第11話 狐の章六


 次の日、人間は森に来ることはありませんでした。

「あれ? どうしたのでしょうか?」

 きっと寒くて風邪でも引いたのでしょう。まったく困った人間ですね。


 さらに次の日も人間はここには来ませんでした。

「まだ治ってないんですかね?」


 次の日も、次の日も。

「……どうしてですか? またって言ったのに」


 次の日も、次の日も、次の日も。

 人間がここにやって来ることはありませんでした。



 私はいつもの場所でずっと待ち続けました。夜も朝も昼も関係なく待ち続けました。

 それでも人間が来ることはありません。

「あんた、いい加減にしなさいよ」

「姉さん……」

 姉は私の前にどさりとご飯を置いたのです。そこで私は自分がいつからご飯を食べていないのかを知りました。きっと今の私はひどい顔をしているのでしょうね。

「食べなさい」

「食欲がないんです」

「それでも食べなさい」

 姉の言うことは間違ってなどいません。もし逆の立場なら私だって同じことをするでしょう。

「なぜでしょうね……なぜ人間は来ないんでしょうね」

「理由があるんでしょ」

 普段の姉なら『これが人間ってやつよ。自分の都合でいなくなる』とか言いそうですけど、今の私を見かねて優しい言葉を選んでくれたんだと思います。

「待つにしても、先にあんたが倒れたら意味ないんじゃないの?」

 その通りですね。まさかあの傍若無人の姉に励まされる日がくるとは思ってもみませんでしたよ。

「いただきます」

 私は姉の持ってきたご飯を食べました。それを食べて思い出すのは人間から貰っていたご飯。今は食べていないのにその味ばかりを思い出すのです。

「それを食べたらついてらっしゃい」

 どこに? と聞く前に姉は歩きだしてしまいました。

 私は姉のあとを追います。するとふいに姉は話だしました。

「今から七晩ほど前、知り合いの狐が見たらしい」

 何をでしょう?

「最初はあんたに教えるかどうか悩んだけど」

 私たちはどんどんと進んで行きます。いつも生活している山を離れて隣の山へ。

「たぶんあんたが見たら――その先に言い出す厄介なことも想像が出来たし」

 厄介なこと?

「でもそのまま野たれ死されても困るし……仕方がない」

 森を抜けたその先には見覚えのある光景がありました。形はかなり変わっていますが私が見間違えるわけがありません。

「……ぇ?」

 そこにはあの人間が乗っていた車が停まっていました。

「……」

しかしその外見はボロボロで、その正面にはもう一台車が停まっていました。二つの車は引っ付くように重なっていました。

 私は何も考えられずにゆっくりとその車に近づいていきました。頭の中は真っ白で眼から入ってくる情報を必死に否定しようとしています。割れたガラスの中を覗き込むと、そこは真っ赤に染まっていました。

 心臓は高ぶり今にも張り裂けそうな感覚に襲われます。さらに私の鼻がこれはあの人間の匂いだと、あの人間の血だと強く感じることが、私の気持ちをどうしようもなく揺さぶるのです。

「そんな……」

 放心状態の私の後ろからゆっくりと姉は口を開きました。

「あの晩、事故に遭ったんでしょうね。この出血量はかなりやばいと思うわよ。生きているかどうかもわからない」

「……」

「別にあんたのことが嫌いになって来なくなった訳じゃない。行きたくても行けなかったってことよ」

「わ、私は、どうすれば……」

「どうもする必要はない。生きていればまた来るでしょう」

 もし――死んでいたら?

「……来ないでしょうね」

 私はどうすればいいんでしょうか?

 私に何か出来ることはあるのでしょうか?

 きっと出来ることなどないのでしょう。それでも、と思うのは自己満足なのでしょうか?

「ね、姉さん……私は――」

「却下よ。人里に下りるなんて無理に決まってる。私たちみたいな狐が、しかも真っ白な狐が人里に下りればすぐに捕まってしまうのは目に見えている」

 姉の言う事は正論です。何も間違っていない。

「でも今のあんたに何を言っても無駄でしょうね」

 姉は折れてくれました。でも姉の言う通り無謀すぎるのはわかっています。”狐の姿”は目立ちすぎるのです。

「人間に――人間に化けれたら――」

 昔から狐や狸は化けると言われていますけど、そんな都合のいい話はありません。もし化けれるのなら私はすでに人里へ下りています。

 どうにか解決策がないのかと模索していると姉は言いました。

「あんた、鍋島の化け猫伝説って知ってる?」


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