第14話 ボーイッシュ
いつからだったろうか。
多分、背中まであった長い髪をばっさり切って、男の子みたいな短い髪になった、小学五年生くらいから。
私の中にはいつも少年のような自分がいて、時々隠れて「ぼく」と呼んでいた。
仕草や言動が下品にならないように注意しながら、なんとなく男の子チックに動いていたようなところがあった。
あれは私なりの思春期だった。
すきな子は男の子だったけど、きもちなんか気づかれないまま仲間みたいに接しているのが楽しくて、居心地がよかった。
ずっと少年のような体でいたかった。胸がふくらんできたり、月のものがくるのが心底嫌だった。
*
中学生になってもボーイッシュな振る舞いが好きな自分がいた。そのせいか、割と男子とは気軽に喋れてしまう方だったな。
けれど、選んだ部活は「女の園」の新体操部で、同級生に嫌いな女がたくさんいて面倒な毎日だった。
親友はすてきな女の子たちで、それが救いだったけど、粗を探すように他人を見張っている女たちに何かと因縁をつけられて、男子と談笑しているだけで妬まれた。
それを気にしないふりをしていたら、関係ない上級生にまで睨まれた。でも、そこでも擁護してくれる気風のいい先輩たちがいてくれたから、掬われていたんだ。私の人生は恵まれている。味方が必ずいてくれる。だからやってこれた。
そして、なりたくない人種には軽蔑を持って、絶対許せない人には憐みをもって、ばかなプライドを掲げたまま、自分の小さな人生を生きていた。
応援団の扮装をすることになって、男子の学ランを借りた。白いハチマキをしてボタンをはめたら、恥ずかしかったけどすごく嬉しくて、ずっと着ていたいようなくすぐったい気分になった。男になったら余計なことを考えずに済むような気がした。
次に生まれ変わったら、絶対男子になりたかった。女の執念みたいな部分を下らないって思ってた。
*
高校に入ってからも、まだ少しそんな意識がどこかにあった。
でも、ある日、あの電車の中でのあの出来事で、私は一気に女の子になっていくのだった。
あの日、まだ男の子だったぼくは、常にぎりぎりセーフをめざしていた。やんちゃな仕草が気に入ってて、自転車を放り投げて電車にすべり込んで間に合わせた。はぁ、今日も記録更新だぜ、みたいに。
まもなく梅雨がやって来る、湿気の多い暑い日だった。
思いの外混んできた車内で、どんどん押されて車両の真ん中辺りまで追い詰められて、身動きが取れなくなった。必死につり革に掴まる。
自転車を猛スピードで漕いできたので、汗があふれてきた。気づいたら顔をだらだら伝ってきて、目の前に座っている男の人の鞄に、ぽたりと一滴垂らしてしまった。
あわててハンカチを探そうとしたが、いつも手を洗ったらぶんぶん振って風で乾かしていたばかな私に、そんな気の利いたものはなかった。
そこからどきたくても満員の車内でどこにも逃げ場はなく、焦れば焦るほど汗は出てきて、ぽたりぽたりとその人の鞄に垂れていく。
早く駅に着いて。祈るように願った。 時間を早回してほしかった。
その男の人は若いサラリーマンで、少し驚いたように私を見上げた後、目を伏せてこちらを見ないようにしてくれた。
できることなら、制服のスカートをたくしあげてでも、その水滴を拭いてしまいたかった。
やっと駅に着いた時、ほんとうは謝りたかったのに恥ずかしさのあまり声も出なかった私に、その人は「大丈夫だよ」と言うように微笑んでくれた。
立ち上がって階段に向かってホームを歩きながら、さりげなく自分のハンカチを出して、一瞬で汗の部分をぬぐって何事もなかったように去っていった、その人。
その日から、私はきちんとハンカチを持つ女の子になった。
その人を、もう一度見かけることはなかった。
会ったら謝りたいと思っていたけど、変な女子高生に二度と遭遇しないように車両を変えたか、時刻を変えたか、たまたまあの日、あの席に座っていたのか。
ばかげた男の子ごっこを終わりにした、思春期の終わり。
いつかあのやさしい男の人みたいな人に、すきになってもらえるような、そんな女の子になりたくなった。
あの時、あの人が汚らわしそうに私の汗を睨め付けたのだったら、きっと私の人生は今とは違っていただろう。
ありがとう。そして、ごめんなさい。
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