第7話 人間の章四
あれから毎日のように餌をあげていて、そして毎回餌はなくなっている。おそらく俺がこの時間にこの場所で餌をくれるという事は狐の中にインプットされたはずだ。
そしてあの場所に狐はきっと来ている。俺がいる瞬間にそこにいるはずだ。暗くて森の中は見えないけど、なんとなく視線を感じる。
その視線が狐じゃなくて幽霊とかだったらどうしよう。もう餌をあげれなくなりそうだ。というよりも漏らしそう。人間として生きていけなくなりそうだ。社会的にも。
冗談はさておき。
「おーい! 餌おいたからなーっ!」
とりあえず声をかけることを忘れない。少しでも慣れて出てきてくれるといいんだけどな。前に一度だけ出てきたことがあったけど、あれから一度も姿は見ていない。意外に恥ずかしがり屋なのか。
まだ警戒心があるのかもしれないな。
「直接手で餌をあげれるようになるのはいつになることやら」
先は長そうだけど、俺は決して諦めない。絶対に手で餌をあげれるようになってからもふもふしてやるんだっ。
「そろそろ進展がほしい頃合いなんだけど、そうもいかないのが現実だよな」
わかってはいる。わかってはいるがなんだか物足りなさが否めない。慣れというのは全くもって恐ろしいもんだな。
なんて思っていたら、がさりと狐がでてきた。
「……ぇ……ぇえ~……」
なんだかとても拍子抜けだ。今しがた長引く場合の覚悟を決めたのに、出ばなをくじかれた感じだった。
狐はこちらをチラチラと伺いながらゆっくりと近寄ってくる。俺との距離約五メートル。そして俺と餌との距離は一メートルほどだ。ここまで近づいてくるのだろうか。
餌と俺の顔を交互に見ながら狐はどんどん近づいてくる。
「別にとって食やしねぇよ。ほら、食いな」
声を出しても狐は逃げようとはしなかった。だいぶ慣れてきている? 俺が毎日餌をあげている奴だとわかっているんだろう。
狐は器に入ったジャーキーを咥えてひとっ飛び。
「うおっ、飛んだ」
狐はよく餌をとるときなどジャンプをすると聞いたことがある。それを間近で見てしまった。餌を咥えて俺との距離をとったのだ。
「だからそんな警戒しなくてもいいって」
俺はそう言って追加の餌を器の中に入れた。餌を食うところを初めて見たが、うん、めっちゃ可愛い。うわ~頭なでて~。
ついついそんなことを思ってしまうが、それはまだ先にとっておこう。ジャーキーを食べ終わった狐は視線をまた器に向ける。
「どうぞどうぞ」
俺は数歩その場から後ずさった。さすがにある程度距離がなければ警戒して食べてくれないだろう。
俺がその場をどくと狐はまた俺の顔をチラチラと見ながら近寄ってくる。なんだかその警戒しながら餌につられる姿がたまらなく可愛い。とてつもなく萌えるぜ。
今度はその場で餌を食べ始めた。
「しっかし、美味そうに食うなぁ。そこまで美味そうに食ってくれると俺も嬉しいよ」
なんだか泣けてくる話だ。ようやくここまでたどり着いたのかと思うと涙腺も弱くなる。このままここで食べ終わるのを見ていたいが、食事中を見るなどマナー違反だろう。
俺はそのまま帰ることにした。正直にいうと寒すぎてこの場にこれ以上いられない。今日はもう満足したしいいや。
俺が車の方に行こうと動くと、狐は食べるのをやめてバッと距離をとる。
「だから、何もしやしねぇよ。帰るの。また明日な」
俺の言葉を理解はしていないだろうが、なんとなく話しかけてしまう。他人には見られたくないな。狐に話しかけるおっさんがそこにはいた。
車に乗り込んで狐の方を見ると狐もこちらを見つめている。
「やっべ、まじ可愛い。持って帰りたい」
本気でそう思う。そもそも狐って飼えるのか?
その日、狐と戯れる夢を見た。妻に寝ながら笑っていたと言われて自分は心底狐に夢中なんだと思い知らされた瞬間だった。
それからというもの、俺が餌をやっていると毎回のように白い狐は現れた。一定の距離を保ったまま、餌をくれるのを待っている。俺が餌を器に入れて、その場から数歩ほど離れると狐はトコトコ歩いて来て餌を食べにきた。
毎回こんな感じだ。最初に比べたらかなりの進歩なのは間違いがないが、しかしこんなことで満足をする俺ではなーい。
「ふっふっふ。今日は絶対に手で直接餌をお前に食わせてやるぞ。その為にこいつを用意したのだっ」
俺は、とある青い某猫型ロボット宜しくモノマネをしてそれを取り出した。
「最高級ささみジャーキー!」
それを取り出したら狐はさっそくピクリと反応していた。こいつ本当に可愛いやつだな。こうも期待通りの反応を見せてくれるとは。
「この最高級ささみジャーキーは通常のジャーキーの三倍もの値段がするのだ。歯ごたえ、味、匂い、その全てが色濃く、この一本に凝縮されているという代物だ。ほ~れほ~れ、これが食いたいだろ~食いたいだろ~」
ジャーキーを手に取ってチラつかせる。狐は無意識にそのジャーキーに眼を奪われている。これはいけるぜ。
なんせ三倍だもんだ……。これで今月のおこづかいピンチだぜ。妻に言って追加を貰いたいけど、そんな三倍もするジャーキーを買ったからとか言えないし。言ったら確実に呆れられる。怒るよりも呆れられる方が怖い。
無言の圧力というやつだな。
だから失敗は許されないのだ。この三倍ジャーキーには俺の希望が詰まっていると言っても過言ではない。
お願いだ~お願いだ~食べてくれ~。切実に祈る。
狐はふらふらと近づいてくる。こいつ本当に餌のことになると警戒心なくなるな。逆に心配になってくるんだけど。
パクッ。
「……食った」
手で直接餌をやった。正直な感想を言うと、こんなもんか。だった。
「う~ん……」
憧れ、期待、実際にそれを達成してしまうと、自分が想像していたよりも遥かに下だった。高いなーと思って登った山から見下ろした景色は低かった、みたいな。
なんとも微妙な感じである。ハァと溜め息をついた瞬間だった。
ペロリ、と。
狐が俺の指先をお礼だとばかりに舐めたのだ。
「……ぅ、おっ」
これには正直驚いた。そしてそこから溢れ出る泉のように俺の喜びは噴き上げる。しかしこの距離で叫んでしまうと確実に狐は逃げて行ってしまうし、最悪警戒心に火がつくかもしれない。
しかしこの思いはどうすればいいんだ。風船のように爆発寸前だ。喜びの空気はどんどんと中へ入っていく。
喜びを抑えることができるのはその喜びを与えたものだけだ。
と言っても、狐がまた指を舐めたり何か特別なことをした訳ではない。ただ餌を食べているだけだ。その姿を見たら無性に心が落ち着いた。邪魔をしてはいけないと。この狐の幸せそうに餌を食べているこの瞬間を壊したくないと、そう思ったら風船はどんどんと縮んでいった。
「うまいか?」
そんな言葉に狐はもちろん何も反応はしない。ガツガツと餌を食べるだけだ。それでもかまわない。この狐の幸せな時間を見ているだけで、こっちまで幸せな気分になっていく。
「なんだか、恋してるみたいだな」
自分でも馬鹿の発言だとわかってはいる。今の言葉を妻に聞かれたら……そう思うだけで身の毛もよだつ。
「恋、ねぇ。その相手はもう間に合ってるんで」
さぁそろそろ帰ろう。起きて待ってはいないだろうが、早く帰って顔をみたいものだ。
「んじゃ帰るわ。またな」
俺が車に向かうと狐は一鳴きした。こいつも別れを言っているんだろうか。それともご馳走様と言っているんだろうか。どちらにせよ、その声がいつまでも耳にこびりついて離れなかった。
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