第2話『三人の勇者』(2/6)
ゲンガン大市場から直通で荷物を運ぶ西のムース川と、さらなる東方への交易を担う東のクレタ大河という二本の河川がある。 その中間に位置するのがナグハだ。
二本の水路を陸上で渡す要衝という言い方をすればそれなりの場所だったが、森の険しさと道々の細さを嫌い、あえて迂回路を進む商隊も少なくない。
交易商たちにとっては役立ちそうで役立たないなんとも中途半端な存在が、クリクの新たな仕事場となる。
「お待ちしておりましたぞ、オミ商会の方」
ナグハや近隣の村々から集まってきたらしい長老たちが、村の入り口でシュウを出迎えて深く礼をした。
「んむ。 よろしくね」
シュウはだらけた笑顔で挨拶をすると、大理石の印璽を取り出し、筆頭格であろう太った長老に手招きする。
はて、と疑問の隠せない顔で距離を寄せた長老に印璽を見せると、そのままその額にあてがった。
「うわっ! な、なんじゃ!」
「ふははははっ!」
ぎゅぎゅう、と力を入れて押しつけてから離すと、太った長老の額に印璽に
まったく、この人は。
「これで契約は成立した。 今日よりはオミ商会がおめーらの暮らしを保護し、その代わりおめーらはオミ商会に作物を貢いでもらうぞ」
「ははぁっ」
経験のない長老は、シュウの不遜な振る舞いを市場の作法か何かだと解釈したのだろう。 咎め立てはせず、むしろ自分の無学を詫びるように恭しく礼をした。
なんというか、非常に申し訳ない。
「こちらへどうぞ。 つまらないものばかりですが、心尽くしの料理と貢ぎ物を用意いたしておりますじゃ」
「兵士や働き手として使ってほしいという若いのも大勢集めておりますぞい」
「おう、よきにはからえ。 ……テメェら、めしだ! 俺は後で行くから先に始めてろ!」
シュウが促すと、後ろに控えた若者たちが威勢の良い声で応えて走っていく。
その勢いに長老たちが後ずさりをした。
勢いだけではなく、粗野な振る舞いに引いた部分も少なくない。
「カイナ、クリク。 お前たちは俺と一緒にいろ」
「はい」
カイナは無言でうなずいた。 長老たちの前で話をしたくないのだろう。
「そちらの方は?」
長老がカイナについて問いかけた。
今は目深にフードを被っており、紅い眼が時折覗く以外に容姿を知る術はない。
長耳だと悟られぬ為に重ね着したのだが、不審なことに変わりはなかった。
「んなもん見りゃ分かるだろ。 俺の仲間だ」
すげなく返されて長老がちょっと顔をしかめた。
「いや…… 我が魔法使い、とでも言っておこうかな?」
ますます表情が険しくなる。
ただでさえ人を食ったような態度を取る上に、引き連れているのは商人のせがれに似つかわしくない粗野な取り巻きと、素顔を隠した怪しげな女。 長老の失望が目に浮かぶようだった。
失望したのはクリクも同じで、半信半疑の状態は今も続いている。
確かに“鉄”なる未知の金属を発見し取り入れ、襲いかかる賊を子分にしたシュウの手腕は鮮やかなものと言えたが、これからナグハで執り行う仕事とはさして関係がない。
ナグハの地にオミ商会の為の市場を築く。 それが求められている仕事のはずだ。 地道な作業を丁寧に繰り返さなくてはとても達成出来そうにない。
こんな段階で長老たちに疑いを抱かせていてやれるかどうか、語るべくもない。
「……それで、シュウ殿。 私たちは何をすれば?」
カイナが隣でこくこくとうなずいた。
腹はさほど減っていないが、急ぎの用事だろうか。
シュウは両手を広げて語る。 やや大げさな素振りだ。
「カイナには鍛冶場が必要だ。 作業に適した土地を選ぶのと、必要な道具が村にあれば集めさせにゃならん」
「なるほどですね。 私は?」
「お前は集められた若い奴の数と、貢ぎ物の概要を記録してくれ」
「お任せを!」
なんと僥倖。 胸の高鳴る命令だ。
色々あり過ぎて粘土板の感触がすっかり恋しくなっていたところで商人らしい仕事をさせてくれるとは、シュウにも思った以上の見所がある。
クリクは、今まで彼に疑いを持っていたことを恥じ入るような気分になった。
「それが済んだらきちんとめしを食ってくれ。 仕事の内だぞ」
「お気遣い、ありがとうございます」
はぁ? シュウが見下ろしたまま問い返した。
「気遣ってんじゃなくて、食っとかないと死ぬから念の為に言ってんの」
「え……?」
「食事が終わったら、若いのを集めてちょいと歩いてきてもらう」
「歩く、ですか? どちらまで?」
シュウはあごに手を当てて上を見ながら答える。
「どこでもいいが、西の方が安全だろうなぁ」
「は?」
「西に向かってひたすら歩き続けて、太陽が沈んだら戻ってこい」
「え?」
思わず聞き返していた。
集められた若者は兵士として訓練を受けさせたり、雑役に従事させるべきだとはクリクも考えていた。
しかし着任初日からというのは、思いの他厳しい稽古だ。
急に激しすぎることをやって脱落者が出ないといいのだが。
「ナグハ村まで帰ってきたらその日は寝ていい。 起きたら朝飯を食ってから、もう一度西に向かって歩け」
「え??」
「太陽が沈んだらまた戻ってこい」
「え???」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。 というよりも、言葉のままに捉えた自分がおかしいのではという疑いを抱いている。
夕暮れまでどこへともなく歩き続けた翌日に、また歩き続ける?
何のために。 それで誰が喜ぶというのだ。 何を考えている。
何を――
「明後日は太陽が昇る前に出発しろ。 西に向かって歩け。 太陽が沈んだら戻っていい」
え????
「細かい段取りは追って説明するが、だいたいそんな感じ」
「あ、あの、あの、シュウ殿……?」
「なんだね」
「私に死ねと……?」
「馬鹿言うなよ、クリちゃーん」
シュウがクリクに手を伸ばした。 肩を組んで微笑みかける。 不安しかない。
「村々から集められた若いのが死のうが逃げようがどっちでもいいが、お前だけはだめだ。 死ぬことも逃げることもこの俺が許さん」
やっぱり。
「だからしっかり食っとけってことだよ。 食わなきゃ元気でねぇからな」
やっぱり、やっぱりだった。 この男は、決して信じてはいけなかったのだ。
一瞬でもこの男の采配に胸を躍らせたから、神々が自分を罰したに違いないのだ。
クリクは心の中で遺書をしたため、故郷の父へ送った。
◆
味のしない昼飯を食べて男たちを集めた。
色々な顔をした、歳もばらばらの男たちが広場を埋めんばかりたむろしている。 確か長老たちの話では四百人の若者を集めたという。 結構なものだが、村々への負担が気がかりだ。
「それでは、これから、早速、訓練を始めたいと思う」
言うだけ言って背を向けた。 彼らの顔を直視したくない。
「なんでも言ってくれ! 腕っ節には自信がある!」
「遠矢なら俺の出番だ!」
(嗚呼……)
無理に集められた男たちにも酷な話だが、やる気のある者をこんな訓練でこき使うと思うとますます憂鬱になる。
俺はきっと恨まれるだろう。
それ以上に三日連続での強行軍を生き残れるかどうか分からない。
分からないが、やるしかない。 生活がかかっている。
「全体! 足踏み!!」
叫んだ。 地声が大きい方ではないので、どうしても音が上擦る。
ザッ
ザザッ
ザッ
まばらな足音で男たちが動く。
ひとまずは行進の稽古、と思ったのだろう。 間違いではないが、心が痛い。
「西の果てにィィ、行くぞォォォォーッ!!」
もはややけだ。 叫ぶ。 ありったけ叫ぶ。
行くしかないのだ。 やるしかないのだ。 許してくれ。
そんな思いが伝わったのか、単にえらく気合いの入った指揮官だと思われたのか、後に続く者たちの足音が揃い始めた。
「ぜんたぁぁァァいっ!! 進めェッ!!」
やってやる。
俺だって子供の頃は水辺で仕事をして暮らしてきた。
腰まで湖に浸かって動き回った俺の過去は、三日間の長行軍を凌駕する。
はずだ。 してほしい。 してくれ。 頼む。
早くも眼の端に涙が溜まってきた。
その涙を舐めておいた方が良かったと、後悔することになる。
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