第2話『三人の勇者』(5/6)
草を刈り、土に一段の溝を掘り、そこに砂利を敷き詰める。 始めさせたばかりの道路工事の現場を横目にシュウはナグハを出発した。 総勢は予告通りの十八人。
賊徒であった若者たちから預かった青銅の鎧はシュウとクリク、それから将校に任命した三人の男たちに与え、大部分にはごく一般的な編み蔦の鎧を与えてある。
カイナは鍛冶仕事の時に着ている丈夫そうな服に黒いマントを羽織った軽装でついてきている。 小柄な為、着られる鎧がなかったのである。
無論、敵に襲われればひとたまりもないが、カイナに危険が及ぶような戦ぶりではどの道負けが見えている。 問題はなかった。
「考え直してください、シュウ殿。 こんなのは無謀です。 それに商人のやるべきことじゃない」
ともすれば、こちらの方が問題かもしれない。
シュウの耳元でクリクが途切れることなく制止の言葉を垂れ流し続けていた。
ナグハを発してから何度同じことを言われただろう。 次に言い出すことも容易に想像がつくほどだ。
ほら、言うぞ。 ただの妨害ならばさておき。
「ただの妨害ならばさておき、直接積み荷を奪うなど言語道断。 商人の風上にも置けない行為ではありませんか」
どう考えても商売にかこつけて俺の命を狙う方が問題だろ。 お前は自分もバルト商会に殺されかけたのを忘れたのか。 そう言いたくもなるが、聞こえないふりをして脚を進め続ける。 調べさせたところでは貧しい生まれだと聞くが、商人像が堅苦しすぎるのはそのせいだろうか。 損な奴だ。
商人なんぞ、今に大したものではなくなるというのに。
「商人というのは、戦ではなく富で相手を制するものでしょう。 だから族長や村々の長老ではなく、商人が政を執り行うのではありませんか。 力で争いごとの解決を計り、略奪で富を肥やすのでは、やっていることが…… ぶぎゅ!」
「騒ぐな。 もう敵地だ」
軽く肘打ちを見舞い黙らせておく。
行軍の間にもう太陽は沈み、月の灯りだけが大地を照らしている。 隊列を茂みに行かせ、その先頭を腰を低くして歩いた。
「……見えたぜ。 宝の山がよ」
草木を分けて覗き込んだムース川流域の風景は月が薄く照らすばかりで、細かいところまではほとんど判然としない。
しかし、一面にかがり火を煌々と灯らせて連なる木造の蔵が、闇の中でその存在を主張している。 蔵の周辺には長屋と思しき住居に加えて、物見台までそびえている。 遠目にはその敷地内を、いくつかの光が直線的に動いているようにも見てとれた。 見回りの兵士が数多く駐屯している為だろう。 客を招き入れる為に作られる市場のものとは違って意匠に工夫は見られないものの、動物避けに打たれた柵もしっかりとしている。
蔵を襲う。 そう口にすると手軽な仕事にも思えたが、こうして目の当たりにしてみれば話は別だ。 万全の警備体制が整えられた、小さな砦に等しい。
「……うーん、詰めているのはざっと五〇人くらいかね」
振り向いて適当な嘘を教えた。
事前の調査によれば、三〇〇人近い兵が常に守っているはずである。
大負けに負けた数字を教えられてなお、兵士たちの表情は晴れない。 自分たちの三倍近い数、とまで理解できるほど学のある者はいなかったが、不利なことは状況で分かる。
表情ひとつ変えていないのは、ハコンだけだ。 その背中に無骨な拵えの大剣がよく馴染んでいる。 泰然とした構えは、茂みに隠れていようとも勇者に相応しい威容と言える。
それにひきかえ、後のふたりはどうだ。
「グレン」
「へ、へい」
緊張を隠しきれない声で賊上がりの少年、グレンが返事をする。
大理石の印璽を取り上げた後、グレンにはいいものをやると約束した。
それが、鉄の剣だ。 与えたのはカイナが鍛えた三振りの中で最も軽く、片手で扱うことが出来るものである。 片刃という点は魔剣と同じだが、反り返りの向きが逆さまになっている。 幅広で切っ先に向かい首をもたげたような刀身をどう使いこなすかはグレンに委ねた。
魔剣の威力を目の当たりにしていたこともあり、手に入れた時は眼を輝かせていたが、さすがに無謀な戦を控えて闘志に翳りが見える。
これでは役に立たない。 勇者とは、恐れ知らずな者のことだ。
そうでなくては困る。
「怖いのか?」
「だっ、大丈夫でさ! 素人と一緒にしないでくれよ!」
「ちびるなちびるな。 今度の戦は魔剣が味方だ」
グレンの手を取り、両手で包み込んでやる。 硬く握られた手は汗で湿っていた。
「しかも、魔剣の子どもはお前が使うんだ。 負ける要素はねぇな」
「……あ、ああ。 負けないよ。 俺は負けない……」
「戦い方は任す。 お前が一番やりやすい形で剣を使え」
そう言い残してやるとグレンは左腰に下げていた剣を解き、帯を右の
「おい、ティラード」
「ひえ! ……は、はぁ」
最後尾から怖々と前に出た男は、右の頬に刺青で模様を入れている。 何かの信仰ではなく、単なるオシャレとは本人の弁だ。 居心地悪そうに長い髪に挿した飾りを撫でるティラードを見て、クリクが露骨に顔をしかめた。
ティラードはクリクに任せた三日行軍で最初に逃げ出した者なので、無理からぬところか。 シュウにしてみればあまりに早い脱落を面白がって取り立てたのだが、軽い修羅場を見た者にとっては腹の立つ相手なのだろう。
「お前、逃げようとしてなかった?」
「いや、旦那。 そんな滅相もない」
「ふーん……」
何も言わずに視線を外した。 こいつにはこれだけでいい。
話してみたところでのティラードの印象は調子に乗りやすく、派手を好む男。 大きな悪巧みを働くほどの反骨心はないが、困難な仕事を腰を据えてやり遂げる根性もない。
頭の中身も派手好きらしく、三本の剣を選ばせてやると言ったら最も装飾の豪華なものを取った。 機能的には平凡で、誰にでもすぐ使いこなせる代物だ。
要するに、ティラードというのはそれほど頼れる男ではない。
さしずめ軽薄な若い男たちの代表格といったところだ。
三人の勇者、その最後を為すには適格な人材だ。 これ以上ない。
「どうするかね」
シュウは口を開いた。 ひとり一人に相談したい、という調子を匂わせたが、誰も返事をしない。 諦めているのだろう。
無謀な攻撃だが、命令とあらば行くしかない。
せめて死なない内に退却させてほしい。 そんな感じだ。
ようし。 お前たちがそうなら、俺にも考えがある。
「クリク! お前はどう思う?」
「は……?」
不意に問われ、クリクが眼を白黒させた。 たちまち喜色満面になって、ばらまくように語り始める。 意地悪が過ぎたか? ちょっと狂いつつあるのかもしれない。
「よくぞ聞いてくれましたァ! 無理です! 絶ッ対に勝てません! 帰りましょう! 今ならまだ間に合います!!」
「そう言うと思った。 なぜ勝てない?」
「バルト商会の兵士は強力な装備をしていて、俺たちより数が多いからですよ!」
言うまでもないでしょ、そんなの!
多分胸の内でそこまで言い切ったのだろう、クリクの鼻息は荒い。
シュウは立ち上がり、手を広げる。 茂みからはみ出てしまうが気にしない。
「聞いたか、みんな! クリクは俺たちではバルト商会に勝てないと思っているようだ!」
「そらそうやろ」
カイナが冷徹な言葉をかける。 誰かがため息をついた。 長耳にさえ舐められる指揮官と、そう思ったのだろう。 諦観の雰囲気がますます濃くなる。
やはり、カイナが一緒だといい感じで援護をもらえる。
この調子でもっと白けさせてやる。
「だが、俺は戦に必ず勝つ方法を知っているぞ!」
「必ず勝つ方法、ですか?」
ハコンが興味を持って口を開いた。
上に立つ相手に忠実なこの男も、勝ち目のない戦いはしたくないに違いない。
「そうだ。 よく聞け」
指を一本ずつ立て、諭すつもりで語って聞かせる。
「ひとつには、部隊に百戦錬磨の兵隊が揃っていること」
兵たちが隣を見た。 お互い見つめ合い、ほとんどの者が首を横に振る。
「ふたつめは、兵隊がやる気に満ちあふれていること」
今度は眼をそらされた。
「そしてみっつめ! 優れた兵が人望深く優秀な指揮官に率いられていること!」
もう誰も、シュウを見てさえいない。
「この条件を揃えた兵が、そうでない相手と戦うとき! そこに負けという結果は存在しないのだ!! 分かるか、諸君!」
「わかるわかる。 そんな兵隊はどこにもおらんわな」
「ガハハハハハーッ!!」
高く笑った。 無反応だ。
部隊の諦観は極みに達し、もはや誰も勝利を信じない。
それでこそ、俺。 それでこそ、シュウ。
底を突いた絶望は、もうこれより下に落ちることはない。
そして至純の絶望に芽生えた希望は、どんな美酒よりも深く人を酔わせる。
「喜べ。 お前たちはこれより、自分が最強の戦士だったと思い知る」
右手を振り上げ、指先をバルト商会の蔵へ。
燃え盛るあのかがり火を見失うことは、決してない。
「光を目指して突き進め! 目標はバルト商会の荷揚げ場! 三〇〇人の雑兵を殲滅し、宝物を我が手に奪うぞッ! 全軍、突撃ーッ!!」
月夜に声が響いた。 誰かが抑えきれず発した、軽い舌打ちの音が応えた。
増えてるじゃねえか。 乾いたぼやきの声が聞こえた。
狂気の沙汰だ…… クリクが呟いた。
冷えに冷え切ったその空気、雪国の如し。
「……突撃ぃーっ!!」
「御意」
初めにハコンが応えた。 雰囲気になど流されぬ男。
胸を張り、当たり前の歩調で進んでいく。
「やれるさ…… おかしらとなら」
自分を勇気づけて、グレンが進み出た。 前屈みの早足でハコンを追い抜く。
二人の足取りに釣られて、ティラードを初めとする兵士がもそもそと後に続く。 亀のように背を丸め、十八人の男たちが征く。
恐らくは、史上もっとも鈍重な突撃。
この突撃から、伝説的な勝利を形作る。 出来なければ、先はない。
カイナが傍らに立った。 シュウの袖を引き、見上げる。
心細いのだろうかと思い振り向くと、カイナはつまみ食いを注意するよりどうでも良さそうな口振りで言い放った。
「……あほちゃう?」
「う、うるせぇ! 言い過ぎだぞ!」
俺があほかどうか、とくと見てろ。 お前を驚かせてやるからな。 そう言い返してやりたかったが、やめにした。 黙っておいた方が、カイナのいい顔を拝めそうだったからだ。
のっそりと進む群れの最後尾で、シュウは鈍足と普通の間の速さで歩く。 月明かりの平野を、一歩ずつ進む。 ゆっくり、ゆっくりと大きさを増す物見台の上で、バルト商会の兵がこちらの姿を捕捉する。 焦るでも慌てるでもない。 義務的な動きで、眠っている男たちを起こしに行った。
さあ、来るぞ。 初めの出迎えは、矢のはずだ。
◆
草原を進む。 柵の向こうで弓を構える歩兵が見える。
四、五人ばかりが緩慢な動作で矢をつがえている。 だらしない動きだ。
大部分の兵士はまだ出揃っていない。 今頃はやっと鎧を身につけ、宿舎を出たところかもしれない。
無能な指揮官に率いられた、闘志に欠ける弱兵。
必ず負ける軍隊を揃えているのは、敵もまた同じということだ。
計算通り。 調査するまでもなく、バルト商会が雇いの賊ごときに武器を与えてシュウを襲わせた時には予想できていた。
しかし戦が本格的になれば、数の差で敵が勝つ。
量の戦いではなく、質の戦いに持ち込まなければならない。
革飾りに覆われている耳の縁が、疼いた。
(やれるか、シュウ? 簡単なことだぜ!)
己の胸を確信で叩くと、怯懦が飛び散る。
計画を胸に秘めた日に始まって、戦の想定はいくつも重ねてきた。
戦の本質は数の押し合いではない。 質の差ですらない。 それらは表面を彩る要素に過ぎず、裏側で戦場を支えている両天秤に乗る、いわば
俺にはそれが見えている。 見えていない奴らが相手なら、絶対に負けない。
もうじき、矢が来る。
諦めて歩いていた兵たちのしっぽが、生存本能への刺激で立ち上がりかける。
もう少し。 もう少しだ。 ただひとつの機を見逃すな。
わずかな時間を待ち続けて、すぐ手前の兵士のしっぽが立ち上がる、一瞬。
時を見極めたシュウは、最前へと躍り出た。
「ちんたら歩いてんじゃねぇっ! 俺が手本を見せてやる!!」
勢い込んでそのまま走る!
猛進するシュウの姿を捉え、敵兵が次々に矢を射る。 風を抉る音が鳴る。
当たらない! 当たるわけがない!
思い込んだ通り、矢はシュウの上を飛び、横を通り、手前に落ちる。
念が通じての奇跡ではない。 この薄明かりで矢を的中させるには、相当な近距離に標的が入ってくるのを待ち構える他にない。 粘り腰で矢を射るには迫る敵に焦らないだけの経験が必要であり、ここの弱兵に出来ることではなかった。 当てずっぽうの矢に射られて死ぬとすれば、そちらの方が奇跡だ。
シュウは奇跡を信じない。
シュウの突撃に引きずられ、兵も駆けだしていた。 草木を掻き分ける足音が重なりあい、拍子が速まっていく。
その調子だ。 ついてこい。
心の中で味方に声をかけ、シュウはなおも速度を上げる。
「シュウ殿ッッ!!」
「おかしらーッ!!」
真っ先に続くのはクリクとグレンだ。 主人に死なれては困る男の焦りに、主人に夢を与えられた少年の気迫。 ふたりの勢いが伝播し、全軍の勢いが増す。
変わらないのはハコンただひとり。
総大将の突出によって生じた雰囲気に、全軍が流されている。
言ってみればそれだけのことに過ぎないが、漂うのはただの雰囲気ではない。
兵を支配する雰囲気の名は、勇気。 正面から射かけられる矢の脅威を打ち消し、戦いの前に抱いていた諦観さえも忘れて走る時、そこに勇気だけが残る。
柵が近くなる。 乾燥させた
かがり火の灯りがシュウ自身を照らすほどになれば、狙いをつけた矢が当たる。 その直前を見極めろ。
まだだ。 へろへろの流れ矢が膝当てを叩く。
もっと。 頬を石の矢じりがかすめる。
もっと、もっと。 限界まで、進め。
今だ!
かかとで地に食い縛り、勢いを力ずくで止める。 右腕を正面へ。
我が腹の底よ、ありったけの声を寄越せ。
我が喉よ、ありったけの力で震えろ!
「飛べぇいっ! グレンッッ!!」
「オオォォォォッ!!」
雄叫びと共に、グレンが跳躍する。 シュウに狙いを定めていた兵士の矢先がぶれる。 焦りと驚きと怯え。 それを表に出すから、弱兵だと言うんだ。
グレンが右足を踏み切った勢いで脛に取り付けた剣を抜き放つ。
ジャンプの勢いで、外れてしまった? そう思いかねないほど滑らかに、宙を浮いた剣がグレンの右手にすっぽりと収まる。
剣を逆手に握ったグレンが、飛翔の頂点で廻る。 右の拳を大地に向け、あたかも殴り抜くように、落ちる。 着地点で、弓を構えた兵士が呆然と見ている。
轟音を伴って土の煙が舞う。 煙幕の内側から赤いものが噴出する。
立ち上がる、誰か。 男。 少年。
倒れ伏す、何か。 肉塊。 両断された、兵士。
鮮血を纏って、小柄なグレンだけがゆっくりと立ちあがる。
「俺の
「ひっ……!」
グレンが近場にいた敵兵へとにじり寄った。
肩で風を切る、賊育ちの所作。
逆手に剣を握ったまま、両の拳で拳闘の構えを取る。
「喧嘩屋のグレンだ!」
しゅぱん、と湿った音がして、敵兵の首が胴を離れる。
右の正拳が、首を撥ねた。 殴って斬り殺した。 パンチで人を斬った。
実際には逆手に握った剣による斬撃だが、理解を超えた事態に置かれた敵兵に現実を咀嚼する余力はない。
「ひっ!? あっ、あがぁっ……!」
武器を捨て逃げかかった兵士は、それきり動くことはなかった。
喉元に深々と刃がめり込んでいたからだ。
二本目の剣。 鍔元の繊細な装飾が、返り血を浴びて妖艶に輝く。
くっく、と含み笑いを漏らしたのは、二人目の勇者。
「逃げんじゃねぇよぉ」
柵に乗りつけ敵の喉を貫いたのはティラードだ。 柵を伝う乾いた棘は、革で補強した膝当てに圧されて無情に潰れている。
差し込んだ刃をそのままかち上げ、頭蓋の開きが出来上がる。
血塊が虚空で弾け、血の雨が降った。
「俺の為に、派手に死にな!」
柵の上に屹立し、高らかに笑う。
鉄の剣とはここまで強いか。 だったら俺でも勝てるな。
そんな打算で動いたことは明らかだが、期待した通りの役回りだ。
軽い男の発する気は、その軽さ故に味方を呼ぶ。
「ぬぅん!!」
状況を意にも介さず歩いてきたハコンが、絶好のタイミングで前に出た。 剛腕に握り込んだ大剣を薙ぎ払い、柵を根元から吹き飛ばす。
敵地への風穴が空いた。 後続はもはや足を踏み切って跳ぶ必要さえない。
「いっ……」
『行くぞぉぉぉぉっ!!』
三人の勇者に続け。 シュウが号令を発するまでもなく、兵士が乗り込んでいく。
俺たちでも勝てそう。 負けなさそう。 やれるかもしれない。
芽生えたのは浮薄の闘志だが、それでいい。 勝ち戦は前進が生む。
ようやく武装を整えて宿舎から出てきた昼番の兵士たちは、まだ状況を理解していない。 断末魔の叫びがどちら側の発したものか、察知するほどの戦をくぐっていない。 意外と早く片がつきそうだ、とさえ思っているのだろう。
表に出た雑兵どもの顔が、青ざめる。
「ドオリャアアァァァァッ!!」
そこに血を求める勇者が飛び込む。
グレン。 地を蹴り蔵の壁を走り、間合いを詰める。
敵が慌てて槍を構えようとするが、遅すぎた。
左の拳。 裏拳が利き手の甲を破壊し、へし折れた槍が地に落ちる。
右の拳。 刃を伴うアッパー・カットが閃き、胴の下から斜めに斬り捨てる。
「ひっ、ひぃっ!?」
たちまちの内に、寝ぼけ眼の集団が覚醒した。 惨劇という気付け薬を浴び、意識が一色に染め上げられる。 グレンを追って殺到する兵士たちの気勢が後に続き、動揺は止め処なく広がっていく。
――これこそが、戦を分ける両天秤。 勇気と恐怖だ。
本来、人間は命がけで戦うことが出来るほど強い生き物ではない。 確実な死という恐怖に直面した時、自らの生存本能に押し負けて逃げ出す生物だ。 恐怖を超克するには心を勇気で支配する他にない。
鍛えに鍛え上げて兵の質を高めることが、なぜ勝利をもたらすのか? 身につけた経験で恐怖に耐えうる心が宿るからだ。
ならば、己の領土から若者をかき集めて兵の量を増やすことは? 数の優位という目に見える安心が恐怖を薄めてくれるからだ。
故に、戦の本質は心。
味方に勇気を与え、敵に恐怖を押しつける時から戦は始まっている。
頭数を揃え、武装を整えて安心している連中に戦など、過ぎたおもちゃだ。
「アルゴ! フィガ! クラド! ジュード!」
シュウが叫ぶと、名を呼ばれた兵士が振り向いた。 高まった闘志を削がないよう心がけ、シュウは命令を与える。
「ティラードの背を追え。 奴の周りには雑魚が集まる」
「おめぇはどうする気だ!?」
おめぇじゃなくてシュウ様だっつーの。 思ったが無粋を言う必要はない。
今、奴らの中で指揮官は三人の勇者になっている。 勇猛な指揮官に信を寄せる兵隊ほど頼もしい者はいない。
「俺は高みの見物よ!」
跳躍し、物見台の梯子に取り付く。 頭を抱えて震えている敵兵。 弱虫の能なしを引き倒し、物見台から投げ飛ばす。 しっぽの根元をねじるように強く強く握っておいてからだ。
「がべっ」
尾の力を奪われた敵兵はバランスを取れず、延髄から地べたに落ちる。
ぐきり、と鈍い音が聞こえた気がした。 もう動くことはない。
物見台のひとつは
前衛となったグレンが強烈な一撃で切り開き、中衛のハコンが空いた穴を指で広げるように確実な攻め手を維持している。 運良く離脱した者や、戦わずして恐怖に負けて逃げ出した一部の兵に眼をつけたティラードはその背中を斬ろうと迂回しており、意図せずして遊軍の役割を果たしている。
(中央進軍ルートと、追い討ちの遊軍。 しかし、まだ足りん!)
敵兵の数は三〇〇人にも達する。 たとえ士気で圧倒していたとしても、このまま敷地中央へと進み続ければいずれ包囲を受け、形勢は変わる。
ティラードの遊軍だけでは足りない。 だが、勇者を四人には増やせない。
「急げ! ティラードにくっついてりゃ手柄になるぞ!」
「おう! お前も頑張れよ!!」
四人の兵が駆け出していった。
アルゴ、ジュード。 お前たちには後でお仕置きしてやるからな。
「カイナ!」
「なに?」
物陰に隠れて様子を伺っていたカイナが顔を覗かせ、物見台の上に立つシュウを見上げた。 自分の武器がどう戦っているのか気になるらしく、時折その視線は正面を向いた。 想像以上に肝が太い。
「俺の代わりに台に登れ! ここは見晴らしがいいぜ!」
「まじでか? しゃあないな……」
既にここは後方地で、矢玉が飛んでくる恐れもない。 申し訳程度に首を振り安全を確認したカイナはちょこちょこと小走りに近づき、梯子をよじ登ってきた。
「で、うちに何をしろと?」
「見てりゃいいよ。 その為に連れてきたんだから」
台のへりにかけられた弓矢を手に取りつつ、柱にかけられた燭台を親指で示す。
「手伝ってくれるってんなら、敵の様子に眼を配ってくれ。 中央で暴れ回ってる味方の裏へ回りそうなのを見たら、その方向に火を点けた矢を放つのさ」
「構わんけど、多分当たらへんで?」
「当てるな」
そう言って強めに頭を撫でると、カイナは嫌そうに手を振り払った。 カイナの蜜柑色の髪はまっすぐで、触ると硬い。 つっけんどんな振る舞いによく似合う。
「万が一にも火矢が蔵に当たったら最悪だ。 こっちに向かう敵の方を向いて、思いっきり上に矢を放て」
「どういうこと?」
物見台を飛び降りた。 下からカイナを見上げて声を張る。
「お前は俺の眼になってくれりゃそれでいい! 頼むぜ!!」
シュウは返事を待たず、土の上を走り出した。
最初の標的はもう見定めている。 ティラード隊とは反対側で、態勢を整えた集団が裏へ回ろうとしていたのだ。 行かせるわけにはいかない。
見えた。 敵兵が七人。 リーダーは恐らく壮年の男。 率いている、と言ってもいい佇まいだ。 ここで食い止めることが出来れば確かな優位が得られる。
「賊!?」
「否!!」
構えるのも早い。 少しは骨のある兵士がいる!
だが――
「我らはオミ商会! ナグハの軍!!」
勇者の華々しい活躍に、邪魔を入れさせはしない。
この場は地味な働きに徹する!
「セェアッ!!」
魔剣。 カイナの鍛えた刀が、白刃を解き放たれ天に伸びる!
斬! 「がはっ!?」「ぎゃっ!?」「ごえぇっ!?」「びゃっ!?」
口々に悲鳴を上げ、四人が散る。 きっちり実力者だけを倒した。 次!
裂! 「ぐぎゃあぁっ!?」「ぐひぃぃっ!?」「あ゛があぁっ!?」
肩口に刃を当て、深傷に留める。 殺しはしないが戦わせもしない。
仕留め損ねたふりをして横へ飛び去ると、生き残った敵兵の悲鳴が遠ざかる。
後方へ助けを求めたに違いない。 これで恐怖はさらに広く伝わる。
魔剣を軽く振り払うと、血化粧で装った刀身から赤い玉が飛び散る。 すっかり元通りになった魔剣を鞘へ戻し、シュウは夜空を見上げた。
燃えさかる矢が、北西へ延びていって消える。 カイナが仕事を果たしてくれた。 ここからなら、中央部隊をすり抜けてほぼ反対側と言ったところか。
シュウはしっぽをうねらせて跳び、蔵の屋根に乗った。 カイナの示した場所へ向かい、最短ルートを走る。 しばらくはこの手順を繰り返していく。
闘志を残した兵士を少しずつ減らしていけば、中央で戦う主力が力尽きるまでに戦が終わるだろう。 当面の脅威が去れば、次は残りの物見台を陥としに向かう。
心配は体力。 何往復も走ることになると、さすがに明日は歩けなくなりそうだ。 しかし文句は言っていられない。 自分でやるしかないことだ。
まったく、勇者作りも楽じゃないな。
◆
「うああああぁぁぁぁーっ!!」
めちゃくちゃな叫び声を上げて、クリクは槍を突き出した。 腰の踏ん張りもへったくれもない、ただの突きが敵兵の腹へ吸い込まれていく。 血しぶきが身体へと跳ね返る。 貫通した槍で手傷を負った後ろの兵も叫んで逃げていく。
自分がどういう気持ちで叫んでいるのか、自分でも分からない。 怖いのか、それとも気合を入れているのか。 分かっているのは敵をまた殺したということだけ。
「ひっ、ひっ、わああぁぁーっ!!」
クリクはまた叫んだ。 槍が抜けない! 肉の塊に深く食い込んだ槍が、固まったようにびくともしない。
敵はまだうようよしている。 斜め前から、同じ装備をした敵が押し寄せる。
「クリク殿! 手を離しなさい!!」
ハコンの声。 そうだ。 何をやっている。
呪いが解けたように、固く槍を握り締めていた手が解れる。
武器を手放し後ろへ退くと、クリクのいた場所にハコンの大剣が落ちてくる。 肉厚の刀身は、平らに構えても打撃武器として機能する。
――ボグンッ!
急落。 押し寄せる敵は頭蓋を圧され、亀の形で事切れた。 まだ続く。 ハコンが見せるのは、二段構えの攻撃。 そのまま剛腕を振るい、後に続いていた敵を一度に薙ぎ払う。 三人の歩兵が反対側へ吹っ飛んでいき、蔵の壁に赤い染みが出来た。
「ハコン殿、すまぬ!」
「命はひとつ。 武器は代わりが利きます」
軽くうなずき、首を折られた兵士の手から得物をもぎとった。
青銅槍で統一された敵兵の武装は死体からすぐにも利用できる。 初めは石器を用いていた味方も、今では強奪した槍に持ち替えて戦いを続けている。
殴り込んだ時に比べれば、武器が良くなった分マシにはなっているのだろう。
だが、それにしても――
「ぞ、ぞ、賊めぇぇぇぇっ!!」
「チッ!!」
また、向かってくる。 今度はへまをしない。 貫かず、浅く突く。 そう目論んで槍を突き出すと、敵が突いてくるより先にこちらの攻撃が通った。 あばらの下、鎧の継ぎ目の部分にすんなりと槍が入る。
(こいつら…… むっちゃ弱くねぇか!?)
絶え間なく向かってはくるが、いずれの敵も腰の砕けた戦いぶりだ。
今の槍にしても、敵が鎧の継ぎ目を守るように構えていたら防がれていただろう。
なぜここまで弱いのだ。
俺たちが強すぎる。 そんな考えを抱けるほど、クリクはお調子者ではなかった。
「ダアリャアアァァァァッ!!」
前方から奇声が上がった。 槍と槍がぶつかり合い、悲鳴と雄叫びが絶えることないこの騒乱にあってなお主張する声の主はグレンだ。 常に最前線で戦い続け、流石に肩に疲労の色が見えるが、強さはまるで翳りが見えない。
撃ちかかる敵がいれば先手で斬撃の拳を撃ち込み、間合いの外と見れば飛び込んで蹴りを見舞う。 いくつもの
鉄の剣の魔力だ。 必殺の武器が実力を倍増させ、クリクよりも小柄なあの少年に怪物と見紛うほどの戦果を与えている。
そしてその魔力の影響は、グレンひとりには留まらない。
ハコンとティラード、鉄を与えられた勇者は言うに及ばず、もはや一世代前の武器となった青銅を操る兵士までも鬼気迫る戦いぶりを見せている。 同じ青銅で武装したはずの敵は、震え上がり死を待つか隙だらけの戦いで返り討ちになるばかり。
この状況を生み出しているのは、たった三本の鉄の剣。 疑いの余地もない。
何故、これほどの差が出る? クリクには分からない。 理解を超えている。
シュウにとっては計算の内だったというのか。
躊躇いもなく矢の中に飛び込んだ時から、こうなることを予期していたのか。
あの男は、クリクの常識を
いったい、何を信じればいい。 俺が学んできたことは、なんだったのだ?
「追えいッ、敵の親玉が逃げるぞぉぉぉぉーっ!!」
響きわたる大声。 忘れるはずもない、シュウの
物見台の上からだ。 シュウがいつの間にか敵中を突破し、対面の物見台を制圧している。 魔剣を振りかざして喉を張り上げる姿は、遠目にもシュウと分かる。
敵の親玉が逃げ出した。 シュウは確かにそう言っていた。
「ハアアァァァァッ!!」
ハコンの大振りが土をえぐり、敵を蹴散らす。 土くれを浴びた敵の耳にも、シュウの発した号令が届いている。 指揮官が自分たちを見捨てた。 そう悟った者たちが次々に武器を捨て、背を向けて逃げ出していく。 辛うじて残っていた士気が打ち砕かれた瞬間だ。
「クリク殿、あれを……!」
ハコンが大剣の先で川べりを示した。
船着き場に向かい、太っちょの男が肉を揺らして走っている。
鎧も身につけぬ平服。 戦士ではない。 あれは商人だ。
つまりは、当地の責任者で、敵の親玉。
太っちょの背を追って、横合いから長髪の男が飛び出してきた。
ティラード。 恐らくそうだ。 大量の返り血を浴びながら、脆い蔦鎧に傷ひとつない。 逃げまどう敵を次々に討ち取ってきたのだろう。
「一番偉い奴は俺の獲物! 雑兵どもはオイラのしっぽを追って走れぇーっ!!」
俊足。 ティラードが走る。 進路に立つ者を切り裂き、蹴り飛ばし、踏みつけて走る。 遠回りしてきたはずがグレンより前に出ているのは、主力との交戦を避けたからというだけではない。
奴は単純に
今はさらに疾い。 大手柄を目前にして、最速を発揮している。
「……気に入りませんね」
ハコンが小声で呟いた。 ぞくり、としてクリクは隣を見る。
睨んでいる。 据わった眼でティラードを見ている。 苛立つのか、ハコンでも。
「気に入りません……!」
ハコンが踏み出した。 クリクや周りで戦っていた兵隊がその後に続く。
歩くような速さが、崩れる。 早足。 まだ崩れる。 駆け足に。
腕を振り上げ、大剣を担ぎ上げ、ハコンが走る。
「ティラード! その手柄は貴方のものではないッ!!」
ハコンが走る! 後に続く誰もが、一直線に続く!
総大将の首という、ただ一点をめがけ、男たちが疾駆する!
「ハコンさん!」
走るハコンにグレンが並んだ。 その傍らにはグレンと組んでいた兵も一緒だ。 息を切らせながらも、この狂騒に加わらずにはいられない。
「グレンくん! 奮迅の戦いぶり、まずはお見事!」
「あんたも強かった! だが、親玉の首は俺がもらうよ!」
「ティラードめには渡さぬ!」
「同感だ!!」
前方をひた走るのはティラードだ。 未だにその距離は遠い。 高く上げた
「今更来たって遅ぇーんだよ!」
「ほざくな、ハイエナ野郎!」
「この栄誉、貴様には相応しくない!」
勇者たちが火花を散らす奥。 船着き場の桟橋で、小舟に足を乗せかけた太っちょが硬直している。 返り血まみれの戦士たちが、一斉に飛び込んでくる。
気焔の直撃が、太っちょからあらゆる活力を剥奪した。
気づいてしまったのだ。 もう遅いと。 船に乗り込んでも間に合わないと。
確実な死が、間もなく飛来する。
「奴の首はオイラのモンだ、邪魔すんじゃねーッ!!」
「否! 貴様ではない!」
手柄をあげるのは――!
「俺だ!」「私だ!」「オイラだ!」
ハコンが、グレンが、利き腕を振り上げる。 全く同時に後に続く歩兵も槍を振り上げて逆手に持つ。 気がつけばクリクも同じ構えを取って走っていた。 辺りを取り巻く何か熱のようなものが、この身体を勝手に動かしている。 止まれない。
――大手柄を、この手に!
この場の誰もが共有する願いが、動きという実体に変わる。
『死ねぇぇぇぇぇぇーッ!!』
グレンが拳の刃を撃ち放つ。 ハコンが大剣を射出する。
クリクが、兵が、構えた槍を肩の力で投げる。
ティラードとその取り巻きが跳ぶ。
上下左右に散り、空いた穴を武器が抜けていく。
ティラードの跳躍が、武器の飛翔よりもわずかに疾く前へ進む。
「ひぃぃぃぃぃぃっ!?」
「シャハァッ!」
通り抜けざま、ティラードの剣が太っちょの脳天にメスを入れる。 ティラード隊の四人が横合いから斬りつける。
そして、武器がやってくる。
総数十一本、剣と槍の凶弾が、五箇所に致命傷を受けた太っちょを襲う。
ズドッ……!
ギュドオオォォォォッ!!
――――ぐちゃ。
――おおよそ、耳にした試しのない音であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます