第15話 狐の章十
「ふぃー、いい運動したなぁ」
……運動ですか、そうですか。私はもはや何も言いますまい。何も聞かますまい。せめてもの救いは姉の白い毛皮に、返りぶらってぃーがついていなかったことですね。
とてもスッキリしたかの様な顔の姉。なんであんなに楽しそうな顔をしているのでしょうか。私は怖くて一部始終が起こった現場を見ることができませんでした。きっとあの雄の狐は毛皮を剥がされて丸裸になっていることでしょう。もし生きていたらこの先、どんな復讐をされるか想像もしたくありませんね。
「さて、ちょっと場所を変えて休みましょうか」
「え? なぜここじゃダメなんですか?」
何か重大な理由があるのでしょうか? ざわざわこの場所から動くのは、疲れているしけっこう面倒なんですけど。しかしながら私は姉の一言を聞いて移動したいと思ってしまうのです。
「え? だってあっちに――」
聞いた私が馬鹿でした。あの禿げあがった雄の狐が倒れているんでしたね。それもあられもない姿で。トドメをさしたのかどうかは聞きませんでした。
こうして魔の三日間が終わりを迎えたのです。思い出しても背筋が凍りますね。
そしてそして、私たちはついに目的の佐賀県へとたどり着いたのです。
でもここからがまた問題でした。佐賀県と言ってもその面積はとても広いです。その中から化け猫を見つけるのは至難の業。
「どこへ向かえばいいんでしょうか?」
「場所は肥前国佐賀藩。今の地名でいうと佐賀市という中心部ってことになってるみたいだけど」
「中心部? そんなの人里へ下りるのと変わらないじゃないですか」
「いつまでも同じ場所にいる訳ないでしょーがっ。ちっとは考えなさいよ」
怒られました。
まぁ姉の言うことはごもっともです。わざわざ事件のあった場所に住みつく訳がありませんね。
「でもそんなに遠くに行ってるとも考えにくい。ってことはー佐賀市を一望できる山的なものがあればそこにいる可能性が高い」
「なるほど。つまり私たちが今いるような一望できる山があればいいんですね?」
「そうそう」
「……」
「……」
ここでした。
「て、手間がはぶけたわね」
「そ、そうですね」
なんとも間抜けな私たちでしょう。よくこの山で遭遇しなかったなとつくづく思います。心の準備も出来ていないのに出会ってしまったらそれこそ一貫の終わりですしね。
「この山のどこにいるんでしょうか」
「わかんない。そもそも本当にいるかもわかんないし」
おや? いるって言っていたのはどこの誰でしたっけ?
ここで喧嘩をしても何も解決しないので、とりあえずここは何も言いませんでした。
「とりあえず明日までここで待とう。それまでに作戦を考えないと」
「なぜ明日なんです?」
姉はよくぞ聞いてくれましたと口元を歪ませて言うのです。
「明日は満月よ。何かが起こるには相応しい」
それから次の日の夜。
私たちは完全に眠りこけていて完全に寝坊。すでに月が沈みそうだったのです。
「ちょっと、なに寝てんのよっ」
「ね、姉さんこそ」
お互いに口から垂れたヨダレをふき相手を責めます。なんと見苦しいんでしょうか。
「一体どういうことよこれ。さすがに寝坊ってレベルじゃすまされないわよ」
たしかにそうです。いくらなんでもこれは寝坊というレベルを超えています。何かしらの事が起こったと考えるのが妥当ですね。
決して言い訳をしているのではありませんよ。
私は記憶を遡っていきます。どこから記憶がないのか、どこから記憶があるのかをゆっくりと思い出していきました。
たしか――。
姉が満月の夜まで待とうと言い出して……。もっとあとですね。
夕方になって昨日のことを思いだして辺りを警戒しながら震えて……。もっとあとですね。
日が落ちる前にご飯の調達をしようという事になって、ご飯を探しに行って……。もっとあとですね。
鳥やら果物などを姉と争いながら食べて……。もうちょっとあとですね。
今に至る……。
ん? いき過ぎですね。つまり――。
「なんだかご飯を食べたあとぐらいから記憶がありませんね」
ということになりますね。まさかの育ち盛りっ? お腹いっぱい食べたら眠くなりますもんね。これは自然の摂理なんで仕方がありませんよ。
しかしながら姉の意見は違ったのです。
「まさかっ」
姉は一つの葉っぱを見ました。
「もしかしてこれに睡眠作用があるんじゃ……」
「え? それってお野菜じゃないんですか?」
なんという事でしょうか。せっかく体にいいと思って採ってきたのにお野菜じゃないなんてあんまりです。
「知らないわよ。ってかあんた何も知らないでこんな危険なもの採ってきたの? 信じらんないんだけどっ」
「いつか見た――人間が持って来てくれていたご飯の袋の絵にとても似ていたから食べられるとばかり……」
私はしっかりと覚えていますよ、ええ覚えていますとも。
「あんた馬鹿か! 馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたけど、そこまで馬鹿だったとは」
そんなに馬鹿馬鹿言わなくていいじゃありませんか。私だって傷つくんですよ。
「でもこれは使えるかもしれないわね」
姉はその葉っぱを見つめながら言いました。何か策が閃いたのでしょうか? よし、聞こうじゃありませんか。
「見つかったらこれを食べて、狸寝入りならぬ狐寝入りをするとかですか?」
「馬鹿じゃないの?」
真顔で言われました。
「それほんとに寝ることになるじゃない。これをその化け猫に食べさせて、眠っている間に用事をすませればいいのよ」
なるほど。それはたしかにいい考えですね。
「でもこれをどうやって食べさせるんですか?」
「……」
何も考えてなかったらしいですね。
「あんたもちっとは考えなさいよッ」
これが俗にいう八つ当たり言うやつですか。
でもたしかにこれを食べさせることが出来ればすべてがうまくいくでしょう。眠らせてしまえばこっちのもんです。
こっちのもんなんですが、それを本当にどうやって食べさせましょうかねぇ。そこがクリアできれば解決なんですが、そここそが一番の難関になりそうです。しかしながら悠長に考え込んでいる時間はありません。
「姉さん、とりあえず移動しながら考えましょう。もう月が沈んでしまいそうです」
「時間がないわね」
私たちは森を静かに駆け抜けて行きました。頭は冷静に、ただ化け猫をどう眠らせるのかを考えて。
正直なところ、私には一つだけ案が浮かんでいました。馬鹿は馬鹿なりに馬鹿な答えを考え付くものなのです。姉には絶対に言えません。反対をすることがわかりきっていますからね。
それからどれだけ歩いたのかわからなくなった頃でした。
正直に言って二手に分かれて探した方が効率は格段にいいのでしょうが、私たちは一緒に行動をすることにしたのです。理由は至って簡単ですね。もし見つけたときに一人では危険だからです。まぁ二人でも危険なんですが、相手を探すのに時間がかかっては意味がありません。
効率は悪いですけどこうするのが一番良いでしょう。辺りに目を凝らして必死に探しますが、それらしきものはまったく見つかりません。
「やっぱり存在しないんでしょうか」
そう考えるのが妥当です。しかしながら姉は言います。
「絶対に存在する。黙って探しなさい」
何を根拠に言っているのかはわかりませんが、私も存在すると信じたい。でなければ私は人間に会えないのです。ここは信じて探すしかないのでしょう。
さすがに夜目が利くといっても限界というものがあります。昼間探すよりは数段に効率が悪いですね。
そんなことを思っていたら何やら霧がでてきました。ただでさえ見にくいのにさらに霧まででてきて最悪です。ですが姉は霧がでてきたのを見て私とは正反対の意見を言いました。
「よし。これは都合がいい」
「どういう意味です?」
私は意味がわからずに聞き返したのです。
「私たちが相手を見つける前に、向こうが私たちを見つける可能性がある。でもこの霧に乗じて姿を隠すことができるでしょ」
私たちの毛は真っ白です。この霧の中にいれば危険を回避できるかもしれないと姉は考えたのでしょうね。
たしかにこの霧の中で私たちを見つける事はかなり困難なことでしょう。それでも警戒をしていなくてはいけません。警戒をしすぎるということは決して悪いことではないでしょうし。
そしてしばらくして濃い霧の中に不意に明かりが見えたのです。
「ストップ」
私はぴたりとその場にとまりました。
「あれ、見えるわよね」
「えぇ。あれは……松明でしょうか」
薄っすらと霧の中に浮かぶ明かり。それはとても不気味でゆらゆらと蠢いていました。それを見るだけで何やら恐怖が湧いてきます。
たしかに獣は火が嫌いです。ですがそれよりもずっと違う感覚が私を襲っています。熱いから、という訳ではなくて何か本能的にあれは危険だと告げているのでしょう。
それでも私たちはその場所へと向かわないといけません。
私と姉は息を整えて、その明かりの方を見ます。
「な、んですかあれ……」
「すごいわね。さしずめここが化け猫の巣ってとこかしらね」
私たちはついに見つけたのです。
見つけてしまったのです。
これは本当に見つけてもよかったものなのでしょうか。世の中には知らなくていいこともあると言いますが、これはその部類に入っていないでしょうか? それほど恐ろしく不気味な場所です。
そこには古い建物が濃い霧に包まれて建っていました。おそらくこれは当時の、数百年前のものでしょう。怪しげに揺らぐ炎が不気味で、煙すら出ていません。屋敷の前には小さな赤い橋があるのですが、当然下は水に満ちています。
ですがそこに反射していないのです。普通は水面に反射して屋敷なり橋なり炎なりが映りこむのですが、それがまったくないのです。これは全てまやかしなのでしょうか? 私は自分の眼を信じられません。
異質、としか思えないほどの空間でした。
しかしながら、ここで立ち止まっているわけにはいきません。
「どこから這入りましょうか」
なにやら姉は黙考していますが、その顔はかなり険しいものになっていました。きっと今から進む道が嫌なのでしょう。
「はぁ、正面から這入るわけにもいかないし、水の中を泳いでいくしかなさそうね」
季節は冬。そんな極寒の寒さの中で水に浸かろうとは誰も思いません。それでもここは水の中をいくしかないのです。正面から堂々と這入れればいいのですが、さすがに危険だとわかっています。
「つべたっ」
「我慢してください」
こういう建物のまわりに水を張るのは、そこから侵入してきたらすぐにわかるようにといいます。波紋が敵を教えてくれるんだとか。
でも逆に言えば、見事にその道を完璧に通れれば決して見つかることはないのです。
波紋を立てないようにゆっくりとゆっくりと進んでいきます。ここでふと思ったのですが、この水中になにかいたらどうしましょう。と言ってももう入ってしまっている訳ですし、どうにもならないのでここは祈るのみですね。
「つ、つべたいいい」
「あと少しですから」
どやら姉さんは冷たい水が嫌いな様子。まぁ誰でも真冬に水に浸かるなどするはずもないんですけどね。
そしてなんとか泳ぎ切って建物内に這入ることに成功しました。
「なんとか」
「ええ、気づかれずに這入れましたね」
私たちが水から上がり意識を前にむけると、そこには異様な空気が漂っていました。
「このどこかに化け猫がいる……」
そう確信できるほどの空気です。辺りを警戒しながら私たちは前へと進みました。
立派な建物だというのが私にもわかります。どうやってこんなものを維持しているのでしょうか? 何から何まで考えられないほどの異質。後ろを振り向けば私たちの通って来た道も当然見えるわけですが、それでも迷路の中に迷いこんだ感覚が襲ってくるのです。
見えているし迷ってはいないのにかかわらずに不安になってしまいます。恐怖がずっと私にまとわりついて来ている感覚。今にも後ろ足をとられて奈落の底へと落とされそうな感覚。
この場にいたくない。
私は何度も何度もその言葉を心の中で叫んでいました。そんな時でした。
「ねぇ? 妙じゃない?」
なにか姉が違和感に気がついたようです。
「こんなに大きな屋敷なのに誰もいない」
「そりゃ一人暮らしなんじゃないんですか?」
「普通その辺の獣をとっ捕まえて奴隷にして自分の身の周りの世話をやらせるもんじゃないの? 私ならそうするけど」
私の姉はどうやら性格が化け物のようです。
でも言われてみれば確かに妙と言えば妙なんです。なんの気配もありません。
「もう少し探してみましょう」
長い長い廊下。その先は闇が支配しています。その廊下には襖がいくつもあり部屋があります。私たちは聞き耳を立てますが、中からは一切気配が感じられません。床が軋む音も呼吸音も何も聞こえてこないのです。
「ちょっと開けてみましょうか」
「ええっ! ちょっ――」
と待って、と言う前に姉は臆することなく襖を開けたのです。そして中に這入っていく姉。もうなんて言いますか、肝が据わっているどころの話ではない気がします。中で何かが待ち構えていたらどうするつもりなんでしょうか。
「私、鼻いいから大丈夫」
うん、なんの根拠もありません。何と比べてどれほどいいんでしょうか?
そんな適当なことを言いつつも姉は部屋の中へとズカズカと這入っていきました。
「お、お邪魔しま~……」
私も姉の背中を追って中へと這入ります。
中は真っ暗ですが徐々に目が慣れてきました。その部屋の中はそんなに広くはなく、物なども一切置いてありません。
「何も、ない、わね」
「そ、うですね」
「それに誰もいないわね」
そりゃいたら困りますよ。
一応調査ということで部屋の中を歩き回り、鼻をスンスンと鳴らしてみます。しかしながらそんなことをしても、何も感じるものはありませんでした。というよりも端的に――。
「生物の住んでいる気配がないわね」
ただ部屋があるだけ。ただそれだけだったのです。
「これじゃ怪しいとこなんてありゃしないわ」
何か化け猫に関することがわかれば良かったんですがそうもいきませんでした。まぁ化け猫に関することってゆうのが曖昧ですけどね。
「よし、次行ってみよー」
「ぇえっ? 行く意味あるんですか?」
「わっかってないなー。意味なんか求めなくていいんだよ。ただ本能のままに」
「……」
略すと、ただ探すという行為が楽しくなっちゃったんだっ、ってとこでしょうか。今のこの状況で何をどうすれば楽しくなるのかは皆目見当もつきません。姉は昔から何かを探すのが好きでしたし、まぁそれこそそれに意味を求めても仕方がないんでしょうけどね。
部屋を出て次の部屋へ。
そこは最初に這入った部屋と何一つ変わってませんでした。まったく同一。同じ部屋に這入ったのではないかと錯覚してしまうほどの風景です。
「……何もないわね。チッ」
今この姉は舌打ちをしましたね。探すという行為が楽しいというのにもかかわらずに、探し物が見つからなかったら不機嫌になるという最低最悪の終着点です。
これはどう考えてもめぼしい物は出てきそうにありません。これ以上不機嫌になられたら困るので私はここらで切り上げることを提案しました。
「ね、姉さん。そ、外に。外を回ってみませんか?」
「そとぉ?」
「ええ。この屋敷がどれほどの大きさなのかを知る必要があると思うんです。最悪の場合、逃げ道を確保していないと危険ですし、周囲を調べてみましょう」
「……」
なんという顔なのでしょうか。諦めが悪そうな嫌そうな不服そうなその顔。今にもまた舌打ちが聞こえてきそうです。
「……わかったわよ」
絶対に嘘だ、と私は思いました。なんだかしぶしぶといった感じが凄まじいですね。でもまぁ言うことを聞いてくれて良かったです。私が言ったことは一応は本心ですので嘘は言ってません。
それから私たちは姿を隠しながら外へと出たのです。さすがに迷子にはなりませんでした。来た道を戻ればいいだけの話ですからね。でもけっこう内心ではどきどき……。それほどまでにこの場所は異質なのです。
外に出たといっても屋敷の外ではありません。屋敷内で外が見える場所、という意味です。だって屋敷の周りは水で囲まれていますしね。
屋敷の外側は廊下になっていてぐるりと歩けるようです。窓も扉もなく、ただの廊下。そこをテコテコと二人で歩いて行きます。
「……これってどこまで続いてると思う?」
「わかりません。そのうち一周するんじゃないんですか?」
「一周しても同じような場所だからわかんないわよ」
たしかに姉の言うことはもっともです。これはあまり行かない方がいいのかもしれません。それこそ本当に迷子になってしまう可能性があるのです。
そんな時でした。
「今何か音がしなかった?」
姉の耳は何かを捕えたようです。私にはまったく何も聞こえません。
「いえ、別に」
「ちょっと行ってみましょうか。このまま何も進展がないのもどうかと思うし、それに私たちは化け猫に会わないといけない。このまま隠れたままじゃ意味がない」
「そ、うですね。行ってみましょう」
正直なところ、まだ心の準備が出来ていません。でも、それでも行かなければならないのです。
私たちは再び屋敷の中へと這入って行きました。姉の聞いた物音というのを頼りにその場所へと向かいます。
「たしかこっちの方から聞こえたんだけど」
音がしたというのは確実に誰かいるという事なのでしょう。それが果たして化け猫なのかそれとも家来の動物なのか、願わくば前者であってほしいところですね。
音の聞こえた方へと私たちはどんどん進みました。すると中庭の様な場所へと出たのです。
「庭?」
「庭ですねぇ」
小さな石が敷き詰められている庭。古風であってとても癒されるような雰囲気があります。こんな状況でなければとてもよかったんですがね。
「姉さん、何もいませんよ?」
「いないねぇ。聞き間違いだったかなっ」
惚けやがりましたねこの姉は。
そんな時でした。
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