第21話 新・狐の終章
ずっと昔から私はあの子が羨ましかった。同じ腹から産まれた双子であってもこんなにも違う。あの子は素直で真っ直ぐで、いつも自分に正直だった。
それに相反するように私は捻くれて自分にも嘘をついていた。素直になれない自分が嫌いだった。あの子のように素直に生きられたら、もっともっとシロ子と仲良くなれたのかもしれない。こんなことにはならなかったのかもしれない。
今更なにを言っても遅いけど、そう思わずにはいられない。二人で過ごしたこの森に独りぽつんと呆けている。
何をすればいいのかわからない。
何を求めて生きていけばいいのかわからない。
いや。
前だって生きていくのに理由なんて求めることはなかった。当たり前のように毎日を過ごしていただけだ。私がこんな考えをする理由はきっと化け物だからだろう。考え方まで変わってきているのかもしれない。でもそれが変わってきていると思えない。
前からこうであった気もするし、そうでなかった気もする。曖昧であやふやで有耶無耶で――。
今の私には何が残ったんだろう?
何か残ったものがあるとは到底思えなかったし何もなかった。
森に帰った私は何もすることがなく、ただただ呆けている。目的は果たしたし残ったのはこの化け物に成り果てた体だけ。
「はあ~あ……」
帰ってからというもの溜め息しかでない毎日。ふと我に返ればあの人間のことを考えている自分に気が付き、ぶんぶんと頭を振って追い出す毎日。
残ったものが仮にあるとするなら、人間との思い出か。でもこれは私の思い出じゃない。シロ子と人間の思い出だと自分に言い聞かせた。
「名前、聞けなかったし」
シロ子、いくじなしな私をどうか許して。部屋の中に入るまでは覚えていたし、聞く気満々だったけど、あの人間と会って話していたらすっかり忘れてしまった。どうにも調子が狂う。
でも一応名前の漢字は見た。でもそれがなんと読むのかわからなかったけど。文字にして三文字だったことぐらいしか私にはわからない。あれほど名前を気にかけていたのに。呼びたかったのに。すっかり忘れてしまっていた。
「私、どうしちゃったんだろ……」
これも全部シロ子のせいだと毒づく他はない。もしこの場にいたなら噛みついてやるのに。そういえば前に、シロ子におしりを噛まれたことがあったなぁ。あれは痛かったな、うん。
あの子、手加減って言葉を知らないんだもんなぁ。
「今となってはいい思い出、か。はあ~あ……」
本当にどうしたもんかな。生きる意味がみい出せない。全て終わってしまった。
「また、あの人間に会いに行ってみようかな……」
今度こそ名前を聞きに。
名前はとても重要だとは思わない。だって私には名前がないんだから。正直に言って――シロ子が少し羨ましかった。どんな形であれ名前をつけてもらったんだから。
私にはそれがない。
シロ子になった私の名前はシロ子ではない。
シロ子であってシロ子ではない。
決して違うんだろうと思う。私も名前がほしいと言えばあの人間はつけてくれるだろうか。きっと二つ返事でつけてくれるだろう。少ししか話はしてないし、共有した時間は短いけどそれは言い切れる気がした。私はいつのまにか――夢中になっている。
あの人間のことを思い出すとどうも調子が狂う。顔は赤くなるし、鼓動だってあがる。
「ほら、今だってあの人間の匂いがしてこんなにも動悸が――?」
なんでここであの人間の匂いがすんのよ!
私はすぐに立ち上がり全神経を集中させた。
「たしかに匂う。間違いない。もしかしてこの森にいる? あんな今にも死にそうな体で?」
ありえない。あんな体でこんなところまで来れるとは到底思えない。そもそも人間は記憶を失っているはず。ここの場所を覚えているとは考えにくい。
もしかして記憶が戻った――?
それでここまで来た?
その可能性は十分にあるけど、それにしたって今現在確実に言えることは、まだ人間の体は回復してないということだ。それだけは十分に言える。
気が付けば私は走っていた。最初はどこに向かっているのかもわからなかったけど、見覚えがある気がする。
正確にいうならば私は知らない。私の中のシロ子が知っているんだ。
「シロ子、お願い。あの人間を見つけて――」
私の足は真っ直ぐにあの場所へ。かつてシロ子が毎日のように人間にご飯を貰っていたあの場所。木々が顔に当たろうとおかまいなしで私は森を駆け抜けて行った。ことは一刻を争う。
人間の匂いはたしかにするけど、生きている生気が感じられない。気配がまるでない。
化け物になった私の感覚は嫌なことばかり気が付く。こんな感覚いらない。あの人間の嫌な部分だけを感じ取る感覚なんて必要ない。
「このままじゃダメだ」
私は森を抜けて道路に出た。
この方が断然走りやすいし、さいわいここは滅多に人が通らない。全速力で走り抜けても大丈夫。
私はまるで月の引力に引き寄せられるようにその場所に向かった。あと少し。どんどんと人間の匂いが近づいてくる。それと同時に絶望の匂いまでもがする。
「なんで――なんで――っ!」
その場所にはあの人間が顔面蒼白で倒れていた。
「あんたなんでここにいるのよッ!」
私は人間を抱きかかえて愕然とした。
「冷たすぎる」
今にも命の灯は消えようとしている。呼吸はしていない。いつから止まっているのかもわからない。
既に死――。
「いや、まだだ。諦めるわけにはいかない。そうでしょシロ子」
でもどうすればいいのか全くわからなかった。方法がまるで思い浮かばない。こんな状況では冷静な判断なんてできるはずがない。仮に考え付いてもそれは馬鹿な考えになる。
「どうすれば―――」
私は一点を見つめてあることを思い出した。自分が言ったあの言葉を。ごくりと無意識で唾液を飲み込んだ。それと同時に冷たいような熱いような、どちらでもない嫌な汗が額から流れた。
「でもそれをすれば私は―――」
それでも、それでもシロ子がこの立場だったら迷わずにそれをやってのける。あの子は何よりもこの人間を救うことを優先する。
だったら。
だったら私もそれを選択するしかない。
「そうでしょシロ子。あんた、この人間を助けたいでしょ? 私はあんた。だから迷わない」
『化け物になるには化け物を喰えばいい』
簡単なことだった。とても簡単なことだった。それだけのことだった。
私は私の心臓を人間の口に詰め込みました。
これで人間は助かるでしょう。
人間は私のことを怒るでしょうか。化け物にしてしまった私を。
いや、きっと怒らないでしょう。この人間はそういう人間です。
さぁ目覚める時ですよ。起きてください。
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