第18話 新・狐の章一


 まったく、という言葉しか口から出てこない。

「困った妹をもったもんね」

 それでも不思議と嫌な気持ちにはなりはしなかった。ただあの子に為にと、そう思うだけだ。

「囮になるってゆーのがどんなに危険なことかわかってんのかしらねあの子は」

 今更何を言っても遅いけど、それでも言わずにはいられないし成功することを祈るしかない。きっとうまくいくはず。

 私は言われた通りに、化け猫に気づかれずに裏手へと回った。そこにはなんの気配もない。この屋敷内には、あの化け猫以外いないんだろうか。

 それとも警戒心をなくすためにワザと出てないように指示をしている? とか?

 考えてもキリがないし、今の私にできることは少しでも早く配置に着くこと。そしてあの馬鹿が早まった考えを起こさないように祈ることぐらい。

 一体どれほどの時間が経ったのかはわからない。私にとってはこれが最速のスピードだ。これ以上は早く移動できない。

 ここは丁度あの化け猫の後ろ十メートルぐらいだ。いつでも飛び出せるように私は後ろ脚に力を入れる。

 しかしいつまで経ってもなんの合図もない。

 というか静かすぎる。不自然なほどに静かすぎる。

 私はそっとその場から移動した。少しずつ少しずつ前に出たのだ。

「な……によこれ」

 そこには信じがたい光景が広がっていた。

 まず最初に目に飛び込んで来たのは、化け猫が庭で大の字になって寝ていることだった。

「寝て、んの? こいつ」

 いびきまでかいている。間違いない。眠っている。ということはシロ子があの眠りの葉っぱを食べさせることに成功したんだろう。

 しかし肝心のシロ子の姿が見えない。まだ化け猫は生きているし、喰ったということはありえないだろう。

 化け猫が起きないかハラハラしながらその顔を見る。

「綺麗な顔してんな」

 ありえないぐらいに美人だった。それこそこの世のものとは思えないほどに。ここで私はあることに気がついた。

 化け猫の口の周りが血でべっとり濡れていたのだ。

 きっとシロ子が眠り葉っぱを入れた獲物を食べたんだろう。

「まったくどこに行ったのよ」

 大きな声を出して呼ぶことは出来ない。もしかしたら化け猫が起きてしまうかもしれない。

「早く化け猫を喰わないと起きちゃうじゃないの」

 そんなことを思いながら捜索をしていると足元に何かが落ちているのに気がついた。

 それは白い毛だった。

 真っ白な白い毛だった。

 いつも見ている真っ白な毛だった。

「ま……まさか……」

 私は私の考えが理解できなかった。

 嘘よ。

 何かの悪い冗談だと自分に言い聞かせる。けど私の眼は辺りに散らばる白い毛しか見えなかった。

 それを言葉に出すのも怖い。

「く……く……くわ、れ―――」

 なんて馬鹿な妹なんでしょうね。

 なんて姉不幸者の妹なんでしょうね。

 人間に会いたいんじゃなかったの?

 もう一度会いたいんじゃなかったの?

 なんて――馬鹿な妹……。

 自分が獲物になるなんて。

 シロ子は眠り葉っぱを持ったまま喰われた。だから化け猫は眠っている。

「こいつが……こいつがッ、シロ子をッ!」

 殺してやる。殺してやる。私の頭の中にはそれしかなかった。

 私は迷わない。

 たとえ私の胃がそれを拒否しても私はおかまいなしにそれをつめこんだ。

 まず止めを刺す為に首を引き裂いた。これで化け猫は完全に死んだだろう。そして私は化け猫の心臓を取り出して喰った。ただただ怒りに身を任せて喰った。吐き気がする。こんなもの喰えるかと胃が拒否しているのがわかる。何度逆流しそうになったかわからないけど、私はそれを受け入れた。すると少しではあるがシロ子の想いが私の中に入って来た気がしたのだ。

 この化け猫はシロ子を喰っている。それを私が喰ったことによってシロ子を取り込んだのだ。きっと私の中にシロ子がいる。

 シロ子のあの言葉が蘇る。

『姉さんもあの人間と会えばわかりますよ』

「シロ子の奴、もしかして最初からそのつもりで……?」

 いや、さすがにそれはないと思うけど。でもそう考えたら辻褄が合うところもある。でももう確認はできない。シロ子はいないんだから。

「私にどうしろっていうのよ、シロ子……」

 その時、ある考えが浮かんだ。きっとこうすれば全て解決するかもしれない。

「そう、か。私がシロ子になればいいんだ」

 私の体は化け猫の心臓を食べたことにより変化が始まった。

 変化というよりも人間に化けたと言った方がいい。今の私の姿はまるっきり人間のそれだった。これ、元に戻れるんでしょうね……?

「あの言い伝えは本当だったのね」

 いや、とここで違いに気が付く。

「あの子はこんな口調じゃないわね」

 こうか。

「あの言い伝えは本当だったんですね」

 大丈夫。私になら出来る。いや私以外には出来るはずがない。私たちは姉妹なんだから。

 こうして私はシロ子に成り代わることにした。

 口調から思考に至るまですべてをシロ子にしてあの人間に会いに行く。すべてはシロ子の為に。

 私はそれから元いた森に戻った。色々と準備をしなくてはならない。この人間の姿になっていられる時間の把握や、自分のことを知らなければいけない。

 決して人間の前でボロを出すわけにはいかないしね。

 私の中にシロ子がいるはず。きっと見ている。

「絶対にあんたを人間に会わせてあげるから」



 そして私は人里へと下りた。

 現在進行形でめっちゃ緊張しております。

 正直なところ、私は人里に下りたくはなかった。でもこれもシロ子の為だし、しかたがなくってところだ。

 うまく化けられているんだろうか? 

 そう思ってしまう。自分では完璧だと思っているけど、人間が見たら一発でバレるかもしれない。そしてバレたら私は実験体にされちゃう。きっと死んでも死にきれない酷いことをされるんだ私は。

「なんておぞましい……」

 そんなことを考えたら身震いが止まらなかった。絶対にバレちゃダメだ。本当なら絶対に来たくなかったのに。でも私はここに来た。ようは見つからなければいいだけだ。自分にそう言い聞かせるしかない。

 まぁ見つかったとしても黙って捕まるつもりは毛頭ないけど。私から何かをするつもりはないけど、相手から来たらそれは受けて立とうじゃないの。こっちだって必死に生きてるわけだし、私の目的の邪魔はさせない。

 絶対に人間に会う。シロ子を人間に会わせる。それが全てだ。

 そんな思いが私を動かした。

 そして人里に下りた私の感想とは、

「なんて騒がしいのよここはっ」

 だった。耳が痛いし、空気は悪いし最悪。人間ってよくこんなところに住めるなぁと関心してしまう。ある程度は予想をしていたけどこれは想像以上だった。出来る事なら早く帰りたい。

 ところで私がどうやってあの人間を探し出すかというと、匂いで探し出す。化け物になった私の鼻はかなりきく。どんなに離れていてもそれを嗅ぎ分けることができる。

 化け物様様って感じ。

 あの人間の匂いは”私は”知らない。でもわかる。私の中のシロ子が知っている。

 そして問題があるとすれば一つ。この姿がかなり目立つということだ。

 ただでさえ白髪で目立つのに、さらに私のこの美貌。男だけじゃなくて女までも振り返って私を見る始末。けっこう内心ではドキドキしている。何度も尻尾がでてないかとかお尻を見ちゃうし、何度も頭の上を触って耳がないかを確認してしまう。

 さすがに目立ちすぎるのはよくない。かと言ってこれはどうしようも出来ないし、さっさとあの人間を見つけて用事を終わらせた方がよさそう。

 私はあの人間の匂いを辿って、ある病院の前にたどり着いた。

「ここね」

 ここからあの人間の匂いが強くする。きっとここにいる。

「ん? 匂いがするってことは生きてるってことか」

 良かったじゃんシロ子。あの人間は生きている。もうすぐ会えるからね。

 私は一度深呼吸をして一歩前に踏み出した。

「ぐわっ、なにこの匂い」

 病院内に一歩足を踏み入れると凄い匂いが鼻孔を突き抜けた。この匂いはさすがにきついものがある。色々な薬品の匂いが混じって鼻のいい私にはとてもきつい。

「ぅぇ……長くいたら吐きそう……」

 ってかこれ勝手に入って行っていいのかな?

 私は人目を気にせずにどんどん奥へと入って行った。何人かが私を見ているけど、それはきっと怪しいとかじゃなくて単に目立つからだろう。けっこう堂々としていれば怪しまれないもんだ。

 匂いは上の方から匂ってくる。

「上……ね」

 どうやっていけばいいんだろう。どこか上へと上がれそうな場所を探していると、目の前の扉が開いた。その扉の中は狭くてどこにも通路なんてない。

 なにこれ?

 そんなことを思っていると、中にいた人間が言った。

「上に行きますけど乗りますか?」

 上? この中に入れば上に行けるの? 

 どういう原理なんだろうか。まぁとりあえず私は「はい」と返事をして、この狭い部屋の中に入った。すると扉はスーっと閉まる。

 そして一瞬の浮遊感。

 私は急いで壁に手を這わせて腰を落とした。

 なんだこれは。とってもビックリした。

 そんな私をかなり不審そうな視線が貫いたけど、それに関しては触れないでおこう。自らの傷口を広げる理由なんてどこにもないしねっ、うん、ないし。

 そうこうしているとまた扉が開く。そこはさきほどまで見ていた場所とは違っていた。

 なにこれ凄いじゃん。人間はこんなすごい物を作っているんだ。私は関心せざるおえない。この小さな部屋に入っただけで移動できるなんて素晴らしすぎる。

 帰るときにこの部屋に入ったら、私が住んでいる森につかないのかな? どうなんだろうか。ついたらとても便利だ。

 私はとりあえずこの部屋から出て辺りを見渡した。うん、さっきよりも匂いが近い。

 近い。もうすぐだ。

 そして私はある扉の前で立ち止まった。

「ここ、ね」

 間違いはない。ここからあの人間の匂いがする。ここでふと私はあるものに目がいった。それは文字だ。

「なんて読むんだろこれ」

 これは間違いなくあの人間の名前だ。

「シロ子のやつ、人間の名前知ってんのかな?」

 きっと知らないだろう。だからきっとシロ子は人間の名前を知りたかったはずだ。自分に名前をくれて、名前を呼んでもらって。そして名前を呼びたかったはずだ。何度も何度も。その名前を口にしたかったはずだ。

 それはもう叶うことがないけど。

 私がこの名前を知っても呼ぶことはできない。この名前はシロ子が呼ぶ名前だ。私は知らない方がいい。それに読めないし。

 でも私が呼べばシロ子が呼んだことにもなるのか。私の中にシロ子はいるわけだし。

 出来ることなら名前を聞いて呼んでみよう。名前教えてとか言いにくいなぁ。まぁこれもシロ子の為だと思えば頑張れる。よし、いこう。

 うっわ、めっちゃ緊張する。

 私の心臓は今にも張り裂けそうなぐらい鼓動している。いや、少し違うか。”私たち”の心臓だ。

「シロ子、準備はいい? 入るよ」

 ここから私はシロ子になる。





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