第13話 狐の章八



 それからすぐに私と姉は佐賀県に向けて出発をしました。

「道のりは長そうですね」

「あんたがしっかり食べとけば何も問題なかったのよ」

 ごもっとも。返す言葉もございませんね。しかしながら今更なにを言ったところで状況はかわりません。今の私はそれは酷い顔をしているのでしょう。自分でもそれがわかります。完全にガス欠状態ですね。この状態のまま佐賀に向かってもいいものなのでしょうか?

 言い訳がありません。足手まといにも程があるでしょう。しかしながら悠長なことは言ってられないのです。時間がない。いったいどれほどの時間がないのかはわかりません。

 おそらく時間はとっくにリミットなのでしょう。それでも、どれだけの時間がかかったとしても行くしかないのです。この体がどこまでもつのかわかりませんが、行きながら回復をするとはあまり思えません。途中で倒れてしまうかもしれませんね。きっとその時は――姉がおんぶしてくれると信じましょう。

 きっと姉はそのために私と一緒に佐賀に行くと言い出したのです。だからこき使ってあげましょう。

 あっ、別に疲れてないですけど、おんぶしてもらうってのもアリですねぇ。

「あんた、倒れたら置いて行くからね」

「……」

 姉の眼は本気でした。

 私の作戦がぶち壊しにされた瞬間でしたね。と言いますか、私が倒れたら姉はなんの為に佐賀に一人で行くのかわからなくなってしまうと思うんですけど。

 もしかして姉は横取りを企んでいるのでしょうか? いやいや、姉が化け物になっても本人は何も得をしないでしょう。そもそも、もうすでに化け物じみてますけどねぇ。

「あんた、何か失礼なこと考えてない?」

「……ぃぇえ?」

 どうしてこうも姉は私が考えていることがわかるのでしょうか? さすが化け物ですねっ。

「あだっ」

 突然姉に殴られました。

「なんか絶対失礼なこと考えてる顔してたから、とりあえず殴った」

 とりあえずで殴るのやめてほしいんですけど。別にそんな顔しているつもりはなかったんですけど、そんなに悪い顔をしていたのでしょうか。

 近くに川が流れているので私は自分の顔を確認しに行きました。水面を覗き込むとそこには間違いなく私の顔が映し出されていました。

「あ……」

 たしかに姉の言っていることは間違いではありませんでした。悪い顔です。とても顔色がよくなく、今にも死んでしまいそうな顔をしていました。

 私は自分の顔がここまでとは思いもしませんでしたが、確認が出来て良かったです。自分が思っている以上に良くないですね。自覚して気合いを入れて行かないといけません。

 私たちはこれから滋賀県へ行き、化け猫に会い、そして――。

 自分の目的の為に例え他者を蹴落としてでも私は自分の道を進んでみせます。もう一度、あの人間に会うために。

 今の私には――それがすべてです。

「姉さん、勝算はあるんですか?」

「これから考える」

「……」

 無計画?

「だいだいあんたが行きたいって言ったんでしょ! なんで私が作戦考えなきゃならないのよ! 私はあくまで付き添いなんだからね」

 優しいのか冷たいのかわかりませんね。これが人間が前に言っていたツン……なんとかなんでしょうか。

 まぁ姉の言うことはわかりますよ。言い出したのは私ですし、何から何まで姉を頼るのも悪い気がしますしね。しかしながらどうしたものでしょうか。

 ただ佐賀に行くだけでは意味がないのです。これは早急に作戦を立てなければならい様ですね。でも悠長にこの場で唸っているだけでは意味がありません。行きながら考えるしかないようです。

 私たちは途中途中で休憩を挟みながら佐賀県を目指しました。

 一晩、二晩、三晩。そして四晩になったときです。

「着いた」

「ここが佐賀県」

 ようやく目的地へと到着しました。私はなんとか倒れることなくここ、佐賀県の地を無事に踏みしめることが出来ました。

 とても長い道のりでした。そして恐怖の道のりだったのです。思い出しただけでも身の毛がよだちます。

 何があったのかと言いますと――。

 まず一晩目の日。

 私たちは佐賀県へ向けてひたすら走っていました。しかしながらずっと走りっぱなしという訳にはいきません。特に私の場合はご飯を食べていなかったことから体力不足に陥っていましたし。予想はしていましたけど、まさかここまで体力が落ちているなんで思いもしませんでした。

 泣き言は言うまいと思っていましたけど、これは泣き言を言わなければ冗談抜きで倒れそうなので言うことにしましたのです。

「ね……姉さん……ちょ、ちょっと待ってください……」

「なにやってんのよ? おいていくわよ?」

 そんなことを真顔で言う姉。私がいなかったらこの佐賀県までの用事は意味がないと思うのですが。しかも本気で言っているっぽいのです。さすが私の姉。姉はこうでなくては。

「ちょっと休憩、しませんか?」

 息も絶え絶えで私は休憩を提案しました。しかしながら私の提案を一蹴する姉の言葉がこちら。

「あんた、ちょっとは焦りなさいよ。そんな休憩とかのんびりしてていいの?」

 勿論いい訳がありませんが、もう限界なのです。足はふらつきガクガク震えているんですよ。それを見た姉は溜め息をつき、休憩することを承諾してくれました。

 そこまで渋々なんですかね? なんとも冷たいというかなんというか。おっと、そんな私の考えがまた姉にバレる前にこんなこと考えるのをやめときましょう。

「まったく。あんたは本当に体力がないわね。昔っからそうよ。いつもいつも私より最初にへばってだらしがない」

 よかった。バレてないですね。

 そんなことを言う姉ですが、私からしてみたら姉の方が異常なんだと思いますけど。姉の体力はありえないほど有り余っています。一言で言うなら忍耐力がずば抜けて高いのだと私は思うのです。

 前にこんなことがありました。

 ご飯の兎を追いかけているときのことです。兎は穴の中へと逃げ込みました。それを姉はなんと二日にわたって穴の前に待ち伏せていたのです。それも飲まず食わずで一睡もせずに。

 のちのち聞いたのですが、『あの兎、私の股を通って逃げたのよ? ありえなくない? 超ムカついたから絶対に捕まえてやろうと思って』と姉は言いました。

 ……恐るべしパワー。壮絶なる忍耐力。と言いますか頭おかしいんじゃないでしょうか。姉は食欲よりも怒りの力で乗り越えたようなのです。たったそれだけの為に二日も犠牲にするなんて恐ろしい。姉はきっと恨みや憎しみを糧にして生きているんだと思います。なんといいますか、化け猫じゃないですけど姉もかなり化け物じみているのでしょう。体力も性格も、ね。

 自分と他人を比較しない方がいいと思いますよ、と言いたいですが、言った先がとてつもなく怖いので言うのはやめておきます。言うならせめて私が化け物になった後がいいですね。

 もし今言ったらそこで私の人生が終わってしまいそうな気がするのです。私は化け物になって人間に会いに行くという重大な使命があるのですから、こんなところで死ぬ訳にはいかないのです。たとえどんな困難が立ちはだかっても乗り越えてみせましょうとも。あの人間に会うことが出来るのなら私はどんなことでもしてみせます。

 そんなことを考えているときでした。

 がさり、と音がしたのです。嫌な予感しかしません。

 ここまで誰にも会うことなくここまで来ましたが、ここはすでに知らない土地なのです。そして知らない土地に入ってしまった以上そこで何が起きるかわかりません。

 ナワバリもきっとあるでしょう。その方に黙ってナワバリに入っているのが見つかったりでもしたら……。しかも悪い人だったら。

 考えただけで最悪ですね。

 しかしながらこの後の出来事は相手の方が最悪だったと嘆いたことでしょう。

 私と姉は同時にその音がした方角を見ました。すると草むらの中から雄の狐が姿を現したのす。それと同時に反対方向にもう一匹狐が姿を見せました。

 いつの間にか私たちは挟まれていたのです。この瞬間まで気配に気づかなかった。それは何を意味するのかと言いますと、相手が気配を消していた、ということになるのです。それはつまり私たちに気づかれないようにしていたということ。それがどういった意味になるかもう言うまでもありませんね。

「へっへ。いい女発け~――」

 しかしながら、その言葉は最後まで言われることがなかったのです。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁっぁぁぁぁっ!」

 この悲鳴は相手の方です。

嗚呼、なんということでしょうか。なんと可哀想なことなのでしょうか。きっとこの方たちはこのようなことになるとは微塵も思っていなかったことでしょう。私も思っていませんでしたしっ。

 見ていて戦慄を覚えます。

 なぜ悲鳴をあげているのかといいますと、姉が後ろから馬乗りになって雄の狐の頭に噛みついているからです。これでもかというほど頭の皮を引っ張っています。ぶらってぃーが出ていないのが不思議なぐらいです。

 逃げ惑う雄の狐。無表情で頭の皮を引っ張り続ける姉。

 ……なんだか同情せずにはいられません。これは止めに入った方がいいんでしょうか? しかしながらこれを止める勇気は私にはないんですが。

「まったく。悪いことをしようとするから」

 反対側にいた狐がぼやくように言いました。きっと彼は反対をしていたのでしょう。彼も若干顔が引きつっていますね。目の前の光景がとても信じられないのでしょう。

 これはどうしたものかと頭を悩ませているみたいです。この地獄のような修羅に足を踏み入れる勇気がないのでしょう。私だってないのですから、他の方も当然無理だと思います。

 このまま、という訳にもいかないんですが、これ本当にどうしましょうか。どこかで、そろそろ落としどころをつけないとあの方は本当に死んでしまうかもしれません。

 そんなことを考えていると隣の雄の狐が言いました。

「あっ、本当にご迷惑をおかけしてすいません」

なんと律儀で礼儀正しい狐なのでしょうか。この狐はいい狐そうですね。そんな相手には敬意を表して応えるものです。

「あっ、いえこちらこそ姉が凶暴ですいません」

 ごめんなさい。これが今の私の精いっぱいです。というか、この言葉を言う他ありません。なんて恥ずかしい身内なのでしょうか。顔から火は出ませんがとても恥ずかしいというか申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そう思っていたらその彼に姉のとび蹴りがさく裂しました。

「ぐぼぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉおっ!」

 予期せぬ方向から蹴りを受けて彼は飛んでいきました。

 ……南無~。手を合わせずにはいられません。あんなにいい方だったのに。惜しい狐をなくしました。一瞬失礼なことを考えていたので私に蹴りが飛んできたのかと思いましたよ。あの狐には悪いですけど私じゃなくてよかったです。

 と、いいますか、若干やりすぎな気がするのは私だけでしょうか?

「何言ってんのよ。これは正当防衛よ」

「……」

 明らかに一方的な暴力シーンだった気がします。噛みつかれていた狐は白目をむいて気絶していますし。正直なところ、私は気絶しているのを初めて見ましたけど、ああはなりたくないですね。とても強くそう思いました。なんと言いますか、壮絶な感じですか。

 嫌で嫌で恐怖が迫ってきて、それでも逃げ切れないで自分を守るために意識を切り離すという荒業。それこそが、ザ・気絶。

 なんとも恐ろしいものです。まぁその恐怖というのは姉なんですが。

 ごめんなさいごめんなさい。運が悪かったんだと思ってください。この姉の前ではどんな理不尽なことも力で解決してしまう最強の、もといただの危険な狐なのです。

 本当に敵なしって言葉がよく似合います。

なんと理不尽な暴力だったのでしょうか。これが一晩目の悲劇、というか一方的な暴力でした。思い出すだけでも恐ろしい。悲劇という言葉で終わらせるのがとても失礼だと思えてくるほどです。あの狐たちはきっと生きていると思いますが、恨んでいいと思います。私たち、いえ、姉はそれだけのことをしましたしね。姉だけをどうぞ恨んでください。

 そして私だけは決して恨まないでください。身内ですけど関係ありません。断じて。

 こうして一晩目が終わっていきました。あの姉に頭を噛まれた狐はきっと白い狐がトラウマになることでしょう。申し訳ないです。

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