第4話 狐の章二


 私には理解ができませんでした。なぜ人間はいつも食べ物を捨てて帰るのでしょうか。同じ時間に同じ場所。何を考えているのかさっぱりわかりません。

「今日もおいてありますね」

 クンクンとその匂いを嗅ぐ私。うん、とってもおいしそうな匂いですね。こんなおいしそうなものを捨てるなんて人間という生物はまったく意味がわかりません。私がこれを食べてしまったらどうするつもりなんでしょうか。

 怒るでしょうか? 泣くでしょうか?

 でも捨ててあるんですから、そのどちらもならないんでしょうけど。

「それってさー。ご飯くれてるんじゃないの?」

「え?」

 ご飯をくれている? 意味が更にわかりませんでした。ご飯を他の者に分け与えるなど正気の沙汰とは思えません。まぁ姉とはご飯をあげたりもらったりはしますが、その他の動物や狐にあげるなどありえない行為です。

 まったく何を考えているのでしょうか。

「じゃあ、あれは私が食べてもいいんでしょうか?」

「はぁ? あんた何言ってるのよ? いいわけないでしょうがッ」

 怒られました。なぜ私はこんなにも怒られないといけないのでしょう。

「あんた、あのご飯に何もないと思ってるの?」

「何もない、とは?」

「だーかーらー、毒でも入ってたらどうすんのよ?」

 それは考えもしませんでした。たしかにその可能性も無きにしも非ずですね。人間は恐ろしい生物だと散々聞かされてきましたから。無意味に動物を殺すことだってするのでしょう。

「あんた、絶対に食べちゃダメよ。絶対よ?」

 絶対という言葉を二回も言われました。私はそんなに信用がないのでしょうか。まぁさすがに食べる気は今のところありませんので、そこは大人しく「はい」と答えておきましたが、姉は信用していないのかじとりとこちらを見つめてきます。

 それでも気になって私は結局その時間その場所に行くのですけどね。

 私は森の中から人間に見つからないようにその様子を観察しました。なんだかとても楽しそうなときもあれば、悲しそうなときもあったのです。

 人間が帰ると私はそのご飯の元に行きました。あいかわらずいい匂いですね。軽く誘惑に負けてしまいそうです。ここであることに気が付きました。それは虫がそのご飯を食べていたのです。

「あぁ可哀想に」

 私はてっきりこの虫は毒で死ぬんだと思いました。しかしながら、いつまで経っても虫は死ぬことはなく、ご飯を食べ続けているのです。

「なぜ死なないんでしょうか? この虫は毒が効かないとか?」

 答えは簡単でした。きっとこのご飯に毒など入っていないのです。私は虫たちを手でちょんちょんと払いのけました。

 毒が入っていないからと言ってすぐに食べることなんてしません。即効性ではなくて時間が経ったら効いてくる毒かもしれませんし。

「それにしてもいい匂いですね」

 ここでふと姉の顔を思い出しました。しかもすごく怒っている顔です。思わず身震いをしてしまいました。身の毛もよだつとはこの事でしょう。

 きっとこのご飯を食べたら姉は今思い出した顔よりももっと怒るのでしょうね。

 別に食べる理由はないんです。ご飯にはそこまで困っていません。まぁ食べられないこともありますけど、ここでこのご飯を食べてしまったら生きていくのが辛くなってしまいそうなのです。

 狩りが出来なくなれば死ぬしかありません。一度味を覚えてしまえばきっとそればかりになるでしょう。

 甘えることはできないのです。

「とか言いながら私はこのご飯に釘づけなんですけどね。どうしたものでしょう」

 そもそも、なぜ人間はここにご飯を置くのでしょうか? 私に食べさせる為なんでしょうか? 仮にそうだとしてもなぜ食べさせたいのでしょうか?

 まったく理由がわかりません。あの人間は何を考えているのでしょう。

 何か私にご飯を食べさせて人間に都合がいいことがあるのでしょうか。もう考えてもキリがないですね。

 う~ん、う~ん、と唸って考えていると不意に何か口に凄まじいおいしい味がして私は我に返りました。

「はっ……食べ……ちゃった?」

 そうなのです。私は無意識のうちに人間が置いたご飯を食べてしまったのです。自分の無意識の行動にも驚きましたが、何よりも驚いたのはこのご飯です。

「う……う……うっまっ」

 思わず口調が変わるほどおいしかったのです。もう一口食べてしまったので、ここで止めるのも食べ続けるのも一緒ですね。私の口は止まることをしませんでした。

 こんなおいしい物は食べたことがありませんでした。なぜ私はもっと早くこのご飯を食べなかったのかと、自分を責めたくなる始末。

「この柔らかい触感。口いっぱいに広がる甘い香りと味。喉を通った後でもしっかりと味わうことのできる旨味」

 これほどまでにおいしいご飯がこの世に存在するなんてとても信じられません。

「あっ、全部食べちゃった……」

 これは確実に姉に怒られますね。いや、怒られるというレベルではないのかもしれません。

「考えただけでも恐ろしいですね……」

 まぁ言わなければいいだけの話なんですけどね。



「あんた、今日なに食べたの?」

「……ぇっ?」

「何よ、今の間は」

 なんて鋭いのでしょうか。なんだか知っていて試されている気がするのは私だけでしょうか。きっと今の私は挙動不審でしょう。

「で? 何食べたのよ? あんたの口からすっごい良い匂いがするんだけど」

 さて、どうやって誤魔化しましょうか。もういっそのこと正直に言った方が後々を考えたらいいような気がします。

 しかしながらそれはありえません。絶縁しかねませんし。嘘も突き通せば真実という言葉もありますし、ここは墓場まで持っていく覚悟です。覚悟は決まりましたけど言い訳が決まりません。

 ここは惚けて力技で押し通すしかありませんね。

「珍しい木の実を見つけたんですよ。その匂いですねきっと」

「木の実ぃ?」

 とっても怪しんでいますね。

「あんた、木の実とか食べるっけ?」

「ま、まぁたまにはいいかなぁ、と」

「ふ~ん」

 私の心臓の音が姉に聞こえないかとても心配です。それほど私の心臓の音は大きく高鳴っています。なんだか蛇に睨まれた蛙の気持ちがよくわかる気がしました。なんとも恐ろしい。

 なんとか言い逃れが出来たかと思ったのですが、姉は次の瞬間とんでもないことを言い出しました。

「それ私も食べたい」

「……はぃ?」

 思わず声が裏返ってしまいました。

「今度それ私にもちょうだいよ」

 どうしましょうかこれ。まさか墓穴を掘ることになるとは。私は苦しい嘘を重ねるしかありません。

「あ、いや、そのですね……私、が全部食べちゃったんですよ。その木の実。し、しかも他にはないようでしたし、もうお目にかかることはない……のかも……?」

「なんで最後疑問形なのよ?」

 うぐっ。

「まぁいいわよ。なら仕方がないわね。今度もしあったら採っといてよね」

「はい」

 なんとか誤魔化せたようです。良かった、本当に良かった。そんなことを思っていると不意打ちがきたのです。

「ところであんた。あの人間のご飯食べてないでしょうね?」

「がはっ、ごほっごほっぅぇ~……」

「ちょっと大丈夫?」

 ビックリしすぎで唾液が器官に入ってしまいました。

「た、食べてなんかないですよう」

「なぜこっちを見ない?」

「…………」

 さきほどついた嘘は全てバレてしまいまして、嘘をついた事とご飯を食べた事による嘘に、姉の怒りは留まることを知りませんでした。これから長々とお説教を受ける羽目になってしまったのは言うまでもありませんね。




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