*002 Rion

 朝だ。目が覚めた。日頃から祖母に魔術の修練を受けているからだろうか、生活サイクルまでも老化してしまっている気がする。私はまだ十九だ。結婚できる年齢になってからまだ五年しか経過していない。そう考えるとさらに気分が沈むが、愛していない人と生涯を共にするよりは何倍もマシというものだろう。自分の魅力の無さに落ち込むことに違いはないけれども。きっと今鏡を見たのならば、この清々しい朝をどんよりとした色に染め上げるような顔をしているのだろうという自覚があった。

 これから、毎日の日課を行わなければならない。いつもの魔術着に着替え、髪をふたつに結う。子供らしくならないような落ち着いた雰囲気の結い方。私はこのラベンダー色に合う髪型に満足し、使い古した魔術書を手にとって部屋を出た。

 ここは大陸の半分以上の領地を持つハイッセム帝国城下町の外れにある小さな村、エリオミーグ。主に白魔術の血筋の者が集まり、代々その術を受け継いでいる。

 一人前の魔術師になると、帝国魔術師の試験を受けることを許される。合格すれば国の雇う魔術師となることができ、住居提供と魔術研究の支援を受けることができる。これはもちろん、帝国魔術師としての仕事をこなした上の話ではあるが。

 帝国魔術師にも能力に応じて四種の枠がある。帝国白魔術師、帝国黒魔術師、帝国召喚士、そしてその三種の統括である帝国賢者。

 白魔術師は、主に医療に関係する魔術を扱う。傷の治癒、体調調整、睡眠導入、解毒、身体洗浄等を行う。但し帝国白魔術師は医者としての仕事も兼任するため、白魔術に長けていれば良いというわけではない。基本的には魔術を使わない医療を会得している必要がある。そのため、帝国白魔術師に必須な魔術スキルは、魔術でしか治療方法のない「解呪」のみとなる。

 黒魔術師は、主に自然に存在するエレメントを自在に操る魔術を扱う。炎、水、氷、植物、雷等が主に扱えるエレメントとなる。空気中のエレメントを活性させて炎を発生させる、水中のエレメントを利用して自在に操る、凍らせる等攻撃的な魔術を主に扱う。帝国黒魔術師は黒魔術に該当する基礎魔術を全て会得する必要がある。そのため帝国黒魔術師を目指さない魔術師は一つの属性に特化させる者が多い。例を挙げるのであれば千年前に活躍したと言われる伝説上の魔術師「クイッド」は氷の魔術を専門とし、氷の魔術だけであれば未だに彼の右に出る者は居ないとまで言われている。但し、他の魔術は全く扱えなかったそうだ。

 召喚士は、その名の通り契約を行った使い魔の召喚と使役を主な能力とする。召喚と使役以外にも身体硬化、筋力増加、魔力増加、幻術、魅了等の支援魔術に長けている。帝国召喚士はどちらかというと召喚や使役よりも支援魔術の能力を必要とする。どの枠の帝国魔術師も、実戦向きの能力は必要とされないのがこれを見て分かる。状況対応や知識等の方が優先される。

 最後に賢者。彼らは特殊な位置付けとなる。彼らは「新たな魔術の創造」を行うことで肩書を得る。現状では新魔術を創造することはどんなに能力に長けた魔術師であっても困難とされており、一生に一度新魔術の創造ができれば良いとまで言われている。その中でも帝国賢者は他三種の帝国魔術師としての実務を必要とし、魔術師を統括できる能力も必要とされるため数年に一度新たな魔術師を雇用する他の枠とは違い、数十年に渡り入れ替わりや新規雇用が無く、三人程度しか人数も居ない。いわば国の認めた魔術師のリーダー的存在である。

 帝国魔術師は王族付きの鍛冶師や薬師、大臣の位にまで匹敵する。そのためハイッセム帝国に住まう魔術師の多くがこの帝国魔術師を目指すこととなるだろう。

 私も一生安泰の生活は喉から手が出る程欲しい。薬や護符、インスタント魔術を城下町で広げて売っているだけではやはり生活水準の向上に繋がらない。一体あと何年修練に励めば帝国魔術師の試験への参加を許されるのだろうか。

 さて、毎日の日課を行う場所まであと少しだ。私の家から徒歩で暫く。農場を二つほど越えた先にある小さな平屋に、彼女は住んでいる。

 私はいつものように勝手に彼女の家の戸を開け、彼女の部屋に向かう。埃っぽい居間を抜け、部屋の開き戸を思い切り開く。建て付けが悪く嫌な音がしたが、いつものことなのでもう気にも留めない。

 その部屋は、なんとか足の踏み場こそあるものの大量の書物で散らかっていた。どうすればたった数日でこんなにも散らかせるのかわからないような状態。

 ため息を吐きつつ、私は彼女の寝るベッドまで辿り着く。

「ほら、起きてライア。もうお日様は空高く昇っているのよ」

 私は毛布の塊の中で眠っているであろうライアを揺り起こす。こうして私が毎朝起こさないと平気で夕刻まで眠っているので恐ろしいものだ。

「んー? リオンー?」

 寝ぼけた呂律の回っていない声を出しながら、その頭が毛布から出てくる。

「どうせまた徹夜でグリモワールの伝説のことを調べていたんでしょう。ちゃんと夜に寝なさいよ」

 これではまるで母親だ。そんな関係望んではいないが、やはり幼馴染としての責任感だろうか。彼女を放っておくことができない。

「おはよー、リオンー」

 と言いながら私を捕まえ、ベッドの中に引きずり込まれる。

「ちょっ、ライアっ、やめっ――――」

 まただ。私はこうして毎日ライアの抱き枕になる。それを受け入れているわけではないが、剣士である彼女の力に、貧弱な白魔術師の私では敵わない、ということだ。

「なんか、変な夢見た」

 私の胸に顔を埋めたままそう呟く。

「そっか」

 ここはどんな夢だったか聞くべきだっただろうか。まあ、私がそういう問いをしないことをきっとライアも理解している。

 暫くすると自然と手を離し、自然と起き上がってくれる。この起こし方が正直一番有効なのだと理解してしまって、私はそれに甘んじた。

 起き上がった彼女を見やる。

 少し幼くも見えるが、整った顔立ち。白い肌と艶のあるクリーム色の長い髪。私よりも少し低い背丈と肩幅が保護欲を掻き立てる。

 寝巻き用であろう白いシャツの右肩がずり落ち、綺麗な肩と共に僅かに背中が露出している。

 私はなんとなく目を逸らし、シャツを彼女の肩まで戻してから立ち上がる。

「ほら、着替えて出かけるよ。今日は二人で城下町でしょう」

 着替えを急かすように、クローゼットから勝手に彼女の私服を取り出して渡し、部屋を出る。

 久しぶりに彼女を少し意識してしまったが、いつも通りを装った。彼女の無防備さにはもう呆れ飽きている。


『あなたはいつもそうだった。私がいないと、朝起きることもできなかったのだから。』

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