第14話 功績
ふざけやがって。
ピエールはイライラを隠そうともしないしかめ面で、人垣を掻き分けていた。こういうときに限って、いつもヘコヘコとへりくだって、アラバキ家に近づいてくる連中が多い。厄介なのは、彼等はピエールのゲストではなくアラバキ家当主のゲストのため、邪険に追い払うわけにも行かないところだ。どうして自分が格下の連中に気を使わねばならないんだと思っている。それに、いつもは自分のことを親の七光りと侮る連中まで声をかけてくる。
「それもこれも、やつらのせいだ」
ベアトリーチェ・アカシャ。敵国の人間の癖に親父に気に入られたマネキン。彼女のことを考えるだけで胸糞が悪くなる。
初めて会ったのは子どもの時だ。親父の客として、ディーン・アカシャが来たときにおまけで引っ付いてきた。病弱なガキで、愛想がなく、アクラクセインの人間にありがちな感情のないマネキンだった。取るに足らない、敵国の雑魚のはずだった。
ヤツの親が死んで、何故か親父が色々と面倒を看だした。最初は気にもしなかった。だが、ヤツは親父に取り入って骨抜きにし、アクラクセインびいきにした。お袋までもがヤツの術中にはまり、アクラクセインとの融和を口にしだした。
ふざけるな。これまでのご先祖様たちの無念を忘れたというのか。何人もの偉大なご先祖様たちがやつらの手にかかって死んだのだ。そのことを思えば、アクラクセインと手を取り合うなんて考えられない。
「ピエール」
足を止める。この場で自分を呼び止められるのは一人しかいない。振り返ると、ハーヴィー・アラバキ侯爵閣下が立っていた。
「どこへ行く気だピエール。パーティーをすっぽかす気か」
「いえ、そんなつもりはありませんよ。父上」
「なら何をしている。お前の仲間もお前と同じように誰かを探してうろついているようだが」
「たいしたことではありませんよ。人を探しているだけです。私に無礼を働いた東洋人が、敵国の女を連れて逃げていったもので。もしやよからぬ事を考えているのではと思いまして」
「その女というのは、まさかアトリのことを言っているのか」
「もちろんですよ父上。父上たちは騙されている」
ハーヴィーはため息をつき、近づいてきた。
「ピエール。もうアクラクセインを、アトリを敵視するのはよせ」
「何を仰るのですか。アクラクセインは敵なのです。先代も、先々代も、ずっと昔からご先祖様たちは奴らと戦ってきたのです。それは変わらない。永遠に変わることがないのです。父上たちは優しすぎる。あの女はそこに付け込んでいるのです。父上から徐々に取り込み、やがてその本性を現す。必ずです。そのときになってからでは遅いのです」
「どうしてなんだ。どうして彼女が、アクラクセインが敵に回ると思い込めるのだ。既に彼女らの国とは道がつながり、国民達は車で自由に行き来して、親交を深めているというのに」
嘆く父親を、ピエールはふんと鼻であしらう。
「馬鹿どもは気付かないんですよ。あの国の危険性が。だからこそ、我ら貴族が導いてやらねばならないのです。国民を、正しい方向に!」
「違う、違うんだ。ピエール。既に時代は変わっているのだ。もう小国同士でいがみ合っている場合ではないのだ。お前も、アトリのように大局を見極めろ。どうして同じ教育を受けて、お前は彼女のように変われないのだ」
アトリのように、彼女のように。父親の口癖を聞くたびに、の胸の中に黒く重たい重油のような感情が蓄積される。
「お説教はもう結構。既にあの女に洗脳されているあなたでは話になりません。洗脳されている人間は、洗脳されていると認めない。だから、私が父上たちの目を醒まさせて上げます。あの女の化けの皮を剥ぎ、醜い本性を白日の下に晒せば、流石の父上も気付くでしょう」
踵を返し、なおも呼び止めようとする父親を無視して、ピエールは進む。この苛立ちも何もかも、全てあの女のせいだ。
憎き仇は、受付近くにいた。あのイカれた東洋人はいない。トイレにでも行っているのだろうか。
「ベアトリーチェ・アカシャ!」
声を張り上げる。車椅子の彼女が振り返った。鋭く冷たい瞳が、彼を射抜く。
「これは、ピエール様。わざわざお見送りに?」
「馬鹿な。この俺が貴様なんぞを見送りにくるわけがない。そんなことをするくらいなら寝てた方がましだ」
「そうですか。では、呼び止められるいわれもありませんね。私はこれで失礼いたします。そのほうがあなたもせいせいするでしょう。どうぞ、パーティー会場へお戻りください」
「それは許さん」
丁度、仲間たちも駆けつけた。顎をしゃくると、意を汲んだ彼らが彼女を取り囲んだ。
「何でしょう。私に用はないと思っていましたが」
自分よりもはるかに大きな男達に囲まれても、彼女はおびえることもなく見上げる。少しでも臆病なところを見せればまだ可愛げがあるものを。いや、必死で押し隠しているに違いない。ピエールは舌なめずりをしながら彼女に近づく。
「マネキン。お前はヒュクレイツを蝕む害虫だ。害虫は処理されるべきだ。そうだろう?」
仲間達も力強く頷く。
「親父も、お袋も、幼い弟もたぶらかし、アラバキ家を乗っ取ろうとたくらんでいるんだ。そうだろう?」
彼女は言われたことが理解できていないのか、ぽかんとした表情をしている。これが演技なのだから、たいした物だ。家族が騙されるのも仕方ないことかもしれない。
「そうだろうもどうだろうも、乗っ取るだなんて、考えたこともありません」
「嘘をつくな。俺を騙そうったってそうはいかない。その顔の下には、どす黒く醜い野望が隠れているんだ」
俺ならそうする。敵を完膚なきまでに叩き潰すためならどんな手段でも使う。だから、彼女もそのはずなのだ。
「俺は家族を、そして貴族としてヒュクレイツを守る義務がある。だから、脅威となる貴様を排除する」
「国を守らんとする意思はご立派です。ですが、刃を向ける相手を間違っておられます。私は、侯爵ご夫妻をはじめとした、ヒュクレイツの皆様と手を取り合いたいと思っています。もちろん、あなたとも」
「よくもまあ、本人を目の前にして嘘をべらべらと並べ立てられるものだ。いっそ感心する」
「ピエール様、私は本気で」
「うるさい! 敵の言葉は聞かん!」
いやいやとピエールは首を振った。それを見ていた彼女はふうとため息をつき、微笑んだ。
「あなたの中では、私達はどう足掻いても敵でしかないのですね。残念です。本当に残念」
「・・・何だその笑みは。俺を哀れむのか!」
「何を言ってもあなたには届かないのなら、これ以上の問答は無意味です。ですが最後に、これだけはお伝えしておきます。アクラクセインとヒュクレイツは手を結びます。この流れは、あなたがどれほど逆らっても抗うことは出来ません。なぜなら、そうしなければ国際社会で生き残れないからです」
「そんな心配は不要だ。ヒュクレイツは生き残る。わが国には豊富な天然資源が埋蔵されているからな」
「その資源を掘り進めているのは、他国の企業ですよね。それって、自分の財産を他人にゆだねている状態なんです。自分には出来ないから、他人にしてもらう。悪いとは言いません。けれど代わりに、ヒュクレイツは不利な契約を結ばされたのです」
「ふ、不利な契約?」
「ええ。貴国にはどうせ採掘する技術も金も余裕もないだろうから、と企業に買い叩かれたそうです。相場よりも三割も安く」
「どこから出たデマだそれは!」
「あなたのお父上、アラバキ侯爵からです」
そんな話を父親から聞いたことは一切ない。酷い裏切りだ、ピエールは足元が崩れていくような感覚に襲われた。
「このままでは企業に、その後ろにいる大国に食い荒らされる。大国と渡り合うにはヒュクレイツも強くならなければならない。そう考えた侯爵は富国政策の一環として、長年敵対していたアクラクセインと手を結んだのです。知ってらっしゃるかどうか分かりませんが、ヒュクレイツはつい最近まで通常の軍事費とは別に、アクラクセイン用の『戦争費』を戦時中と同じだけ確保していました。侯爵は戦争費を削り、内政に力を入れることを提言しました。砲弾の変わりに交渉団をアクラクセインに送り込んだわけです。戦争と交渉じゃ、掛かる費用は段違いですから。削った費用は設備投資や商業施設の誘致等に使われました。雇用が生まれ、経済活動の活性化につながり、ヒュクレイツ経済は徐々に回復してきたのです」
知らない。何も知らない。
「侯爵がやっていることは、あなたの意思と同じ。国を守る行為なのです。なぜご子息であられるあなたが、一番に侯爵を理解してあげないのですか?」
「黙れ、黙れ黙れ!」
無意識に手が上がっていた。気目の前の女は危険だ。気圧されたということを認めたくないピエールは、前の敵を排除しようという方向に働いた。彼女が消えれば、心に平穏が帰ってくる。今のピエールにとってそれは真理だ。だが、振り上げた拳を叩きつけることはなかった。
「そこまでです」
ピエールの腕が後ろから掴まれる。振り返ると、彼女の連れの東洋人が立っていた。彼の腕が、ピエールの腕を止めていた。
「女に手を上げたら駄目ですよ」
「ええい、離せ!」
「彼女に危害を加えないって約束してくれたらすぐにでも解放しますよ」
「何が危害だ。マネキンを人と同じように扱う必要がどこにある。離せ!」
腕を振り回し、拘束を解く。ジャケットの襟元を正して、東洋人に向き直る。
「・・・あんたなあ。彼女のことマネキンマネキンって、言っていい事と悪いことがあんだろ。それでも貴族かよ」
「ふん、無知な東洋人に教えてやる。こいつらは、アクラクセインに住む連中は、感情を失った欠陥人間だ。喜怒哀楽が無い機械人形だ。殴ったって痛みを感じることも無ければ、苦しむことも無いさ。何の感情も浮かばないんだからな。ああ、いや、叩けば多少はましになるかもしれないな。昔の家電みたいにな」
仲間達も追従して笑う。ほらみろ、みんなそう思っている。俺は何一つ間違ったことを言っていない。調子に乗って、ピエールは続ける。東洋人の震える拳に気付くことなく。
「ああ、そうだ。同じ男として忠告させてもらう。アクラクセインの女は止めておけ」
「あ?」
「ベッドじゃ反応すらしない、面白みのないプレイになっちまうってことだよ。マネキンみたいに整った面を少しでも歪めりゃまだ楽しみようもあるだろう、がっ?!」
ピエールは最後まで言い切ることが出来なかった。その前に顔を鷲づかみにされたからだ。東洋人の手だ。両方の頬骨を指で挟み、万力のように締め上げてくる。
「てめえ、マジでいい加減にしろよ?」
「ケイ、よせ! その手を離しなさい!」
「イヤだね。アトリの命令でも、それは聞けない。こいつは一回、痛い目を見るべきだ」
「が、ぎ、ぎざま! い、いだい!」
こうしている間も、ピエールの顎は外れそうになって軋む。仲間たちがピエールの窮地を救わんと東洋人に襲い掛かった。体格差は歴然、しかも一人は学生時代ボクサーで、もう一人はレスリング選手だ。ボクサーから腰の入ったパンチがとび、レスリング選手のタックルが東洋人に決まる。
「ウグッ」「ガハッ」
悲鳴が上がった。だがそれは、ピエールの望んだ東洋人のものではなく、パンチを繰り出したボクサーとレスリング選手のものだった。ボクサーは手を押さえてうずくまり、レスリング選手はしりもちをついている。東洋人は依然、何事も無かったかのようにピエールの前に立ち、彼の顔を締め付けている。
「ま、まさかこれが東洋の『
痛めた拳を押さえながら、ボクサーが思い出す。東洋には体内の気を練る事で体を羽毛のように軽くしたり、また鉄のように硬くすることが出来る技があると。
レスラーもまた戦慄していた。自分のタックルは完璧だった。同じレスリング選手でも、耐えられる人間はいないと自負できる。なのに持ち上げるどころか、跳ね返された。まるで大地に深く根を張る大樹に組み付いたような感覚だった。
東洋人は、そんな彼らを睥睨する。
「なんだそりゃ。関西人のツッコミの方が激しいぜ。その程度で芸人からリアクションを奪えると思うなよ。ボケもツッコミも場の空気も読めねえんならすっこんでろ!」
一喝に彼等は震え上がり、東洋の神秘の前になすすべなく引き下がった。見届けてから、東洋人はピエールに相対した。
「アクラクセインのみんなはな。感情がねえんじゃねえ。出し方を知らねえだけだ。でもな、少しずつ、少しずつだけど変わってきてる。笑う人が増えてる。子どもが笑って、それを見た大人たちも笑みを浮かべてる。何でかわかるか?」
ぐい、と東洋人の手が上がる。その手に掴まれているピエールの顔も持上げられた。爪先立ちのかなりしんどい体勢だ。足掻いても、東洋人はびくともしない。
「アトリが頑張ったからだよ。てめえがマネキンと、痛みも感じない欠陥人間と蔑んだ女が、笑顔も希望も持てない彼らの境遇に胸を痛めて、何とかしようって足掻いて、てめえのようなわからずやにも頭下げて、唾吐きかけられながらも踏ん張って、俺みたいな馬鹿まで呼んで、ありとあらゆる手を打って。このちっこい体でずっと戦ってきたからだよ。彼女はマネキンでも、痛みを感じない欠陥人間でもない。誰よりも国のことを考える、心優しい偉大な女だ。彼女を傷つけるやつは、誰であろうと許さない」
東洋人は掴んでいた顔を突き放す。ピエールはその場で仰向けに倒れた。その彼に向けて、東洋人が人差し指をつきつけた。
「いいかこの七光りのボンボン。良く聞け。もしまたアトリを傷つけるようなことしてみろ、カーネルさんくくりつけて頭から道頓堀に放り込んでやる」
言うだけ言った東洋人は荒々しく鼻から息を吐き出し、車椅子を押してその場から立ち去っていった。
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