第11話 エンカウント

「・・・マジかよ」


 タキシードで身を包んだ俺は立ちすくんだ。

 一流ホテルと古代の神殿を掛け合わせたかのような、荘厳で巨大な建築物が目の前に聳え立っている。その建物にしてこの門あり、といわんばかりのこれまた巨大な門がドドンと鎮座ましましている。まるで天国に行く者と地獄に行く者を選別する地獄門だ。このパーティにふさわしくない者を選り分けて、俺みたいなヤツを威圧して通さないように拒絶している。


「何ぼさっとしとんねん。はよ進まんかい」


 苦笑気味に俺を追い立てるアトリの格好は、ノースリーブの深みのあるワインレッドのカクテルドレスに白いボレロを羽織っている。シンプルな装いだが、それだけに彼女の素材の良さが際立つ。こんな彼女と連れ添っていけるのだから、男としては誇らしい気持ちもあるが、それ以上に場違い感が強すぎる。すでに脇汗が酷い。

 彼女に促され、俺は車椅子を押して生唾飲み込みながら会場内へ入った。今回スタンリーは一緒には来ない。その理由をアトリは「自分とこの使用人連れて入ったら、その家の使用人信用してへんことになる」と説明した。なんかよくわからないが、色々と暗黙の了解があるらしい。それでも、これまでは彼女を補佐するために相手側に事前に断りを入れてスタンリーを連れていたが、今回彼は使用人用の待合室で待機し、代わりに俺が彼女を補佐することになった。


 上から吊るされたシャンデリアがきらきらと輝いて俺たちを照らす。舞台照明とはまた違う、やわらかい明かりだ。目に優しい。

 黒のドレスの素敵なレディがいる受付の前に行き、自分たちの名前を告げる。


「ええか、まず会場に入ったら、アラバキ侯爵に挨拶すんぞ」

「このパーティの主賓だよな。あ、ここって何語?」


 言語の種類によっては会話に参加できない可能性がある。俺が使えるのは母国語である日本語と日常会話程度にアクラクセイン語、基礎的な会話が英語、挨拶だけがフランス語と中国語、適当な雰囲気オンリーがドイツ語とイタリア語と中国語だ。


「英語でもドイツ語でもフランス語でもイタリア語でも通じるし、侯爵は日本語も堪能や。後、アクラクセイン語でもおおよそ通じる。ヒュクレイツ語はアクラクセイン語とほぼ同じ言語体系や。たまにわからへん単語とかあるけどな。日本で言うところの方言みたいなもんや」


 言葉通じてんのに話通じんと長い間争っとるんやから、バベルの塔もそら崩壊するわな、と彼女は皮肉った。


「さてケイ、こっからは自分には経験の無い、未知の戦場や。言葉が武器なんは変わらへんけど、笑わすためちゃう。相手を出し抜き、いてこますために使われる。心の準備はええか?」


 正直なところ、いいわけない。社交界デビューが、こんな敵地に乗り込むようなデビューなんて聞いてない。けれど逃げの一手は今のところ無い。俺は彼女についていくと決めたのだから。二度、三度と深呼吸して気合を入れる。


「よし、行こう」


 意を決して、俺たちは伏魔殿へと足を踏み入れた。



 会場はいっそう華やかで騒々しかった。楽団が奏でる弦楽器の音の中を、色彩豊かな淑女がドレスの裾をヒラヒラと躍らせて行き交う。


「音の海の中を踊る熱帯魚みたいだな」

「おもろい表現するやん。けど、ここにおる熱帯魚は全部獰猛な肉食魚やぞ。煌びやかでカラフルなんは全部獲物をとるための餌や」


 チョウチンアンコウの提灯みたいなものか。


「言動には注意を払いや。うかつなことしたら、瞬く間に噂になって会場に広がって、一気に干されんぞ。ここにおんのはヨーロッパ中の著名人連中や。こいつらのクシャミ一つで株価が上下するほどのな」

「ヨーロッパで恐慌を起こせそうな面子だな」

「せや。だから、可能な限り大人しいしとき。幸いケイはどっからどう見ても東洋人や。言葉通じへんと思われとるやろから、話しかけられることもあんま無い思う。挨拶をすましたら、後はニコニコしてやり過ごし。窮屈かと思うけど、堪忍やで」

「わかってる。壁の花でいるよ」


 本心からの言葉だった。これだけドレスで着飾った美人が大勢いる場所にいても、まったく心が躍らないのだ。緊張している、というのもあるが、会場にいる連中全員の目が笑っていないように見えるからだろう。誰も彼も目をギラづかせて、相手の粗を探しているように見える。そんな連中と楽しくお話できるほど肝は据わってない。

それに自分だけならまだしも、自分はアトリの付添い人、いわばバーターだ。俺が下手打ったらアトリにまで迷惑をかける。それだけはなんとしても避けたい。


「お、侯爵や」


 アトリの視線を追う。前方に、小柄な男性が、次から次へと押しかける参加者に応対している。髪の毛は真っ白だが、姿勢はまっすぐで、穏やかな笑みを絶やさない。見るからに人格者だとわかる。あの辺りだけ、なんだか空気が浄化されているような気がする。


「おし、まずは挨拶や。すまんけど押してくれ」

「了解」


 人ごみを上手く掻き分けながら、侯爵に近づく。

 なんだか、視線が集まっているな。それも、あまり好意的ではないヤツが。侯爵に挨拶したいのに車椅子で割り込んでくるんじゃない! というような可愛らしいものじゃない。もっと嫌悪感、いや、敵意と言ってもいい険悪なものだ。あれだけにこやかに話していた連中の声が静まり返り、コソコソと隣同士で耳打ちしている。内容は小声でしかも日本語じゃないし誰が何と言っているのかわからず、色々混ざって判別できない。例えば


『おはよう』

『こんにちは』

『こんばんは』


 この三つの挨拶。日本人の俺なら同時に聞いても『おはよう』『こんにちは』『こんばんは』に分けて理解できる。意味が通じてるのがわかるから。けど、たぶん日本語が得意ではない海外の人は


『おこんこはんよにばちうはんは』


 みたいな感じで三つが混ざって聞こえると思う。今の俺はそんな感じ。俺個人に対して伝えようとして伝えてくれているなら何とか聞き取れるが、ぼそぼそと遠くから混ざって聞こえるのは理解不能な暗号文だ。その暗号文は、解読したら敵を倒す武器である可能性が高い。悪意の雑音を振り払いながら進んでいると、件の侯爵が目ざとくこちらを見つけた。目の前の参加者に一言断って、こちらに近づいてきた。


『おお、アトリ! よく来た! 待っていたんだよ』


 満面の笑みを浮かべ、両手を広げて彼女とハグする。


『お久しぶりです。アラバキ侯爵。銀婚式、おめでとうございます。心よりお慶び申し上げます』

『おいおい、アラバキ侯爵なんて他人行儀な。昔のようにハーヴィーおじさんと呼んでくれたまえ! 君と私の仲ではないか!』


 大げさなリアクション、パーティ会場に響くような大声で、アラバキ侯爵はアトリを歓迎する。まるで、周囲の雑音を取り払うかのように。

 そうか、と気付く。この場所は彼女にとって敵しかいない。アラバキ侯爵はそんな彼女を気遣い、またアクラクセインとヒュクレイツは友好関係であると周囲に喧伝しているのだ。見た目どおりの人格者というわけか。


『ながらくご無沙汰ばかりしておりまして、大変申し訳ございません』

『何を言う。ご両親を亡くされ、君が大変なのはわかっていた。こちらこそ君が大変な時に、何の手助けもしてやれず申し訳なかった』

『何を仰いますか。侯爵に色々と援助していただき、また貴族として、経営者としての教えを授けて頂けたからこそ、私はこうしていられるのです。そのご恩を一日たりとて忘れたことはございません』

『そういってくれると嬉しい。が、君がこうしていられるのは、君の実力の賜物だよ。どれだけ教えても覚えようとしない者には、教育など何の価値も無いからね』


 侯爵は苦虫を噛み潰したような表情をした。その覚えようとしない者に心当たりがあるのかもしれない。だがそれも一瞬、すぐに表情を戻した。


『しかしアトリ、君はとても綺麗になったね。いや、子どもの頃からエイダに似て美人だったから、大人になったらさぞ美しいレディになると確信していたが、うむ、私の思った通り、いや、それ以上に美しくなった』

『お上手ですね』

『いやいやいや、お世辞ではないよ。本当だ。君さえ良ければ、うちの次男坊を婿にやりたいくらいだ。今すぐでも構わんぞ』


 その言葉に驚いたのは、侯爵とアトリの会話を聞いていた周囲の人間だ。ヒュクレイツでも重鎮中の重鎮である侯爵が、長らく敵対していたアクラクセインへ大切な息子を婿に出してもいいと、パーティという開かれた場で発言した。反応は様々だ。侯爵の気が狂ったと心配するもの、敵に擦り寄る売国奴だと唾棄するもの、そして、新しい何かが始まる予感がしたもの。この様々な変化が生まれることを見越しての発言だろうか。


『ヘルマン君はまだ七歳ではありませんか。そんな可愛い盛りのお子を婿に出すだなんて、侯爵夫人が許さないのでは?』


 流石のアトリも少したじろぎ気味に、しかしそれをおくびにも出さずにやんわりと断りを入れる。


『いいえ。他ならぬ貴女なら、私も夫と同意見よ』


 アラバキ侯爵の後ろから、ほっそりとした美しいご婦人が現れた。年齢相応の皺はもちろん有る。けれど、それすらも彼女のチャーミングな魅力に変わってしまうのは、いたずらっぽい微笑のせいだろうか。気品があって、なのにそれは相手を威圧したりせず、全てを包み込み受け入れる大海のような大らかさがある。この侯爵にして、この侯爵夫人あり、まさに理想の貴族の夫婦が目の前にいた。

 夫人はぐいぐい、と夫を強引に押しのけて居場所を奪い、アトリにハグした。


『可愛いアトリ。逢いたかった。よくいらしてくれたわ』

『侯爵夫人。お久しぶりです。お元気そうで何よりです』

『ふふ、あなたもね』


 公爵夫人はアトリと抱き合ったまま、じろりと夫を睨む。


『まったく、あなたったら、いくらアトリが可愛いからって自分ばっかりお喋りして。私だってアトリとお喋りしたいのに』

『それはないだろうニーナ! 私だってまだ』

『あなたはもう十分アトリと喋ったでしょう? ほら、皆様が待ってらっしゃるわ。私たちは女同士語らいましょう。今日はゆっくり出来るのよね? ホテルは取ってる? もしよかったらキャンセルして、うちに泊まっていきなさい』


 侯爵夫人はアトリに話しかける。社交辞令ではなく、本当に好きだから言っているのがわかる。仲むつまじいその姿を、ぐぬぬ、と呻きながらうらやましそうに侯爵が眺めている。そこで侯爵がふと、視線をアトリから、彼女の後ろ、つまり俺のほうへと移した。俺の存在に今始めて気付いたようだ。よほどアトリしか目に入っていなかったらしい。


『君は・・・?』


 侯爵夫人も俺に気付き、アトリから体を離して俺の方を見た。


『侯爵、侯爵夫人、ご紹介いたします。私のプロジェクトに参加協力してくれている、日本のお笑い芸人、ケイ・アワジヤです。ケイ、こちら、ハーヴィー・アラバキ侯爵閣下、お隣がニルヴェニカ・アラバキ侯爵夫人』


 アトリの紹介にあわせて、俺は深々と頭を下げた。


『は、はじめまして。ケイ・アワジヤです』

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