第2話『三人の勇者』(4/6)

 自分で漏らしたげっぷが、シュウの鼻を衝いた。 濃厚な酒の香りである。

 昨夜も今夜も、歓待の儀と称して酒を飲ませようとする長老たちに付き合わされてしまった。 意識はなんとか保っていたが、足下はおぼつかない。 よく自力で部屋まで戻ってこられたと思う。

 酒の味は嫌いではなく、ここの地酒は特に別格と言って良い深みのある味が気に入った。 しかし、長老たちがこうも飲みたがると話が違う。

 義務感で飲む酒はまずいのだった。


「うぷ……」


 ふたのついたかめを手元に引き寄せて、吐く。 少しだけ楽になった。

 鼻の奥に重い異物感が残り、手鼻をかむと眠気がマシになる。

 進物から私用に頂戴した鏡を見れば、やつれた顔がそこにあった。 磨いた黒曜石で出来た鏡は顔色まで映し返さないが、きっと土気色をしていることだろう。


 まだ眠るわけにはいかない。 頭を内側から引っ張るような痛みをこらえ、シュウは書き掛けの竹簡を広げて筆を取った。

 長老たちが差し出した進物は、そのほとんどを当座の軍事物資に換えることにした。 取引相手として選んだのは二番目の兄であるカンパだ。 難しい交渉ではないが、自分でやるしかない。


 午前中は仕事を割り振った者たちの様子を見て、新たな指示を与えてやらねばならない。 夕暮れまでの時間は長老たちから聞き出した有望そうな人材との面会に当てておきたい。 夜の時間は宴会で奪われる。

 従って、単純な仕事は睡眠時間を削って済ませる他にないのである。


 とにかく時間と働き手が足りないが、救いは賊から足を洗わせた少年たちだ。

 無学な生い立ちもあって決して有能な人材とは言えないが、今のところはシュウへの忠誠心がある。 根無し草同然の状態からナグハの村を切り盛りするには、嘘をつかない忠実な部下が欠かせない。 彼らの報告に期待し、村の各所にばらけて配置したことは少なくない効果を発揮していた。


 ナグハの長老たち――

 商人の機嫌をとり、骨抜きにしたい。 偽りの忠誠心。

 集められた働き手たち――

 早く村に帰りたい。 誰だあの男は。 俺に対する疑念。

 賊だった少年たち――

 俺の、もとい魔剣への信頼。 手柄を求める名誉欲。 時限式の忠義。


 ナグハ新市場の建設をいかに達成するかと問われれば、クリク辺りは地味な仕事を丁寧に積み重ねるのが最善と答えるだろう。

 何の条件もなく無制限に時間を使うことが出来るなら、シュウ自身そうしていたかもしれない。 だが、事は急を要する。


 よれよれの字で文章を書き上げて、竹簡を丸めた。

 カンパとの兄弟仲はそれなりに良い方だ。 酔ってしたためた悪文でも根気よく読んでくれることだろう。


 普通のやり方をしていたのでは、“敵”には追いつけない。

 速く、強く、そして度肝を抜く。

 そのような形で発展させなければ、望んだ未来は得られない。


「……はぁ」


 自分で決めたことながらため息が出る。

 クリクはもうそろそろ村に戻っただろうか。 三日歩いて戻ってくるだけの簡単な仕事を奴に任せたのは大失敗だった。 根性だけはあるので、投げ出すことはしないだろうが。


(俺の代わりに酒宴に行かせれば良かった)


 気がつくと寝具に身を預けている。 まだ仕事はある。


(そうすれば…… もっと…… 眠……)


 上の兄にもご機嫌取りの手紙を書かねばならない。

 それは分かっているが、抗いきれない。 シュウの意識は暗闇へ落ちていった。

 東の空が、白み始めている。


      ◆


 表の喧噪ですぐに眼が覚めた。

 夢は見ていない。 眼を閉じて、開いた。 感覚としてはその程度だ。

 昨日はどこまで仕事をしたか。

 上の兄宛ての何も書いていない竹簡を開き、苦い顔をして巻き戻す。 後回しだ。


「おい…… 朝飯だ! 粥を持ってこい!!」


 喉に痰が絡み、まずい声が出かける。 途中から強めに声を出して下人を呼んだ。

 声はシュウの武器だ。 たとえ寝起きでも、聞くのが下人ひとりであっても、己が発する声は溌剌としているべきだった。


 歳を取った下女が作り置きの粥を持ってくる。 カイナが作ってくれた干しきのこの粥に比べるとうまくないが、ぬるい粥で喉にするすると入る。 ぬるめが好みと覚えてくれている、中々気のつく婆さんだった。


 粥を飲むように啜り食うとシュウは着替えを済ませた。

 兄弟や余所の豪商には下人に着替えさせるものもいるそうだが、シュウは自分の手で着替えることを好んだ。 幼い頃からの習慣だが、しっぽを掴まれても抵抗出来ない状況を許すのが理解できないという理由もある。


 昨日は石切りの作業場を見た。 クリクの行軍訓練から脱落した者を配置したので、今のところ心配は少ない。

 一昨日は市場の境界になる辺りを見回った。 防柵ではなく石を積んで壁を作るという指示はまだ上手く受け入れられていないようだが、腕のいい職人を招かせたのでじき落ち着くだろう。


(となると、そろそろか?)


 進物のひとつを手に取り、シュウは屋敷を出た。


 小川沿いに歩くと、狩猟道具の作業場に増設されたが目に入る。

 いや、炉というのだったか。 カイナの家で見たものよりは小さく、簡単な造りだが同じ役割を果たすことは分かる。

 知恵で察したというよりは、炉の傍らで似合わない黒頭巾をつけた女が火を見ていたからだが。

 フードを被ったカイナが、シュウを見つけて先に声をかけてきた。


「おはよーさん」

「はいよー、おはよーさん。 元気してるか?」


 ぼちぼちな、と答えるとカイナはフードを脱いだ。

 助手として何人かの職人をつけたが、他に生業を持つ者が多くまだ出てきてはいないらしい。 シュウとカイナの他に目立った人影はなかった。

 フードのせいでカイナの額には汗が浮いている。 火につきっきりになるには辛い装備だろう。


「取っちまえよ、それ。 似合わんぜ」

「出来るもんならそうしたいけどね」


 カイナは袖で汗を拭いながら言う。

 気にするなとも言いにくいことだ。


「気にすんなよ。 一回ドン引きされるだけじゃん」


 が、言った。 口の中でまごつくのはあまり好きではない。


「あんたなぁ……」


 カイナは何か言おうとしてやめる。 意地の悪い顔で話を続けた。


「なんだ? 言いたいことがあったらなんでも言ってみるがいい」

「お酒臭い」

「は」


 言われてみればそうだ。

 近寄らんといてー、と手振りを交えるカイナがおかしく思えて、シュウはにんまりと笑った。


「たっぷり飲んでお昼前に出てくるか。 いい気なもんやね」

「いや、あんまりシャレになってないぜ。 さっきまで二日酔いで死にそうだった」

「とてもそうは見えんけど」

「お前の顔を見てたら吹っ飛んだよ」

「はいはい」


 まるで相手にされず、聞き流される。 半ば期待した反応だが、本当に頭痛が軽くなっている気がして言い出した自分でもちょっと驚いた。

 カイナはシュウにとって望外の幸運であり、同時に思い描く計画の要と言ってもいい。 その彼女が見たところ首尾良く仕事を進められている。 心強いのだろう。


 そんな自己分析をしながら、シュウは股ぐらを掻いた。 カイナの白い眼が刺さるが気にしない。


「それよか、その炉で頼んでたものは出来たか?」

「うん」


 カイナが指で指し示すと、台の上に三振りの武器が置かれていた。

 無造作で武骨な佇まいを見て、どれほどの宝か気がつく者はそう多くあるまい。

 だがシュウには分かる。

 魔剣に比べるといささかくすんで見えるが、紛れもない鉄の輝きだ。


「でも、ほんまにこれで良かったん? 槍の方がぎょうさん作れたんやけど」


 槍は穂先だけで済むが、作らせたのは剣だ。

 根元から先端まで鉄で出来ていれば、三振りが精一杯だった。


「構わない。 どうせ槍でも一〇本かそこらが限界だろ?」

「そやけども」


 槍もいずれは必要になるが、今はカイナが持ち込んだ鉄鉱石しか材料がない。 数を揃えられない内は剣の方が望ましかった。

 槍は屋内や森林など障害物の制約を受けやすく、乱戦で思わぬ弱さが出る。

 剣は状況を選ばない。 木製の長い柄で繋がった武器と違い全体が丈夫であることも、今は強みになるはずだ。


「それに、剣の方がかっこいいしな」

「格好の問題かい」

「で、これはどんくらい斬れる?」

「あんたがパクった刀ほどではない。 今のうちではふつーの出来映え」


 パクったとは心外な言い草だが、その辺りの追及はかわして話を続ける。


「ってぇと、魔剣は会心の出来映えってやつだったのか?」

「うんまあ…… あれはうちが鉄を溶かして、お爺ちゃんが鍛えた合作なんよ。 ちゃんと刀の形になってるやろ?」

「刀の形ってのが、そういうことなのか分からんが」


 魔剣は片方だけに刃がついており曲線的な形をしている。 カイナが新たに鍛えた三振りの内、二つは直線的な両刃で一つは曲がった片刃の剣だ。


「うちぶきっちょでなー。 刀打つとどうも歪んでしまうんよ」

「仕方ない。 精進しろ。 で、これはどのくらい斬れるものなんだ?」


 そこが重要だ。

 まさかとは思わないが、青銅器に劣る程度の武器では困る。


「気になるんなら、試してみ?」


 カイナの答え。 自信はありそうだった。


「それもそうだな」


 シュウは右手の腕輪を取り外して台に置いた。

 これも進物のひとつで、青銅製である。 長老たちには知識がなかったようだが、錆びて緑青の浮いた青銅はその名が示すように独特の落ち着いた青に変わる。


 静かに息を吸い、直剣を構える。

 心を研ぎ澄まし、平らに置いた腕輪の中心を見定める。


 ――ここだ!


 振り上げた刃を、下ろす。

 ごぎん、という鈍い音。 若干の抵抗がある。 歯を食いしばり、体重をかけると突き抜けた。 それからは、軽い。 木製の台を抜き、地面へ切っ先が落ちる。


 真っ二つになった腕輪が撥ね、からりと音が鳴った。


「ほう」

「どや」

「……魔剣に比べるとね~」


 だからな、それはお爺ちゃんがすごかったんやて。

 不満げに反論するカイナに手振りで謝り、冗談だよと返す。

 事実、これだけの出来が安定して作れるのなら青銅器など恐るるに足りない。

 念のため確かめた刃にはひとつの刃こぼれもなかった。


「いやいや、大したもんだぜ、魔法使い!」


 意地悪なしに褒めたつもりだったのだが、カイナは口元を下に傾ける。


「……その言い方、やめてくれへんか」

「何?」

「うちの技は、お爺ちゃんとおとんに教えてもらったんやで。 お爺ちゃんはうちよりよっぽど凄い職人やった」

「なるほど」


 魔法使いとは神々の代理人だ。

 人々がその存在を知らず、あるいは知っている場合でも仕組みを解明できない新たな技術は神々の持ち物――魔法であると考えられている。

 そして、神々が使い飽きた魔法を人間に授けようと考えた時、知恵の祝福を与えられた赤子が生まれてくる。


 言い伝えによると、それが魔法使いだそうだ。


 すなわち魔法使いは最初から賢く、学びを必要としない存在である。

 当事者のカイナにしてみれば、努力を否定されたに等しいのかもしれない。


「確かに、お前も今まで頑張ってきたんだろうしな」

「そやろ? ムカつく!」

「だが俺の知ったことじゃねえな! お前が魔法使いってことになってた方が俺様には都合がいいんだよ! なんと言っても、魔法使い印の道具が売れりゃあ市場のいい宣伝文句になるからよ!!」


 ギャハハハハ! 下卑た笑いを付け足すと、カイナは露骨に嫌そうな顔をして火の方に視線を移した。

 ちょっとからかいすぎたかもしれない。

 シュウは懐から木箱を取り出してカイナの前に差し伸べた。


「なんや」

「そうツンツンしなさんな。 いいものを見せてやるよ」


 木箱を開くと、小さく細い木の棒が姿を見せる。

 指で摘める程度のそれは箱の中に六本入っており、いずれも先端に赤い小粒のような印がついている。


「……なにこれ?」

「長老が寄越した進物のひとつでな…… 見てろ」


 棒のひとつを取り出し、左手にはめた腕輪の表面に立てる。

 軽く力を入れて擦ると、短い音を立てて棒の先に火が灯った。


「うわっ!?」

「な?」


 火は軸先で燃え続けており、放っておくと棒を伝って指先まで登ってくる。

 そこそこに見せつけた後、シュウは炉の中に棒を放り捨てた。

 棒が落ちて、炉に灯る火の色が少し明るくなる。


燐寸マッチだ。 こいつは面白いだろう」

「まっち……」


 カイナが炉の中を見つめたまま繰り返した。 大きく開かれた眼が、火の色を返して爛々と輝く。


「ここより遙か西、砂漠の向こうにはアグニという大市場がある。 そこに、錬金術師とかなんとかいう連中がいてだな……」

「どうやって作るんや、これ!?」


 たまらないと言った様子で、身を乗り出したカイナが問う。

 シュウは心に湧いた満面の笑みを半分に抑えて答えた。


「残念ながら製法は全くの不明だ。 アグニ大市場の魔法使いだけが作り方を知っていて、故に宝物と引き換えて輸入する以外に術はない」

「魔法使い……!」

「こいつはすげぇだろ? もしかするとお前が爺さんに教わった鉄の鍛え方以上のものがあるかもしれん。 こういうものを見ると、神々が魔法を与えるという言い伝えも嘘じゃないと思えてくる」


 肩に手を置いて諭すように続ける。


「お前が魔法使いとして名を上げれば、俺の名においてそういう連中と知り合うチャンスを作ってやれる日も来るはずだ。 だからよ……」

「貸して!」


 言うが早いかシュウの手から燐寸入りの木箱をひったくる。

 一本ずつ取り出して片目をつむったカイナは慎重に、時に大雑把に燐寸の検分を始めた。

 ぶつぶつと独り言を繰り返す姿を見て、自分の世界に入ったのだと悟ったシュウは少し離れて川辺に立った。


 新しいものを知った驚きを、即座に探求心に変えられる人間はそう多くない。

 カイナは当人の言うように魔法使いではないのかもしれないが、計画を果たす為に本当に必要なのは魔法使いではなくこの稀なる資質の持ち主だ、とシュウは思った。


(こいつのような人間をひとりでも多く……)


 見つけ出す。 見つからなければ育て上げる。

 第一には計画の為だが、新しいものを求め、変わり続けることを望む人間がシュウは好きだった。


 魔法使いという考え方は、自分も好きではないのかもしれない。


      ◆


 物音が聞こえ、川から足を上げた。 人の気配がする。

 いや。 気配というほど、奥ゆかしくはない。 絶叫に近い。


「……殿! シュウ殿ォォォォッ!!」


 ごふっ、ごふっとむせ込む音が言葉の後に続く。 しわがれているが聞き覚えのある声だ。 というか、今のところシュウ殿という呼び方をするのは一人しかいない。


「よお。 帰ってきたのか」

「帰ってきたも、何も! おぐぇ……!」


 三日間の行軍訓練を終えたクリクの姿が、そこにあった。

 疲労困憊と言った様子で、傍らで一人の兵卒が肩を貸している。 四角い顔にがっしりとした身体つきの兵卒で、肩を預けているクリクが女のようにさえ見える。 太い眉の下に一重まぶたの細い眼。 そして真一文字に結んだ唇。

 全身で堅の字を表現したような大きな男であった。


「何があった、へろへろだな?」

「村まであと一歩、というところでお倒れになられました。 つい先ほどまで、木陰で休んでいただいていたのですが」

「お前は?」

「兵隊です」


 へっ。 笑いが出た。

 いかにも生真面目な見た目から、いかにもな答え。 嫌いではない。


「名前を聞いているんだ、大男」

「これは失礼を。 ハコンと申します」

「ハコンか。 中々、出来そうだな」


 いいえ。 ハコンは単純に答え、首を横に振る。

 かすれた息をしながらクリクが口を挟んだ。


「そんなことはねぇよ。 ハコン殿は大した男だ。 あんたがいなけりゃ俺は死んでいた」

「滅相もありません。 無事に到着出来たのはクリク殿の指揮と、皆の頑張りがあってのことです」

「あんたが助言してくれなければ二日目で全滅していた」

「クリク殿なら自然に思いついていたかと」


 そうは言うものの、ハコンの毛羽立った尾はしきりに揺れている。

 顔に出ない代わりにしっぽにでる男か。

 クリクが賞賛するのだから、ひとかどの人物であることは間違いないだろう。

 派手さはないが適切な対応を確実に取れる男。 そんな印象を持った。


「そう謙遜するもんじゃないぜ。 あの時だってお前の言う通り水を汲みに戻っていれば…… げほっ! ごほっ!!」


 言わないことじゃない。 ハコンはまた喉を痛めたクリクの背中をさすってやる。

 そこに杯を持ったカイナが歩み寄った。 杯は水で満たされている。

 恐らく、一度沸かしたものを置いておいたのだろう。

 生水は地場の者でなければ腹を下しやすいので、なるべく煮沸したものを冷ます方が良かった。


「お水、いるやろ?」

「かたじけのうございます」


 ハコンが手を伸ばし、杯を受け取る。

 小さな女職人が珍しいのか見下ろしていたハコンが、カイナの耳に眼を留めた。


「長耳……!?」


 縞模様の毛羽立った尾が逆立つ。

 表情はあまり変わらず、手に持った杯の水面は揺らぎもしない。

 ただし、その声音はほんの少しかすれた。

 恐らく、この男にして最上級の驚きだろう。


 カイナはしまった、という顔をしてフードに手を伸ばした。

 シュウは素早く指先で掴み取り、フードを引っ張って取り上げる。


「あ!」

「暑苦しいんだよ、こんなもんは」


 丸めた布地を、炉に放り込んだ。


「あー!!」


 咄嗟に手を伸ばそうとしたカイナの首根っこを掴み抑える。

 とろ火の灯る炉は丸めた布地を炎で丁寧に咀嚼し、燃料として飲み下していく。 カイナがキッ、とこちらを睨みつけた。


「あんたなー!!」

「ハコンよ」

「は…… はっ」


 腹の辺りをぽかぽかと殴りつけられながら、シュウはハコンの眼を見た。

 長耳を眼にした動揺はこの男でも隠しきれないほど大きい。

 歯がゆいようだが、古くからの言い伝えを信じている以上は仕方がない。

 嫌うなと言って聞かせたところで、本当の意味で効果があるものでもなかった。


「カイナはすげぇやつだぞ」

「……御意」

「お前だってカイナが鍛えた剣を使ってみれば…… ごへ!」

「あ」


 視界の外から、顎にグローブ越しのいいパンチが入った。 斜め下からの震動が加わり、軽く気が遠くなる。

 痛打を見舞った当人は、下からシュウを見上げている。 ちょっと焦ったような顔をしていたが、すぐに唇を曲げて高圧的に笑う。


「ええの入ったな。 自業自得」

「……ほら、すげぇ奴だろ? ぼくちんのこと全く敬ってくれないの」

「御意……」


 言葉以上に変なものを見る眼が、雄弁に答えた。 すぐに解決できることとは思っていないが、心の距離がますます遠のいた気がする。


「ハコン。 その水…… くれるか?」

「え」


 クリクがハコンの持つ杯を取り、口をつけた。

 長耳の手から渡された水を、飲み下していく。 ハコンは無言でクリクを見た。

 ためらいなく、とは行かないのだろう。 尾の先が小刻みに震えている。

 それでも、飲むものを飲んだ。


「……生き返るよ、カイナ。 礼を言う」

「おおきに」


 クリクも変わろうとしている者の一人だ。


「それでよ、クリク。 お前は血相変えてなにを言いにきたわけだ?」

「あ゛! それですよそれ!!」


 問われるや唾を飛ばしながらクリクは答えた。

 貸されていた肩をどけ、身を乗り出して詰め寄ってくる。

 どうも怒っているらしい。


「村人から聞きましたよ、新しい市場のこと! 出店者から一杯(体積の単位。 200mlにほぼ等しい)の米粒しか徴収しないと!」

「おう」


 なるほど、怒っている理由はそれか。

 商人見習いだったくせに一丁前に助手を気取っている。


「なぜです!?」

「だって、大市場のやつ、ややこしかったじゃん?」


 市場で商いを行う商人は参加費として物品を納める決まりがある。 市場を運営する大商家は自らの商いの他に、このあがりも富に加えることが出来た。

 参加費はゲンガン大市場では日の最後に徴収しており、当日の儲けの内一割から五分の価値に相当する物品を差し出すもの、となっている。

 これによって大市場の運営に携わる大商人は多大な利益を上げられるのだが、物品の価値判断を巡って言い争いや不正が横行する原因にもなっていた。


 そこでナグハ新市場ではこの制度を撤廃する。 事前に決められた量の米を納めさせることで、小さな商人でも安心して商いを行うことが出来る。 しかも学のない村人にも手軽に受け付けの仕事を任せられるので、実状に適している。


 と、いった内容をシュウはかいつまんで話した。

 感心したような顔をしているのはハコンで、あまり興味がなさそうなのがカイナ。 そして納得していないのが、クリクであった。


「だからといって、米粒一杯はないでしょう! それじゃひとりの一食分にしかなりませんよ!」

「口うるさいやつだな」


 その点は反論のしようがなかった。

 ひと月の間市場を開き続け、毎日各地の村々から人が集まったとしても市場で働くひとり一人を満足させる給料にはとても足りない。

 よしんばやっていけるだけのあがりを得られたとしても、まだ困難はある。

 クリクがそこに気づいていなければ面倒がなくていいのだが。


「それだけじゃありませんよ! あの防壁!」


 めざといやつだ。 面倒が続いてしまった。


「石造りの囲いなんて市場に必要ですか!? 賊や野良狼が乗り込んでこなければ十分でしょう! しかも道々では力持ちたちが岩を細かく砕いていましたよね! あれは何をさせるおつもりですか!?」

「……砕いた石を道に敷き詰めて、もっと歩きやすくしようかなって」


 ありえない! クリクが頭を抱えて絶叫する。

 しっぽの逆立ちそうな叫び声が耳に刺さった。


 ああ、もう、うるさいうるさい。


「……それだけじゃねえぜ!」

「はぁ!?」

「カイナん家の裏山では鉄鉱石がよく出ると聞いたんでな! これからは鉄掘りの山…… 鉱山を開かせる! もうその為の人は送った!」


 クリクが眼を見開き、後ろへよろめく。 ハコンが咄嗟に肩を抱き、支えた。


「それに渡し船を造らせる為に木こりも動員している。 船のことなら東にいるカンパ兄やんがよく知ってるんで、丈夫なロープや巨石を削った錨を売ってもらえるように文も出した。 長老たちからの進物はこいつで吹き飛ぶぜ!」


 馬鹿な。 馬鹿な。 クリクがうわごとのように繰り返した。

 興味なさげに炉を火箸でつつき出していたカイナも呆れ顔でちらりとこちらを見た。 馬鹿なことをやっているのは分かるのだろう。


「もひとつ言うなら、今さらではあるが俺たちは裸同然の身でここへ入った。 商いで埋め合わせをしようにも商材はねぇってことよ!!」

「どうしようもねーじゃねーですかぁ!!」


 ん゛も゛お゛お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ん……!


 狂う寸前、といった調子の慟哭がこだました。

 カイナはうんざりしたように小指で耳の穴をふさぎ、ハコンは黙って背中をさすってやっている。 動揺した様子がないところを見ると、こいつも与えられた仕事以上のことに興味はないらしい。


「いや、悪いな。 ちょっとおどかしすぎたよ。 そんなに気に病むことはないぜ」

「ぐすっ…… 何か策があるんすか??」


 当然だ。 自信満々にふんぞり返って答えてやると、涙と鼻水で濡れたクリクの顔が期待に揺れる。 何から何まで分かりやすい男だ。


「それも、とんでもねぇ名案だ。 神の一手と言ってもよかろうほどのな」

「ほう、ほう……!」

「支払い代金を工面するにはまずもって商いをやらにゃならん。 が、元手になる物品がここにはない。 問題はそれだよな」

「はい」

「じゃ、そういう貴重品が手に入るなら、何も悩むことはないんだよな?」


 クリクがきょとんとした顔でシュウを見た。

 当たり前すぎて解決策になっていないからだ。

 それが出来れば何も考える必要はない。


 クリクの肩を掴み、目線を合わせた。

 舐めるような距離まで顔を近づけて告げる。


「なあ、クリクくん。 広い世の中にはなぁ、本店のような大商家の蔵にも劣らぬ宝物の数々をタダで手に入れる、夢のような方法があるんだ……」

「は…… は?」

「ムース川のほとりにはバルト商会の荷揚げ場がある」


 クリクの眼が見開きに見開いて、ちぎれそうなほどに開いた。

 血走った眼が間近に見える。


「まさか…… まさか、ですよね……? シュウ殿……?」

「バルト商会と言えば、なんと奇遇なことに俺の命を狙ってくれたあのバルト商会。 まだお返しをしていなかったな」

「シュウ殿、シュウ殿……?」

「バルト商会の蔵を焼く」


 ぐりん、と血走った目が裏返った。 白目を剥いたクリクが、後ろへ倒れる。


「クリク殿」


 ハコンは相も変わらず冷静に、倒れた常識人を抱き止める。

 カイナの後ろ、作業台には出来立ての剣が三振り。

 その中の、最も無骨で角張った拵えの大剣が、シュウにだけ見える光でハコンと繋がった。


 優れた武器には、優れた使い手を。

 三振りの剣のそれぞれが指し示す光の先が、シュウには手に取るように分かった。


「ハコン! お前と一緒に三日間を歩いた連中、何人残った?」

「確か、クリク殿は私と彼を引いてじゅうに人と言っていました。 見たところたくさんではありません」

「今度クリクから数の数え方を教えてもらえ。 で、まだ解散していないよな?」

「はっ。 誰も彼も疲れているようで、今は民会堂を借りて雑魚寝しております」

「何日か十分な休息を取らせた後、俺の下に集めろ。 バルト商会攻めではお前たちを使う」

「御意。 他に集めるべき者がいるのなら、私にお任せを」


 あくまで無表情に答えた。 この男が仰天するところを見てみたい気もする。


「不要。 残りふたりには俺が話しておく」

「ふたり?」

「そうだ。 俺とクリク、そしてカイナの三人も加えるが……」


 カイナが勢いよくこっちを見た。 寝耳に水、といった様子だが無視。


「三人にお前と残り二人を足して六人。 六人に十二人を足して、総勢は十八人。 十八人でバルト商会を叩くぞ」

「シュウ殿、それは……」


 ハコンの顔色は、変わらない。

 しかし垂れ下がっていたしっぽだけが、ゆっくりと立ち上がり始める。


「面白そうです、実に」


 しっぽが天を衝いて硬直する。 それに少し遅れて、ハコンが笑顔になった。

 口元だけ。 しかし、直感した。 この男にして、満面の笑み。


「だろ?」

「はい」


 大男のハコン。 魔法使いの剣を託す勇者には、彼こそ相応しい。

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