第18話 彼女の希望であり続けるために
アトリの葬儀は俺達と親交のあった一部関係者のみの間でしめやかに行われた。身内といっても、父親は病で、母親はその前に事故で亡くしていた。親戚もいない。彼女には兄弟も子どももいなかったから、アカシャ家は断絶したことになる。
葬儀にはアラバキ侯爵も参列した。侯爵も夫人もおそらく余命宣告のことを知っていたのだろう。あれほどアトリのことが大好きな二人が、取り乱すことなく別れを告げていた。あのパーティーの時には、既に覚悟が出来ていたのだ。
反対に取り乱したのは、息子のピエールだった。出会いがしらに胸倉をつかまれ、殴り飛ばされた。
「止めるんだピエール! よせ!」
侯爵が止め、スタンリーが後ろから羽交い絞めにしても、まだ鼻息荒く俺を睨んでいた。
「貴様、何が彼女を傷つけるものは許さないだ! 偉そうなことを抜かしておいて、おめおめあの女を死なせやがって!」
「ピエール、お前・・・」
侯爵も、俺も理解した。ピエールが彼女を嫌っていたのは、アクラクセインとヒュクレイツが敵対していたからじゃなかった。スタンリーを振り払い、ピエールは棺桶の前に立った。
「ざまあない、ざまあないなマネキン。ヒュクレイツを取り込もうという貴様の陰謀もここまでだ。ヒュクレイツは俺が守る。貴様とは違う手段で、貴様からも、列強諸国からも守ってみせる。大国と肩を並べるほどの強い国にしてみせる。そうだ、そうなったら、アクラクセインを吸収してやろうか。別に貴様の国がどうなろうと知ったことではないが、他の列強国に隷属させられたら、そんな弱小国と長年の宿敵だったヒュクレイツまでも馬鹿にされかねんからな。ありがたく思え。そのときこそ、俺の勝ちだ」
言い捨てて、ピエールは足早に去っていく。少し斜め上を見上げながら。
「何だよ。話って」
葬儀後、スタンリーが俺を彼女の執務室に呼んだ。部屋には彼女の物が山ほど残っていた。机には万年筆が転がり、書類も出しっぱなしだ。それらが目に入っただけで、枯れたはずの涙がまた溢れてくる。
「こちらに、サインを頂きたいのです」
スタンリーが一枚の書類を取り出した。
「これは?」
「お嬢様と交わした契約を覚えてらっしゃいますか? この国に笑いを広めることが出来たら、アカシャ家の全てをあなたに譲渡するという、あの約束です」
「ああ。あれか。うん。覚えてるよ」
今となっては、どうでも良い事だが。
「この書類にサインをした瞬間から、あなたがアカシャ家当主になります。土地約十万ヘクタール、系列病院、関連企業など、合わせて総資産二千六百六十億ユーロ。日本円にして約三十兆円を有するアカシャ家そのものを相続することになります」
「はっ。景気の良い話だ」
嬉しくって涙が出る。それだけの資産があって金があって、本当にほしいものが手に入らないんだからな。
「いらねえ。適当に処分してくれ。俺は日本に帰る」
「アワジヤ様。それは本気で仰っておられるのですか」
「本気だよ。本気で言ってる。もう、俺がここにいる理由は無い」
彼女がいないのだから。
「・・・失礼します」
瞬間、視界が反転した。背中に強い衝撃が走り、床に仰向けで倒れていた。息が出来なくてむせる俺を、スタンリーが見下ろしていた。あの一瞬で投げ飛ばされたのだ。
「いい加減にしろ!」
ビリビリと空気が震える。
「あなたがここでくよくよしていることを、お嬢様がお望みになると本気で思っているのですか! お嬢様は、そんな腑抜けに願いを託したのですか!」
「スタンリー・・・」
いつも冷静沈着な男が、初めて声を荒げた。
「いいですか、アワジヤ様。お嬢様は、あなたに希望を見ていたのです。あなたを自分の命を賭けるにたる逸材だと見込んだのです。あなたはこの一年を、お嬢様の命を無駄にするおつもりですか! ふざけないで頂きたい!」
膝を付き、俺の襟首を掴んで引き上げる。
「ここであなたが諦めてしまったら、アクラクセインは再び暗黒の時代に戻ってしまう。全てが水泡に帰すのです。アワジヤ様。どうか、お願いです。立ち上がってください。戦い続けてください。お嬢様が憧れた芸人であり続けてください」
ーああ、これが舞台か。
彼女の言葉がよみがえる。舞台の真ん中で、客席を見ながらそう呟いていた。本当は、自分があの舞台に立ちたかったのだろう。自分の力で人々を笑わせて、アクラクセインを変えたかったのだろう。あの一言には、それが叶わない悔しさが込められていた。億万長者で頭が良くて美人で、何でも持っていて何でも手に入れられそうな彼女が、どれほど望んでも叶わないものがあの場所にあったのだ。彼女の苦しみも悲しみも察してやれない、鈍感で馬鹿で自分勝手な俺は、何も考えずにあの舞台に上っていた。
殺そう。愚かな過去の自分を。
ゆっくりと立ち上がる。
「俺は、やっぱり資産はいらない」
「アワジヤ様、これほど言っても・・・」
「最後まで聞いてくれ。俺みたいな経営のけの字も知らない馬鹿がトップに立っても、今まで会社とか病院を支えてきた人が苦労するだけだ。だから、そういうわずらわしい権利とかは全部今まで頑張ってきた連中に返してくれ。土地や財産も、国庫に還元するなり募金するなりして有効に使ってもらおう。そうだ、この城も手放そう。こんな立派な建築物なら、ホテルとかに出来るだろ。アトリは観光客を呼びたがってた。ここに観光客を呼んで、どんどん金を落とさせよう。俺は、アカシャの名前だけもらうよ」
「でも、そんなことをしたらアワジヤ様には何も残りません」
そんなことは無い。大切な物はすでに持っている。
「いいんだよ。それで。芸人は己の腕一本で食っていくもんなんだよ」
覚悟を決めよう。この地で、芸人として生きていくことを。彼女の願いを叶えるまで、戦い続けることを。
「スタンリー。俺にあれだけの啖呵きったんだ。嫌だって言ってもついて来てもらうぞ。最後までな」
「もとより承知の上。アカシャ家に誠心誠意お仕えするのが我が使命ですので。地獄の底まで、喜んで共に参りますとも」
スタンリーは恭しく頭を垂れた。
「上等。じゃあ、行こうぜ。彼女の願いを叶える為に」
右手を掲げた。意図を察したスタンリーは、その手を思い切り叩いた。パァンと高らかに音が響く。
アトリ、見ていてくれ。必ずこの国を変えてみせる。あんたが夢見たものより、ずっと良い未来にして見せるから。
『・・・・・・・・・っていう感じの話にしたんやけど、どやろか?』
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