 自分も長耳だからカイナを避けなかったのかと問われれば、そうだと答えるしかない。

 長耳だからカイナを取り立てたのかと問われれば、それは違う。 純粋にカイナの力が必要だったからだ。


「ま、半分くらいはな」


 苦笑い混じりに答えた。 言いたいことがカイナに伝わっているかどうかは、よく分からない。 カイナは何も言わなかった。


「それよか、何しに来た? 俺の心配か?」

「うん」

「……えらく素直だな」

「ごたくはええ。 うちに出来ることがあるんと違うか」


 シュウは口をつぐんだ。 何か作戦があるわけではない。 そもそもバウランと呼ばれていた武将の提示した馬相撲をやろうにも、馬に乗ったことがない。


 完全に無策の状態で、ここからウルザ打倒の作戦を組み立てなければならないということだ。 その為にカイナの助力は絶対に必要だったが、シュウは思っていることと違う言葉を口にしていた。


「お前は今すぐウルザのところへ行け」

「……なんやて?」

「ウルザは誇り高い戦士で、お前の中には風の民の血が流れている。

 俺はとっくに奴の逆鱗に触れているが、お前は違う」


 カイナは黙った。 腹を立てたのかもしれないし、悲しんだのかもしれない。

 どちらにしても正面から見ていられる気がせず、足下を見ながら話し続けた。


「今すぐ保護を求めれば、送還の儀とやらで殺されずに済むはずだ」

「シュウ」

「勝てるかどうか分からん戦いに、助かれる奴が付き合う必要はない」

「あほちゃう?」

「カイナ!」


 普段の調子で冷ややかに返したカイナをつい怒鳴りつける。 言い合いにはならなかったが、代わりにカイナの裏拳が胸を打ってきた。 痛くはない。 苛立ちとそれ以外の感情を込めて、圧したという感じの拳。


 反射的に隣を見ると、カイナは紅い眼でこちらを睨みつけている。 怒りと悲しみの中間くらいの、失望した眼差し。 やはり、見るべきではなかった。


「降参するふりして暗殺してこい、くらい言うもんやと思てたわ」

「俺は本気だぞ」


 暗殺などでウルザが倒せるのなら苦労はない。 殺意を持って近づいた瞬間には、もう殺されている。 第一、カイナに出来ることとは思えなかった。


「あんたが本気の本気でそう言うとるんやったら……

 やっぱしうちの力が必要ということやね」

「お前……!」

「初めてうた時のあんたが負けた時の心配をするやからやったら、うちはお爺ちゃんの刀を預けてへん。 いつもの調子に戻らな、勝てる相手にも勝たれへんで」


 答えに窮した。 今のシュウにその指摘は少し残酷すぎる。

 往生際悪く勝負を挑みはしたものの、ウルザに勝てる見込みは微塵もない。

 戦おうとしながら、既に負けている。 ごまかしていた気持ちを暴かれたような気分になって、シュウは黙ったまま話せなくなった。


「……あんた、結構緊張しいなんやからさ。

 やってみる前から先のことまで考えこまん方がええんとちゃう?」


 何気なくカイナが口にした言葉を聞いて、思わず上ずった声が出た。

 緊張しい。 よく緊張する人。


「ばっ……!」


 突かなくていい図星まで突かれた気がした。 確かに俺は、人に思われているよりは緊張している。 だが何故、それが分かるのだ。


 カイナはいつもいつも、最初から俺を冷めた眼で見てきた。

 もしかすると最初から全部見通していたというのか。


 自分の頬が熱くなるのを感じて、シュウは横を向いた。


「……お前、すげぇな」

「今さら気づいたんか」


 深く息を吸う。 打ち明けることにした。

 これで最後なら、格好をつけるのも取り繕うのも無意味だ。

 これで最後なら、他人に弱音を吐いてもいい。


「……今のままじゃ、ウルザには勝てねぇ」

「そらそうや」

「奴は強すぎる。 ハコンが殺された相手だ」

「きつい戦いやったんやろうな」

「俺は馬に乗ったことがねぇ」

「しばらく徹夜で特訓やな」

「何にも、作戦がないんだ」

「大変やね」

「勝てるのかな、俺……」


 横を向いていたシュウの頬をカイナの両手が掴んだ。

 グローブ越しの、がさついた感触。

 強引に首を曲げさせて自分の方へ向けると、眼を合わせたカイナが笑った。


「魔法使いを信じろ。 うちとあんたなら、きっと勝てる」


 白い歯を見せた笑顔で、カイナが言う。


「嫌いじゃなかったのかよ、魔法使いって」

「ふたり分、合わせて魔法になるんやったら…… ちょっと面白おもろない?」


 武器と、知恵。 二つを重ね合わせて戦う。

 本物の勇者であるウルザを撃ち破れるとしたら、それは真に魔法と呼べるものになるかもしれない。


「かもな」

「かもやなーい」


 市門をくぐってくる馬の群れが見えた。

 若馬を引き連れて、バウランがやってくる。


      ◆


 土の民は長い時の中で土を耕す為に牛を使い、毛を刈る為に羊を飼うことを編み出したが、馬に乗ることは覚えなかった。

 その理由は単純で、土の民にはしっぽが生えているからだ。


「うぐっ、うぎぎ! あひぃん!?」


 馬から投げ出され、頭から土に落ちたのはこれでもう六度目になる。 馬に乗れずに振り落とされた回数を含めればその倍はあるだろう。 バウランが対決に備えて連れてきてくれた若馬が、シュウにはまるで乗りこなせずにいた。


 生まれて初めて乗るという経験の問題もあるが、最難関は揺れだ。

 馬の背には鞍という乗馬用の椅子みたいなものがあって、立ち止まっている馬に座る分にはそう悪くはない。

 だが、馬が歩き出すと地獄だ。 小刻みに揺れ動く馬の震動で尾の付け根が刺激され、背筋に痺れが走る。 手綱を握る手に力も入らない。

 そうしてさっきのように振り落とされ、土踏みも満足に出来ないというわけだ。


「クソが!」

「やはり、しっぽの生えている者に乗馬は難しいのでしょうかな」


 バウランは髭をさすりながら、まるで他人事のように言う。

 こっちに助け船を出しておいてなんてジジィだ。


 苦い顔をして横を見れば、ぱかぽこと音を立てて手綱をさばくカイナの姿があった。 こいつはこいつでなんで乗れるんだよ。


「しっぽが小せぇ奴はいいよなぁ! ケツが痛くならなくてよぉ!!」

「なんやと」

「ひいっ!」


 馬の前足が飛んできて、慌てて避ける。 馬の上から見下ろしているカイナに向かい、息をするより手軽に土下座を済ませて立ち上がる。 そのままバウランに向き直って問いかけた。


「おい、ほとんどの馬は試したがまともに乗れるのはないぜ。 どうするよ」

「一頭いたではありませんか」

「なんだと?」


 バウランが片腕を伸ばして指し示した先に一頭の馬がいた。

 馬のくせに脚は短めで、桃色がかった白い体毛がかわいらしい。

 そして何より、太い。 でっぷりと肉がついていて、首など他の馬の胴体くらいはある。 それもそのはずで、とにかく走りたがらない馬だった。

 シュウが乗った時にも三歩だけ歩いて立ち止まったので、尻に痛みは残らなかった。 良かったのはそこだけだ。


「いや、確かにあれは揺れなかったけどよ」

「はい」

「あれかぁ……?」

「わしがウルザ様に馬相撲を提示したのは、こういう時の為です」


 まだ生きていた頃の母がシュウに語り聞かせたところでは、馬相撲はその名が示す通り馬に乗った者同士がぶつかり合う競技だ。 ルールは単純で、先に相手を馬上から突き落とした方が勝つ。 相手を突き落とす為なら戦法は問われないが、普通は安全を考慮して刃物の使用を禁じている、と聞いた。


 今回は普通ではないので何も規制はない。

 そもそも木の棒で人を斬るようなウルザが相手では無意味な話だった。


 単純なルールであり、馬を走らせながらの複雑な攻防を避けることが出来るのでシュウにとっては確かに有利な種目だった。 バウランも一応シュウを勝たせるつもりはしているらしい。


「この牛さんみたいな馬でも、座ってられるなら上等ってことか?」

「少なくとも勝負の体裁だけは保てましょうな。

 それに、ブーカインの気性は大人しい。 悍馬の突進にも動じぬことでしょう」


 ブーカインと呼ばれた丸い馬がこっちに振り向いた。

 名前を呼ばれたことが分かるのだろうか。 賢いのかもしれないが妙に優しそうな眼をしていて、とてもではないが過酷な草原を走る生き物には見えない。


「こいつならやれる、わけじゃない…… 俺にはこいつしかねぇってことか」

「左様ですな」

「しかしよ、バウラン。 あんた、なんだって俺にここまで親切にしてくれる?

 風合わせの儀に賛同して、あんたに何の得がある?」

「貴殿の為ではありませんぞ」

「だろうが、ウルザが気に入らないのか?」


 そう尋ねるとバウランは首を横に振った。


「まさか。 ただ負けていただきたいだけです」

「どういうこった」

「ウルザ様は、本来気性のお優しい方。

 そして、戦いを腕試しの場と考えておられる」

「あいつがぁ?」


 言い返すとバウランが一瞬険しい眼をしたので、シュウは慌てて話の続きを促した。 ここでへそを曲げられでもしたら困ったことになる。 それにウルザから優しさなど欠片も感じないが、誇り高さはシュウにも理解できることだ。


「戦えぬ民間人を殺し、村々を破壊し尽くす送還の儀など、高潔なウルザ様には耐え難い苦痛のはず。 なんとかして翻意を促すことこそ、忠義と心得まする」

「苦痛って…… そんなら、送還の儀とやらの遂行をなかったことにしてくれたっていいじゃねえか。 なんか適当な理由つけてさ……」

「土の民ならそうして現実との折り合いをつけることを知恵とも呼びましょう。

 しかし風の民にとって、一度定まった決め事を覆すのは容易ではない。

 ましてウルザ様のこと。 きっかけ無しには止まれますまい」

「きっかけ、ねぇ」

「ウルザ様にとっては、敗北だけが理由になります」


 シュウがウルザとの果たし合いに勝つことで、心置きなく送還の儀を取りやめられるようにしたい。 バウランの目論見はそういうことなのだろう。

 堅物が上司だと苦労するだろうな。 少しだけバウランに同情しながら、シュウはブーカインの背にまたがろうと手をかけた。


「あが!」


 で、落ちた。


「くそっ、やっぱり上手くいかねぇ!」

「大人しいブーカインでも、確実とは参りませんか」


 風合わせの本番で馬に乗り損なえば、その時点で負けが決まる。 最初の課題が馬に乗るのを失敗しないようにすることだとは、我ながら情けない。


「なあ、頼むよブーちゃん。 せめて二回に一回でいいからさぁ」

「跨がるくらいは確実にこなせませんと、勝負どころではありませんぞ」


 そんなことは言われずとも分かっているのだが、乗り込もうと手を這わすとブーカインはと動くのだ。

 改めて、今度は強引に首に手を絡ませ、しがみつくように乗った。 すると背に上がることだけは出来たが、そのまま起きあがれなくなった。 かなり間抜けな格好で、とても馬上で戦うどころではない。


「ちくしょーッ!」

「困りましたな、これは」

「なんとかしろーっ! お前のせいだぞーっ!!」

「だらしないやっちゃなぁ」


 馬を歩かせてきたカイナが横に並んだ。 背筋をぴっしりと伸ばし、脚を畳んでいる。 正直見事な乗りこなしで、代わってほしいくらいだ。


「できねーもんはできねーもんなんだからできるようにしようと思ってもできねーもんだからできねーんだよ! ばーか!」

「はいはい」


 言葉にならない八つ当たりをやり過ごしたカイナは顎に手を当てて考え込む。 何かいいアイデアがあるのかもしれない。


「アレを使おか」

「アレ?」

「バウランさん、アレない?」

「アレとは?」

「ほらアレですわ、お子ちゃま向けのやつ」


 カイナは手振りでなんらかの道具を持ってきて欲しいと伝えたが、バウランは首を傾げた。


「失礼ながら存じ上げませんな、そのような道具は」

「おかしいなぁ…… おかんが確かに持っとったんやけど」

「同じ風の民でも、部族の違いで馬具が微妙に異なってくるものですので」


 考え込んでいたカイナはやがて地べたにしゃがみ込み、腰に提げた小袋から革ひもを取り出した。 その場でよりあげ、結び目を作っていく。


「何する気だ?」

「モノがないなら用意する。 そーいうもんやろ」


 そう言うとカイナは作業に集中した。

 ぎゅ、ときつく結び、短刀で余った革ひもを切り取ると、先端に輪っかのついた長い道具が出来上がる。 使い道はよく分からない。


「これ、鞍に付けてみ」

「あ、ああ」

「そっちやない。 輪っかを下にして」


 鞍には水筒などを括りつける為の留め具が最初からあるので、難しいことはない。 取り付けると、馬の腹辺りに輪っかが下がっている形になった。


「なんすかこれ」

「馬に乗る時、奥っ側に来る足をそこに入れる」


 言われた通りにした。 鞍に手をつき、馬の背に登る前に足を通す。

 輪っかは馬の左側についているので、シュウが通す足も左。


「お…… おお!?」


 身体が浮き上がるようにすんなりと、馬の上に登っていた。 この体勢で馬に乗り込もうとすると自然に左足で踏みながら登る形になる。 試してみれば簡単な話で、輪っかがはしごのような役割を果たしたのだ。


「すげぇ……!」

「な? 楽でええやろ。 うちは“うまのぼり”って呼んでた。 子どものころはこれで練習したもんよ」

「なるほど。 こういう道具があれば、子どもでも馬の背に乗れますな」

「すごいでしょ、すごいでしょ。 バウランさんも使います?」

「結構。 見事なものだが、私どもには少し易しすぎます」


 バウランは丁寧な物腰だったが、憮然とした表情をしている。 乗馬を誇りとする風の民には軟弱者の道具に見えるのだろう。 恐らくカイナの母が生まれた部族でも、子どもに乗馬を教える為に使っていたに違いない。


 だが、シュウは違った。 この小さな輪に見出した光は、錯覚ではない。


「……カイナ」

「何、降りられへん? しゃーないなー」

「こいつと同じのを、右側にもう一つ……」


 いや、まだ足りない。


「この“うまのぼり”とやら、鉄で作れないか?」

「……なんやて?」

「あいつに勝てるかもしれねぇ」


 描くべき魔法の形は見えた。 後は、それがウルザに届くかどうか。

 無謀な戦いを、試すに値する賭けに変えられるかもしれない。

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