人形の行方

二谷文一

     

 五月二十三日

 どこかへ行ってしまうんです。

 僕の人形は毎度のようにいなくなる。僕が創ってあげたっていうのに――ワラ人形なんですよ、よく理解わからないでしょう? ワラ人形なのに、そんなゼイ弱な両足で、何故歩けるんだろうって。僕はだから、家出した(丹精込めて創った)人形を見つけたら土に埋めてあげるんです。土に還してあげるんです。

 君たちは今生きているんだよ、って。

 人形たちにそう教えてあげるのは、紛失した(家出した)人形の行方を僕が知っているからなんです。とはいえ座標は分からないんですよ、ガイ念とか観念とかでしか、理解が及ばない。

 ――あの日も、学校から帰ると新たにワラ人形を創っていたんですけど、人数が足りないんですよね。昨日は完成した人形が二十九体、対して今日は、三体減って二十六体……明らかに彼ら、家出してるんです。だから今回も探さなきゃって、マイソウしてあげなきゃって、その日は思いました。

 人形たちは(きっと)歩いているんだと。僕はそう決めつけていて。彼らが家出する時って、いつも足跡を残していくんです。それを見て人形のあとを追っていった――んですけれど、あの日だけは違った。その時僕は直感っていうかインスピレーションっていうか……単なる勘だけで人形たちを探すことができたんです。

 不思議ですよね。不可思議ですよね。

 僕は気の赴くまま、全く知らない森の中に歩を進めていきました。

 無意識だったんですよ。森に居ると気づくまでは。

 彼らは――人形たちは、穴の中に這入はいっていったんです。地面の穴だったかな。とにかく、何かそういうモノで。

 もう辺りも真っ暗になりかけていたのに、その穴だけは光ってたんです。最初はヒカリゴケとか蛍とかかと思ったけれど、そういうほのかな、かすかな光じゃなかった。かと言って人工的な光でもないし。

 サンサンと輝き続ける穴に人形たちが這入っていくのを、僕は確かに目撃していたので、素直に穴の方へ近づいてみたんです。

 僕は興味本位で、穴の中に片手を突っこんでみました。

 そしたら。

 そこには■■――■な■■■分■■があ■■■■■


 親友の蒲生がもうが、僕が幼少時代に書いた日記を読み終えた時だった。

「これ、いつの話?」

 僕は質問の意味が解らない故に、きょとんとした表情かおになる。それを見て、蒲生は付け加えるように再度問う。

「だから、これって西暦何年の5月23日なのかな?」

「勿論二〇〇九年の五月二十三日だけど」

 僕がそう言うと蒲生は納得した風に、成程成程とうなずく。

「この日記は君が小学五年生の時に書かれたものってことか。子供にしてはなんだかませた文章だと思ったらそういう事だったんだね」

 子供にしてはって、事実子供じゃないか。

「別にませてなんかいないだろ」

「……まあね。ただ、なんというか……読者に媚びてるような雰囲気が伝わってきた、とでもいうのかな」

「媚びてるねえ……子供の時分ころの自分はそんなしたたかな人間じゃなかったと思うけど」

 僕は昔からそこまで人間ができてはいなかったはずだ。そもそもそんな子供らしからぬ子供を、僕には想定できない。

「カタカナで書かれてるのは、どういう意図があってのことなんだろうね」

「よくは覚えてないけど、多分漢字が分からなかったんだと思う。ほら、その時の僕って、無知だったから」

 蒲生は特になんの反応も示さずに、五月二十三日の日記を繰り返し読む。

 一体全体、何が面白いのだろう、僕の昔の日記なんか――

「つまり無垢ではなかったと」

「そりゃあ、小五にもなれば純真無垢ではいられなくなるよ」

「じゃあなんで藁人形を三十体も作ってるんだろうねぇ」

「それは…………」

 僕にも分からなかった。昔のことは、よく覚えていない――総じて、とは言わないまでも、途切れ途切れでしか思い出せない。朦朧ぼんやりとした、しかも断片的な記憶だ。

「まあいいんだ、そんなことは。それよりその日記、ちょっと貸してくれないかな」

「この日記にそこまで興味深い内容が書かれているとは思えないけれど」

「貸すだけ――見せるだけならいいよね、いやいいんじゃないかな?」

「…………」

 結局、僕は渋々日記を蒲生に貸した。あまり見られたくはないが、貴重な親友なのだからいいだろうと、妥協したのだ。

「じゃあ、僕はこれで帰るよ。まあ精々一週間程度借りるくらいだから。それを承知の上で許可してくれるかな」

 言って蒲生は彼の自宅へ帰っていった。僕は特段彼を呼び止めることもせず、ただ部屋の中に逗留していた。 

 そう、此処は僕の自宅の二階に位置する、僕の部屋である。蒲生は階段を降り終えて勝手に帰っていく。扉を開閉する音が、二階の此処まで聞こえてきた。鍵をかけなければ。泥棒か泥棒じゃない何かに這入られてしまいかねない。

 僕も続いて階段を降りようとする――鍵をかけないと、施錠しないと、誰かが這入ってくるじゃぁないか。

 と――。

 立ち上がろうとした僕の足を、

 何かが掴んでいた。

 さながら勝利を掴んだかの如く確実な把握。

 しっとりと、じっとりと、しっかりと、足を握られる――

 厭々ながら、僕が振り返ると――


 床から手が生えていた。


 光り輝く穴の中から、青白い手が。間違いない、これは、死んだ人間(ひと)の手だ。

 いつのまにやら、床に穴が開いていたようである。

 穴の奥には、光が見える……燦々と、煌々と、輝いている。

 こんな現実モノを突きつけられては、閉口せざるを得ない。

 全く……現実こればっかりは、誰に訊いても分からないのだろうな――



 彼――鳥海なるみ快徒かいとはどうやら、僕が日記を持って帰路についた直後に、死んだようだ。否、死体は見つかっていないから、今のところは消息不明、つまり失踪という事になっているらしい。

 まあ僕は最期(ではなくて最後かもしれない。僕としてはその方が好都合だ)に彼と会っている人物として警察やら何やらに色々尋問されたけれど、僕とて何か重要なことを知っているわけではないし……

 ましてや、知っていたとしたら話す筈がない。

 ――さて、彼の書いた日記だが、僕は五月二十三日のところだけを読み込んでいたので他のページが盲点になっていた訳だが……改めて全部読み通してみると、やはりそれなりに面白い。日記はメモ帳のようなものに淡々とつづられていて、五月二十三日の最後は文字が黒ずんで、読めなくなっている。

 そして。

 ここが肝腎なところだ。

 彼は藁人形など、作っていなかったのだ。

 僕が確認した限りでは、つまり彼の日記の範疇では……五月二十三日以外の日付に、『藁人形』についての記述は一切ない。あるのは、動物などのヌイグルミについてだけだ。

 じゃあ何故なにゆえ、五月二十三日のみ、『藁人形』について述べられているのか――?

 まったくもって奇妙な日記だ。

 気味が悪いので、燃やしてしまおうかと、僕は思った。

 いやそうすると後味が悪くなるか、と僕は再度また考えて。

 最終的に、僕が個人的に保管しておくことにした。勿論、このことは他言も口外もしていない。僕と彼の秘密だ。

 しかして不可解な点は依然、残る――。

 ここで特別に、二〇一〇年十一月十七日の日記を掲げてみよう。


 今日も人形を母は買ってくれた。

 去年はウサギの人形だったけれど、今日はカメの人形だった。お母さんは僕の誕生日には必ず人形を買ってくれるのだ。

 そしてそれがプレゼントになる。父からはさすがにプレゼントはもらえなかったが、カメの人形は両親からの贈り物ということになっているからなのだろう。……僕も今年で十二歳だ。もうそこまで子供ではない。

 去年がウサギで、今年はカメというのは、例の童話にかけているのだろうか。つまりカメのようにコツコツと勉強しろと、そういっているのだろうか? 否、それはただの疑心暗鬼というものだろう。コツコツとするべきなのは、勉強ではなく努力全般だ。

 まあ、今から突然努力(勉強)するというのなら、もう手遅れといっても過言ではない。

 僕は来年の二月に中学受験を控えているのだ。だからそのためにもう勉強はしている。いや、まだダメ押しでも、やらなければならないのか。

 受験をしないというのなら話はまた別になるけれど。……ま、その可能性は無いに等しい。皆無だ。

 そんな勉強でせわしなくしている僕の唯一の楽しみといえば、人形だった。

 その日は新しく人形のメンバーに加わったカメさんに、送迎会をおこなったのだ。

 送迎会というには、カメさんのほかにも、ぼろぼろになったウサギさん(かちかち山の方のウサギ)を送らなければならなかった。つまりはお別れだ。要らないものを捨てる箱(ゴミ箱のこと。直接いってしまうと、ウサギさんがゴミみたいになっちゃうじゃないか。あれは遺体だよ……)、つまりは人形たちのお墓に埋めてあげるのだ。日本では珍しい、土葬だ。

 今日はそんな悲しいこともあったが、新しいメンバーのカメさんも入ってきたことだし、気を改め直すことにした。

 よく見ると、カメさんはとても申し訳なさそうな顔をしていた。自分はここにいるべきでないと、場違いなのだと、そんなことを思っているのだろうか? 分からない。相変わらず、人形の気持ちは、わからなかった。


 ――どうだろう。

 読んでみれば分かるだろうが……決定的に、何かが間違っている。齟齬がある。

 ――辻褄が、あっていない。

 そもそも鳥海快徒はヌイグルミを好いていたようだし、藁人形が出てくるのはあまりに脈絡がなさすぎる。文体もですます調で書かれているのは五月二十三日のその日のみ……まるで、他人が書いたような――。

 明らかな違和感が、五月二十三日の日記からは窺える。

 ただの感覚でそれを感知できた。

 古びた日記を閉じて、僕は――蒲生がもう貞士ていしはここらで思考を中断する。

 こんな現実ものは。

 こんな現象ものは、思惟するだけ無駄というものだ。



 当時は密室殺人だとか現実味リアリティのないことが言われていたが、彼の部屋には血液や体液がぶちまけられているということもなく何の痕跡も残さずに彼はいなくなっていた訳で、そもそもが殺人ではないのだ。

 確かに、密室ではあったのだが。

 部屋には中から鍵がかけられていたらしい。どうやら扉についているサムターンで施錠されていたようで――。

 人間が駆けつけた時には鍵をかけられていたので、半ば扉を壊さなければならなかったらしく――部屋に這入った時には、彼はまるまま、いなくなっていた、ということだ。

 そして聞いたところによると、彼の部屋には藁人形が三体、残っていたそうな……。

 それが何を意味するのかは、言う必要のないことだろう。

 言うまでもないことだろう。

 考えれば考えるほど、空想の螺旋うねりに飲み込まれる……思考するだけ無駄。時間の無駄。

 故に僕は別段、このことについて拘泥するつもりはない。虚実入り混じる現実を本気にしては、それこそ無意味――不毛。

 それでも。

 それでも鳥海、鳥海快徒の行方だけは、気になってしまう……。

 果たして彼は、何処へ行ってしまったのだろうか――

 彼は、どうなってしまったのか――

 僕は未だに、それを知り得ないでいる。




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