第8話 人生をマネジメントする(その2)

               一

 沢田さんはその日も「おしゃれ猫」に来たが、いつもの元気がない。

 歌も歌わず、焼酎の水割りを少しずつ飲みながらぼんやりしている。オオサンショウウオみたいにどんよりとした雰囲気だ。

 何か話をしたいのか、そっとしておいて欲しいのか。それがよくわからない。

 女の子たちもどうしたらいいのかわからず、結局水割りをつくるだけで、ほったらかしにしておくしかない。

「マスター…」

 1時間くらいぼんやりしていた後、口を開いた。

「…今度ね、私は店をたたむことにしたんだ」

「あのけっこう長くやっている本屋をやめるの?」

「うーん、長いって言っても10年くらいしかやっていないんだけどね」

「でも10年ひと昔と言うじゃないか?実は俺もこの店を始めて10年くらいなんだ」

「そうか…。うちの本屋は、いわゆるリサイクル書店で、最初のうちは、インターネットで中古の本を売る仕組みがちょうど出てきた頃で、一般の人から本を買い取って、それを店頭とネットの両方で売るやり方でうまくいっていた。でも、ネットで本を売る業者が増えて競争が激しくなり、だんだん売れなくなってきたんだ。やっぱり、家賃を払って商売をするのは大変だ」

「そうか…。けっこう頑張ってうまく行っていたような感じもしたけど、惜しかったね」

「うーん、あの商店街で物件を借りて自営業という人はかなり少ない。まあ、セブンイレブンみたいな本当の自営業とは言えない歩合制のサラリーマンみたいなフランチャイズとか、税理士さんみたいな士業なんかは別だけどね。それと美容院とかブティックなんかもあるけど、そんなもんだよ。自営業だと、自分で物件を持っている人が多くて、そういう人でも息子さんは後を継がない予定になっていて、ゆくゆくは閉店にしてどこかに貸そう。という見込みの人が多い。まあ、もともといい場所に物件を持っているのが強みで、商売自体がすごくうまくいっているわけじゃないんだ。自分の物件は人に貸して、自分はどこかで時給900円でバイトしても同じくらいの収入になるけど、自分で商売をやった方が楽しいからそうしてるんだと思う。だから、中堅企業のサラリーマンなんかになって自分のとこは人に貸すようにしたらその方が収入は増えるけど、サラリーマンやるのが嫌だ。という人たちなんだろうね」

「それで、店はどうするの?」

「実は、店を買い取ってくれる人が現れたんだ。そこは運がいい。そういうのを斡旋する業者があって、そこの紹介なんだけど、よそで一軒似たような本屋をやっている人で、2軒やれば、買い取った本を2軒の店の間でうまく融通しあったりしそれでうまく行きそうだという見通しを持っているらしい」

「それじゃあ、撤退に伴ういろいろな面倒はないのかな?」

「そうだね。まあ、もののかたずけくらいかな。賃貸契約のときに預けた保証金も戻ってくるし、営業譲渡に伴いお金が少しは相手からもらえるから、少しはお金が残る。でも次にどんな商売をしようというあてもないし、貯金を使って生活していたらすぐにお金がなくなっちゃうから、とりあえず何かアルバイトをしたいんだけど、何がいいと思う?」

「そうだな、沢田さんは何歳だっけ?」

「45歳」

「そうか…。俺の5歳年下だったんだ。でも、45歳くらいになると、とりあえずできるアルバイトだと、飲食店か警備員くらいかもしれないな」

「やっぱりそうか。マスターは、はっきり言ってくれるんで、話しやすい。週刊誌で読んだんだけど、中高年でリストラされた人ができる仕事は、飲食店か警備員のアルバイトくらいしかない。と書いてあった。マスターに聞いてもやっぱりそんなもんなんだな」

「うーん、残念ながらそんなもんかな。でも資金が手元に残るんでしょう。アルバイトしながらでも、それを使って次にやる商売を考えればいい」

「そうだー。とりあえず貯金を減らさないために何かバイトする。というそのバイトを考える段階が、自分のいる場所なんだなあ」

 沢田さんは、焼酎の水割りを飲みながら、相変わらずぼんやりとした表情を浮かべていた。


                    二

 沢田さんは次の日、目を覚ますと自分でラーメンを作って食べながら、飲食店と警備員とどちらがいいか考えていた。沢田さんは独身、アパート暮らしである。

 将来自分で飲食店を経営しようという考えがあるわけでもないので特に飲食店で働きたいという理由はない。でも、飲食店の方が警備員よりも退屈しないような気がする。失敗したら店長だか仲間だかに怒られそうだが、楽しい面もありそうだ。裏返せば、警備員の方がただ立っているだけという場合も多く、比較的ぼんやりしていられるそうだが暇で退屈そうでもある。

 沢田さんのその時の気分には、少しぼんやりしていられる仕事の方が合っていた。警備員の方を中心に探すことにして、ネットでいろいろと検索してみた。

                

 最初に電話をし、履歴書を書いて面接に行ったのは、T社だった。この会社はネットで検索するといろいろなところに名前を見ることができ、支社もたくさんあるようで、たぶん業界でも大手の方なのだろうと思った。また、沢田さんの住んでいる場所の近くにも支社があり、日給も高い方だったのでここに決めた。

 特に警備会社の面接ということは意識せず、何も対策を立てないで行った。その当時、沢田さんは髪の毛を茶髪にしていたが、それもそのままだった。ただし、もちろん当然のことなのだが、一応ネクタイをしてスーツを着て行った。

 その警備会社の支社は、ターミナル駅の近くの雑居ビルの4階にあった。

 エレベーターを降りるとT警備という表札があったのでその中に入った。

 静かな、少し照明の暗い部屋で、壁にはホワイトボードがあり隊員のシフトがいろいろと書いてある。腕時計を見たらちょうど約束の時間の5分前だった。

 40歳くらいに見える小柄で顔も小さめで、あんまり笑いそうにない無表情なおじさんが出てきて、その人が面接担当者だった。

 面接では、簡単に仕事の内容を説明された。「施設警備と工事現場等の警備があり、施設警備の方が仕事は安定しているが休みはとりにくい」等々だった。

 そんなに大して突っ込んだ質問もされなかったが、警備士は信用第一で過去5年間の前歴をきちんと証言できる人がいるかどうか聞かれた。

「自分で書店を経営していたので、特に証言できる人はいないかもしれません」

と正直に答えた。

 それ以外は突っ込んだ質問もなく、やや変な感じもしたが、ちゃんとした就職ではなくアルバイトだからこんなものなのかなあ、とも思った。

 その警備会社からは、その後連絡がなく、不合格(不合格の場合は連絡しないと言われていた)。

 原因は茶髪だろうか、前歴だろうか、それともそれ以外の何かだろうか。

 後に「おしゃれ猫」で、警備会社で働いている江川さんにこの話をする機会があった。その時の江川さんの話だと、「茶髪なんか、『この次までにちゃんとしてこい』ですむ話で、それで不合格というのも変な話だな」ということだった。とすると、やはり前歴が原因なのだろうか。

 そうかもしれないが、やはり茶髪なのをいちいち注意するのも面倒くさいから、できれば最初から茶髪でない人をとりたい。ということもあったかもしれない。

 どちらが原因なのか、はっきりしなかったが、とにかく、そこは不合格だったので次のところを受けることにした。


 次に受けたのは、ネット求人で小中学校の学校警備員を募集していたS社だった。特に学校ということにこだわって探していたわけではないが、たまたまネットでいろいろ見ていて見つけた。沢田さんは書店を始める前に小中学生向きの塾で働いていたことがあり、「小中学生か、懐かしいな」なんて思いながら、S社を受けることにした。

 S社もネットで求人の検索をかけるといろいろなところに出ていて、支社もたくさんあり、たぶん業界では大手だろうと思った。

 不合格になってばかりもいられないので今度は髪の毛を黒く染めて行ったし、もちろん、前回同様、ネクタイをしめスーツを着て行った。

 そして、前歴のことに関する質問に関しては、「経営していた書店で長く働いてくれていたアルバイトと連絡がとれるので、その人が証言してくれるはずです。また、物件を借りて営業していたのでその大家さんに証言してもらうこともできます」と答えることにしていた。

 その会社もターミナル駅の近くの雑居ビルの2階にあった。

 エレベーターで2階にあがり、S社の表示のあるドアを押して入っていった。T社と同様壁にホワイトボードがあり隊員のシフトがいろいろと書いてあったが、T社に比べると明るい雰囲気だった。

 面接をしてくれたのは、背が高くて少し白髪交じりの、見た目40代のおじさんで、川野という名前だった。鼻の横あたりに大きなほくろがあり、面長で、真面目な顔をしていてもニヤケているように見える。「なんだか味のある人だなあ。こんな人でも警備会社でちゃんとやっているんだなあ」と思ったが後でその支社では支社長の次に偉い課長さんだということがわかる。

 面接はT社同様とてもあっさりしていて、そんなに答えるのに困るような質問もなく、前歴のことも聞かれなかった。警備士の仕事について一通りの説明があってから、「何月何日から4日連続で研修を受けて、何月何日から働くということはできますか」と聞かれ、「できます」と答えた。

 明らかに、「やめようとしている人がいて、急いで代わりを探している」という雰囲気だった。


 家に帰って少しすると電話があり、結果は予想通り合格だった。

 やはり、髪の毛を黒く染めて行ったのがよかったのだろうか。それとも、たまたまT社よりもS社の方が人が足りない状況があったのだろうか。原因は断定できないが、よく言われるように、外見が決定的に重要だった可能性もある。


                 三

 S社の面接に受かってすぐ、沢田さんは「おしゃれ猫」にやってきた。

 少し元気になった様子で、カウンターに座り、前みたいに歌を歌ったり、周りの常連のお客さんと話をしたりしていた。

 マスターがカウンターの中にいてアルバイトの話になった。

「バイトは一応決まりました。ちゃんと勤まるかどうかはまだわからないけどね」

「あー、とりあえずよかったね。何にしたの?」

「それは、今のところは秘密。でも、この先ずっとこのバイトでやっていくわけにはいかないので、何か考えないと」

「まあ、それもそうだけど、あんまり焦らない方がいいよ」

「それは、そうかもしれない」

「ところで、沢田さんはドラッガーという人を知ってる?」

「本屋をやっていたから名前は知ってるけど、読んだことはない」

「ドラッカーが書いた『プロフェッショナルの条件』という本があるんだけど、もしかしたら沢田さんの役に立つかもしれないよ」

「どんな本?」

「仕事を選ぶ上では、自分の強み・仕事の仕方・価値観をよく考えるべきだ。とかいうことが書いてあるんだけど、大きな本屋にいけばあるし、アマゾンでもすぐに買える。俺は、こないだ息子の進路について相談に乗ったんだけど、その時も役に立った」

「若い人向きかな」

「いや、一番根本的な原理原則が書いてある、という感じなので、老若男女問わず役に立つと思う」

「それは読んでみようかな。正確な題名はなんでしたっけ?」

 マスターは、メモ用紙に『プロフェッショナルの条件』と書いて、沢田さんに渡した。


 沢田さんは次の日、パソコンで『プロフェッショナルの条件』という文字列で検索してみた。アマゾン・マーケットプレイスだと、中古で約300円+配送料約250円で買えることがわかったので、その値段で注文した。

 本が届くと、マスターが言っていた強み・仕事の仕方・価値観という言葉が出ているところを探し、「Part3 自らをマネジメントする」の「第2章 自らの強みを知る」という章を中心に読んでいった。

 沢田さんは、本を読むときは自分のアパートで寝っ転がりながら読むと一番内容があたまに入るので、もっぱらそうやって読んだ。

 最初に「強み」について書いてあった。


 今日では選択の自由がある。したがって、自らの属する場所がどこであるかを知るために、自らの強みを知ることが不可欠となっている。


 強みというのは、適性として向いていることと、経験が生かせることの二つがありそうだ。

「長所」とか「得意なこと」などより意味するところの範囲が広いかもしれない。と沢田さんは思った。

 沢田さんは、大学を出てから最初は小中学生の塾に勤めて算数・数学・英語などを教え、その後大学受験の予備校に移って英語を教えていた。

 大学受験生が減ってきてコマ数が減らされるようになり、予備校は辞めて、小さなリサイクル書店を始めたが、それもうまく行かなくなって人に譲った。

 どの経験が生かせるか?これまでやってきた仕事は、いずれも時代の流れから見ると斜陽産業だ。それと、どういうところに適性があるのだろうか?ちょっと考えてすぐにわかるものでもないが、落ち着いてじっくり考えれば何かヒントが得られるかもしれない。


 次に、「仕事の仕方」について書いてあった。


 強みと同じように、仕事の仕方も人それぞれである。個性である。生まれつきか、育ちかは別として、それらの個性は仕事につくはるか前に形成される。したがって、仕事の仕方は、強みと同じように与件である。


 与件というのは、「仕事を始めた時にはすでに与えられた資質があって、なかなか変えることは難しい」ということなのだろう。

 今までの仕事について考えてみると、大きな組織には入らないで、比較的自分一人でできることが多かった。

 それが向いているような気がして、無意識のうちにそれを選んでいたのか?それとも理由はなくてなんとなく今までそうなっていたのか?

 自分でも定かではないが、なんとなく、相対的には一人でできる仕事が向いているような感じはする。


 そして価値観について書いてあった。


 私にとって価値あるものは金ではなく人だった。


 これは、ドラッカーが自分自身について書いた記述である。

 価値感というのは、「こだわり」とか「心の満足」のようなことについて言っているようだ。


 つまるところ優先すべきは価値観である。


 沢田さんが注目した文言は、マスターが読む時とは少しずれていたが、この部分だけはマスター同じである。

 これがドラッカーの一番言いたいことかもしれない。

 沢田さんは、自分の強みとか仕事の仕方とか価値観について今まであまり意識して考えたことがなかった。

 こうしたことについて、この機会に少し考えてみた方がいいのかな、と思った。


                    四

 入社すると、まず4日間の新任研修があった。これは、法律で定められたもので、新しく警備員を始める人は全員が義務付けられている。

 ビデオを見たり、講師の話を聞いたり、消火器や三角巾などの使い方や広報の仕方(決まった文言を暗記し言ってみる)などの簡単な実技の練習をしたりして4日間が過ぎた。   

 研修の講師は内勤者で手の空いている人が担当していた(内勤者というのは、常勤アルバイトで、管理的な仕事もする職。正社員と普通のアルバイトの間に位置する)。

 だいたい通り一遍の説明だったが、沢田さんが印象に残っているところもあった。

川野課長が講師だった時、「警察官と警備員の違いは」という問いかけがあった。

「警察官は税金を払っている一般市民がお客様だけど、警備士は、特定の雇い主がいる」

 と、沢田さんは答えた。

「まあまあいい線いってます。警備員は特定のお金を出しているお客さんがいるけど、警察官は、一般市民がお客さんとも言えるのですが、警備員のような意味でのお客さんがいません」

 川野課長が言った。課長さんは、年は40台だろうか。よく整理されたわかりやすい話し方をする人で、インテリっぽい感じだった。

 どうして警備会社にいるのか不思議な印象を受けたが、景気がわるくてどこかの会社でリストラされたのかもしれない。

 4日間で約2万5千円もらえた。


                  五

 応募した内容通り、沢田さんは学校警備を担当することになった。

 普通学校警備というと、夜とか放課後などに宿直のような形で常駐し、校内の小さな部屋に詰めていて、窃盗犯などの侵入者を発見するために時々校内を巡回する仕事を言う場合が多い。

 もちろん、そういう職種の方が一般的で、沢田さんのやっているような校門のところに立ち、時々学校の周りを巡回したりする学校警備員というのは、わりあい珍しい。

 D市が民間のC警備会社にお金を払って委託している仕事で、沢田さんは、C警備会社から派遣されてA校に来ている。その学校のあったD市は、市内に高級住宅地などがある比較的裕福な自治体で、予算にゆとりがあるので、こうした仕事が成立しているのだろう。というのが、沢田さんの推測だった。

 新任研修が終わると、現場研修に移った。これは2日間で、研修と言っても間違いではないが、引き継ぎの性格が強かった。

 教えてくれたのは、それまでこの現場を担当していた上河内さんという人だった。

 一緒について歩きながら、一通り1日の流れや仕事のやり方を教わった。

 まず、朝は、A小学校に行って更衣室で警備員の制服に着替え、8時から12時までA小学校の校門に立つ。そして、昼休みを1時間弱とって、午後1時から4時もう一度A小学校の校門に立、4時になったら更衣室で着替えて帰る。

 というがだいたいの流れで、基本的には校門に立ち時々学校の周囲を巡回するのが仕事の中身だった。

「午前中は、ひまで退屈だけど、午後になると生徒の下校などがあり、わりあい時間が経つのが速い」と言われた。

 これは、次の日から実際に自分だけでやってみるとその通りだった。


 一通り回っていく中で、それぞれ学校の管理職に「よろしくお願いします」と挨拶をしていった。

 概ね通り一遍の挨拶をするだけだったが、A小学校の河村校長先生は、いろいろと言葉をかけて激励してくれた。

「上河内さんに負けないように頑張れ」

「君が駄目だと、S警備会社全体が駄目だと見られる」

「挨拶するのだって、相手が挨拶を返しやすいように挨拶をしないとだめだ」

 だいたい、こんな内容だった。月並みな内容だが、熱心に声をかけてくれたので、単純に「仕事熱心ないい人なのかもしれない」と思った。

 上河内さんは、河村校長については、「このへんの校長では一番の古株で、みんなあの人には逆らわない方がいいと言っている」と言っていた。「みんなって誰の事だろう」「どうしてそんなことがわかるのだろう」と思ったが、質問しそびれた。

 それと、A小学校の副校長は、少しやせ気味で、50歳くらいに見えるメガネをかけた女性で、「ざあますおばさんみたいな外見だけどいい人」というのが、上河内さんの評だった。


 上河内さんは、仕事全般にわたる心構えのようなことも言っていた。

「生徒ともコミュニケーションをとる、保護者ともコミュニケーションをとる。それから地域の人ともコミュニケーションがとれないとだめだ」

 それを聞いて沢田さんは、「なんだか当たり前のことをもっともらしく偉そうにしゃべってるな」と思い、思わず質問した。

「地域の人とコミュニケーションがとれると、学校警備の仕事に役に立つ場合があるんですか」

「例えば、近くに道路工事をしていて、生徒が通るのが危険な場所があるということを地域の人が教えてくれるかもしれない」

「そういう事例があったんですか」

「そういう事例はまだないけど、そういう可能性がある」

「そうですか。そういう可能性があるんですか」

 だいたい、こんなやり取りだった。

 なんだか、お説教みたいな口調で中身のないことをもっともらしくしゃべる面白みがない人だなあ、と沢田さんはその時は思った。

でも、後で振り返ってみるとそれなりに楽しい問答だったと思う。

 上河内さんは大真面目だったと思うし、こういう言い方が上河内さんの流儀だったのだろう。でも、「コミュニケーションがとれないとだめだ」というよりは「距離の取り方が意外とむずかしい」などと言われた方が、沢田さんとしては受け入れやすかった。これは、しかし、単なる好みの問題かもしれない。

 それと、例えば「昔話をするのが好きなおじいさんがたまに話しかけてくるけど、そんなに話が長いわけじゃなく、普通に聞いていればすぐに終わるので、それでいいと思う」等、具体的に地域の人にはどんな人がいるのか教えてくれるともっとよかったように思う。


                    六

 現場研修を終えて、沢田さんは無事正式に勤務に就くことができ、最低限の生活費は得られるようになった。               

気候のいい春のある日、沢田さんがいつものようにA小学校の通用門の前で立哨(立っていること)していたら、校舎の方から変な歌が聞こえてきた。


 メーリさんのブルドッグ、ブルドッグ、ブルドッグ。

 メーリさんのブルドッグはおいしいな。

 (『メリーさんの羊』のメロディーで)


最近、毎日のようにこの歌が聞こえてくる。

 「なんだか面白い歌だなあ。どこで歌っているんだろう」と思って校舎の方を振り返ると、3階の窓のところにあった人影がさっと隠れた。

 しばらくすると、また、例の歌が聞こえてきた。そこで、今度はさっきよりも素早く振り返ると、窓の人影も素早く隠れた。

 そんなことが3~4回続いたが、しばらくするとチャイムの音がして、歌は聞こえなくなった。

「歌っていたのは生徒で、歌っていた場所は廊下の窓の近く、チャイムの音で教室に入った」たぶんそんなところなのだろう。

 なんで羊でなくてブルドッグなのかな。「可愛いな」じゃなくて「おいしいな」なのかな。子どもは面白いことを考えるものだ。なんて思いつつ、その歌を聞いたり、さっと振り返って生徒が慌てて隠れる様子を見たりするのが、最近では仕事をしている時の一番の楽しみである。

一番の楽しみというと大げさに聞こえるかもしれないけど、警備の仕事はだいたい黙って立っているばかりで退屈なので、本当にそうなのだ。

 生徒たちは、飽きずに同じ歌ばかり歌っている。よほどあの歌が気に入っているのかな。でも、それにしても変な歌が好きだな。まあ、自分も小学生の頃は『気違いの歌』なんていう変な歌を歌っていたし、人のことは言えないなあ。ああいう変なことが好きになる年頃なのかな。

 なんて思いながら、その頃は、毎日のように楽しく生徒たちの歌を聞いていた。


 しばらくして、大人が5年生くらいの男子生徒を5名連れて、校門のところに来た。生徒たちは、やんちゃ坊主みたいなかわいい子どもたちで、大人の方は、若い小柄な女の先生だった。

 先生が静かに「警備員さんに謝りなさい」と言うと、生徒たちは「変なことを言ってごめんなさい」と頭を下げながら言った。

 沢田さんが「何を言ったんですか」と聞くと、生徒たちはもじもじしていたが、その中の一人が「ブルドッグ」と答えた。

 沢田さんは、「ブルドッグの歌は本当に面白いですねえ。毎日あの歌を聞くのを楽しみにしているので、是非とも続けて欲しい」なんて正直に言いそうになったが、それは思いとどまり、「全然、気にしていないから大丈夫ですよ」と言った。

 先生は、「沢田さんが発見したので、謝らせようと思って連れてきました」と言い、沢田さんはまた、「全然、気にしてないです。わざわざ謝りに来られると恐縮してしまいます」と答えた。

 先生と生徒たちは、お辞儀をしてから校舎の中へ戻って行った。

 もう、あの面白い歌を聴くことはできないかもしれない。

 「やっぱり、客観的に見れば大人をからかっているみたいな行動だから、ああやって指導しないといけないんだな。学校の先生は大変だな」「でも、それはそれで大切なことなんだろうな」と思いつつ、「学校警備の楽しみが一つ減ってしまうかも。ちょっと残念」とも思った。


                    七               

 その後は、何もすることがなく通用門の前にただ立っているだけ。沢田さんは基本的に退屈である。

 ただし、さっき謝りに来た生徒や先生の様子を思い出すとなんだか愉快な気分になってくる。

 あの若い女の先生は、「生徒たちがかわいくてしょうがないけど、なんとかがんばって厳しい顔つきをして生徒たちに謝らせている」というふうだった。その時の生き生きとした表情を思い出すと、若いのにちゃんと自分の価値観に合った生き方を手に入れている幸せな人なのかな。と思う。

「価値観が最優先」というドラッカーの言葉は、やはり正しいのだろうか?

 沢田さんはその時、自分が塾講師を始めてやった時のことを思い出した。

 それはもう20年くらい前だったけど、とにかく夢中だったし楽しかったと思う。○○君とか××さんとか生徒たちの顔と名前もいまだに憶えているし、授業をしていた時の一場面をなんかのひょうしに思い出したりする。

 例えば小6の算数の時間。図形の問題だったと思う。「それじゃあ、こういう図を考えてみよう」といって7割くらい板書したところで、「わかった」と元気な声を出す生徒がいた。

 あの時は嬉しかったなあ。

 その後、大学受験生向きの予備校に移った。

 予備校の方が時給は高かったが、小学生を教えていた頃の方が楽しかったし、仕事はうまくいっていたと思う。小・中・高・浪人の中では小学生を教えるのが一番うまくいった。どうしてそうだったのか、今だによくわからない。どうしてだろう。

 もしかしたら、小中学生を教えることに関して何か自分の気がついていない強みを持っているとか、価値観に合っているとか、そういったことがあるのかもしれない。


 沢田さんは、そんなことを思いながら相変わらず校門の前に立っていたが、しばらくすると肝っ玉母さんのような感じの30代後半くらいに見える女性が自転車に乗って現れた。

 自転車を運転しつつ、前の荷台と後ろの荷台に小さな子どもを乗せ、そして、背中に赤ちゃんをおんぶし、しかも携帯で電話をしながらの片手乗りだった。

 少子化が問題になっている現代においては、頼もしい存在ではあるものの、「本人はあれが普通なのかな。でも、見るからにあぶないなあ」と思って見ていた。

 注意しようかなと思ったが、言っても聞かないような気がしたし、冷たいようだけど自分は学校の警備員であって別に道を通る人の交通安全に気をつけるのが仕事ではない。結局何も言わなかった。

 でも、「あぶないな」なんて気になりながら、結局それなりにじっと見ていたら、その女性は携帯で電話するのを止めて、両手で運転するようになった。

 「警備員に見られている」と思ってやめた(警備員の制服を着ていた効果が現れた)のかもしれないが、たまたま電話の話が済んだだけなのかもしれない。どちらなのかは、わからなかった。


                   八

 その後、今度は自転車に乗っている20代半ばくらいに見える体格がよくて目つきの鋭い男性が、沢田さんの方に近づいてきた。

なんかいちゃもんつけられるのかなと思ったが、そうではなく、その男は「たけしの家どこ」という質問を放った。

 何のことかわからず、「たけしって誰ですか」と聞き返すと「ビートたけしだよ」と「そんなこともわからないのか」という調子で言った。

 沢田さんは知らなかったので正直に「知りません」と答えると「あっそう」と言って去って行った。

 「面白いこと聞く人だなあ」「でも、どうも唐突だったなあ」と思った。この場合、知らないから「知りません」と言うしかない。学校の警備の仕事をしている人が、付近の芸能人の家を把握し、聞かれたら答えられるようにしておかなければいけない。ということはないだろう。

 でも、目つきがするどくて体格のいい男だったので少しおっかなかった。


 有名人の家を聞かれたのは、この1回だけだが、学校警備をしていると、たまに「Q(町の名前)○丁目○番地ってどのへんですか」と聞いてくる人がいる。

 この場合も、沢田さんは「わかりません」と答えることが多い。せいぜい「この場所がQの○丁目△番地なので、近くだと思います」くらいのことしか答えられない。

 「わかりません」と言った時の相手の反応は、なぜか「すみません」と言う場合が多い。別に謝ることもないと思うのだが、「番地で聞いたってわかるわけない。無理な質問だったなあ」と気づくのだろう。そうでなければ、黙って去っていくのも気が引けるので何か言いたかったという人が、他に言葉が見つからなかったのかもしれない。

 もっとも、たまに「全然わかりませんか」と聞き返してくる人はいる。これは意外と答えづらい質問で、「その通りです。全然わからないのです」とは少し言いづらいので、「全然かどうかというは言いにくいけど、とにかくわかりません」なんていう変な苦しい言い回しになる場合が多い。

 これに対し、「変な日本語ですな」なんて言う人は今までに一人もいなかった。

 みんなあきらめて行ってしまう。


                     九

 腕時計を見るとちょうど10時。

 この仕事は、校門の前で立哨している時間が圧倒的に長いが、1時間に1回程度学校の周りを回って歩くことになっていて、そのことを巡回と呼んでいる。

 巡回をしていて出会うのは、おじいさん・おばあさんか、小さい子どもを連れた(たぶん)専業主婦が多く、犬を連れている人もわりあい多かった。

 A小の場合は沢田さん立幼稚園のスクールバスが止まる場所が学校の周りにあり、朝9時くらいに巡回していると、親とかっこいい制服を着た小さなお子さんが、バスが来るのを待っている姿に遭遇した。付き添っている大人は、親ではなく、おじいさんかおばあさんのこともあった。

 沢田さんは、外でやる仕事に就いたのは初めてである。

A小学校の周辺は環境のいい住宅地で、お日様にあたりながら立っている仕事も悪くはないな。と思う。

 もっとも春の気候がいい時期だからそう思うのであって、夏の暑い時期、冬の寒い時期、梅雨の嫌な雨が降る時期などにも屋外で立っていないといけないので、そのうち嫌になるかもしれないが、今現在は幸せな仕事に就けたと思う。

 もちろん、そこには日給が安いという大きな問題点があるのだが。

 

 A小学校では、巡回している時に時々、歩道から校庭を見つめているおばあさんに出合った。小柄で穏やかで上品な人で、学校の午前中の休み時間の時間帯に出合うことが多かった。たぶん、その時間帯を選んで散歩していたのだと思う。

「今日もお会いしましたね」

「いつもご苦労様」

「いえいえ、これが仕事ですからね。まあ、こんな環境のいい場所を散歩してお金がもらえるんだから、運がいいと思ってます」

「私は、この場所に来るのが大好きなんですよ」

「そうですか」

「だって、子どもたちが可愛いじゃありませんか」

 と言うときの、おばあさんの心から愉しそうな笑顔は、毎回、なんとも言いようのない素晴しさだった。

「これぞ、日本のおばあさん」と言ったらいいのだろうか。思わずかけ声をかけて拍手したくなるが、変な人だと思われそうなのでさすがにそれをやったことはない。

 沢田さんはそのおばあさんの大ファンで、会うのを楽しみに仕事をしていた。


 また、同じA小の校庭が見える歩道では、乳母車に載っている子ども2人と、よちよち歩きの子供1人を連れて校庭を見ているおかあさんにもよく会った。やはり上品で穏やかな人で、小柄でメガネをかけていた。

 始めて会った時、思わず「何歳ですか」「まだ、学校には行けなくて残念ですねえ」という声が、そんなこと特に言おうとも思っていなかったのに、どういうわけか自分の口からこぼれていた。

 「こちらの二人は双子で、まだ、2歳です。こっちは3歳です」と教えてくれた。

 双子の子たちは、お揃いのお洋服を着て、乳母車の中ですやすやとお休み。歩いている子は、何が楽しいんだかわからないが、ニコニコと笑顔を浮かべながらちょこちょこ動き回っていた。

 週刊誌か新聞で、「日本で一番幸福を感じているのは、30代の専業主婦」という記事を見たことがあるけど、このお母さんの様子や表情を思い出すと、それもわかるような気がする。

 なかなか人気のある親子で、いろいろな人から「可愛い子どもたちですねえ」などと声をかけられていた。


                   十

 A小学校の正門の前の道は、そんなに車が通らない裏道なのだけど、比較的広々としている。校庭が見えるし、緑が豊かでいい散歩コースである。

正門の前に来たら、時々声をかけてくれるおじいさんに出会った。

 「私はこの学校の2期生なんだ」「私がいた当時は、校庭はこんなに広くなくて、今校庭があるところの真ん中を道が通っていた」「私がいた頃は、1クラス60人くらいいた。今の先生は生徒の数が少なくて楽だ。昔の先生は大変だった」「水泳をしにT川(A小の近くにある川)まで行っていたが、ある時おぼれた子がいて、T川の水泳はそれ以来やらなくってしまった」

 等々、その方はいつも昔の話をよくしてくれる。

 毎回ほとんど同じ話をするのだけど、何度聞いても楽しい。

 元気なおじいさんで、年は65~70くらいだろうか、長身で背筋が伸びている。少なくとも後期高齢者ではなく、「まだまだ若くて元気なおじいさん」という感じだ。

 今日は、珍しく昔話ではなく犬のふんの話を始めた。

「いつも、この場所に犬がふんが落ちている。まったく飼い主としてのマナーが出来ていない」

 そう言われてみると確かに、以前から校門の前に犬のふんが落ちていることが多かった。

 誰かが、「犬のうんこは持って帰ってね」という張り紙をしてくれたのだが、それでも相変わらずうんこはなくならない。

 それなりに、理由があったのかもしれない。

 その校門は校舎の南にあって陽あたりがよく、裏道にしては道幅が広く、校門の前も広々としている。

犬にうんこをさせるには、まさに絶好の場所なのかもしれない。特に学校に恨みがあるとか、そういうわけでは、もちろんないのだと思う。

 ところで、沢田さんはその時、どういうわけだか突然子どもの頃の話がしたくなった。我ながらへそ曲がりだと思うのだが、言いたいものは仕方がない。

「私が子どもの頃は、道を歩いているとそこいら中に犬のふんが落ちていて、友達同士で『ウンコ踏んだ』なんていいながら学校から帰ったものです。最近はマナーがよくなってきて、ほったらかしにする人の方が珍しいみたいですね」

 それに対して、そのおじいさんは、「まったくマナーができていない。見つけたらとっちめてやる」と言った。

「でも、どうしてこの場所が、犬のうんこの場所によく選ばれるんでしょうかねえ」

「見つけたら、とっちめてやる」

「うんこをするのはどんな犬だか知ってますか」

「絶対にとっちめてやる」

 おじいさんは、どういうわけか「とっちめてやる」というフレーズが気に入ったようで、盛んに繰り返していた。

 今ふうに言えば「熱く語る人」、昔ふうだと「単細胞」と表現できるだろうか。「単細胞」はバカにしているみたいなので「燃える男」の方がいいかもしれない。とにかく、正義感あふれる立派な人で、沢田さんはこういう人が好きだ。

 でも、交通安全など児童に関係ありそうなことではなく、犬のふんのことを学校の警備士に対して一生懸命話すというのも、ちょっとずれているような気もする。他に話す人がいないのだろうか。 

 ところで、「とっちめてやる」というのは、具体的にはどういうことをするのか。それが、どうも見当がつかなかった。

 沢田さんは、そのおじいさんが、犬にうんこをさせてそのまま行ってしまう人に出会ったら、どうやってとっちめてやるのか見てみたい気がしていた。

 そのおじいさんだったら、結構ちゃんと言うべきことを理路整然と言うのかもしれない。でも、相手にもよるのかもしれないが、意外とあきらめてなんにも言わないような気もする。

 まだ、そういう場面には出会っていないし、出会う確率はとても低いだろうと思った。


                    十一

 巡回を終えて校門の前で立哨していたらもう一人のおじいさんに会った。

 この方は、さっきの人に比べると少し年上に見える。

 70代前半くらいだろうか。小柄でいつも緑色のジャンパーを着ていて、この方も年のわりに動きがきびきびしている。

昔どんな仕事をしていたのか聞いてみたいのだが、まだ聞くタイミングに出会っていない。

 毎回、小学校の頃の思い出話をしてくれる。

「いやー、小学校4年の3学期にね、来年クラス替えで先生が誰になるかすごい気になってたんだ。二人いい先生がいてね。二人とも男なんだけど、一人はいかつい顔した厳しそうな人だけど時々面白いことを言うんだ。もう一人は、生徒をおだててうまいことやる先生で、俺は、そのおだててうまいことやる先生が好きで、その先生は中村先生っていうんだけど、『その先生にあたらないかな』と思っていたら、5年から担任が中村先生になったんだ。あの時は嬉しかったねー」

 ガラガラ声で身振り手振りが大きく、そして声も大きく、60年くらい前のことをとてもうれしそうに話す。

 毎回同じ話だが、全然苦にならないどころか、何回聞いても楽しくなる。

 でも、60年経ってもそういうふうに言われるんだから、小学校の先生っていうのは偉いもんだなあ。

 そういう感想をおじいさんに話すと、わが意を得たりとばかりにうなずいた。


                十二

 腕時計を見たら11時を少し過ぎているので、巡回に出ることにした。

 この時間は、学校の面している南側の道に、いつも同じ車が止まっているけど、今日もいるだろうか。それと、天気がいいので校庭で体育の授業をやっているはずである。先週の同じ曜日、同じ時間帯にはポートボールと鉄棒をやっていたけど、今日もそうだろうか。

 そんなことを考えながら歩き出した。

 今日も日ざしが強い。

 最近こういう日が多くて、かなり日に焼けた。

 先日「おしゃれねこ」に行ったら、アルバイトの女の子から「ずいぶん日に焼けたけどどっか行って来たの」と聞かれ、「いやー、最近よくテニスをするんですよ」なんてごまかして答えた。

「おしゃれねこ」では、まだ警備士をしていることは言っていない。別に隠すことでもないのだが、なんとなく言うタイミングを逸したままずるずると時が経っている。

 角を曲がって学校の敷地の南側に来ると、校庭が見えてきた。

 そして、いつもの車が止まっているのが見えてきた。

 小型のバンだ。見た感じがなんかの営業の車みたいであり、事実そうなのだと思う。

 以前、巡回に出るのが少し遅れ、その車が動き出すところを見たことがある。

その車はすぐ近くの医院の車庫に入っていった。仕事は、検査物の回収か医療器具の販売・営業で、早めに来てここで時間調整をしているのだろう。

 中に乗っているのは、中年のおじさんで、いつも嬉しそうに小学生たちがいる校庭の方を眺めている。たぶん、小学校の校庭が見える場所にいるとなんとなく落ち着くのだと思う。小学校というのは、生徒を教育するというだけでなく、何かそういった大人の精神安定に寄与するという社会的な役割があるのかもしれない。

 これは、この仕事を始めてから気がついたことだ。

「警備員さん」

 若い用務員さんの声がした。見た目30歳くらいで、野球帽を後ろ向きにかぶり精悍な顔つきをした男だ。

「警備員さん、あの車の人に注意してください。駐停車違反です」

 と言った。

 確かに、この場所は生徒の通学路なので駐停車禁止になっている。だから、厳密に言えば交通法規に違反してはいるのだが、でも、生徒の登下校の時間でもなく、特に学校側がなにか迷惑しているわけでもない。

 今まで声をかけることはなかった。学校警備員の仕事は生徒の安全を守ることで、付近の道路の交通法規を守らせることではない。

 でも、若い人がそんな理屈を聞くわけないし、そもそも、どっちが正しいという話でもなく、価値観の問題である。

 車に注意すること自体は、確かに交通法規に違反しているのだから、声をかけるのはもちろん正しいことではある。もちろん、「小学校の校庭を見て癒される人がいるのはいいことなのだから、それはそれでいいじゃないか。大目に見てあげよう」という立場もあるが、客観的に見てどちらが正しいとハッキリと決められるようなことでもない。

 「はい」と答えて、注意しようと思ってその車の方に歩いていくと、用務員さんの方が先に車のところに着いていた。

 聞き取れなかったが、用務員さんが運転手に何か話しかけている様子だった。そして、車の運転手はそれに率直に従って、車を移動させた。

 「なんだ、自分で注意するんだったら、人に命令するみたいな言い方をすることもないじゃないか」とも思ったが、「まだ若いんだし、慣れていないから仕方がないのかな」とも思った。まあ、本人ははりきって一生懸命やっているのだろう。

 それと、校長先生・副校長先生や他の主事さんなどは沢田さんのことは「沢田さん」と呼んでいて「警備員さん」と呼ぶ人は、この人だけだ。そういうところも、「まだ慣れていないから名前が覚えられないのかな」と思う。


 校庭では先週と同じで、ポートボールをしているクラスと鉄棒をしているクラスがあった。

 鉄棒は各自自主的に練習している時間で、ポートボールは生徒たちの作戦会議の時間。

 なかなかいい風景である。

 鉄棒を教えているのは若い女の先生で、ポートボールの方はわりあい年配の男の先生。

 沢田さんはその男の先生とは、以前生徒を引率して校外学習に出る場面で少しだけ話したことがある。

「昔は、あんな生意気な小僧たちはちょっと叩いてやりゃあ、すぐに真面目な少年に生まれ変わったもんだ。今そんなことしたら大変だ。体罰教員になっちまう。あの子たちは甘やかされておる。ピシピシ」

 なんて言っていた。もちろん冗談で言ったのだと思うけど、なかなか小気味よいしゃべりだった。

 小柄で四角い顔をして黒縁のメガネをかけている、なかなか味のある人だ。男性で管理職にならない年配の先生には、なかなか味のある面白い人が多い。と沢田さんは思う。


                   十三

 通用門の前に戻り、しばらくすると、門の中から数人がぞろぞろ歩いてくる音がしたので、振り返って少し頭を下げ、門をあけた。

お母さん方が、口ぐちに「ありがとうございます」と言いながら、道路に出ていった。

 道路で立ち止まり、井戸端会議をしている。

「○○さんたちがいるうちは、私たちはあまり表に出ないで仕事のやり方だけはよく見て覚えておいて、来年○○さんたちがいなくなったら、今度は私たちが中心になってやらないといけない」

 そういった話をしている。たぶんPTAの仕事の話をしているのだろう。結構いろいろ気を使っているようだ。

 A小学校の一帯は、私立小学校進学率50%くらいのセレブ地域で、その中で私立には行かなかった子どもや行けなかった子どもたちが通っている公立小学校である。

 でも、気さくな人が多く、そんなにセレブという感じはしない。

 服装も、驚くほど高そうなものを着ている人はほとんどいなくて、みんなほどほどにおしゃれだった。ほどほどにするためにそれなりに気をつかっているのか、それとも自然にできていることなのか。そこはよくわからなかったが、なぜか、みんな同じくらいのレベルの恰好をしていた。

 週刊誌などに、いつもはブランドもののかっこいい服を着ているが、学校に行くときだけデパートで買った少しダサめのものを着ていくお母さんのことが出ていたが、そういった気づかいをしている人も中にはいたのかも知れない。

 沢田さんは、お母さんたちが話しながら出入りする校門のところに毎日立っているので、お母さんたちが話している内容は、聞かない方がいいのだけれど、ある程度は聞いてしまう。もちろん、断片的にしか聞いていないので、そんなに全体像がちゃんとわかっているわけでもないが、どんなことをどんなふうに話題にしているのか、なんとなくだいたいのことは聞こえてくる。

 うまいこと人間関係に気を使ってPTAの運営などをやっていこう。という感じのことを話している人が多い。

 それと、子どもたちの様子を見て率直な感想を言っているのを聞くことも多かった。

「あのくらいの年齢の子どもたちって面白いね」

「なんか、面白い楽器をもっていたね」

「子どもたちは楽しそうだったね」

 これは、音楽発表会があった日のお母さんたちの会話。

 率直に楽しんでいる雰囲気だった。

 この会話からわかることは、教員はただ単にいい教育をするだけでなく、「保護者に見せる」ということにも気を使わないといけない、ということだ。でもそんなことは、教員や管理職は百も承知なのかもしれない。

学校警備員という立場から見えてくることがあるような気もするが、それは、教職員・管理職がすでにわかかっていることなのかもしれない。


 2か月くらい前、3月後半のある日、いつものように校門の前で立哨していたらPTAの役員らしきお母さんが、「いつもご苦労様」と言いながら、おせんべいを何枚かわたしてくれた。

 道具小屋で校長先生がいた時、このことを話したら「よかったじゃないか」と喜んでくれた。

「私が逆の立場だったら門の前に立っている警備員さんに何かあげようなんていう発想は出てきませんね。本当によく気がつくいい親たちですね」と言うと、校長先生は、「ホッホッホ」という感じのいつもの笑い声を発してから、「そうなんだよ。うちの学校の親はそういう親たちなんだ」と愉快そうに話していた。


                  十四

 12時過ぎたので、昼休みに入る。

 昼ご飯は、「道具小屋」と呼ばれているところで食べる。

 薄暗い小さな木造の小屋で、大工用具や材料など、いろいろな物が置いてある。

 この部屋は、学校の敷地内で唯一喫煙ができる場所なので、何人かこの部屋にタバコを吸いに来るメンバーがいる。よく来るのは、校長先生、男性のベテランの用務員さんと女性の教員約3名。校長先生以外の男性の教員が来ないのは何か理由があるのだろうか。

 それはわからないが、小学校は男性の教員が女性の教員の半分くらいしかいないので、本当に男の先生でタバコを吸う人がいないのかもしれない。

 沢田さんが、前日スーパーマーケットで買ったおにぎりを食べていると校長先生が入ってきた。

「おじゃましております」

「よお」

 校長先生は、椅子に座ると早速タバコに火をつけた。

 うまそうに煙を吐き出し、「連休中はどうしてたの」と尋ねた。

「2日間は別の場所の警備に行っていて、1日は研修で、それ以外は家で休んでいました」

「そうか。研修ってどんなことをやるんだ」

 別の場所の警備の仕事のことよりも研修のあり方に興味を持つところは、管理職らしいのかもしれない。

「そうですね。その研修は、学校警備の人だけでなく工事現場中心にやっている人も一緒なので、わりあい警備全般の心構えのようなことが多いです」

「うーん、そうか」

 講師役の正社員とかベテランのアルバイトが忙しいとビデオを流しっぱなしにして、みんな寝ていたりすることもあるが、もちろんそんなことは言わない。

              

 校長先生が出ていくのとちょうど入れ違いに丸山先生が入ってきた。

 丸山先生は40歳くらい女の先生。丸顔、小太りでいつもニコニコしている。

椅子に座ると早速タバコを一服。おいしそうに煙を吐き出した「いやー、うちに帰ると小学生の子どもがいて職場に来ても小学生がいっぱいいて、自分の生活は小学生だらけ。まったく頭がおかしくなっちゃう」

「大変ですねえ。でも可愛いじゃないですか」

「可愛くないこともないけどね」

「変な質問かもしれませんが、自分のお子さんと生徒さんとどっちが可愛いですか」

 丸山先生は、こういう質問をすると困惑するどころかかえって喜んでくれる人だ。

「本当は比べちゃいけないというか比べられるようなことでもないんだけど、そりゃー、クラスの子の方が可愛いわ。クラスの子たちはまだ小学校2年で小さくて素直だけど、自分ちの子は、もう5年生で生意気なことばかり言うから、憎たらしくてしょうがない」

 そう言って丸山先生は「うっしっし」と豪快に笑った。


                  十五

 1時になると、再び通用門に行き、沢田さんは例によって何もせず立哨していた。

ずーっとぼんやりしていて、ふと腕時計を見ると午後2時少し過ぎ。午後の方が、時間が経つのが早い。

 例によって巡回に出ることにした。

 A小学校では、校庭の片隅に超小型の農園があり、教科で言えば、「理科」か「生活」になると思うのだけど、種まきとか収穫などの体験的な学習ができるようになっている。

 巡回していて農園の前を通ると、若い女性の先生と生徒たちが農場にやって来るところだった。

 先生は、小さなかごを持っていて、生徒たちは子どもにしてはやや複雑な表情をしていた。小さい子どもたちだったのでたぶん小学校2年くらいだと思う。1~2年は、「理科」の時間というのはないので、「生活」の時間だったのかもしれない。

 生徒たちが全員農場の前に着くと、先生は、みんながいることを確認してから、「それじゃあ、今から放すよ」と言って、ゆっくりかごの扉を開けた。

 中からモンシロチョウが出てきて、ゆらゆらと1メートルくらい飛んだが、失速して地面に落ちてしまった。

 意外な結果に、子どもたちはあっけにとられていたが、その後、「がんばれー」「がんばれ、モンシロチョウ」と口々に叫び始めた。先生は黙ってチョウを見つめていた。

 すると、モンシロチョウは、もぞもぞという感じで少し動いた。

「がんばれモンシロチョウ」

 さらに生徒たちが叫び続けると、チョウは、羽を開いたり閉じたりしながら、歩いて10センチくらい移動した。なんとなく、もう少し応援すれば飛べそうな雰囲気だ。

「がんばれモンシロチョウ」

 生徒たちの声援がいっそう大きくなった時、チョウは再び飛んだ。今度は順調に空に舞い上がり、ゆらゆらと円を描いて飛行した。まだ、少し蛇行していて危なっかしい感じもあるが、だんだんとしっかりとした飛び方になっていく。そして、その後、遠くに飛んでいって見えなくなった。

 「万歳」なんて言う子はいなくて、みんな無言。さっきまでの口々に励ます様子が嘘のように静かになった。

 生徒も先生も、ほっとしたような、寂しそうな、すがすがしい表情を浮かべていた。

 クラスで飼っていた幼虫が、サナギになり、蝶になって、かごに入れたままではかわいそうなので放すことにしたのだろう。

「小学校というのは、こういうことをする場所だったのか」

 その時沢田さんは、小学校というものを再発見したような気がした。

 ただし、沢田さんが小学生だった頃に、学校でああいう体験をした記憶はない。記憶が正確かどうかはわからないが、ある程度は頼りになるとすれば、学校の役割というのが変化してきているのかもしれない。小学校1~2年の「生活」の時間なんていうものは、自分たちの頃はなかったが、家に帰ってカバンを置いてから、友人と虫を取りに行ったりした記憶はある。逆に、学習塾に行く子は今ほど多くなく、机の前に座ってやる勉強は、家でやる宿題なども含めれば圧倒的に学校中心だった(一部の中学を受験した子を除く)。

 小学校を再発見したというよりも、「最近の小学校がどんなものなのか目撃した」とでも言う方が正確なのだろうか。

 とにかく、沢田さんはその時、

「小学校というのは、いいところだなあ」

「小学校の教師というのは、やりがいのある立派な仕事だなあ。もしかしたら自分の価値観に合うかもしれない」

 と思った。 

 そして、そう言えば…。「あんなことがあった」「こんなことがあった」と、いくつか頭に浮かぶことがあった。

 

                    十六

 沢田さんが小学校5年生の時。

友だちの家に遊びに行き友だちの母親と話をしていて、「将来何になりたいか」という話になった。友だちでもなければ、親や先生でもなく、友だちの母親だったというところが興味深い。いわゆる「斜めの人間関係」である。

 沢田さんは、「児童心理学を勉強して小学校の先生になりたい」と答えた。

 児童心理学なんていう言葉をどこで知ったのか、なんで知っていたのかは不明。誰か大人に聞いたのだろうか。そこは今となってはわからないが、小学校の先生になりたいと思ったのは、自分自身の体験が基になっていたと思う。

 沢田さんが小学校3・4年で習っていた先生は、いい発問をして生徒の発言を引き出すのが得意で、沢田さんは算数などで発言して褒められることが多く、授業が楽しかった。5・6年の先生は、生徒に発問をぶつけないで自分でどんどん進んでいってしまう人で、授業がつまらなくなってしまった。その体験から「先生によってずいぶん違う。小学校の先生って大事なんだなあ」と子ども心に思い、将来小学校の先生になりたいと思っていた。

 その時、その友だちの母親から「偉いわねえ」と言われ、嬉しくなったのを覚えている。


 その後10年くらい経って大学生の時。

 2年生の後半に教職課程の説明会があった。小学校の教員免許をとる過程はないのでがっかりした覚えがあるので、その時も頭の片隅には「小学校の先生」という考えがあったのだろう。

 沢田さんは商学部だったので高校の商業や中学の社会科などがとりやすかった。が、教職の先生は、盛んに中・高の英語の免許を取ることを薦めていた。英語は教員採用試験が他の科目に比べると受かりやすいというのが、その理由である。それと、沢田さんの通っていた大学の文系学部は(理系の学部は別の場所にあり、その説明会には来ていなかった)入試では各学部英語の配点が高く、「英語はみんなできるはずだ」ということを言っていた。

 それを信頼して、英語の教員免許をとろうとしたが、途中で挫折した。どうしても中学か高校の英語の先生になりたいという意欲に欠けていたのだと思う。結局学校の先生ではなく塾や予備校の先生になった。

 今になって考えると、そのあたりが一つのわかれ道だったのかなと思う。

 そこでもう少しいろいろと調べて、通信教育などを利用して小学校の教員免許を取ることを考えていたらかなり違う人生になっていたかもしれない。


 その後、30歳前後の予備講師だった頃、同僚の先生に聞かれた。

「沢田さんの目標はなんですか」

 当時の予備校の先生は、ずっと予備校でやっていこうという人もいたけど、大学の先生等を目指している人などもいた。

「うーん、将来は小学校の先生になりたいんだけど、最初から小学校のことばかりやってると幅が狭くなるんで、大学受験を教えたりしているんだ」

 自分でも思いがけない言葉だった。

その頃考えていたことは、予備校で人気講師になり、一生それでやっていこうということだったので、自分がなんでこんなことを言うのか不思議だった。やはりこの時も、頭の片隅には「小学校の先生」という考えが生きていたのだろう。


 いろいろと振り返ってみると、小学校の先生という職業が頭に浮かんでは消え浮かんでは消えて、今日に至ったことがわかる。

どうしてそうなのかは、謎だ。いつかわかる時が来るのだろうか。それとも永遠の謎で終わるのだろうか。

 でも、こうやってまとめていろいろ思い出すということは、頭の片隅かどこかに住んでいる誰かが、必要なことを教えてくれているのかもしれない。今からでも遅くないから小学校の先生を目指した方がいいのだろうか。

 「人生に遅すぎることはない」と言葉をどこかで聞いたことがあるが、もし始めるとすれば「45歳の中年フリーターの挑戦」ということになる。


                     十七

 腕時計を見ると、2時32分。

 生徒の下校時間の2時50分頃までには正門に移動する。

そして、下校する生徒たちを見送り、道路の端を歩かない生徒を注意したりするのが警備員の仕事である。

 少し早いけど、正門に行くことにした。

 正門につくと、用務員の中島さんが黄色の旗を持って出てきた。D市では、用務員さんが緑のおばさんのような仕事も兼務していて、朝や午後の登下校の時間になると旗を持って出てくる。

「やあ、いい天気だねえ」

 中島さんは、小柄な男性で、年は60歳くらいかもしれない。気さくな性格、話好きでやや北関東訛りが入っている。

「そうですねえ」

「いやー、ずっと最近天気がいいねえ」

「そうですねえ」

「連休中はどっか行ってたの」

「2日仕事で1日研修であとは家で休んでいました」

「そおお。仕事はどこに行ったの」

 研修よりも仕事の方に関心があるところは、校長先生とは関心の持ち方が違う。

「マンションと動物園です」

「どうだった」

「動物園は閉園して間もなく仕事が終了するので勤務時間が短くて日給は安いんですけど、仕事自体はパンダの列の後ろのほうで『待ち時間何分』とかいう看板もって立ってるとか、そういった仕事ばかりで気楽で楽しかったですよ。それと、学校の現場はずっと一人で立っているんですが、動物園は10人くらいのチームで、手分けして仕事をするので、そこが違います。マンションの方が時間は長いけど日給は少し高かったです」

「そおー。それで日給いくら」

「動物園は4時ごろ終わるので7000円。マンションはもう少し時間が長くて8500円です」

「この学校の警備も4時くらいに帰っちゃうみたいだけど、動物園と同じくらい」

「まあ似たようなものですが、500円高くて7500円ですね」

「そうか。もっと高いかと思ったけど、それじゃ大変でしょう」

「そうですね。もちろんこの仕事が好きで長くやってる人もいますが、わりあい短期間で辞める人が多いと思います」

「そーお。われわれの仕事も、だんだん正規の公務員じゃないアルバイトが増えてきてるね。用務員で一人女の人がいるでしょう。あの人も嘱託で月14日くらいしかこなくてその分の給料しかもらえない」

「そうですか」

「まあ、市役所が狙っているのは、我々のこともそうだけど、教員だ。教員も、バイト、いわゆる非常勤講師を増やしたいみたいだね」

「そうですか。そうすると担当者の点数稼ぎになりますね」

 中島さんはここで、かなりムッとして厳しい口調になった。

「それは関係ないよ。予算削減のためにやってるってこと」

「でも、予算削減に成功すれば担当者は褒められるんじゃないですか」

「まあ、そうだけど、すごい遠まわしに言ってるんだもん」

「すいません」

 遠まわしというよりは、一つ飛ばして先のことを言ってしまったのかもしれない。

 でも、そんなにムッとするところでもないような気がするが、まあ、自分たち公務員の世界のことについて知ったかぶりして言われたような気がして、嫌だったのかもしれない。


                  十八

 中島さんは、黄色の旗を振り回しながら、近くの交差点の方に行った。

 2時40分チャイムがなった。

 もうすぐ生徒たちが出てくるだろう。

 朝、子どもたちや先生方が登校してくる8時から8時半の時間帯と並んで好きなのが、この生徒が下校する時間帯である。

 基本的にこの二つの時間帯だけが、退屈しないで済む。

 ただし、下校時間は曜日によって違うし、その日その日で、クラスによって帰りの会が早く終わったり長引いたりするので、朝と違って毎日ほぼ同じ時間に同じ生徒に会うというわけではない。

 沢田さんの仕事は、道の真ん中を歩いている子どもがいると「道のはじを歩きましょう」と大きな声で叫んだり、帰っていく生徒や保護者に挨拶をしたりすることである。忙しいと言えば忙しいが暇で退屈なよりはずっといい。生徒とのやりとりなどがいろいろと面白くて、時間が速く過ぎていく。

 朝も同じように校門の前に立ちあいさつをするのだけど、朝と違うところは、時間があるのでじゃんけんを挑んでくる子や、変な質問をしてくる子などがいるところだ。

 時々、沢田さんの姿を見ていきなり「ねえ、じゃんけんしよう」と言って「じゃんけんポン」「勝ったー」「負けたー」なんていうのが始まったりする。

 質問としては、「ねえ、おじさん何歳」というのが定番である。

「ねえ、おじさん何歳」

「おじさんではない。お兄さんです。私は、25歳のかっこいいイケメン警備士なのです」

「ウソだ。本当は70歳のおじいさん警備士なんでしょう」

「違います。若くてカッコいい25歳のイケメン警備士です」

「そんなこと言ってもだめだよ。70歳のダサいおじいさん警備士なのです」

「違います。25歳です。こんな簡単なこともわからないとは。君はまだまだダサいな」

「違うよ。ちゃんと本当のことがわかっている、カッコいい男の子だよ。もう、ダサいおじいさん警備士にはつき合いきれないので帰るのです」

 といった感じの楽しいやりとりが展開される。この学校は、いろいろとよくしゃべるちょっと生意気で頭がいい子が多かった。こういったことを言うのは、そんなに小さくはない子だ。見た目3年生くらいから上の男の子たちである。

 それから、「ねえ、おじさん何歳」ほど頻繁ではないが、「おじさんなんでそこに立っているの」と言われることもあった。

「おじさん、なんでそこに立っているの」

「君たちがちゃんと道路のはじを通って安全に下校しているか見張っている警備員だからです」

「ウソだ。警備員の弟子をスカウトするために立っているんでしょう」

 と言っていたのは、見た目は中学年(3・4年)くらいの可愛い男の子だった。

 その時は、校門のところで暇そうにしていた別の子のお母さん(らしき人)がいた。子どもと待ち合わせて一緒に帰ろうとしていたのだろうか。たまたまその時のやりとりを聞いていて、顔を真っ赤にしてすごい楽しそうに笑いながら、沢田さんに話しかけてきた。

「弟子を…スカウト…しようとして…立っているんですか」

 笑いながら話しているので話が途切れがちである。

「そうらしいんですよ」

「子供の考えることは面白いですね」

「そうですね」

 確かに、子どもの考えることは面白いな。と思った。

 と同時に、それを面白がり顔を真っ赤にして笑いつつ話すそのお母さんの様子も、負けず劣らず面白かった。あんなに心の底からお腹をかかえて笑っている人を見たのは10年ぶりくらいだろうか。いや、10年どころではない。30年ぶりくらいとか、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

 子どもたちも楽しい子どもたちだが、それに劣らず親も楽しい人が多い。子どもは親に似ると言うが、子どもたちの方を先に見ることが多いので、「親は子どもに似ている」と言いたくなる。

 これも地域性のようなものなのだろうか。


         十九

 いつものように、門から出てくる生徒たちに「さようなら」と声をかけたり、路側帯をはみ出して歩いている生徒に「道のはじを歩いて下さい」と声をかけたりしていたら、副校長先生が来た。

 その学校の副校長先生は、スキンヘッドで目がぎょろっとしている。極心空手をやるという話を誰かから聞いたが、いかにもそういう感じのがっしりした体つきをしていた。

 いつも記録帳のようなノートを持っていて、「うーんと、ちょっと待てよ」なんていう言葉を頻繁に発しながらノートをめくったりして、いかにも不器用そうだが、すごく真面目に頑張っている印象だった。

 できるだけすべての生徒に「さようなら」と声をかけるように心がけ、道の真ん中を歩いている生徒がいると「路側帯の内側を通れ」なんて叫んで仕事を手伝ってくれる。

「あーあ、まだ火曜日か」

「そうですね。土曜日はまだ遠いですね。そう言えば、今週は土曜も授業があるんですか」

「そうなんだ。今週は土曜日もあるんだ。授業時間確保のためだけど。やったってたいして変わんないと思うよ」

「そうですか、ところで、明日は研究授業で、1クラス除いて午前授業だけど給食はあるので、1時くらいにはここに立っていた方がいいですか」

「そうだね。まあ、研究授業っていうのも一応慣例みたいなもんで、一応やることはやるけど、授業なんて誰がやって同じだ。それにしても自分が教員になった頃は、教員ってこんなに忙しくなかったなあ」

 四角四面の真面目な人だったら「けしからん」と言いそうな発言だけど、本当に健康的・常識的なことを言う人だと、沢田さんは思う。

 こういう人が管理職ならば、教員がうつ病になったり必要以上に物事に対し神経質になったりすることも少なくなるだろう。その結果、生徒同士のいじめなども減少するのではないか。

 こんなタイプの人が管理職になれる、ということは小学校というのは、わりあい勤めやすいいいところなのかもしれない。

 ところで沢田さんは、上記の発言の中では「~授業なんて誰がやっても同じだ」というのは、どういう意味で言っているのか少し聞いてみたい気がした。「教員それぞれ個性があり、授業にもそれぞれ個性があって、どういうのがいいか、いちがいには言えない」ということなのか、それとも「カリキュラムがきっちり決まっていて、教員が個性を発揮して特徴を出す余地が少ない」という意味なのか。それとも、もっと違うことを考えていたのだろうか。

 どうも真意はわからなかった。まあ、何気なく言っているので、そんなに深い意味はないとも言えるし、いろいろな意味を含んで言っているとも言えそうだ。なんとなく感じが出ている含蓄のある言い方だと思った。

               

 副校長先生からも連休中のことについて聞かれた。

「二日間は別の現場に行っていて、一日研修で、それ以外は家で休んでいました」

「現場ってどこに行っていたの」

 研修ではなく別の現場の方を聞くところは校長先生と興味の持ち方が違う。

「マンションの工事現場と上野動物園です。動物園は、天気もよくて満員でした」

「動物園では、どんな仕事があるの」

「私がやったのは、パンダの列の一番後ろで、『ここが列最後尾』なんて書いてある看板を持って立っているんです」

「俺も連休中子どもと一緒に上野動物園に行ったけど、そんな人いたっけなあ。ああ、でも、いたかもしれないなあ」

 副校長先生には小さいお子さんがいるようである。


                   二十

 ところで、副校長先生とこうやって話をしている時に突然、沢田さんの頭に浮かんだ言葉があった。

 それは、副校長先生と話をしている内容とは全然関係なく、沢田さん自身に関することで、「門前の小僧習わぬお経を読む」という言葉だ。

 なんでこのタイミングでそんな言葉が浮かぶのか不思議だ。

まあ、無意識の中で考えていたことが、たまたまこの時、表に出てきたのかもしれないが、「たまたま」と言うのは正確ではないのかもしれない。副校長先生というなんというかなかなか味のある安心できそうな人物がいる時だからこそ、浮かんだ言葉のような気もする。

 沢田さんのお母さんは、家で長いことピアノ教室を開いていた。だから沢田さんは、小学生の頃から大学生の頃までずっと母が子どもたちにピアノを教えたり、その保護者たちと話をしたりするのを見聞きしていた。

 ピアノを習いに来ている子供たちは幼稚園児や中学生もいたが、圧倒的に小学生が多かった。

 学習塾・予備校で教えていて小学生に教えるのが一番うまくいっていたのは、たぶんこのおかげじゃないかと気がついた。そして、小学校の教師という考えが、いろんな場面で頭に浮かぶ原因も、これではないか、とも思った。

 「親の教えているのを見ていて、どういう点が参考になっているのか?」と聞かれると整理してちゃんと答えることはできないが、でも、なんとなく子どもの頃から日常的に目にしていたので、なにか感覚的にわかっていることがあるのではないか?どうもそんな気がしてならない。

 そこに強みがあると言えるのかもしれない。

 価値観に合っているとも言えるだろうか?

 仕事の仕方についても、基本的に一つのクラスを教えることをすべて自分一人でやるというスタイルで、チームを組んで仕事をする部分が比較的小さいところは合っていそうだ。

 今からでも、小学校の教員を目指した方がいいのだろうか?

 実は、沢田さんは、小学校の警備を始めてから興味をもって、ネットなどで小学校の教員になる方法を調べている。

 まず教員免許を取る方法だけど、これは、大学の通信教育とか認定試験合格といった方法があり、真面目に勉強すればわりあい取れるようだ。

 それと、採用だけど、これは教員採用試験は59歳まで受けられる自治体もけっこうあるし、小学校の場合女性の教員が多く、産休・育休の先生は不足している自治体が多い。

 だから、なるのはわりあいなれそうで、むしろちゃんと勤まるかどうかの方が問題のような気がする。

 先生たちの様子を見ていると生徒だけでなく保護者との人間関係や先生同士の人間関係も大変そうだ。

 でも、他になにか目指せるものがあるかと言えば、心あたりがない。

         

                   二十一

 4時で仕事は終了する。

 最後に、「警備報告書」を書いてハンコを副校長は事務の人にハンコをもらう。「警備報告書」というのは、一番上に自分の名前を書いてから「何時何分~何時何分通用門立哨 何時何分~何時何分外周巡回」といったことを15行程度ずらずら書くA4の紙である。

 ハンコをもらって支社に持っていき、それが「ちゃんと勤務した」という証拠になる。

沢田さんは副校長を訪ねて職員室に行ったが、職員室にはだれもいなかった。

 そこで事務室に行くと、二人の事務担当者が両方ともいた。

 一人は、大山さんというたぶん50歳くらいの男性で、もう一人は鈴木さんというたぶん40歳くらいの女性である。

「ハンコをお願いします」というと鈴木さんが「はーい」と答えて、ハンコを押してくれた。二人ともいる場合は、なぜかいつも鈴木さんがハンコを押してくれる。なんとなくそういう仕事分担になっている。

「今日は、先生方は職員会議ですか」

「そうです」

「内職しないように、会議室でやっているんですか」

「内職ってなんですか」

「試験の採点とか、書類を書くとか」

「言ってる意味がわかりません」

 鈴木さんは、瞬間的に不機嫌になった。

 なんで不機嫌になったのかは、もちろん他人の胸のうちだから推測することしかできないが、もしかしたら先ほど用務の中島さんがムッとしていたのと相通ずるものがあるのかもしれない。自分たち公務員のことについて外部の人からわかってるようなことを言われるのが嫌なのだろうか。

 とにかく、自分は出入り業者なので余計なことは言わない方が賢明である。

 と沢田さんは思った。

 その時、大山さんがこちらをチラッと見た。「俺以外の人にそれは言わない方がいいよ」と言いたかったのかもしれない。


 以前、鈴木さんがいない時に大山さんとその話になったことがある。

その時は、鈴木さんが休暇をとっていたのだろうか。大山さんしかいなかった。

「報告書のハンコをお願いします」

 と言うと、大山さんがハンコを押しながら「今日は職員室だれもいなかったでしょう」と言った。

「いませんでした」

「今日は職員会議があるんですよ」

「職員室ではやらないんですか」

「この学校では、前は職員室でやってたけど、そうするとみんな内職するから、会議室でやるようになったみたいなんだ」

「そうですか。内職ってなんですか」

「まあ、試験の採点とか書類書きとかそんなもんだね」

「そうですか、でも会議室だって、やる材料を持っていけばできるんじゃないですか」

「まあ、そうだけど、最初から内職しようとは思ってなかった人がその時の気分で内職を始める、という場合はなくなるでしょう」

「確かにそうですね」


 沢田さんは、大山さんとは、帰りの電車で一緒になり少し話をしたことがある。

昨年までは都庁の福祉局にいて、議会での政治家の答弁の用意をしたりする仕事もしていたそうだ。そういったことと多少は関係があるのだろうか。

 ずっと学校事務だけやっている人に比べると、「知らせてもかまわない情報は、どんどん外部の人にも知らせていった方がいい」という考え方に傾いているようだ。気さくで、話し好きである。

 鈴木さんの方は、「とにかく、内輪のことは外の人に知らせない方がいい」と思っているらしい。鈴木さんの経歴は知らないが、もしかしたら学校事務一筋できているのかもしれない。

 でも、以上はあくまでも沢田さんの推測である。男性・女性の違いとか年代の違いなども、関係があるのかもしれないし、もしかしたらそういったこととはあまり関係なく一人一人自分なりの考えや感覚を持っているのかもしれない。どうして、同じ立場で同じような仕事をして働いている人でも、こういう違いが出てくるのか。

本当のところはよくわからない。

 考え方としては、鈴木さんの方が普通の考え方で、大山さんは、学校の事務職としては標準的とは言い難いが、いわゆる「ひらけた(さばけた)」考え方ということになるのだろうか。今回のことのような内容について、学校の事務職のアンケート調査などがなされるわけもなく、どっちが多数派なのかはわからないが、学校警備をしている仲間と話した感じでは、鈴木さんの方が多数派のようだ。

 沢田さんの立場から見ると、大山さんの考え方の人方がつき合いやすいと思うし、また、現在のような内部告発等が流行っている時代には、大山さんのように都合が悪いわけでもない情報は、自分からどんどん出していった方がかえってうまくいく場合もありそうだ。

 「公務員としてこれが正しいあり方なのだ」というふうな決まったものがあるわけでもないだろう。が、こういう小さなことでも同じ場所で働いているお役人の中に考え方・感じ方の違いがある。というのは面白い。

 と、沢田さんは思う。


 教員になったら、多かれ少なかれ事務の担当者とのつきあいもあるだろう。

こういう人たちと付き合うのも楽しいんだか、大変なんだか、よくわからないが、少なくとも楽しいばかりではないだろう。

 もちろん、この年になって決意して本当に小学校教員になれるかどうかも大問題だが、教員になって本当にやっていけるかどうかというところにも、いろいろと課題がありそうだ。

 江戸時代の寺子屋は、当時だと自分よりももっと上の年代にあたる人が武士としての地位を息子に譲り、教育活動を始めるのが普通だったそうだ。

もちろん、今は時代が違うけど、現代でもそういうパターンの人がいても悪くないように思う。

 ドラッカーが言っている強み・仕事の仕方・価値観、その3つを考えてみて、小学校の先生以外の目標はなかなか思いつかない。

 何も目標がないよりはいいだろうと思うので、小学校の先生をめざすことにしよう。

 と、沢田さんは心に決めた。


                   二十二

 その週の金曜日、沢田さんが「おしゃれ猫」に来た。

 もうすぐ五月の連休なので、店のカウンターの上には、小さな鎧兜や鯉のぼりが飾ってある。

 沢田さんは、「今日も大登場。でもカッコいいポーズは今日はやらない」と元気に言いつつ席に座った。一時期に比べるとかなり明るく元気になっている。

「沢田さんは、今日だけじゃなくて最近あのポーズをやってないいいいいー。私はわざとらしくない言い方で『カッコいい』と言う練習をしたけど、最近役に立っていないのが残念」

 とルカが突っ込んだ。

「そうか、またやった方がいいかな。期待されているとは知らなかった。うっしっし」

 と言ってから、マスターに話しかけた。

「マスターが言っていた本だけど、読んでみたらけっこう勉強になった」

「ああ、あのドラッカーの本?」

「そう。あの本を読んで考えたり、たまたまのめぐりあわせで小学校の警備をやることになって、学校の外側から先生や子供たちの様子を見たり、それから、自分が子どもの頃、自宅で母親がピアノを教えていたことを想い出したりして、小学校の先生をめざそうと考えるようになったんだ」

「そうか…。あまりにも端的な言い方で、何がどうつながっているのかわらないけど、まあ、目標ができたのはいいことだよ。俺も、ずっとこのままスナックのマスターだけやっていていいものか、と思うんだけど、あまりいい考えも浮かばず、今日まで来ているんだ」

「マスターは、この仕事が向いているんじゃない?」

「そうかな?」

「一つだけ思うのは、マスター、途中でお出かけしないで、ずっと店にいるといいような気がするんだけど…。わりあい、この店のお客さんはマスターと話すのが好きな人が多い」

「そうかな…」

「マスター、本をよく読んでいていろんなことをよく知っているでしょう。それを生かすといいような気がする」

「うーん。それはなんとも言えないと思うけど、まあ、そうだね…、そういう考えの人もいるのかなあ」

「拙者もそう思うのでござる」

 そばで聞いていたエリコも賛成したが、マスターは、真面目に聞いているのかいないのかよくわからない様子だった。

 でも、その日はお出かけしないでずっと店にいて、お客さんとよく話をしていた。


 その日からマスターは、ドラッカーだけでなくいろいろな経営学者やコンサルタントが書いたビジネス書なども読むようになり、新聞や週刊誌などにも一通り目を通すようになる。 

 スポーツや音楽などにも今まで以上に興味を持ってパソコンで動画を見たり、関連のある雑誌や本を読んだりするようになった。もともとプロ野球や競馬は好きだったが、サッカーやゴルフなどにも興味を持つようになった。また、70~80年代の歌謡曲にはもともと詳しいのだが、最近の歌も聞くようになった。

 職業がわかっているお客さんに関しては、その人の会社や業界について書いてある本をよく読むようになり、本屋に行って、お客さんの仕事や趣味に関係ありそうな本を探すのが一番の趣味になった。

(やっぱり俺は読む人なのかな)

 ドラッカーは「人には読む人とか聞く人がいる」と言っているが、自分は読む人なのかもしれない。上役や先輩の話していることを聞いて学ぶのが得意な、優等生サラリーマンというタイプではないことは確かだ。50にしてやっと自分のタイプがわかるというのもずいぶんと遅いかもしれないが、わからないよりはいいのだろう。とマスターは思う。

 読書の効果はすぐに表れた。店がやっている時間にお出かけすることが減り、店内でお客さんと話をする場面が増えた。そうしているうちに、読書等を接客に生かすコツがだんだんとわかっていき、お客さんと話をするのが面白くなった。

(楽しんでたくさん勉強して、そしてしゃべりすぎない)

(相手が話したいことや相手が話すことによって頭が整理できるようなうまい質問がなにかを推理して、いいタイミングで言う)

 そのへんがコツだと思うようになった。

(みんなそれぞれ人に話したい自分の物語のようなことがあるんだなあ)

(それが何かをうまく把握して聞くのがなかなか難しい。深いなあ)

 マスターは、つくづくそう思うようになった。

 喫茶店で毎日一人か二人、お客さんの顔を思い浮かべながら、その人に合った質問を考えるようになった。思いついた質問自体も大事だが、質問を考えるという過程にも意味があるようだ。

 とマスターは思う。

 なんだか、スナック営業でID野球みたいなことをやっていて我ながら変だと思うが、現実にそれでうまくいくのだからやった方がいいのだろう。IDスナック経営と名づけたらいいのだろうか?銀座のママさんやキャバクラの女の子でも似たようなことをしている人はいるらしいので、特別に変わったことをしているわけではないのだ。

 とも思う。

 手帳には、気になる文言の抜粋だけでなく、お客さんに合いそうな質問を思いついたら、それも書くようになった。

 マスターは、一回書いたことは、けっこう忘れない方だ。確かに記録するためにも書いているのだが、主に覚えるために書いている。

 これについては、ドラッガーの『プロフェッショナルの条件』の中に、マスターが印象に残っている実例が出ている。


 ベートーヴェンは膨大な数の楽譜の断片を遺した。彼自身のいうところによれば、作曲するときにそれらを見ることはなかった。なぜ楽譜を書くのかと聞かれて、一度書かないと忘れるが、一度書けば忘れない。だからもう見る必要はないと答えたという。


 もっとも、マスターはベートーヴェンとは違って、けっこう後で手帳を見直す。日曜とか月曜などに「前の週にどんなことを考えたっけ」と振り返って見てみるとけっこう面白い。

 書くことが多くなりもうすぐ手帳が終わりそうだ。

 この手帳が終わったら、裕樹に教えたような100枚くらいあるノートにしようか。人に教えたことを自分でもやるというのは順序が逆だけど、まあ、いいか。

 店のノートにも、マスターが「○○さんに××のことを聞いたら機嫌がよくなった」といった書き込みをするようになり、店が終わってからの反省会でも女の子たちとそういう話をするようになった。

 団体客は相変わらず減ったままだが、常連客などの個人でくるお客さんの売り上げが増え、3か月程度で、それまでよりも2割くらい売り上げが増えた。まあ、そのうち頭打ちになるだろうが、どこまで増えるか楽しみだ。

(とりあえず、本業重視でいこうかな)

 マスターは、例のKという喫茶店に行き読書に励む日々を続けることにした。

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