第13話 ピエール
貴族たちの人垣が割れた。アトリの言う、くしゃみ一つで株価を変動させかねないくらいの影響力を持つ者たちが、自分から退き道を譲ったのだ。彼らが道を譲るほどの大物が、俺たちの前に立った。
男前だ。男の俺が少しジェラシーを感じてしまうほどには。高い鼻、きりっとした眉、スカイブルーの瞳、高身長にさらさらプラチナヘアー、スーツ姿が恐ろしいほど決まっていて、舞台俳優もかくやという出で立ちだ。だが、その全てを台無しにしているのは、醜く歪んだ口元と、目の前の相手を見下していることを隠そうともしない態度と悪意だ。
『アクラクセインのマネキンが、一丁前にパーティーを楽しんでいるようだぞ。マネキンにそんな感情があったのか?』
男はアトリを指差して笑った。後ろから付いてきた取り巻きたちも、追従するように笑う。
「アトリ、何だこの不快な男は」
これでも色んな人間にあってきた。嫌なヤツも山ほどいたが、こいつはダントツだ。
「・・・アラバキ侯爵の長男、ピエールや」
はあ?! こんなヤンチャボーイがあの夫妻から生まれたってのか? 言いたいことはわかる、と本当に苦虫を噛み潰してるんじゃないかと心配したくなるほどのしかめっ面のアトリが言った。
「昔っから色々うちに難癖つけてくんねん。陰険やし。正直私も好かん。適当に挨拶したら撤退や」
「挨拶すんの?」
よほど嫌そうな声をしていたのだろう、アトリが苦笑した。
「しゃあない。あれでもアラバキ侯爵の息子や。挨拶せえへんかったらかったでややこしいことなる」
それ以上は話すのも億劫なのか、ハンドサインで行け、と指示してきた。今おそらく彼女は、とびっきりの営業スマイルを浮かべるために心に暗示をかけていることだろう。
『お久しぶりです。ピエール様。ご機嫌麗しゅう』
『気色の悪い笑み顔に貼り付けやがって。親父にゴマすりに来たのか。敵国の人間にまで尻尾を振るんだから、大人しい顔してとんだ尻軽だな。貴族としての誇りは無いのか』
ピシ、とアトリの表情に亀裂が入るのが見えた、気がした。しかし、流石は伯爵。何とか踏みとどまった。彼女の中で、百を越える罵詈雑言が渦巻いて、喉元まで出掛かっているのがわかる。俺の芸の駄目だしだけでもあれだけのハードパンチをラッシュして来たのだ。おそらく彼女から理性と遠慮が失われたら、目の前の男のプライドと人格を粉みじんに打ち砕いてすり潰すくらいはやってのける。
『貴様のようなマネキンがいたら他のゲストたちの酒が不味くなる。さっさと失せるといい』
『そうですね。私【達】がいれば他の方のご迷惑になりますから』
『・・・俺がゲストに迷惑をかけているとでも?』
『滅相もありません。アラバキ家次期当主を迷惑に思う方など、この場にはおられないでしょうから』
『それは、聞き様によっては俺がアラバキ家の人間だから、臆して誰も意見しない、という風に聞こえるぞマネキン』
『深読みしすぎです。私は一般論を申し上げたまでですよ。そう、普通の人がこの場に遭遇して、当たり前に思うようなことを、です』
彼女とピエールとの間で火花が散る。
やはりアトリも、相手の暴言をさらっと受け流して笑って済ませるような、事なかれ主義ではなかった。それもそうか。彼女はある意味、アクラクセインを代表してここにいる。彼女が軽んじられるということは、アクラクセイン、自国が侮られるのと同義だ。礼儀には礼儀を、剣には剣を倍返しのハンザワ・ハンムラビの精神が彼女には宿っている。
何度か言葉の応酬を続けた二人だったが、ふいにピエールが彼女の隣に立つ俺に気付いた。
『何だ貴様は。東洋人か?』
『私の補佐をしてくれている、ケイ・アワジヤです』
必要最小限の説明なのは、彼女の気遣いだ。ピエールの興味が薄れれば俺に火の粉が飛んでくることはないと考えたのだろう。
が、ピエールもアトリのそういう考えを察した。かすかに頬を歪め、俺の方に近づいてきた。
『何者だ貴様は。ここは貴様のような田舎の猿が来ていい場所ではないぞ。猿は山に帰れ』
初対面にもかかわらず容赦ない悪意を浴びせてきた。アトリの連れの俺を貶めれば、彼女の評判も落ちると考えてのことだろう。すげえな、漫画みたいなどら息子だ。友人にいい土産話が出来たよ。
アトリが恐ろしいまでの無表情で体を乗り出そうとしたのを、すんでのところで押さえつける。こちらをちらと見上げる彼女に、大丈夫と肩に置いた手に力を込める。ピエールの方を向いて一礼。
『ハジメマシテピエールドノ。ワタクシアワジヤイイマス。ヨロシクドゾドゾ』
『ハァ? 俺は貴様なんかとよろしくしたく』
『オー! ナントウレシタノシダイスキ! ピエールドノアリガトアリガト! HAHAHA!』
ピエールの反論を遮って強引に手を掴み、肩を組んで大声でアピールする。言葉は理解できないが相手は自分にとって好意的だと思い込みきっている馬鹿を全力で演じる。取り巻きも突然のことに唖然として俺を取り押さえようとするそぶりがない。ここで畳み掛ける。
『な、貴様! 離せ! 恐れ多くもこの俺に馴れ馴れしく触るんじゃ・・・』
『ワオ! ピエールチョウイイヒト! ワタシトナカヨクシテクレルイウテマス! ミナサンハクシュハクシュ!』
いち早く反応したのはアトリだ。力強い拍手を響かせる。それにつられて、周囲から少しずつ拍手の輪が広がる。これが人間の面白いところだ。なんだか分からないけど、誰かが拍手したら釣られて自分もしてしまう。そして、拍手というのは本来おめでたい時にする物だから、拍手イコール良い事という刷り込みが発生する。
彼らの目に映っているのは肩を組んでる俺達。こいつはめでたい、すばらしいと全員が思い込むって寸法だ。その証拠に
『おい、ピエール様が東洋人と肩を組んでいるぞ』
『あれって、あのベアトリーチェ・アカシャが連れてきた東洋人でしょ?』
『あのアクラクセイン嫌いのピエール様が?!』
『あのアカシャの連れとピエール様が仲良くしてるって事はつまり・・・』
『まさか、和解したの? ピエール様が歩み寄ったっていうの?!』
『アクラクセインとヒュクレイツの争いに、終止符が打たれようとしている』
『時代が変わろうとしているんだ!』
上々の反応だ。
『くそ、いい加減、離せ!』
そろそろ拘束するのもしんどくなってきたので、ここらで彼を離す。ぜいぜいと肩で息をしてこちらを睨んでいる彼に、別れを告げる。
『オウシット! オジョウサマジカンデース! ピエールサマ、オナゴリオシイデスガワレワレココラデドロンサセテモライマース! マタコンドタノシクオハナシシマショーネ! ゼヒゼヒアクラクセインニモアソビキテクダサーイ! チャオチャオ!』
額に手を当てたり時計を指差したり投げキッスをしたりと、わざとらしいくらいのオーバーリアクションを披露して叫び、心理的な退路を確保。相手の息が整う前に退散だ。これで周囲には好印象だけ残して消えられる。彼女の車椅子をUターンさせ、バイバイと手を振りながら会場出口へと急ぐ。後ろから怒鳴り声が聞こえたような気がするが、拍手によってかき消されてきちんと届かない。耳に届かないのは聞こえてないのと一緒だ。
「アトリ、どうだった? 俺のアクラクセイン語は。ちっとは上手くなったよな?」
肩を震わせる彼女の後頭部に小声で話しかける。彼女は応えない。が、右手でサムズアップしている。
「アリガトゴザマース」
彼女の腹筋は限界に達したらしく、ブハッと噴き出した。
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