第2話『三人の勇者』(1/6)

 ――クラークに曰く、高度に発達した科学は魔法と見分けがつかない。

 されど革新の時を待つ文明世界において、新しきものはなべて魔法であった。

カシュ・ルボヤスカ(ポーランドの歴史学者)


      ◆


 再び東の空に太陽が昇った。 青銅器を持った賊に襲われた時には生きてもう一度朝日を拝むことなど考えてもみなかったが、今はこうして生きている。

 しかも、当の賊だった若者たちと共に眠って迎えた朝だ。

 昨夜はあれよあれよという内に食うや飲むやの大騒ぎ。 夜空の下で火を囲い、踊り、笑い、脱ぎ、暴れる。 酒もないのによくもまあこれだけ狂った、という夜。 そうして気づいてみれば、小屋の前で野宿していたわけである。

 上半身だけを起こして横に眼をやると、頬のこけた元賊の男がクリクの足を抱いてすやすや眠っている。 クリクは男を蹴り飛ばし、朝日に向かって立ち上がった。


 ああ。 生きている。 俺が愕然としている間に、あの恥も外聞もない三男坊、シュウがやり遂げた。


 青銅を切り裂く“鉄”という名の金属。

 勝ち目のない戦いを呆気なく制したシュウ。

 シュウに服従を誓い、賊から足を洗った若者たち。


 そして、鉄を知る長耳。 魔法使いカイナ。


 数多くの不思議な出来事が重なり、シュウとクリクは最大の危機を脱した。 こういうことが奇跡と呼ばれ、語り継がれるものなのかもしれない。

 シュウという男はあまりに無軌道で常識外れだが、生き残らせてくれたことには感謝しかない。


 太陽をまぶたの奥で感じたのだろう、そこかしこで雑魚寝の男たちが優しい呻きを漏らして起きあがり始めた。


「よお、起きたかテメェら!!」


 後ろからよく通る声が響き、振り返った。

 周りの男たちも同じように振り返り、同じような場所へ眼をやる。

 カイナが住む小屋。 その真上。 茅葺きの屋根に仁王立ちする奴がいた。


「ゆうべはよく眠れたか! 寝違えたりはしてねぇか!?」


 シュウ。 なぜ、あんなところにいる。


「たっけぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「さすがだぜ、おかしらァ!!」


 賊だった若者たちが口々にシュウを褒め称える。


 ああ、なんとなく分かってしまった。

 馬鹿は高いところが好きなのだ。 それ以上の答えはない。


「こらー! 怪我する言うとるやろー! 降りてこんかーい!!」

「ギャハハハハ! ハーッハッハッハッ!!」

『ウッヒョオオォォォォーッ!!』


 小屋から顔を出したカイナが怒鳴り、何が面白いのかシュウは高笑いし、それを見た若者たちは何故か歓呼の声でシュウを迎える。

 どの域にまで達した馬鹿かはさておき、朝一番に見たくない光景であることは議論の余地がない。


「よし、見てろよ、見てろよお前ら! 見てろ!!」

「行けぇおかしらー!」「飛べ飛べー!!」「シュウ様ー!!」

「あかんて! あかん! やめー!!」


 屋根の上のシュウは走り出すように腕を振って見せ、また笑いが起こる。

 自分の立場を思えば慌てて止める側に回るべきなのだろうが、クリクはなんとも言えなかった。

 どうせ落ちても死なないだろう。 何しろ彼は馬鹿なのだから。


「ホォォォォッ、シュアァッ!!」


 奇声を上げ、シュウが屋根の端から助走をつけた。

 ばさばさと茅を踏み鳴らし、こちらに向かって走り込む。


「あっ」


 で、踏み切ることを忘れたまま落ちた。


「ウワー!」

「おかしらー!!」


 若者たちが叫び、カイナは眼を覆った。 クリクはどうもしない。

 どうせ死にやしない。 じっとりとした半目で様子を見届けてやる。


 ――くるり。


 シュウが、身体を宙空でひねった。

 長いしっぽが鞭のようにしなると、風に舞う落ち葉のように全身が揺らめく。

 手足を縮こめ、鞠の体勢。

 両肩から地面に着いたシュウはそのまま前転し、若者たちの中央まで転がって立ち上がる。


「フッ」


 親指を立てて笑うと、歓声が上がる。


「あほ!」


 カイナの手がシュウの頭をはたき、歓声はすぐに笑い声に変わった。


「子供やないんやから、そんくらいのこと自慢せんでえーの」

「てめぇ! 俺を誰だと」

「みっともないと思わんか?」

「……すいません」


 また笑い声が大きくなった。


 シュウが見せたのは土踏みという単純な技だ。 尾を操って宙で姿勢を改めれば、高いところから落ちても怪我をすることなく土に着くことが出来る。

 クリクも度胸試しでやったことはあるが、子供の頃の話。 それをあの歳にもなって堂々と見せつけるシュウは、確かにみっともないと言われても仕方がない。


「よし、次は俺だ!」

「俺だったらあの樹からも飛べる!」

「バァカ! 土踏みは低いとこで決めるのがつえーんだよ!」


 まあ、幼稚な少年たちにはこの程度でちょうどよかったのかもしれない。


「あかん言うとるやろ!! 禁止! 飛び降りごっこは禁止ー!!」


 屋根に登ろうとする少年たちを引きずり下ろしながらカイナが叱り飛ばした。

 長耳に触れられているのに、少年たちに嫌悪感を持っている様子は伺えない。 それは少しだけ不思議だ。


「そうだぜ。 土踏み競争はまた今度やろう」

「いや、今度でもあかんから」

「今は朝めし食わねーとな!」

「……またうちに作らす気か?」


 シュウは黙った。 黙ったまま、カイナと目を合わせた。

 しばらく見つめ合ってから、勢いよく仲間たちの方を向く。


「さあ! これからカイナさんがお前たちの為に粥を炊いてくれるぜ! 刻んだきのこで出汁を取った、漬け物と交互に食うと甘くてよだれの溢れるほっかほかの粥だ! 今日は腹ぁいっぱいの元気いっぱいで出発するぞーっ!!」

『フゥゥゥゥーーッ!!』

「あつかましいやっちゃなー……」


 そうは言いながらも、カイナは小屋の中へ入っていく。 何人かの少年は手伝うつもりで続き、また別の何人かは薪を取りに走る。

 たちまちの内に辺りで生活感のある物音が響き始めて、クリクも薪運びの一員に加わった。 騒々しいことだが、村にいた頃を思い出す気ぜわしさだ。


 ふと視線を移すと、若者たちの一人、髪の長い少年が目についた。

 仲間と語らいながら顔の横を覆う髪をかきあげる。

 そこに尖った耳が伸びているのを、クリクは確かに見た。


 ああ、だからなのか。 長耳はもう彼らの仲間だったのだ。

 だからあの少年たちは長耳を嫌わないのか。

 もうとっくに知っているから。


 何かがすとん、と胸に落ちた気がして、クリクは上を向いた。


(俺は、知らなかったなぁ……)


 今日の朝食も、カイナが作るのか。 作ってくれるのか。

 風に乗って、めしのうまそうな匂いが漂ってきた。


 今日はきちんと食べて、おかわりもしよう。 クリクはそう思った。


      ◆


「さて、腹も膨れたな」


 シュウは立ち上がると、掴んだ剣を腰紐に結びつける。

 服装は変わらずカイナより譲り受けた藍色の服だが、同じくカイナから麻布のズボンと革の脚絆を強引に借りたので少しは旅向きの装いになっている。

 腰元に差した剣は当然、あの魔剣だ。 青銅の鎧を身につけた少年たちでさえ、魔剣を帯びたシュウに羨望の眼差しを向けている。


「ナグハの村はそれほど遠くない。 さっさと出向いて、昼飯は村で食うぞ!」

『おー!』


 少年たちが元気よく応えて返す。

 すぐにも出発の号令がかかるものと思ったが、反応がなかった。

 見れば、シュウは顎に手を当てている。 何か思い出そうとしている感じだ。


「どうしました、シュウ殿?」

「いや…… おい、お前ら」


 シュウが少年たちの方を向いた。 真剣な目つきをしている。


「俺が落とした宝物の中に、大理石の印璽があったろ」

「大理石って、なんすかそれ」

「印璽とか知らん」

「無知どもが! なんかつるつるすべすべした四角いのあったろ!」

「これすか?」


 ひとりの少年が進み出て、シュウに差し伸べた。

 シュウは素早くそれをひったくると、大事そうに傷がないか確かめ始める。


「おーしおしおし! 壊れてないようだな!」

「あの、おかしら……」

「こいつは返してもらうぜ」


 少年たちの顔が曇った。 元はと言えば襲われたシュウが全裸になりつつバラ撒いた持ち物なのだから、文句を言えた立場ではない。

 やがて、髪の長い少年が進んで拾った宝を返そうと近寄り、その後に少し躊躇っていた少年たちが続いた。


 シュウは並ぶ少年たちを眺めて、顔をしかめる。


「何してんだ?」

「何、って……」

「それはお前たちにやったんだ。 持ってろよ。 その内、市場で好きなものと取り替えるんだな」


 少年たちがぽかん、と口を開けた。

 クリクは思わず手で口元を覆った。 俺も開けているかもしれない。


「大理石の印璽っていうのは、俺がオミ商会の名代である証になるんだ。 これ、言ってる意味分かるか?」

「わかんねぇ」

「そうか。 俺もすっかり忘れてたから気にしなくていい」


 ナグハ村へ出向き、長老たちと会う際に印璽を見せる取り決めになっているのだろう。 長老たちはシュウを知らないのだから当たり前の措置だ。

 それにしても、そんな大事なものまで放り投げていたとは呆れる。


 理由は分かっていないにしても、自分の宝が取られないことを知ると少年たちは胸をなで下ろした。

 大理石の印璽を差し出した少年は、少し残念そうに下を向いている。

 盗んだものを返さなくていいと言われることがおかしいのだが、なんとなく同情してしまいそうになった。


「すまねぇな、グレン。 宝物を取り上げちまって」

「え」


 グレンと呼ばれた少年が顔を上げた。 もう名前を覚えたらしい。 この男、そういう部分はいやに細かい。


「ナグハに着いてすぐとは言えないが、お前にはきっといいものをやるよ」

「マジ、すか」

「期待しておけ」


 グレンはうつむいた。 褒美を約束された喜びより、今までにないボスを戴いたことに困惑しているように思える。 頬に少しばかり朱が差していた。


「おい、そろそろ出かけてぇーんだけど!」


 シュウが叫ぶと、小屋からカイナが歩み出てきた。 大きな葛籠を背負っており、その動きはずんぐり緩慢だ。 ぜぇぜぇと息を吐き、一歩ずつ歩み寄ってくる。


「なあ、ほんまにうちも行かなあかんの?」

「当たり前だ。 お前の腕をこんなところで錆びつかせるつもりはねぇ」

「人の多いところって、苦手なんやけどなぁ…… ろくなことないし……」

「知ったことかよ! 行くぜ、ナグハの村!!」


 シュウが駆け出した。 少年たちがそれに続く。 威勢の良い早足だった。

 坂を下っていき、あっという間に遠ざかって見えなくなる。


「もー、もー! あいつらは! あいつらは!!」


 自分の横幅よりも広い葛籠を背負ったカイナが憤る。 駆け出さなかった少年のひとりがカイナの背後に回るのを見て、クリクは後に続いていた。


 眼と眼が合う。 髪の長い少年は何も言わず、軽く会釈をした。 クリクも何も言わず、ふたりで左右からカイナの荷物を支えるように持ち上げた。


「ありがとー。 気のつく人がおるもんやねー」

「カイナさん」

「うん?」


 カイナがちょっとこっちを見やった。

 真紅の瞳が、少し潤んだ気がする。


「悪かったよ」

「……ん、そうか」


 素っ気ない言葉に、素っ気ない返事だ。


 それでも荷物を支える腕に力が湧く、気がした。

 隣を見ると髪の長い少年は口を真一文字に結び、力を入れている。

 あの時ちらりと見えた長く鋭い耳は、髪に覆われていて分からない。


「なあ」

「はい」

「お前、なんて名前だっけ」

「……私めは、フェンと申します」


 流暢で、やたらと丁寧な言葉遣い。 大市場の辺りに生まれたのかもしれない。


「そうか。 よろしく、フェン」

「失礼ながら」

「なんだ?」

「貴殿のお名前も、お伺いしてよろしいでしょうか?」

「ああ。 クリクだよ。 コパラ村のクリク」

「クリク様、ですか。 ありがとうございます。 なにぶん、シュウ様と違って印象が薄いものですから困り果ていたのですよ」


 昨日の夜はずっとシュウ様じゃない方で覚えてたりして。

 そう付け加えると、自分で言ったことがおかしかったのか上を向いてフェンは笑った。


 いい性格してるよ、こいつ。 友だちになれるかもしれない。

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