第1話『魔法使いの剣』(3/5)

 長耳の女が住む小屋には暖炉がなかった。 代わりに部屋の中央部に灰を敷き詰めた窪みがあって熾火が燻っている。 そこに薪をくべて暖を取る仕組みなのだろう。

 住み慣れた大市場の住居とは異なる間取りのそれがこの地方特有のものなのか、長耳の習俗なのかは判断できない。


「残りものでよければ暖め直すね」


 そう言って長耳の女は薪をくべた。 薪の真上には天井から吊り下げられた鍋がある。 鍋の色は真っ黒で、どうにも不気味だ。


「まだか? 腹減ってんだけど」


 開口一番に急かしたのは、馬鹿の三男坊。 長耳は顔をしかめて呆れたように答える。


「まだです」

「まだかぁ……」


 心底残念そうにつぶやいてから、三男坊は両の二の腕を手でさする。

 見た感じ妙にしていそうなうるおいがあって、若干気持ちが悪い。


「つかよぉ~…… この部屋、寒くねぇか……? キミたちよく平気だね……」


 おめーが服を着てねぇからだよ。 例によって頭の中だけで答える。


「それはあんたが服を着てへんからや……」


 長耳にそっくり同じことを言われて、クリクは眼を伏せた。

 誰だってそう思う。 俺が長耳と同じなわけじゃない。


「なるほどね。 寒く感じるわけだよ。 おい女、なんか着るもんよこせ」

「あんたなぁ」

「寒いの! 死んじゃうの!! 服! ふーくー!!」


 馬鹿は地べたにあぐらをかいたまま、幼児のように上半身を振り回し駄々をこね始めた。

 世も末、というのはこのことか。 これが一時とはいえ自分の主なのだから、悲しみは尽きない。


「わかった、わかった…… 着替え、奥から取ってくるから火ぃ見とってな」


 うんざりしたような仕草で立ち上がり、長耳は小屋の裏手から出て行った。

 男物の服は蔵にしまっているのだろう。 家族はいないようだ。


「よっしゃ、今の内に食べようぜ」


 長耳がいなくなるや、馬鹿は黒鍋の蓋を取る。 風の如き速さだ。

 中には具入りの雑穀粥が入っていて、残り物というがそれなりの量がある。 もう少ししっかり火を入れていたら、蓋を取ると同時に湯気が立ち昇ってさぞかしうまそうに見えたことだろう。


 そうでなくて良かった、とクリクは思った。 空きっ腹にうまそうなものを見るのは堪える。

 長耳が作ったものを腹に入れるなど、できれば避けたい。


「うへへ、思いっきり大盛りにしてやる」

「……いいんですか?」

「あん? 止められなきゃ俺の勝ちだよ! 腹に入れちまえば返せないもんね!」


 杓子を使い、躊躇なく自分の器に粥を盛りつけていく馬鹿。 他人事とはいえ、心の底で敬意を抱けない相手とはいえ、さすがに口を挟まないわけにはいかない。


「違いますよ! いくら腹が減っていると言っても、それは長耳が作ったものなんですよ」

「……そうだな。 確かにあいつ、耳が長かった」

「どんな穢れが含まれているか分かりません。 おやめになった方がよろしいのでは……」


 長い尾を持つ人間と、羽毛に覆われた耳を持つ風の民が交わることで生まれてくるのが長耳だ。

 その外見も血筋に倣い、羽毛がなく耳が長い。 異様な姿かたち故に、接した者には穢れが降りかかり、やがて尾が腐り落ちて死ぬとされている。

 そんな者の作った食べ物を口に入れるなど、正気の沙汰ではない。


「え? なに……? 耳が長い人って手から毒とか出るの……?」


 親切心から注意してやれば、これだ。 我慢を続けてきたが、さすがに苦い顔をしてクリクは答えた。


「もう悪ふざけはおやめください。 いくらなんでも知らないはずはないでしょう」

「ふざけてんのはお前だろ。 めしが食える時に我慢するなんて普通やることか?」

「それは、人間が作ったものなら食べるべきですが……」

「あっそ」


 もう飽きた、とでも言うように、三男坊は匙を握りしめて粥を口へ運んだ。

 常識というものがないにも限度がある。


「ま、お前が食いたくないなら食わんで結構。 俺が腹いっぱいになれるってことだからな。 ……うめぇがちょいと味が薄いかな」

「あーっ!」


 見咎めたという大声は、戻ってきた長耳のものだ。 小脇には取り出してきたらしい藍色の服を抱えている。


「もー! なんで人が戻ってくるまで待っとれんの!」

「腹ぁ減ってたんだよ。 それよかこれ、ちょっと味が薄いんじゃねえ?」

「文句言うなら食うな!」

「ごめん。 許して」

「……まあ素直で結構。 お漬け物あるよ」

「ください」

「先に着替えな」


 長耳の女は珍客がまんざらでもないらしく、自家製の漬け物をあれこれと取り出して勧めた。

 三男坊の方は、長耳を恐れも遠ざけもしない。 匙をくわえたまま借りた服に袖を通し、粥は結局ひとりで平らげてしまった。


 ふたりは賑々しく話していたように思うが、腹が減っていたせいでよく覚えていない。


      ◆


「食った。 美味かった」


 膨れた腹をぽんぽんと叩き、三男坊が息を吐いた。


「漬け物と交互に食うと粥が甘くてうめーのな。 具に刻んだきのこが入ってるのも良かった」

「そやろ? 干したきのこを煮込むと出汁が出てぐぐーっと味がよくなるんよ」


 手料理を褒められて上機嫌の長耳が足元に湯の入った杯を置いた。 三男坊は湯気の立つそれに息を吹きかけて冷まし、口元へと運んでいく。


「んぐ…… 俺の地元じゃあ、カツオで出汁を取った粥はたまのごちそうだった。 それに勝るとも劣らないいい味だったぜ」

「カツオってなに?」

「俺も生きてる姿は見たことがねぇが、海の魚なんだと。 舶来もんだからおいそれとは手に入らんよ」

「…………」


 クリクは口元を押さえて上を向いた。 よだれがこみ上げてきたからだ。 自分で決めたこととはいえ、胃袋のあえぎばかりはどうにもならない。


「おい、どうした? 具合悪いのか?」

「い、いえ。 お気遣いなく……」

「やっぱり、お腹空いてるんとちゃう? お漬け物くらいなら残っとるし、ちゃんと食べといた方が……」

「大丈夫。 大丈夫なので」


 長耳は心配そうに手を差し伸べてくる。 手を払いのけそうになったが、何とかこらえた。

 いかに長耳と言っても、助けを与えてくれたことに違いはない。

 それに主が受け入れているのだから、自分が事を荒立てるような真似をしてはならない。


「やめとけよ。 こいつ、長耳の作ったものは汚いから食べたくないと言ってたぜ」


 三男坊が事もなげに言い放つと、ふたりの表情が強ばった。

 人が配慮して黙っていることを、この男は。


「いや、その」

「……あ、そう」


 長耳の女は手を引っ込めて下を向いた。 声を大にして怒るでもなく、泣くのでもない。 ただ諦めたように、ため息をついた。


「都会の人でも、みんなそういうもんか」

「お、俺は……」

「ええよええよ。 いつものことやしな」


 長耳は立ち上がって洗い場に鍋を持って行った。 クリクは声をかけようとしてやめた。 かけられる言葉がない。


「その服はあんたにあげる。 おとんのやけど、もう着る人もおらんから」

「おい」

「何?」

「俺はシュウ」


 唐突に、本当に唐突に三男坊が自分の名を名乗った。

 シュウ。 確かにそんな名前だったような気がする。

 そうだ。 オミ家の三男坊はシュウ。


 シュウ・ヴォクン・オミだ。


「シュウくんか。 そういえば、名前も聞いとらんかったね」

「お前は?」

「カイナ」

「らしい名前だ」

「てきとーに言うてへん?」

「さあな。 して、カイナよ」


 尊大な構えであぐらをかいていたシュウが、カイナの後ろを指さした。

 洗い場のつっぱりに、幾本か調理用の刃物が吊り下げられている。

 粥の入っていた鍋は黒々としていたが、こちらも見れば不可思議だ。 色合いは安山岩に近いが、石刀にしては光沢が強く、刃が薄かった。


 それも長耳だから?

 そう思いかけたが、根本的なところで考え違いをしている気がする。


「それ、いいな」

「う、うん。 珍しいの?」

「真っ黒な鍋もそうだ。 俺はこんなものを今までに見たことがねぇ」

「ふーん…… 欲しいんやったらあげよか?」

「本当か」

「うん。 また作ればええだけやし」

「作れるのか!?」


 シュウがあぐらを組んだ足を解いて跳躍した。 飛び跳ねる勢いで詰め寄っていく。


「そ、そらーまあ? うちは三代続いて職人の家やからねぇ」


 両肩を掴まれ、カイナは気圧されたように仰け反りながら答えた。


「都会の人が満足できるとまでは言わんけど、丈夫は丈夫やし切れ味もぉ…… 近い近い! 顔が近いねん!」

「ってことは、お前はここでこの何かの道具を作って暮らしてる。 そうだな?」

「うん。 顔離してね?」

「小屋の横に見えたのはその為の作業場…… そうだな!?」

「うんそう。 距離がちょっと近いからね?」

「武器は、作れるのか?」

「近い言うとるやろ。 ……本格的なのはまだ練習中かな。 頼まれて作ったものやないから、蔵の中に置いてあるよ」

「よっしゃあ!!」


 掴んだまま、カイナが軽く投げ上げられた。

 シュウは天井すれすれに飛ばした小さな身体をもう一度受け止めると、肩に担いで歩き出す。


「おわぁ!?」

「早速作ってもらおうじゃねえか、俺の為の武器をよ!!」

「お、降ろして! 降ろしてー!」

「ギャハハハハハ!!」


 何が愉快なのかさっぱり分からないが、シュウは下卑た笑い声を上げて勝手口へと歩いていく。

 言動といい所作といい、まるで人攫いだ。 傍目には自分たちを襲った賊どもと何ら変わりがない。 落ち着きのなさを見ると、賊未満と言った方が実態に即しているかもしれない。


「おいクリク、ぼさっとするんじゃねえ! まさか得物も人間様が作ったものじゃなきゃ嫌だとか抜かさねぇだろうな!」

「は、はいっ!」


 慌てて後を追い、勝手口から小屋を出る。


 名を覚えられていたことに遅れて気がついたが、ばつの悪さを感じている暇はなかった。


      ◆


 カイナの作業場はゲンガン大市場ではおよそ見慣れないものだった。

 床は土ざらしであり、壁はない。 雨よけの屋根があるだけだ。 中央に大きな炉があり、その傍らにはそっけない椅子と背の低い台座らしきものが見える。 台座は磨いた石にも見えるが、光沢から察するに例の素材らしい。

 石や骨を削って武器を作るありふれた職人たちの作業場とは一線を画する。

 田舎の文化だから、長耳のやることだから。

 何度か自分に言い聞かせたことを打ち消すように、シュウが驚嘆の声を上げた。


「すげぇな! こりゃあ鍛冶場だぜ!」


 鍛冶場。 金属を加工する為の場所をそう呼ぶのだとは聞いたことがある。 現物を見たことはまだないので、本当かどうかは分からない。 事実だとすれば、あまり考えたくはないことが増えた。

 カイナは金属の加工技術を知っていて、あの鍋や包丁も金属器だということだ。


「大市場でもたまに鉱石が手に入った時しか動かせねぇのに、よくもまあこんな山奥に……」

「別にふつーやと思うけど……」

「どうなってんだよ。 なんでこんな場所が誰にも知られてねぇ。 お前が作った道具、誰も使ってねぇってのか?」

「少ないけど、昔から親切にしてくれる人らは使ってくれとるよ。 壊れたら食べ物と交換で修理してあげてる」

「もっといっぱい作って遠出して売れよ。 きっと儲かるぞ」

「……できるわけないやん。 おじいちゃんの代では結構評判良かったみたいやけどね」


 長耳を産んだ家は集落から追放され、隠れ住むものと相場が決まっている。 カイナの家が世間から隔絶されたことで、結果的にこの地域ではごく限られた人々だけが金属の道具を用いていたのだろう。

 まだカイナという長耳の女が産まれていない頃に金属器を武器にする発想を持たなかったのが当時の人々の不運とすれば、辻褄の合う話だ。


「それより何が欲しい? 注文して」


 カイナは椅子に腰掛けながらその右手にハンマーを握り、左手は入れ物から手頃な大きさの鉱石をまさぐっている。 足元には詳細不明の道具――鍛冶に使うもので、足先で踏んで使うと見える――を置いており、全身を使って道具の具合を確認しているといった風情だ。

 いかにも手慣れた雰囲気で、軽口や嘘でないことが伝わってきた。


「急げば明日には仕上げられるけど、練習に使った奴も棚にかけてあるから見といていいよ」

「分かった。 そいつを見て考えておく」


 シュウが指し示された棚に近寄ったのを見て、クリクはその後に続いた。

 隣に並び立ち、声を密やかに話しかける。


「一体どういうことなんでしょうか」

「何がだ」

「長耳が青銅器の扱い方を知っているなんて、信じられません」

「まだ言うか。 お前も頭の硬いやつだね」

「いえ、長耳でなかったとしても…… 奴の祖父だという男は何者なんですか。 どうして鍛冶なんて高等技術を知っているんですか。 普通じゃないことですよ」

「頭打った拍子にひらめいたんじゃねえの」

「坊ちゃん……!」

「昔のいきさつなんぞ知ってもどうもならんだろ。 ま、アホな長老連中がしきたりに従って長耳を追い出したお陰で俺は命拾いをして、今あいつの力を借りられるわけだ。 嬉しい限りだぁね」


 シュウが棚に置いてある兜のひとつを握った。 曲線的な金属板を張り付けた防具が、黄金色の輝きを示す。 自分たちを襲った賊の銅器と比べても、恐らく遜色のない出来映えだ。

 次にシュウは一振りの反り返った剣を手に取った。 兜をクリクに投げ渡すと、鞘に納められた剣をゆっくりと抜き放つ。

 こちらの輝きは鈍く、銀色に近い。 細く鋭く鍛え上げられた片刃の刀身に、波の模様が浮かんでいた。

 シュウはほお、と感嘆の声をあげると、手指で兜を持つように促した。


 まさか、試し斬りをするから受け止めろというのか。

 わずかに恐怖を感じたが、命令とあらば粛々と従うしかない。

 クリクは兜を両手に持ち、へっぴり腰に構えた。


(頼むから、俺の手を斬らないでくれよ……)


「色々と疑問に思っているお前の為に、お前のような人間がいかにも好きそうな言い方をしてやろう。 これから沸いてくる疑問の分も含めてな」

「は、はあ」

「カイナという女。 その親父。 それから、そのまた親父。 彼らは何故鍛冶の技術を持っていたのか? どこで知り得たのか? それも何故…… “鉄”を扱うことが出来るのか?」


 “鉄”? やはり何か知っているのですか、坊っちゃん。

 問いかけを投げる前に、クリクはシュウの笑顔を見た。


 牙を剥き出すような、笑顔。 声が続く。


 ――みぃんな、魔法使いだってことだよ。


 シュウが腕を振る。 鈍色の風が走り、クリクの視界が縦に揺れる。

 尻を打ち付け、喉の奥から息が漏れる。


 何をされたのか、分からない。

 シュウが抜き放った剣を上段に構えて、勢いよく振り下ろした。

 それだけのはずだ。 たったそれだけだ。 だが、何かされた。


「あ、えっ、えっ……?」


 見上げた先にいるシュウはこちらに見向きもしていない。 軽い舌打ちの音。

 けたたましく怒鳴りあげる濁った声が遠くに聞こえ、シュウがもうそちらへ意識を向けているのだと気がついた。


「あいつら、もう来たのか。 大人しく宝物だけ拾って満足してりゃいいものをな」


 カイナに二言三言の声をかけて、シュウは表へ向かって歩いていく。 まだ落ち着いて声を聞くことができない。

 クリクは呆然としたまま立ち上がって、足元を見た。


 土ざらしの床に、半分ずつになった兜が転がっている。

 しっかりとした拵えの青銅兜が、滑らかな断面を晒している。


 手が震える。 シュウが放った言葉の意味が伝わってくる。


 魔法使い。


 彼女が青銅を両断する武器を生み出せるというのなら。

 青銅を過去のものにする金属を知っているというのなら。


 それを魔法と呼ぶ他にないではないか。

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