第3話『鷹のウルザ』(3/5)
シュウはサフィラを伴って屋敷の周りを歩いた。 早速明日から働いてもらう予定なので、まずは案内をと考えたのである。
屋敷は昔はナグハの最長老が使っていた邸宅を譲り受けたもので、今は自宅兼ナグハ新市場の司令塔として使っている。 広々としていて部屋数が多く、新市場の中枢として十分な許容量を持っているが、働き手の数は不足気味だった。 長老たちの子息に初歩的な算術を扱える者が多かったことは幸いだったが、その子息たちも神聖二千文字は全く読み書きが出来ない。
サフィラは頬に片手を当て、悩ましげな顔をしていた。 地獄のように忙しい日々を想像したのかもしれない。
「まあ、たまには休みの日があるさ。 一ヶ月に一回くらい」
そう言ってやると、サフィラは渋い顔をした。
ぜいたくな。 クリクなど今日が三ヶ月ぶりの休みだぞ。
屋敷を横手から抜けて川のそばを歩いていくと、カイナの工房に行き着く。 鍛冶仕事には水辺が近いことが第一だ、というのがカイナの話。 何かあると様子を見に行けるので、シュウにしてもいいことだった。
「カイナと会ったことは?」
「いえ。 噂だけなら何度か、ですね」
いい噂か、悪い噂かは分からない。 カイナが作った武器のお陰で戦では負け知らずという評判は広まっていたが、市井の人であるサフィラにとっては、長耳であるという評が先に立っているのではないだろうか。
どんな噂かはあえて訊かず、どんな奴だと想像しているかだけを尋ねるとサフィラは顎に手を当ててちょっと考えてから答えた。
「……迫力のある方、でしょうか」
「ほう」
配慮した言い方なのだろうが、概ねの世評は分かる。 自ら作り出した武器で男どもを従える長耳の魔法使い。 女傑といったところか。
小柄なカイナの姿を思い出して、シュウは軽く含み笑いを漏らした。
「す、すみません。 何かおかしかったですか」
「おかしかった。
「はあ」
「ま、会ってみれば分かるさ」
それだけ言うと、シュウは鍛冶場に足を踏み入れた。
カイナの鍛冶場も、ナグハ到着直後に作らせたものから様変わりした。
少しずつ手が加えられた建物は
ガン! カキン! ガキン! ガキン!
ギココッ! ギコッ! ガンガンガンガンガン! ドコンッ!
ブジュワッ! ブジュワァァァァ! である。
鉄を叩く凄まじい音で、シュウは耳を塞いだ。 サフィラは圧倒されたように後ずさりをし、元々先の丸まったしっぽをさらに小さく畳んでいる。
働き手として加えた兼業農家が鉄の評判を聞いてから定着したのだが、これほどまでに騒がしくなっていたとは。
音に怯えて逃げ帰ろうとするサフィラを引っ張りながら鍛冶場の奥へ進んだ。 蜜柑色の髪を見つけて、シュウは声をかける。
「おい、カイ――」
「油断するんやなーいっ! お火さんはあんたらが目つぶってる間にも機嫌わるなるんや! めんたまから血ぃ出してでも見守れ!!」
「は、はいぃ!」
カイナが吠えると、屈強な見習いの男が吹き飛んだ。 殴り飛ばしたのかと思うほどだったが、どうも声音で仰け反っている。
シュウほどの大声ではないが、音を濁らせて叫ぶのである種の迫力では上だ。 言われた方は小柄なカイナが何倍にも大きく見えるだろう。
それが証拠に、叱られた男は猫のように小さくなってぺこぺこしていた。
「あ、あのー、あのねー、カイナぁ」
「ん」
隙を見て呼びかけると、カイナはやっとシュウに気がついたように一瞥をくれた。
「あとにしろ」
どすの利いた声だった。
なにも言わない内から切り捨てられ、シュウは口をぱくぱくと動かした。
やあ、の形を取った手が、所在なさげに空を漂う。
「……あの人が、カイナさん、ですよね?」
「ああ」
「怖くないですか……?」
否定はしない。 出来なかったからである。
しばらく所在なさげに鍛冶場の端で時間を潰して待った。 サフィラが立ち去りたそうに出口の方を何度か見ていたが、取り合わない。
ただの見物で来たわけでもなかったが、カイナの都合には合わせよう。
「よし、それまで! やめ!」
カイナが号令すると男たちが一斉に手を止める。 ひと段落したらしい。
どうやら今までのは鍛冶の稽古だったようで、男たちは作業台の傍に座ったまま、カイナに評してもらうのをじっと待っている。
「あんたはぬくめすぎ」「あんたは焦りすぎ」「悪くないけど仕事が遅い」「横着したらあかんやろ」
順番に見て回りながら、カイナは一言で出来映えを断じていった。
「みんな、まだまだやね」
弟子たちがうつむいた。 働き手という建前で雇ったのだが、こうして彼らの様子をみるとやはり弟子という表現しか思い浮かばない。
「何度も言うたように、鍛冶の近道はお火さんと仲良うなることや。 焦って小豆色の鉄を引き出す、見逃して鉄を黄色くしてまう。 こういうミスが未だに多い!」
「すみません!」
「コツを掴めるようになる為にも、片目つぶってしっっかり炉の中を見とくように」
「ありがとうございます!」
「ぬくめた鉄の色は、お蜜柑の色が目安! つまりはうちの髪の色や! ええな!」
「へい!」
「うちもお爺ちゃんにはめちゃめちゃ言われてきたで! 一個ずつ直していこな!」
「へい、姐さん!!」
「よし、ほな一旦休憩しよか!」
ぱん、とカイナが手を叩くと、男たちが散った。 言われた通り休む者もいれば、答えを求めるように炉の奥をじっと見つめている者もいる。
質問に来た弟子に丁寧に教えてやってから、カイナはようやくシュウの方にやってきた。 のしのしと歩いてくると、子供くらいの身長を感じさせない。 頭の上から湯気が立っているようにも思えた。
「で?」
「お前、姐さんって呼ばれてんのか」
「気がついたらそうなってた」
いかにも面倒臭そうな口調でカイナが言う。 額には汗がびっしりと張り付いており、鼻先についた汚れを拭おうともしない。 すぐにも鍛冶仕事を再開したそうなところがカイナらしく思えた。 サフィラがこの職人を見てどう思ったのかは、よく分からない。
「しかしずいぶん張り切ってるな」
「他人様に教えるとなると、話違うからな」
「どうだ、あいつら。 使い物になりそうか?」
「みんな真面目やし、きっと上達するよ。 それがいつ頃になるかは分からんけど」
「そうか」
カイナは、父や祖父に教わったやり方をそのまま実践しているわけではなく少し一足飛びに教えているのだと話した。
「うちの時は向こう槌に三年かけてもろたけど、そこまでせんでもええんちゃうかと思て」
どういう仕事なのかはよく分からないが、シュウはとりあえずうなずいた。 鍛冶の事は一切をカイナに任せているので、口を挟む筋合いはない。
シュウが鍛冶場に関わっているのは、次はこんな武器を揃えて欲しい、などといった注文だけで、それも今のところよく応えてくれている。 鉄鉱山からの供給はまだまだ細いというのに、鉄の槍を一〇〇本は作ってもらっていた。
「んで、結局何の用なん? 後ろのお姉さんのことも気になるんやけど」
「おう、そうだったそうだった」
サフィラがおずおずと進み出て、カイナにお辞儀をした。 丁寧な所作で、騒がしく汗くさい鍛冶場の雰囲気がふっと和らいだ気がする。
「サフィラと申します」
「こ、これはごていねいに、どうも……」
最近はずっと粗野な連中に混じって仕事をしてきたので慣れないタイプだったのだろう。 カイナはちょっと頬を赤くすると、鼻の頭を気にした。
気にして、シュウの服の裾を掴んだかと思うと、そのまま顔をごしごしと拭き始めた。
「おい」
「やー、すまんな」
安物ではないが、まあいいだろう。 このくらいで日頃のうっぷん晴らしになるのならむしろ安いかもしれない。
カイナが顔を上げた。 服は真っ黒になったが、顔はぴかぴかだ。
「カイナです。 よろしゅう!」
手袋をとって右手を差し出すと、カイナは白い歯を見せて笑った。 シュウに対しては見せてくれたことのない表情だ。 自業自得だろうか。
「よろしくお願いします、カイナさん」
サフィラは躊躇いなくその手を取り、微笑み返す。 長耳が相手だろうと、身体の汚れる仕事をしていようと気にしないらしい。 神殿務めとしては模範的な態度ながら、実際にこうあれる者は少ない、という振る舞いをしっかりとやっている。
これなら働き手としても信頼は出来るだろう。
「サフィラは文字のエキスパートでな。 神聖二千文字を扱えるんで俺が書くまでもない文なんかをやってもらうことにした」
「へーっ。 賢い人なんやね」
「いえ、そんな。 たまたま神殿に生まれただけですから」
「いやいや。 うちもお爺ちゃんからいくつか教わったけど、あんまり身につかんかったよ。 むつかしい言葉が入ってなければ読めるけど、書くのはよう書かん」
それは知らなかった。 カイナの祖父というのも、かなり謎めいている。 鍛冶の技術だけでなく神聖文字の読み書きまで出来たとしたら、相当なものだ。
「にしても、サフィラさんやっけ。 かわいそうやな」
「可哀想、ですか?」
「あんたもこいつに眼ぇつけられたんやろ?」
「あ、はい。 ……いや! 眼をつけられたというか、その……」
「ええねんで、我慢せんで。 うちもや。 無理矢理引っ張ってこられて、気ぃついたらこんなことになっとった」
ずいぶんな言い草だ。 確かに有無を言わさず連れてきたのは事実だが、カイナにとってもあのまま山小屋に隠れ住んでいるよりは今の方が楽しかろうに。
それに、サフィラに笑いかけたあの表情も気に食わん。 弟子たちにも優しい言葉をかけてやっていた。
俺には邪険に接するばかりなのに、他の奴には甘い顔をするのか。
なんとなく面白くなかったので、シュウはむくれて横を向いた。
「なんや?」
「……なんかさ、お前、俺に冷たくね?」
「傷ついたか?」
「傷ついたな。 もっと俺に優しくしろ」
横を向いたまま、目線だけカイナに合わせて言った。 ちょっとだけ本気である。
カイナは眼をぱちくりさせてから、にっこりと微笑んで言った。
「ざまぁみろ」
「こいつ!」
猫の手のように拳を軽く繰り出すと、カイナはそれを軽く受け止めて鼻で笑う。 それもこれも嘲笑である。 求めているのはこういうのではないのだ。
しばらくぺしぺし拳をぶつけていると、サフィラの肩が小刻みに震えているのに気がついた。
口元を拳で隠すようにして、笑っている。 笑い方まで上品だった。
「なんだよ」
「あ、いえ…… おふたりは仲がいいんだなって」
ほう。
「聞いたか、カイナ!? 俺たち仲がいいんだって!」
「ほー、そうか。 夢見れて良かったな」
またカイナが小馬鹿にした答えを返すと、またサフィラが小刻みに笑った。
シュウとしては、あんまり面白くない。
面白くないのだが、いつの間にか笑っていた。
こういうのも、悪くない。 そんな言葉が、自然と頭の中に浮かんでいた。
「シュウ様ーッ!!」
鍛冶場の外から声がした。 兵士が転がり込んでくる。
シュウは顔から笑みを取り除き、振り向いた。
兵士は伝令を聞き届けてここまでシュウを探してきたらしく、よろけながら寄ってくる。
自分から兵に近づき、間近に耳を寄せて話を促した。
「どうした。 何かあったのか?」
「み、南監視塔より急報です」
「賊か?」
市場南側には目立った敵対商会の姿もないので、あまり向かったことがない。
賊が出てもおかしくないが、農繁期の
こらしめに行くか。
軽く算段を付けたが、話の続きを聞くとそうも言っていられなくなった。
「それが、四つ足の獣に乗った連中が、領域の外で野営しているそうで……」
「なんだと……!?」
「シュウ様を呼べとだけ言っています」
四つ足の獣――馬。
人間には動物の上に乗るという習慣がないが、そうでない者たちもいる。
ナグハ市場の支配領域よりも南にはメイブラント平野があり、その地は肥沃と考えられているにも関わらず、数百年にも渡って開墾の手が及んでいない。
その理由は簡単で、開墾の為に勢力を伸ばした者たちが追い払われたからだ。
大地を耕しそこに定住することを好まず、あるがままの自然と共存することを良しとする、勇猛なる部族。
馬上に国家を築く者。
風の民が、シュウに会うためにやってきた。
革飾りに覆われた耳が、じくじくと疼く。
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