第8話 狐の章四
あれからというもの、私は人間が来るのをいつも木陰に隠れて待っています。人間は気が付いていないでしょうが、私はいつも人間のことを見ているのです。
理由は簡単です。
「一瞬でも早くご飯が食べたいから」
です。
あのご飯を食べてしまったら他のご飯など食べる気がなくなってしまいます。まぁ今のは少し大げさに言い過ぎましたけど。もはや私にとっての主食は人間がくれるご飯になっています。たまに自分でも狩りはしていますが、それはつなぎ程度なのです。
姉は人間のご飯を一口食べているのに、よくその後もあのおいしいご飯を食べたいと思わないものですね。プライドの高い姉ですし、仮に食べたいと思っても言えないのでしょうが。
私が少し前に姉に聞きました。
「あの人間のご飯、食べたくないですか?」
「べっつにぃ~」
「本当に?」
「だから別に~」
姉は、食べたくない、とは言いませんでした。なので私はこう言います。
「少し持ってきましょうか?」
「…………結構です!」
今の一瞬の間はなんだったのでしょうか。そこをつっこむと姉は怒り出すので言いませんが。わざわざ危険だとわかっている藪をつつく動物はいません。
「あんた、人間なんかと馴れ合うんじゃないわよ。ご飯を貰うまでは許すけど、それ以上は御法度よ」
「なぜです? ご飯をもらっているのですから多少のお礼はするべきでしょう」
「する必要はないわ。あれは向こうがこっちの意見も聞かずに勝手にやっていることよ。それに対してお礼をする必要はない」
「それでもお礼をするのが筋だとは思いませんか?」
「思わない」
姉はとても頑固です。それは姉も私に対してそう思っているのでしょうけどね。もう何度目でしょうか、この台詞。
「そうですか」
それがわかっているからこれ以上は何も言いませんでした。何を言ったところでそれは平行線でしかないのですから。
どうして姉はそこまで人間を拒否するのでしょうか。人間のことを嫌う理由が私にはわかりません。あの人間に出会えばきっと姉だって人間への考えが変わるはずです。
最初の一歩が大事なのでしょうね。姉は私が何を言っても聞かないでしょうし、絶対に人間に係わることはしないでしょう。でもいつかきっと、私が人間というものの素晴らしさを教えてあげたい。
そんなことを思っていると人間の車がやってきたのです。待ってましたとばかりに私はその場に立ち上がりました。そして甲斐甲斐しく人間はご飯を用意してくています。
「おーい! 餌おいたからなーっ!」
「は~い。わかりました」
ここで私は今までにない行動に出ました。人間の前に姿を現したのです。もうなんだかいちいち帰ったあとに食べるのが待ち遠しくて。
なんだか私の姿を見た人間はすごくがっかりしているようでした。おかしいですね。もっとこう喜ぶと思っていたのですが。もしや私の体がすごく汚れているのでしょうか。
そう思い自分の体を確認しても汚れなんてものはありません。いつも通り綺麗で真っ白な体です。
しかしながら警戒心がまったくないという訳ではありませんので、私は人間の様子を窺いながらゆっくりとご飯のある場所へと近づいて行きました。
そして私はご飯を一つ咥えて距離をとります。私のジャンプした姿に人間は驚いているようでした。ふふふ。
どうやら人間は私をどうこうするつもりはやはりないようですね。これで安心してご飯を食べられます。
とったご飯を食べ終わった私は次に器に入ったご飯を食べようと、そちらに視線を向けました。さきほどあんなことを言いましたが、やっぱり少しは無意識で警戒してしまいます。
「少し、近いですねぇ」
私が少し悩んでいると、なんと人間が私の考えを読んだのか数歩後ろへと下がったのです。これにはびっくり。人間は私の考えていることがわかるのでしょうか。
人間はにこにこ笑顔で手を器の方へと差し出しました。
「どうぞ食べてください、ってことなんですかねぇ」
それではお言葉に甘えて。
うん、とっても美味しいです。人間は毎日こんな美味しいものを食べているんですね。そりゃこんなにもでっかくもなりますよ。
あっ、じゃあ私もでっかくなるんですかねぇ。あんまりでっかくなりすぎると色々と困るんですが、私の口は止まることを知らずにどんどんご飯を食べていきます。
その時、人間が動いたのです。
私は食べるのをやめて距離をとりました。すると人間は帰るようだったのです。
「なんだ、びっくりしましたね。脅かさないでくださいよ」
まぁ人間にそんな気は毛頭なかったんだと思いますけど。
「また明日な」
人間はそう言って帰って行きました。
「はい、また明日。お待ちしてます」
私はしばらくの間、人間の帰って行った方向を見つめていました。
それからというもの、私は毎回のように人間の前に姿を現しました。もうかなり慣れましたね。人間がご飯を器に入れて、数歩下がったら私がご飯を頂く。そんな感じで毎日が過ぎていきました。
しかしながら今回は人間の様子が少し違ったのです。
「おや?」
なにやら不敵な笑みを浮かべているのです。
「何かいいことでもあったんですか?」
そんなことを聞いても人間は答えてくれませんでした。代わりにこう言ったのです。
「最高級ささみジャーキー!」
なんともしゃがれた声でした。いつもの声とはまるで違う声で、人間はそれを取り出したのです。
「ぎゃうっ。そ、それはっ」
え? なに?
まったく心当たりなんてありませんでしたけど一応驚いたリアクションをしてみたのですがいかがだったでしょうか。
私は取り出されたそれに釘づけになってしまいました。それが一体なんなのかもよくわかりませんが、匂いが凄まじいのです。
なんという良い匂いなのでしょうか。鼻孔を突き抜けて確かに香るその匂い。まだ口にも入れてないのにもかかわらずに、私の口はその味を想像してヨダレが溢れてきます。
人間はそのご飯を『ほ~れほ~と』と空中で泳がせています。私の視線は獲物を追うが如くそれに惹きつけられてしまってます。
いつもと違うことは人間がそれを器に入れないことぐらいでしょか。
直接手から食べろと?
警戒心が勝つか、食欲が勝つか、ですね。
パクリ。
どうやら悩む訳もなく食欲が勝利したようでした。欲の前には警戒心などゴミも当然というわけですね。しっかりと覚えておきます。
「う、う、うっま~っ!なんですかコレ~!」
そのご飯は私の口が想像していたものよりも遥かに常軌を逸脱していました。この味を言葉で表現できるとは到底思えない。それほどの味だったのです。
しかしながら私はあえてそこに挑戦したいと思います。
噛んだ瞬間に味と匂いが一気に押し寄せてきました。それは一気に全身へと駆け巡り、私に驚きと興奮を与えたのです。この濃い味と匂い。そして何よりもこの触感。今までこんな触感のものは食べたことがありません。相反する二つのものが見事に混じり合っている。まるで寒さと暑さがどちらも消すこともなく、お互いを主張しあっているような感じですね。自分を主張するのではなく、相手を主張しているというのがポイントです。
すべてにおいて完璧と言えるご飯。それが今現在口に中にあるという事実。
こんなものを食べさせてくれた人間になにかお礼をしなくてはなりません。
とりあえずもっとほしかったので催促として人間の指先をペロリと舐めてみました。
「……ぅ、おっ」
あれ? なんだかとても驚いていますね。その表情は驚きから喜びえと変わっていくのが手に取るようにわかりました。どうやら今のがお礼になったみたいですね。
喜びがてっぺんに達したのか、人間は平静さを取り戻したようです。てっきり前みたいに雄叫びをあげるものだとばかり思って、身構えていたのですがその必要はなくなりました。
今度またお礼に指先を舐めてあげましょう。そうしたらもっとご飯をくれるでしょうか。あれがお礼だなんてさすがに安っぽすぎますしね。
ああ、私の言葉が人間に伝わったらどんなにいいことか。それは叶わないでしょうけど、そう思わずにはいられません。声に出してお礼を言いたい。伝えたい。
でもそれが無理だからこそ祈ってしまうのでしょうね。
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