第17話 そして幕は下りた

 翌日、俺はスタンリーと共に収録スタジオへ来ていた。アトリは来ていない。朝から調子を崩していて、ブリギッドのところへ預けてきた。いつも見守ってくれていた彼女がいないのは寂しいが、仕方ない。それに、テレビの映り方とかカメラワークとかもチェックする必要があるから、と。その仕事に対する熱意には頭が下がる思いだ。あのカメラの向こうで彼女がチェックしていると思うと、手なんか抜けるわけが無い。彼女の向こうには大勢のアクラクセインの人々、そして、未来のアクラクセインの人々もいるのだから。最高の結果を残さなければならない。

 スタンリーと目を合わせる。この頼れる老紳士もまた、表には出てないが並々ならぬ熱い思いと気合が充満しているのがわかる。彼もこの舞台にかけているのだ。互いに頷く。


「っし!]


 気合を入れ、生放送のカメラ前へと飛び出した。



 鼻歌が止まらない。

 帰りの道すがら、俺はスタンリーが運転してくれている車の中でずっと上機嫌だった。

 大成功。この一言に尽きる。客席もスタッフもみんなが笑っていた。こんなに笑ってもらったのは初めてじゃないかって言うくらい、みんなに笑ってもらった。テレビの向こう側でも笑ってくれている人がいると思うと、手も足も震えるくらい嬉しい。


「スタンリー。俺ら、やったよな」


 ずっと黙ったままのスタンリーに話しかける。さっきからずっとこんな感じだ。そりゃ、疲れてるとこ運転させてるんだから悪いとは思う。けど、今の俺の気持ちを共感してくれるのは彼しかいない。あの大舞台を俺達二人はやり遂げたんだ。このあふれ出る達成感とか充実感とか、口にしないと体の中で溢れておぼれてしまう。


「舞台、大成功だったよな。間違いないよな」

「ええ。間違いございません。おそらく、これまでで最高の出来だったと思います」

「だよなあ! これなら、アトリだって文句のつけようがないよな!」

「・・・ええ。お嬢様も、お喜びになっていらっしゃるはずです」

「よし、よしよし! そうと決まれば、早く帰って報告に行かないとな!」


 この喜びを速く伝えたい。そして、今日こそ伝えよう。彼女に。


「スピード上げてくれスタンリー。一秒でも速く、アトリを迎えに行こう」

「その言葉を待っておりました。・・・飛ばしますよ」


 グンッと体がシートに押し付けられる。


「ちょ、え、スタンリー?」


 さっきまで併走していたはずのほかの車が一瞬ではるか後方へと流れていく。この国の一般道の法廷速度が百キロでも警官から怒られる速度が出ている。


「ス、スタンリー! 今信号赤じゃ・・・」

「気のせいです」

「いや、後ろからサイレンが・・・」

「気のせいです」

「と、トラック! トラックが道塞いでるから!」


 併走している二台のトラックが迫っていた。クラクションを鳴らして片方によってもらうしか方法は無い、はずなのだが。


「ご安心を。こんなこともあろうかとカーアクションのプロに弟子入りし、ハリウッドで映画デビューした経験があります。動かないでくださいね」


 そういってハンドルを切り、片方の車輪を縁石にわざと乗り上げさせた。車体が半分持ち上がり、同時に俺の視界も高くなった。


「ななななななあななななああああ!」


 叫んでいる間に、片輪走行の車はトラックとトラックの隙間をすり抜けた。流石のパトカーもトラックを追い抜くことは出来ずに追跡を諦めたようだ。


「ち、ちなみに、どんな映画に出たんだ・・・」


 息も絶え絶えになりながら、スタンリーに尋ねた。


「日本でも公開された映画です。戦車で飛び出したり空から車で飛び出したり、中々刺激的な撮影でしたよ」


 道理でワイルドな運転をするわけだと納得した。あんなカーチェイスしてたら、あの程度の事なんか遊びみたいな物だろう。へとへとになりながら、病院への道を急ぐ。



 病院の待合室にブリギッドが待機していた。


「予定よりずいぶんと早かったわね。テレビ局からだと、もう少し掛かると思ってたのだけれど」


 相変わらずの美しさだが、どこか疲れが見える。


「わざわざ待っててくれてたんですか?」

「ええ。・・・さ、アトリの元へ案内するわ。彼女もきっと、貴方を待っているから」


 ブリギッドが踵を返す。その後に続いた。エレベーターはブリギッドが担当するリハビリテーション科のある階で止まった。ブリギッドは当然のことだが迷うことなく廊下を進む。

 たどり着いたのは、廊下の最奥に位置する個室だ。


「どうぞ。中へ」


 扉を開いたブリギッドに促されて、中へと入る。

 豪奢なベッドに、彼女は微笑を浮かべたまま寝ていた。どんな夢を見ているのだろうか。幸せな夢だろうか。けど、申し訳ないが起きてもらう。伝えたいことが一杯あるんだ。アトリは怒るかもしれないな。けど許してもらえる自信がある。だって、彼女の夢に一歩近づいたのだから。


「アトリ」


 優しく彼女の手に触れて



「・・・・・・・・・・・・・・え?」



 冷たい。

 まるで罰ゲームでマイナス二十度の冷凍庫に連れて行かれた後の芸人みたいに、彼女の体は冷え切っていた。

 驚いて離してしまった手で、再び彼女に触れる。気のせいじゃない。冷たい。

 振り返ると、ブリギッドもスタンリーもうつむいていた。


「これは。どういう・・・こと?」


 俺はその答えを聞きたくなかった。けれど、ブリギッドは医者の義務からか、職務を全うした。


「十九時五十七分。ベアトリーチェ・アカシャ伯爵の死亡を確認いたしました」

「・・・は? いやいや、ブリギッドさん。何言ってんだよ」


 ベッドを離れ、ブリギッドに詰め寄る。


「たちの悪い冗談止めてくれよ。だって、しっかり舞台やってこいって。テレビでチェックしてるからって・・・」

「してたわ。あなたがテレビに映ったのを、私も彼女と一緒に見てたから。おなかを抱えて笑ってたわ。最高の出来だと賞賛してた」


 テレビの放送時間は十九時から二十時だ。ついさっきまで笑ってたんじゃないか。


「あなたの出演していたテレビ番組のエンドロールが流れたと同時に、安心したように、静かに息を引き取ったの」


 ブリギッドが淡々と語る。何も言い返す気力もわかない。信じたくない。けれど、目の前の現実が、どうしようもない、変えることの出来ない事実が俺の前に横たわる。


「ドッキリや! 騙されたなぁ!」


 怒らないから、そう言って笑ってくれよ。起きてくれよ。今日は話したいことが山ほどあるんだよ。また駄目出ししてくれよ。ラーメン食いながら反省会しようぜ。ああでもないこうでもないって、面白いことを考えようぜ。この国をもっとよくするために。あんたの喜ぶ顔が見たいから、もっと頑張ってネタ考えるから。なあ。頼むよ。今日、言おうと思ってたんだよ。伝える気満々だったんだよ。愛してる、って。


「お嬢様は、不治の病に侵されておりました」


 スタンリーが俺の後ろに立った。


「アカシャ家の方々は、皆生まれつき体が弱く、また遺伝子が要因となる疾患を抱えてらっしゃいました。先代の旦那様がその病でお亡くなりになられています。お嬢様も昨年発症し、余命一年と宣告されました」


 アクラクセインの余命宣告は誤差一時間。棺桶というあだ名。


「お嬢様が最も恐れたのは自分の死ではなく、この国の行く末です。自分がいなくなった後も、この小さな国は俯いたままなのか。未来に希望を持てない国なのか。愛しき祖国が待ち受けるそんな未来など、認められるわけが無い。残り時間が判明した時、お嬢様は命に代えてもこの国を変えると決意しました。その後のことは、アワジヤ様。あなたが一番知っているはずです。あの方の願いにもっとも共感し、共に戦うことを決めたあなたなら」


 笑いで国を変える。世界でも類の無い、最も馬鹿げた、崇高で純粋なる願い。


「何で、教えてくれなかったんだよ」

「お嬢様からケイには絶対にバラすなと厳命されておりました。ケイの邪魔になりたくないからと。それに、教えてどうなります? あなたは今の心境で、テレビの前で笑って同じ舞台が出来ましたか?」


 出来るわけがない。テレビ出演? 舞台? そんなもん、全部キャンセルだ。彼女と共にいただろう。死の間際まで、彼女に寄り添っただろう。それの、何が悪い。


「悪いですとも。なぜなら、あなたが舞台で輝くたびに、お嬢様は元気になられたのですから」

「俺の、舞台で?」

「その通りよ」


 ブリギッドがベッドの反対側に立った。


「私が彼女に宣告した余命は一年前。正確には一年と一日前。これが、どういう意味かわかる?」


 首を横に振る。


「彼女を治せなかった無力な医者だけど、一応世間的には、私は世界でも十本の指に入る医者なの。患者の体調や病気の進行具合から、余命を導きだすことにかけてはアクラクセインでも最高の正確さを誇るわ。嫌な技術だけど。だから、私が一年と言ったら、きっちり一年なの。誤差一時間も許さない。これまで何百件と患者と向かい合って、誰一人として間違わなかった。けど、彼女は私の宣告より一日以上長生きしたのよ」


 そして、ブリギッドはアトリの頬に優しく触れる。


「彼女が言ってたわ。笑ったら病気が治るって。だから、笑いのないこの国で笑いを浸透させれば、国民が元気になってもっと豊かな国になるって。だから笑いを取り入れるんだって。確かに笑うことで免疫力の向上やストレスの軽減などの効果があるのは実証されてるわ。けれど、彼女の病はそんな物じゃどうにもならないものだった。そして、感情を失ったこの国も。だから私は、残酷な言葉をかけてしまった。無駄なことはよせって。この国に根付いた病巣は彼女の病よりも深い。治す事なんて不可能だから、余計なことで体力を消費させず、余生を穏やかに過ごすべきだって。そしたら彼女、なんて言い返してきたと思う? 『苦しんでいる患者の前で、お前は全力を尽くさないのか?』ですって」


 ブリギッドが苦笑し、涙を流した。


「参ったわ。私の完敗よ、アトリ。あなたは正しかった。あなたが選んだ道は、選んだ人は間違いじゃなかった。あなたは笑いの力を証明して見せた。ケイ。あなた達の勝ちよ。あなたの芸は、最新医学を上回ったの。今の医療ではどうしようもない病に、あなた達は勝ったのよ」


 嬉しくねえよ。何が最新医療に勝っただ。何が笑いだ。一番大事な人を救えてねえじゃねえか。意味ねえよ。全て意味がねえ。

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