第18話 月とただの銀貨


 凡人が歩む人生と、天才が歩く人生は、ちがう。

 そう思っている。しあわせかどうかの定義は別として。



 「月と六ペンス」は、サマセット・モームが、ポール・ゴーギャンをモデルに書いた小説だ。


 ゴーギャンは、イギリスでの生活を捨てパリに移り住む。そして、最後の楽園、タヒチを見つける。四十才にして突然、絵を描くために全てを捨ててしまうのだ。


 自分の才能を信じ、生涯を賭けることに揺れず、迷いがない。そのためならば、貧乏も罪悪感も自分には一切関係なく、人に認められたいとすら思っていない。他人の評価などくだらない。


 あの時代に、彼の絵は理解されることはなく、亡くなって後に天才と囁かれた人。褒められもせず、自分だけを信じるには相当な精神力が必要だと思うのだが、常人と違うのだ。

 残念ながら、画家はそういう人が多かったように思う。映画「モンパルナスの灯」のモディリアーニなんて、哀しすぎて目を覆ってしまう。プライドゆえの葛藤も痛々しかった。

 

 私は凡人だから、やっぱり誰かの言葉が必要で、褒められると嬉しくなって舞い上がってしまう。いいのだ、普通の人なのだから、それが糧になっていくのが図式だ。


 ゴーギャンは、タヒチの奥地に住み、死ぬ間際に家の壁いっぱいに絵を描く。その傑作を、自分が死んだら家ごと燃やしてほしいと頼む。

 後世に残そうとも思っていない画家は、誰のために書いたのか。自分のためだけに、情熱をこめて。または、愛する女のために。



 一方、作者のモームの方もまた、結婚による平凡な幸せを畏れる人間であった。

 幸せだと、それ以上を望まなくなるから。

 上に進めなくなることの方が、ずっと怖い。


 幸せという、掴めもしない実態のないものに、人は翻弄される。どう定義しようとも、自分の中に実感が在るかどうかだろう。実感が在っても永遠に続かないし、一瞬の気の迷いのことすらある。


 そして、幸せを良しとしない人だっている。安定を嫌い、寂しさからしか自分の道を見つけられないように。

 破滅こそが、芸術。破滅してこその、心の叫び。


 モームは言った。

 静かな小川、穏やかな海では、かえって不安になると。

 私の情熱は、変化と、予測を許さぬものへの興奮であると。

 そのためならば、のこぎりの刃のような岩が潜んでいることは、覚悟の上だと。



 題名の六ペンスは、当時の英国の銀貨の中で、いちばん最低額で 「わずかな、くだらない」という意味もある。


 月は、遥か彼方にあり、高尚なもの。

 転じて、六ペンスは、ごく卑小なものの象徴。

 共に、銀色に輝く円いものなのに。


 月は、追求してやまない芸術の極致。

 六ペンスは、名誉や立身出世や財産のように、凡俗の人々の世俗的な理想。 理想であって、ひたすら現実。



 天賦の才がある人は、圧倒的な強さを垣間見せる。天才たちは、すべての天才は、己が天才であることを知っているのだろうか。迷いはないのだろうか。


 そんな天才たちが残したものに魅せられて、ただただ朽ちていくだけのこちらは、こんな凡人でも何かを追い求め、探す旅に出かけてもいいだろうか。


 内面からのかすかな声を聴いて、その導くままに、少しでも輝きを見つけて生きていきたいと願っても構わないだろうか。


 月に向かって、銀貨を指ではじいて、表か裏か占ってみよう。

 裏が出たら、ここを出ていくのもいいかもしれない。






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