第25話 青黴の化石の残り香


 少年もどきだった私の宝箱、といってもバームクーヘンの箱だが、そこにはたくさんの石が入っていた。


 まるくてきれいなつるっとした石。紫ががって、白い三本のラインが斜めに入った、アディダスと名付けた石。路に紅い線の落書きができる自慢の石。


 それから、石川県の従兄弟がくれた、星型でオレンジ色のひとでの日干し。長瀞の岩畳を叩き割った、ミルフィーユみたいな岩かけ。


 星の砂という名の、貝の残骸。最初はきちんと爪の形をしていた桜貝の欠片。


 そして、「学研の科学」の付録についてきた鉱石セット。小学生男子ごころをくすぐるもの。

 円形の透明蓋つきケースに仕分けられたブースには、15種類の石が並んでいた。素っ気ないごつごつした石の中に、一つだけ朱い艶のあるものがあって、それは私の守り神のように存在していた。

 その石が 「メノウ」ということだけを覚えていた。

 瑪瑙、めのう、アゲート。それを手にすると、なんだか落ち着いた。



 中二の文化祭で「古代の化石展」を教室で展示した時のこと。古代の生き物と歴史をパネルと模型で作成した一週間位の期間のできごと。


 展示の内容を白い模造紙に書く係。悠久の歴史に触れる人。

 背景に太古の風景を描く係。マンモスの姿を描く人。

 恐竜のはりぼてを作る係。骨の模型を作る人。恐竜の憎々しい肉感は堪えられないけど、背骨のシルエット、骨格の美しさにはうっとりする。


 そして、化石見本を作る係。てのひらに乗せられるような小さな。

 私は化石係になった。図書室から図鑑を借りて来て、昼休みと放課後かかりきりだった。

 先生が、粘土じゃ際限ないから小麦粉で粘土作ってみたらと提案してくれたので、みんなでこねこねこしらえた。その感触はひんやりとして、すっごく気持ちが良かった。


 三葉虫やアンモナイトを作って、小汚い色を創り出して、いかにもくすんだ傑作の絵の具を刷毛で塗って、それらしい出来栄えにみんな自画自賛、大満足していた。

 給食の時も、化石もどきを隣に、教室中が太古の中にあった。



 しかし、文化祭当日が近づくにつれ、当たり前だけどその小麦粉粘土は、腐って悪臭を放ちはじめた。

 最初はまだ我慢できる程度だったが、もう当日なんて教室のドアを開けるたびに吐きそうなくらい、匂いまで古びていたんだ。

 だから、折角の展示を見に来てくれたのは多分クラスメイトの保護者だけで、一般のお客さんはドアを開けるたびに、うっと声を漏らして去って行ってしまったのだ。


 わりにその臭いにも慣れてしまった私たちは、腐ったわが化石たちに、いい感じにカビが生えたことに奇跡すら感じていた。

 莫迦な誰かが机の中に置き忘れた白い食パンに棲息した青黴あおかびのように。もうその香り諸共、みんなこの教室がだいすきになってしまって、終わりにするのが惜しいような、そんな日々だった。


 あの化石たちの処分、どうしたのだろう。捨てたか、燃やしたか。

 見事な臭気を残し、鮮やかに消えていったんだな。

 しばらくその青い黴たちは、教室を風のように巡って残り香を放ち、そして、遥か彼方に旅立っていった。ご苦労であった!



 このゆるやかな阿呆らしい、だいすきな記憶。

 でも、同窓会でこの話題が出たことはない。なぜだろう。


 昔から、私の覚えていることはどうやら人と違うようで、たとえば小学生の時の障害物競走で、白い粉に顔を突っ込んで飴を食べ、真っ白の顔のまま、どじょうをつかんでゴールするのがあったよね。いつまでもどじょうが掴めないまま、次の人たちがスタートして恥ずかしかった。って話をしても、誰も覚えてなかった。


 記憶の回路が、どこか人と違うのだろうか。逆に、他の人の話は全然覚えてなかったり。


 だから、腐った化石の話は、いつのタイミングで、誰に話すかが問題だ。

 たまに家に遊びに来る、星オタクの絵のうまいヤツに話してみようかな。奴は土星の輪っかのようなドーナツを土産に、写真の話をしにくる。でも、なんか勿体なくて、今更話したくない気もする。もっと先に取っとこうかとも思っている。覚えてなかったら悔しいしな。



 なにやら、化石やら石やらにロマンを感じている自分がいる。


 理科は、化学も物理も生物も苦手だけど、地学だけはだいすきだった。ブラタモリもすきで、河岸段丘とか暗渠とか言われると、目が輝く。


 紀伊国屋書店に鉱物店があるのを、あんなに何度も通っていたのに知らなかった。たぶん一階の喧騒が嫌いで、すぐに上の階への階段を上っていたせいなんだろう。


 あの人の書く作品に出現したその小さな鉱物店は、きらきらと詰め込んだ宝石箱のようで、少年の日を思い出してすぐに好きになった。知ってからは新宿に行く度に寄る。


 おっきなたまごがあったり、様々な石たちが所狭しと並んでいて、お客さんが自分のお気に入りを一生懸命選んでいる。私は初心者のせいで、圧倒されてしまって一回目はすぐに退却。


 二回目にやっと、小学生男子がおみやげに買いそうな、小さな8つの鉱物セットを買った。それを選ぶのすら時間がかかった。

 だって、同じセットが3つあって、どれも同じ石の名前で、でもまったく別物で、相当時間迷ってしまったんだもの。

 3つまとめて大人買いすることも考えたけど、それは反則のような気がして、なんとかひとつを選んだ。ついでに「ときめく鉱物図鑑」という本も買って、よく眺めている。


 ちいさな鉱石たちは、チョコレートの箱に入れることにした。

 一つずつ仕切りもあって、ちょうどいい。 日夜、引き出しを開けてはちら見を重ねている。


 黄鉄鉱 Pyrite 方解石 Calcite 紅石英 Rose-Quartz

 藍銅鉱 Azurite 蛍石 Fluorite 蛋白石 Opal 水晶 Quartz-Crystal 

 そして、決め手になった 砂漠のバラ Sand-Rose


 星の王子様が自分の星に残してきたのは、どんなバラだったのだろう。


 こんなに小さくても、この子たちはあなどれないんだよ。

 石たちはどっか宇宙と連携していて、此処から宇宙空間に、勝手に私の想いなんかをしたためた発信文を送ってしまうんだ。見張ってないといけないんだ。気が抜けないよ。


 いつのまにか遠くなってしまったあの人は、もうここを読んでくれることはないのだろう。

 きっと夢は終わったんだ。透明な手紙はもう届かない。

 私は想いを馳せて、空を見上げる。

 月はいつしか、姿を消した。






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