第23話 狐の終章


 私は高い位置から見下ろしていました。その視線の先には私がもっとも愛した人間と、もっとも愛した姉が一つになって立っているのです。

「まさか姉さんが自分を差し出すとは予想外でしたねぇ……」

 遠く離れていても私には見えています。少なからず――私も化け物に身を落としてしまったのですから――。    

 私は生きています。

 死んでなんかいません。

 たしかに生きています。

 幽霊だとかそういったものではありません。

 しかしながら普通の狐でもありません。

 少しだけ化け物になってしまったのでしょう。

 なぜこんなことになったのか。それは私の無意識の願いがこうさせたのです。

 あの時――。



「正直者は馬鹿を見る」

 化け猫は笑いながら言って私の右前脚を食いちぎったのです。

「――ッ」

 その激痛は声になることはしませんでした。それほどの痛みが私を襲ったのです。まるで燃えるような痛み。とめどなく血が溢れてきます。

 嘘だった。

 この化け猫は自分を差し出すつもりなんて更々なかったのです。私は騙されたのです。化け猫を信用してのこのこと近寄ってこのざま。情けないとかそういった言葉ではくくれないほどの絶望感が襲ってきました。

「く――ッ」

 これはどうしようもないでしょう。一つのミスが命取り。まさしくその通りで私はここで終わってしまうのだろうと思いました。

 もう諦めるしか選択肢がないと悟ったとき、化け猫が言うのです。

「おっと、すまんの。こうするしか方法がなかったんじゃよ」

 何を言っているのでしょう。こうするしか方法がなかった? 私を騙して喰うにはこの方法しかなかったと?

 さらに化け猫は続けます。

「我にはおぬしが考えておることが手に取るようにわかっておる。この場所に来る前から知っておった」

「な、にを――」

「ここに来る前に二匹の狐に会ったじゃろう? あれは我の家臣じゃよ」

 驚きで言葉も出ませんでした。そんな……私たちはここに来る前からずっと監視されていたというのです。泳がされていたというのです。

「ここに来たいと願っておる者がおると聞いてな、それで探りを入れた訳なんじゃが……」

 化け猫は一度言葉を切って何か言いにくそうなものを言おうとしているようです。

「……おぬしの姉は化け物じゃな」

「……」

 化け猫からお墨付きを頂きましたよ姉さん。

 どうやら化け物から見てもうちの姉は化け物のようでした。

「何もあそこまでやる必要はないと思うじゃが、まぁええわ。ともかく我はおぬしら二人がここに来るまでの間のやり取りやら何やらを全て把握しとる。今までそんな奴はおらんかったしの。楽しみじゃったわい」

 本当に楽しそうに笑っています。無邪気な笑顔。とても悪しき者とは思えないぐらいの笑顔でした。

「そしておぬしの考えも手に取るようにわかっておる。だから我はそれを叶えてやろうと思うての」

「……」

 言わないでほしい、なんて思っても無駄なのでしょうね。

「おぬしは大好きな姉と人間、その二人の幸せを願っておる。大好きな者同士をおぬしはお互いに自慢したいんじゃろ? 見てくださいな、人間。私にはこんな素晴らしい姉がいるのです。見てくださいな、姉さん。私はこんな素晴らしい人間に恋をしてしまったのです」

「……」

 私は何も言いません。

「そしていつしか二人を引き合わせたくなったのじゃろ。じゃから自分が囮になってこの眠り葉っぱと一緒に喰わせて我を眠らせて、そして姉を化け物にさせて人間に会わせに行く。これがおぬしの考えたシナリオじゃ。どこか間違っておるかな?」

「……間違ってますよ。私は、私は自分で人間に会いに行くのです」

「そうかぇ」

 すべて、すべて一言一句間違いなどありませんでした。それでもせめてもの抵抗に私はこう言うしかなかったのです。

 大好きな――大好きな二人だから。

 お互いを知ってもらいたいのです。

 きっと、きっと仲良くなれるに決まってます。

 それは決定事項です。

 私が決めたんです。

 これだけは譲れません。

 譲れる訳ありません。

 譲れる――はずないじゃないですか……。

「しかし、じゃ。おぬしの考えは詰めが甘い」

 ごもっともですね。こうして阻止されているのですから何も言えませんよ。

「もっと他に解決策があるのにその身を犠牲にすることぁないと我は思うわけじゃが」

「……ぇ?」

「まぁ、長々と説明しとる時間もないの」

 言って化け猫は食いちぎった私の腕の毛をむしり取り、大口を開けてバリバリと食べ始めたのです。それを見ているとまた痛みが全身を駆け巡ってきます。

「これで我はおぬしを取り込んだ。これで姉の方はごまかせるじゃろう」

「……な、なにを言って――」

 私は化け猫の言わんとすることがまったく理解できませんでした。何が言いたいのでしょうか? 何をしたいのでしょうか?

「おぬしは死ぬ必要はないのじゃよ。こうすることしか姉を誤魔化しきれん。じゃからその腕は我慢しておくれ。まぁ腕一本なら安いもんじゃろ。それに、ほれ」

 化け猫は私の食いちぎられた腕を指さします。自然と私の視線は自分の腕へ。そして信じられないことが起きていたのです。

「血が――止まっている?」

 そうなのです。すでに血は止まっていて傷すらも塞がりかけていたのです。これはどういったことなのでしょうか?

「その腕は、そうじゃな、取引のお供え物に使ったとでも思えばよい。それに言うとくが、おぬしも少なからず化け物になるかもしれぬ。そこは了承しておくれ」

「だからさっきから何を――」

 化け猫はいつの間にかあの眠り葉っぱを持っていました。そしてそれを迷うことなく食べたのです。

「なっ、何を――」

「じゃからおぬしの願いを叶えるんじゃよ。まぁおぬしの願いと言うても欠陥だらけじゃったから我が少し手を加えさせてもろうたがの。ほれ、さっさと隠れい。姉が来てしまうぞ」

「……」

「先ほども言うたがおぬしが死ぬ必要はないのじゃよ。そしてこうすればすべてが丸く収まるじゃろうて」

「あ、あなたは――」

 とんでもない、お人好しなんですね……。

 私はやっとすべてが理解できました。この化け猫は自分を本当に差し出すというのです。

 私の腕を食べたのはそれを自分の中に取り込んで、化け猫の中に私がいると姉に思わせる為。でも腕をくれ、なんて言っても私は拒否をするでしょう。だから覚悟が決まる前に食いちぎった。

 そして眠り葉っぱを食べてここで眠る。私は先にこの場から去る。いつまで経っても合図がない姉はここにやってきてこの現状を把握する。姉はきっと私は化け猫に食べられたと思い、復讐から化け猫を殺すでしょう。そしてきっと私の目的だった人間に会うことを姉が背負ってくれるはずです。

 姉は化け物になってしまいますが、それこそが私が思っていた真の目的なのです。姉が化け物になり、人間に会いに行く。きっと二人はすぐに打ち解けるでしょう。きっと仲良くなるでしょう。きっと人間に化けた姉は綺麗でしょう。きっと二人は――。

 そんな大好きな二人だから――。

 私は自分を犠牲にできると思っていたのです。

 でもこの化け猫は――。

 この人は、私を生かしてその後の結末を見ることを与えてくれたのです。

 その後の結末を見ることが出来ないのがもどかしいと思っていた私にそれを与えてくれたのです。あのときの化け猫の言葉は嘘ではなかったのです。

「ほれ、さっさと行かぬか。我もじきに眠る」

 あの眠り葉っぱは……本当に効果があるのでしょうか? 化け猫は眠たふりをするだけではないのでしょうか?

 もしそうだったら化け猫は生きながらに喰われるという苦痛を味わうことになるのです。それでも眉一つ動かさずに堪えないといけないのです。そんなことが――。

 そんなことを背負わせてもいいのでしょうか?

「おぬしが気にすることはない。これまで何度死のうと思ったかはわからんが、ただ死ぬということだけはしたくはなかったのじゃよ。じゃから――誰かに託せるなど、これほど幸せなことは、ない」

 化け猫はその場に横になりました。そして目がだんだんと閉じてきたのです。

「……うまく、いくといいの」

「はい……」

「いけ」

 私は逃げるように、その罪から逃げ出すかのようにその場から離れました。三本足になってうまくは走れませんけど、何度転んでも私は後ろを振り向きませんでした。

 何も見えない場所へ、何も聞こえない場所へ、私は一心不乱に走ったのです。

「もう……終わり。これで……終わりじゃな。あとは任せるとしよう……。この先どんな結末が待っておるのか知らんが、あの狐なら……大丈、夫。あ、ぁ、声がする。懐かしい、声が……聞こえる。我の名前を呼ぶ、こ、えがする……。ま、た、あたま……撫で、て、もらわ……ない、と……」




 それから私は陰ながら姉を観察していました。

 すべては計画通りに進んでいました。人間と姉が会って楽しそうに話しているのもしっかりと見ていました。良かった、本当に良かった。

 ほら、私の言った通りだったでしょう姉さん。あの人間はとてもいい人なんですよ。そしてやっぱり二人は気が合いましたね。私は嬉しいです。

 そんな二人を見ていると捨てたはずの想いが出てくるのを私は必死で抑えました。あの輪の中に入ったらとても楽しいでしょうね。化け猫は結末を見ることを私に与えてくれましたが、これは見ない方が、知らない方が良かったのかもしれません。

 でも見なかったら見なかったで未練が残るのでしょうけどね。どっちが正解とかそういった問題ではないのでしょう。

 しかしながら誤算があったとすれば二つ。

 それは人間の命が残りわずかで、姉が自分を犠牲にしたこと。

 出来ることなら、私の理想としては、人間は完全に回復して姉さんとずっと一緒にいれたら、なんて思っていたのですけど、そう現実は都合よくいかないものですね。すべてがすべて思い通りにいくなんてありえないのでしょう。だからみんな悩むのでしょうね。

 人間の寿命は仕方がなかったことです。それは誰にもどうすることも出来なかったでしょう。たしかにあの場面に私が遭遇したら、姉と同じことをするでしょう。いえ、少し違いますか。姉が私と同じことをしたのですから。

 そして今度は人間が化け物に――。これはもしかしたら負の連鎖なのかもしれません。もしかしたら人間もこの先自分を犠牲にする時がくるのでしょうか?

 私としては、それは絶対にやめてほしいと思ってます。化け猫と姉が自分を犠牲にしてまで助けた命。それはあなたのものであって他の為のものではないのです。あなたのものだからあなたが好きに、自由に使ってもいいとは思いません。あなたのものだから責任をあなたが持って生きていくべきなのです。

 そして人間にはつらい選択をさせてしまいました。人間にだって家族はいるでしょうに、その後人間は人里へ戻らなかったのです。

 私が変なことを思いつかなければ――。

 でも今更そんなことを思っても過ぎてしまったことです。

 各々はそれぞれを選択し、別れていったのです。

 姉は人間の中で生き続けられるでしょう。姉は自分の中に私がいると思ってますが、そこに私はいません。どんなに言葉を交わしていてもそれは私ではなく、姉がつくった幻に過ぎないのです。

「一緒にいれたらどんなに幸せか……」

 そう思わずにはいられませんでした。

 私が人間に会いに行けばいいだけの話なのですが、それはありえません。もし会ってしまえばすべてが狂うことになるでしょう。

 私は――あの二人に会ってはいけない。

 あの頃の時間は、もう終わったのです。

 もう、戻ることはないのです。

 もう、戻れないのです。

 過ごした時間は限りなく短く、それ以上の時間をこれから生きていって、きっとあの日の記憶は徐々に薄れていくことでしょう。

 でも、それで、いいんです。

 過去に囚われることなく、今を生きてほしいのです。

 楽しかった時間はたしかにあります。それはなくなったりはしません。

 しませんから――忘れても、いいのです。

 あなたたちの重荷になるぐらいでしたら。

 忘れてしまえばいいのです。

 大丈夫。

 私が覚えています。

 幾年月日、どれほどの時間が流れようとも。

 私は、忘れません。

 あなた達の中に、私は、いません。

 でも――。

 私は、私たちは――共に、いる。



                              終わり  

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ヒューマンフォックス 水無月夜行 @minadukiyakou

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