第2話『三人の勇者』(6/6)

 戦いは終わった。

 荷揚げ場に残ったのはおびただしい数の死体と、打ち捨てられた武器防具の数々。

 そして、宝物を満載した蔵だった。


「十八人の軍隊、三〇〇の敵兵を相手どり、ひとりも欠けることのない大勝利…… 見事だったぜ、お前たち! ゾクゾクさせてくれるじゃないか!」


 整列した兵士たちを前にしてシュウが褒め称える。 一同は現実感を持てずにいる様子だったが、誰もが頬をほころばせて賞賛を受け入れていた。

 クリクひとりが素直に喜べずにいる。

 あんな戦いが、本当にあって良いものなのか。

 勢いに流された自己嫌悪も手伝って、心が重たくなった。


「みんな疲れたろうとは思うが、その前に最後の一働きだ。 バルト商会の宝、ひとつ残らず持って帰るぞ!」

『おー!』


 元気の良い返事がいくつも続いた。

 そんな中でティラードが一歩進み出て、シュウの側に歩み寄る。


「それよか、今日の一番手柄は結局誰なんでございますかね?」


 長い髪を指先でつまみながら問いかける。 聞くまでもないが、という雰囲気だ。 ハコンが肩を怒らせ、グレンは痰を吐くかのようにそっぽを向く。


「俺が見た感じじゃあ、最初に親玉に一太刀入れたのはお前だったな」

「でしょう」

「中々の手柄だったよ。 だが、一番はやれない」


 シュウの答えを聞いて、ティラードの顔が赤くなる。


「なんでさ!」

「俺の声を一番最初に聞きつけて、素早く走り出した。 そこがお前の手柄さ。 悪くはねーが、デブを仕留める前に勝負は決まってたろ」


 そう言うと、シュウの指先はグレンの方を向いた。


「初めに敵中へと切り込み、その後も強敵ばかりと選んで戦ったグレン。 今日の一番はお前だ」

「おかしら」


 グレンが顔を上げた。

 頬を赤く染めると、鬼神の如き戦いぶりが嘘のように少年の顔つきに戻っていく。


「誰よりも多いお前の切り傷を見て、違うと言えるものはいねーよ」

「おかしらぁー!!」


 飛び跳ねたグレンがシュウに抱きつく。

 上半身に組み付かれ、シュウがよろめいた。


「ぐわっ! よせ、犬じゃあるまいし! 暑苦しいぞ、それに臭ぇ! くっさ! 血の匂いがぷんぷんする!!」

「おかしら、おかしらぁ!」


 じゃれつく勇者と、疎ましそうに振る舞いながらも笑顔を隠せない大将。

 その姿に、げらげらと笑い声が飛び交った。


 クリクには笑えない。

 あんな殺し合いの後で、どうしてみんなが笑えるのか理解できない。

 まるで、全員が賊にでもなってしまったように思える。


 あまりにしがみつかれるので諦めたのか、シュウは背中にグレンを乗せたまま再び話し始めた。 きりりとした真顔ににやつきながら、兵たちが耳を傾ける。


「グレンの活躍は俺たちに勝利を連れてきてくれた。 だが、負けない為に支えてくれた者もいる。 お前たちには、それが誰だかわかるよな?」


 問いかけに、兵が一点を見つめた。

 戦場の中央で敵の抵抗を裁き、鉄の剣を持たない兵を支えた男。

 そんなのはたった一人だ。


「そいつはハコン!」「ハコン殿だ!」「決まってる!」


「その通り! 聞いたか、ハコン! 二番手柄はお前のものだ!」

「いえ、私などはさほどの男ではありません」


 反射的に進み出たハコンが、いつもの調子で返事をする。

 華のない男。 しかし、頬を軽くかいた。 はにかんだのだ。


「いずれ誰かが果たした役目です」

「お前以外にあの剣を軽く振るえるものがいるなら、そうだろうな」


 シュウがちょっと意地の悪い顔で言うと、周りの兵も似たような顔をした。

 ハコンは咳払いをして、右と左を向いて、それからまた口を開いた。


「あ、いえ、その…… では、ありがとうございます」

『ハコン殿ー!』


 グレンの影響でも受けたか、兵たちがハコンに飛びついていく。 ハコンより年上の者までいるであろうに、誰もが無邪気な顔をして大男にしがみつく。


「よ、よしてください、皆さん。 よしてください……」


 シュウと違ってよろめかないハコンの強靱な足腰は、男たちが十人でも二十人でも乗っていられそうなほどだ。 わやくちゃにされるハコンを見て、グレンを背負ったままのシュウが高笑いした。


「そして、三番目の手柄」


 ティラードが背筋を伸ばした。 今度こそは、といった顔つきをしている。


「ま、納得はいかねぇけどぉ……」

「カイナさん」

「え?」


 シュウの頭に手を添えて背負われていたグレンが、ぼそりと呟いた。

 唇の端を歪めて、シュウが上を見る。


「三番は、カイナさんだ」

「う、うち?」


 黙って騒ぐ男どもを見ていたカイナがこっちを見た。 グレンはカイナに眼を合わせてゆっくりうなずく。


「だってそうだろ。 カイナさんの剣がなけりゃ、俺はあんなに戦えなかった」


 両腕を伸ばしたハコンの上で三角錐の形に積み上がった男たちが、黙った。

 長耳の力で手にした勝利。 そう認識し直したのかもしれないが。


「……グレンくんの、言う通り」


 枝になった男たちを支える大木の幹と化した男、ハコンが呟く。

 身体に仲間を乗せたまま、一歩ずつ踏みしめて歩み出る。


「カイナ殿の剣を振り、敵を倒した時…… 私は心底、敬服した」

「あ、ああ…… おおきに……」

「あれほどに強く、たくましく、雄々しい武器を、私は使ったことがない」


 多弁だ。 ハコンが、饒舌になっている。


「非礼をお詫びします、カイナ殿。 きっと貴方は、私どもの女神様になる」

「女神てあんた、それは大げさ…… ちょ、ちょい待て。 こっち来んな!」


 ずしん。 ずしん。 ずしん。 ずしん。

 巨人が立ちふさがり、カイナの前にで出来た長い影を落とす。


「今日という日の勝利を得て、私はシュウ殿になら命を賭けられる、と思いました。 そして命を預けられるのは、カイナ殿。 貴方のその細い腕と心得た!」

「あかんむっちゃ怖い! なんとかして!」

「ガハハ」


 ハコンに乗る男たちにも、その熱が通じたのだろう。

 黙って見守っていた者たちが笑顔になった。 抵抗感など本当はなかった。 カイナに信を寄せたいと、心の中で思っていた。 ハコンがその口火を切ったのだ。


「ああ! 俺たちも同じ気持ちだ!」

「俺らだって、カイナちゃんのお陰で生きて帰れたようなもんだ!」

「ありがとう! カイナ! ありがとう! ハコン!」

『あーりーがーとー…… おぉぉー!!』


 何故か息ぴったりに、男たちが高らかに歌い出した。

 全員が笑顔で、うっとりしたように野太い声をひとつにする。


 これはちょっと、本当に怖い。

 カイナはシュウの背中に隠れて縮こまり、シュウは何故だか自慢気に胸を反らせていた。


 後を引く合唱が静まると、ようやく、というようにティラードが進み出た。

 手柄も賞賛も逃したという不満が露骨に出ている。


「納得いきませんなぁ、俺だってがんばったんすよ? それが四番目とはね」

「ん、残念だった。 次はもっとがんばってねぇ」

「旦那ぁ!」


 からからと笑い飛ばしてから、シュウはティラードの肩に手を置いた。

 さながら人間の樹と化したハコンを親指で指して語る。


「そう気を落とすなよ。 お前、あいつらにモテてうれしいか?」

「……うれしかねぇですね」

「なら、気にすることねぇだろ」

「そんなわけにゃあ」

「ティラード。 俺たちは今日、でっかいことをやったんだ」

「そすね」

「四番目でも、女にはモテる!」

「あっ…… そっかぁ!」


 モテていいんだってよー! ティラードは頭の上で手を叩き、共に戦った四人と肩を組んで踊り始める。 結局、彼も頭の出来が単純だったらしい。


「さぁて。 手柄の話も片づいたところで、話を本題に戻そうか」


 兵たちが居住まいを正す。 シュウの命令が、よく通る。

 もう、彼の声を疑う者はいなくなった。


「改めて言うまでもねぇが、宝を持って行く。 一応言っておくが、勝手にふところにしまうと痛い目に遭うぞ。 ま、グレンかハコンのどちらに手を斬り落としてもらうか…… そのくらいは選ばせてやる。 我が軍の勇者が怖くなけりゃ好きにしろ」

「オイラは? 選択肢に入ってないの?」

おもにお前に言っとるんだよ」


 口を挟んだティラードがシュウにすげなく切って落とされた。 軽くあごをかいて苦笑いする様に性格が出ている。


「お前たちへの褒美は後で全員分を一度に渡すから、慌てずに待て。 宝物は慎重に扱え。 以上! わかったな!?」

『はっ!』

「では行け。 西門の傍に牛車があるから、まずはそいつを牽いてきな。 帰りは楽ができるぞ」


 シュウが手を振ると、男たちがぞろぞろと歩き出した。

 ハコンを、グレンを、ティラードを、自分がついて行くべき相手を見定めていて、きちんとついていく。


 クリクだけは動くことが出来ず、しばらくその場に留まっていた。

 シュウと話をさせる為に、身体が動きを止めさせたのかもしれない。


「……どうした、クリク。 早く行けよ。 お前が数えてやらんと奴らは戦利品の整理も出来ん」

「教えてください、シュウ殿」

「何を?」

「こんなことをして、どうするつもりなんですか」


 またそれか。 飽きないねお前も。 シュウは呟いて横を向いた。

 夜の湖に、逆さまの三日月が浮いている。


「勝ったから良かったなんて、俺は思わない。 一度命を狙われたからといって、今日の戦がやっていいことだとも思わない……」

「言ってみろ。 言いたいようにな」

「商人から宝を奪い、しかも殺すなど、同じ商人のやることじゃないでしょう!? 賊と何が違うというんですか!?」


 シュウは湖面をじっと見たまま、クリクの方には振り向こうとしなかった。

 夜風が吹いて、黒髪が揺れる。


「人を殺して手に入れた富で、ナグハ新市場は繁栄しない! オミ商会の名にも傷がつく! 貴方は大旦那様の息子なんですよ……」

「それで?」


 なんでもないことのように、シュウは言った。

 クリクの眼の奥で、かっと熱が昇る。 目の端が赤くなる。 我慢しきれない。


「貴方は…… 貴方は商人なんかじゃないッ!

 シュウ殿に商人をやる資格はないッ!!」


 言った。 言ってしまった。 目上の人物に、直接の主人に対して。

 もう終わりだ。 だけど、終わりでたくさんだ。 自分の信じるものが壊されていくのを、もう見たくない。


「今さら気がついたのか」


 シュウがクリクの方を見た。 やはり当たり前のように、そう言った。

 いつもと変わらない緊張感の薄い表情。 眼の色は、夜よりも深く青い。


「俺には商人を続ける気など最初からない」

「えっ……?」

「俺だけじゃなく、オミ商会にもな。 そしてこいつら…… バルト商会だって」


 何を言っているんだ。


「ゲンガン大市場でデカい顔をしてる連中はな、みんな同じだよ。 口では否定するだろうが、心の中じゃ誰もが同じ方を向いている」

「何を、言いたいんですか」


 大量の宝を前にはしゃぐ男たちの声が、遠くに聞こえた。 足下がふらつく。


「豊かな富を持った商人連中が話し合いや金品の投げ合いで政を執り行う。 俺たちが生まれた時は、まだそれが当たり前だった。 都というのは大市場のことで、国というのは商人の縄張りの集合体だと、誰も疑ってはいなかった」


 そうだ。 それの何がいけない。 何が間違っている。

 反駁が、言葉にならない。


「でもな…… クリク。 時代というのは、必ずどっかで切り替わるもんなんだよ。 富を左から右に動かすだけの連中が頂点に立てるなんて甘い話、いつまでも当たり前のわけはないだろう?」


 シュウが風に揉まれた髪をかきあげると、ふちを革細工で覆われた耳が見えた。 もしかするとその耳飾りで、クリクには聞こえない音を聞いているのかもしれない。


 きっとシュウはクリクと同じものを見て、同じ音を聞く人間では、ない。


「富を武力で叩きのめせば、たった一人の意志で政を執り行うことが出来るようになる。 そう気づいた者が何人もいるからには、競争するしかない」


 今日の俺は、確かに山賊。 お前の言う通りだ。

 シュウの声が、頭の奥で反響する。


 わからない。 本当にわからない。

 なのに、シュウの傍らで見てきたこれまでの光景が、わからせようとしてくる。

 残酷な戦い。

 新しい技術。

 頭角を現す者。


 魔法使いに、勇者。


「ただ一人であまねく大地を支配し、己の思うがままにしきたりを作り替え、逆らう者を根こそぎ蹴散らす絶対存在。 それを、“王”と呼ぶ!」


 王。 そんな言葉は知らない。 クリクの学んできた常識にも歴史にもなかった。 時の流れに刻まれていない言葉が、足下を叩いて揺らしていた。


「今は賊でも俺の戦いはやがて王へ至る道! 途中で俺が死ねば、全部俺の間違い! 最後の最後まで勝ち続ければ、俺が正しいってことさ!」


 勝った者こそが正義であり、敗者はすなわち弱者の世界。

 それが、王の時代だと言うのか。

 そんなことが、許されていいのか。

 いいはずがない。 常識だ。 倫理だ。 道徳だ。


 だが、それすらも、王の力が踏みつぶすとしたら――


「お前も今の内に慣れろよ。 そっちの方が、きっと生きてて面白いからな」


 シュウが微笑んだ。 柔らかく、邪気の抜けた表情。



 ――どうしてこんな時に限って、この男は悪魔のようには笑わないのだ。


(第2話『三人の勇者』了)

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