第15話 幸せ

 スタンリーに連絡し、迎えに来てもらうように頼んだ。俺達は玄関口で、車が来るのを待つ。


「大丈夫なん?」


 アトリが前を向いたまま尋ねてきた。


「あん? 何が?」

「さっき殴られたとこ。向こうさんは気功とかなんとかいうてビビッとったけど。ホンマのところはどうなん。痛ないの?」

「無茶苦茶痛い」


 アトリの前じゃなきゃ悶絶して泣き叫んでる。あんなもん、ただのやせ我慢に決まってる。昔友人の頼みで色んな武術を調べた時の知識を使って、何とか耐え切った。奴らが諦めずに再び殴ってきたら耐えられなかっただろう。アホか、とアトリは背もたれに体を預けた。


「パーティーに来る前言うたよな。言動には注意せえて。ここにおるん影響力あるやつばっかりやからって」

「・・・言ってたな」

「しかもよりによって、主役の息子にアイアンクローて」

「その件については反省してます」

「反省するようなことあってほしなかったわぁ」


 あぁあ。アトリが大きくため息をついた。


「億劫やわあ、これからやること考えたら。侯爵にも謝らなあかんし、さっきのんは何人かの人間に見られとったからなあ、話出回るんは避けられへんからどないしょうかなぁ」

「申し訳なく思っております」

「申し訳ない思うようなことあってほしなかったわぁ。大体うち、やめえ言うたよな? けど自分、あろうことか拒否ったんやで? 覚えてる?」

「一応、覚えてます」

「うち、自分の雇い主」


 自分を指差してアトリは言う。そして俺を指差し


「自分は?」

「雇用人です」

「どっちが偉い?」

「雇い主です」

「やんなあ? やのに、どうして偉い方の命令を雇用人が無視しちゃったんかな?」

「頭に血が上って記憶が曖昧なので、よく覚えていません」

「かっとなってやっちゃいました~って、おんどれどこの反抗期や!」


 鼻息荒くアトリが駄々っ子のように手をばたつかせる。


「ええか、うちはこの後の対処が面倒やから言うとんちゃうで。いや、もちろん面倒臭いんもあるけど。自分の命心配しとんやで。貴族なんちゅうのはマフィア以上に体面気にする生き物や。恥かかされてそのまま笑って済ませるほど出来た人間はそうはおらん。敵対しとる人間にやったらなおさらや。あの場で殺されてもおかしなかったんやで! そんで、それをもみ消せるほどアラバキ家はデカいんや!」


 強く言われて、ようやく事の重大さが実感できてきた。感覚が日本の一般生活とはかけ離れている。武士に無礼を働いた町人が無礼討ち食らう、みたいなものか。身分制度怖い。


「頼むから無茶はせんといてくれ。自分はうちのプロジェクトに欠かせへん逸材になった。失うわけにはいかへんのよ」

「・・・ごめん。でも、流石に黙ってられなかったんだ」


 彼女の横に並ぶ。


「あんたは俺を見出してくれた恩人だ。その恩人が謂れ無き誹謗中傷を受けてたら怒るだろ、普通。だいたいうちの嫁をマネキン呼ばわりするなんて万死に値する」

「ドサクサに紛れて変な捏造しいな」


 互いに沈黙。


「ただ、あれやなあ」


 ポツリとアトリが口を開いた。


「あんがとな。一応、礼言うとく」


 スタンリーの乗る車が、タイミングよく俺達の前につけた。



 結果論になるが、俺がピエールに無礼をはたらいた件は大事にならなかった。アトリが働きかける前に、侯爵が既に事態を察知し動いてくれていたようだ。「真に申し訳ない」と侯爵から電話で、謝罪の連絡があった。防犯カメラに移っていた一部始終を見たようだ。また、お詫びではないがこれからの彼女の活動を全面的にサポートすると約束していた。

 アトリと話していた侯爵が、俺に代われと告げたらしい。彼女に手招きで呼ばれ、電話を受け取る。


「アワジヤ君。君にも一言詫びておこうと思ってね」

「そんな、侯爵。私の方こそご子息には大変失礼なことをしてしまいました。真に申し訳ございません」


 侯爵が電話越しに笑った。


「ピエールにしたことを、君は後悔しているのかな?」

「正直に申しますと、まったくしておりません」

「正直でよろしい。なら心にも無い謝辞は止めたまえ。正しいと思ってした行為を納得も反省もせずに口で謝っても、意味は無いからね。それに君のアイアンクローは、あの子にいい薬だったようだよ」


 心境の変化が起こったのか、あの出来事以降、ピエールの素行は良くなっている、とは言い切れないが、大分落ち着いた物になったらしい。表立ってアクラクセインを悪し様に吹聴することはなくなったようだ。道頓堀の脅しが効いたのだろうか。


「そんな訳で、アトリにも言ったが、懲りずにまた我が家に遊びに来て欲しい。今度は家族だけで会おう。その方が余計な連中の相手をせずに住むから、ゆっくり話が出来る」

「お誘いいただきありがたいのですが、侯爵のお目当てはアトリでしょう? 私はおまけですよね?」


 わかってるじゃないか。そう言って侯爵は電話を切った。



 侯爵のサポートのおかげもあってか、俺達の活動は徐々に版図を広げ、効果も高まり始めていた。娯楽を楽しんでいい、そのための時間を設けても問題ない、とアクラクセインの人々が認識し始めたのだ。特に子どもは順応が早く、楽しい、という気持ちを表に出し始めた。人に需要があるのなら、企業が参戦しないわけが無い。はじめはアトリが所有する企業が少しずつ提供していたコンテンツも、他の企業や海外の配信サービス事業が参入した。もともとニュース放送オンリーの一チャンネルだけだったテレビだ。枠はどこにでも開いている。また、アトリは電波帯の周波数枠を売ることで、テレビ配信が続く限り企業から料金を徴収し、それが国庫に還元されるシステムを設計した。スカスカの電波帯なんていう目に見えないものが、金の生る木へと変化したさまを見せられて、改めて彼女は凄い人なんだと思い知らされた。錬金術を見せられた気分だ。

 もちろん、俺も今のままをキープするつもりは無い。どんどん新しいネタを作り、アクラクセイン中を回って舞台に立った。アクラクセイン語も大分上達したし、この国の習慣をつかめてきた実感から、演目に漫才を少しずつ入れ始めた。相方はまさかのスタンリー。いや、これがまたしたんだ。

 スタンリーの何事にも動じない鋼の心臓とゆるぎないクールフェイスから繰り出されるボケは秀逸で、笑いが浸透してきた人々を沸かせた。出てきてすぐに人々を魅了するナイスミドルに、俺の今までの苦労は何だったんだと少し嫉妬したのは内緒だ。

 俺がこの国に来て、彼女と契約を交わしてアクラクセインに笑いを広げ始めてから、一年が経とうとしていた。最近の舞台はいつも満員で全員を笑わせて帰すことが出来るようになったし、喜ばしいことに舞台の外でも人々は笑顔を見せるようになっていた。全てが順調すぎるくらい順調で、遂にはアクラクセイン全土に放送されるテレビに俺の出演が決まった。彼女との約束がもうすぐ果たせる。そんな手ごたえを掴み始めた頃。


 彼女が倒れた。

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