第3話『鷹のウルザ』(5/5)

 ウルザの騎馬隊が、ナグハの道を突っ走った。

 シュウが広げさせ、砂利を敷き詰めさせて舗装した道を、軽快に走る。

 人馬一体が信条の騎兵たちが初めての走り心地に感嘆の声を挙げ、振り落とされそうな者さえいたほどだ。 これが風の民との協定によって実現した行軍であれば、どんなに誇らしかったことか。


 敗残の将を連れる見せしめの矢面で、流れゆく景色をぼんやりと見ていた。

 田を埋める若い稲穂の群れ。 黄金色の秋には、もう届かない。


 防壁で囲われたナグハ新市場の兵が騎馬隊を迎えた。

 万一の為に残しておいた守備兵も、応戦しない。

 棒の先に括り付けられたシュウをかざし、ウルザが勝利を告げたからだ。


 こうして戦わずして、重い門が開かれた。


 市場の中央。 井戸を囲う活況の源に、いつもの賑わいはない。

 集まってきた者たちが遠巻きにこちらを見ている。

 クリクにカイナ。 それにティラードたち軍人。 サフィラや長老の子息たち、市場の事務方の面々。 そしてナグハの長老たち。 誰もがシュウを見ていた。 色々な感情を宿した眼差しが、シュウの胸に食い込んだ。


 無言で隊を進めていたウルザが、シュウを括り付けたままの棒を軽く振る。


「ぐっ!?」

「シュウ殿っ!!」


 棒に巻き付いていた縄が解けて、投げ飛ばされたシュウが地面に落ちた。

 クリクとカイナが何人かの兵士と共に駆け寄ってきた。

 俺はもう負けた。 その意味が、彼らには分かっているのだろうか。


 ウルザはシュウに新たな拘束を加えようとしない。 情けをかけたというより、必要がないと判断したからだろう。 牙を折られた獣など、ウルザの眼中にはない。


「決定を告げる」


 何の前置きもなしに、ウルザが話し始めた。

 ざわめきが続いていた広場が、静まり返る。


「お前たちの長、シュウ・ヴォクン・オミは戦いに敗れた。 よって、これより送還の儀を執り行う」

「送還の、儀?」


 長老のひとりが進み出て問い返した。 へつらいの笑みが浮かんでいる。

 魂胆は分かる。 敗北の責任を直接戦った者たちだけに留め、保身を図ろうという長老たちらしい考えだ。 それを気に入らないなどと言えない。 シュウが長老たちと同じ立場なら、そうしていたかもしれない。


 だが、どうせ交渉の余地などない。 全ては無駄だった。


「土の民が神々から奪い取った大地を、全て返してもらう。 土を耕して生きようとする人間の命もまた、全てだ」


 ウルザが冷たく告げた。

 用意していた言い訳が何も使えなくなって、長老が固まった。

 時間を稼ごうとして、別の長老が詳しい意味を問いかける。


 つまらないものを見る眼をしながら、ウルザは言葉を足した。


「お前たちを殺す。 お前たちの住む家を壊す。 お前たちの耕した畑を焼き払う」


 叫喚が起こった。

 市場に閉じこめられた全ての者たちが何事かを叫び、訴え、泣いている。

 逃げだそうと走り去っていく者もいる。 シュウの周りに、集まる者たちもいる。


「シュウ殿…… シュウ殿ッ!」

「お助けを、シュウ様っ!!」

「シュウ様ーっ!!」


 クリクがシュウに向かって叫び、顔なじみの兵士たちが後に続いた。

 策を求める叫び。


 クリク。 お前は俺に真正面から異を唱えておいて、まだ頼ろうというのか。


 どうしてなんだ、とシュウは思った。

 お前の信じてきた商人の世界を潰し、王の道へと進もうとしてきた俺を。

 勝たねばならない戦に敗れて全てを失おうとしている俺のことを、どうしてそんな眼で見ることが出来る。


 どうしてなんだ。 分からない。 理解できない。

 カイナは唇を真一文字に結び、シュウを見ている。 恐れも怯えもない。

 こんな時でも、お前は変わらないのか。 どうしてなんだ。


 グレンが打ちのめされ、ハコンが死んだ。

 残ったティラードは、本物の勇者に挑める器ではない。

 俺は負けた。 全てを失って文句のひとつも言えなくなる、完全な敗北だった。


 それなのに。


 それなのに、立ち上がっている。 前へ進んでいる。

 黒い馬にまたがるウルザの前へ、俺は歩んでいる。


 どうしてなんだ。

 俺は全てを知ってきたつもりなのに、自分のことさえ分からなくなったのか。


「待てや、ウルザ」


 分からないまま、行くしかない。


「何の用だ」


 ウルザの冷たい声が、吹き抜けた。 背筋を凍らせる声の威力が、実力を目の当たりにした今は一〇倍にも一〇〇倍にも感じられる。


 それでも、止まれない。 止まってはならない。


「送還の儀を、中止しろ」

「虫けらが」


 勇敢に戦った男たちを侮辱するな。

 言葉の奥に秘めた感情が、義憤に満ちているのが分かった。

 構わない。 この女を相手に機嫌取りなど無駄だ。

 出来ることを、やるしかない。 そう、全てやる。 ぶちまけてやる。


 両手を左右の耳にあてがった。 耳飾りに爪を立てる。

 革の耳飾りは、幼き頃からのシュウの相棒であり、戦友だった。 シュウが心に秘める恐怖や興奮を隠してくれた。 だが相棒は、感情より大事なものをシュウに秘匿させてくれていた。


 今、この瞬間まで、ずっと。


「シュウ、殿……?」


 耳飾りを外した。


 男たちが黙った。 女たちが泣くのをやめた。

 逃げ出して石壁の中ほどを昇っていた者が、振り向いてシュウを見た。

 恐慌状態が収まり、市場の誰もがシュウのある部分を見ていた。


 革細工を取り払ったシュウの耳には、切断の跡がある。

 生まれた頃には長く鋭かった。 そして、羽毛がなかった。

 その長い耳を斬り落として、傷口を火で炙った痕跡がある。

 焼け爛れて丸みのない奇形の耳に、誰もが本来の形状を幻視した。


 ――シュウの正体は、長耳。


 晒された事実が知れ渡り、一切の音が消える。

 シュウはウルザへと魔剣を突きつけ、奏じるように語る。


「我が身体に半分流れる血を証とし、部族の決定に異を唱える」

「同族か」


 何の感慨もなさそうにウルザが言った。

 全てを滅ぼそうとする最悪の敵が、すんなりと自分を同族として見ている。

 そこに運命の皮肉を感じている余裕など、今はない。


「大戦士ウルザ! 風合わせの儀にて、ここに審議を求める!」


 風合わせの儀。

 それはすなわちウルザとの、一対一による果たし合い。


 どんな条件を突きつけても勝てる相手ではない。

 それでもシュウの中に根付く何かが、このまま死ぬなと叫んでいる。

 だから応える。 自分の声に、従う。


「まさか嫌だなどとは言わせねぇぞ」


 かつて王を目指した男の、最後の悪あがきが始まる。


(第3話『鷹のウルザ』了)

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