第10話 次なる試練

 成功、とスポンサーが言ってくれたとしても、やはり俺の中では、アトリは観客に入ってないわけで、この前の舞台は俺的には成功じゃない。やはりどっかんどっかん観客笑わせないと納得できない。そんなわけで成功報酬は辞退した。そのことを友人に報告したら『甘ちゃんが』と鼻で笑われた。

 だが、あれ以降病院の舞台は、大成功、とは言えないが、少しずつ子どもが俺に興味を示し始めた。最初は意外にも大泣きしたあの女の子だ。トラウマになって二度と近づかないんじゃないかな、と思っていたら、今度の舞台では最前列を陣取っていた。俺は舞台では喋りもいれるが、メインは身振り手振りを大きくして見て楽しめることを念頭に置いた。マジック、バルーンアート、切り絵、パントマイムなどなどだ。もちろん本職の人間からすれば格段に見劣りする。だから、合間合間に子どもの興味を引きそうな話を入れる。アクラクセインには娯楽がないから、身の回りのこと。例えばバルーンアートで犬を作るとき、犬の話をする。犬にまつわる笑える思い出を話したり、犬の出てくるおとぎ話、桃太郎や花咲か爺さんなどの話をする。耳でも楽しく、見ても楽しい。どちらの技術も劣っているのを、両方の技術をあわせることで何とか補っていた。

 ただ、これがかなり難しい。手や体を動かすことに集中しすぎると話が途切れるし、喋るのに集中しすぎると手が止まる。マルチタスクを習得するにはかなりの熟練度が必要だってことが身に染みて分かった。

 それが分かっていても、やるしかなかった。喋りなしで観客を満足できるパフォーマンスなんて悲しいかな付け焼刃の俺にはできないし、かといって喋りだけだとこの前の二の舞だ。苦しくても両立させるしかなかった。煙が出そうなほど頭をフル回転させて、ただ目の前の観客を楽しませることだけに集中する。少しずつ、前列に子どもが集まり始めた。それに釣られるように、大人たちも俺の舞台を覗き始めた。付き添いの親、看護師、医者と身近な大人から、通りすがりの見舞客、見舞客が見舞う患者、その家族と、見物人の輪がどんどん広まり始めた。観客が増えれば、舞台も小児科と一般病棟の二回公演、大きな一階エントランスホールと都度変更された。


「上々や」


 エントランスホールでの舞台を終えた俺に、アトリが満足げな顔で言った。


「俺としては、まだ不満はあるけどね」


 スタンリーに手渡されたタオルで顔を拭いながら、舞台を振り返る。舞台が終わったことで人がはけている。


「まだ笑ってくれてる人が少ない。興味本位で覗いて、それきりだ。途中で退席する人も少なくない」

「しゃあない。相手にも時間の都合があるからな」

「それでも、やっぱ理想は時間が経つの忘れるほど魅入って、どっかんどっかん笑わせることだよな」


 理想を語ると、アトリが意地の悪い笑みを浮かべた。


「ええでぇ、その実力に見合わへんストイックさ」

「アトリってたまに言葉のナイフをスローイングするよな」


 しかも殺傷力と命中率が高い。


「褒めてんねんで? うちは消極的過ぎるんよりビッグマウスのほうが好っきゃけどな。それくらい上向いていこうや。九十度くらいなぁ。けど足元も見てもらわなあかんけどな」

「九十度上向いてどうやって足元見んだよ。視界百八十度の草食動物じゃねえんだぞ」

「はっはぁ、なかなか切れ味鋭いやん。けど、ちょっとそれくらい無茶してもらわなあかんかも」


 その口ぶり、少し嫌な予感がする。警戒しながらたずねた。


「・・・今度は俺に何させようってんだ」

「察しええな自分。察しのええ人間は好っきゃで。なあに、簡単な雑用や。ちょっとお貴族様のパーティに出てくれたらええ」


 どこの男爵ジョークだ。アトリは突っ込むまもなく畳み掛けるように説明を始める。


「アクラクセインの隣にヒュクレイツっちゅう国がある。今でこそ仲良うやってるけど、ぶっちゃけ昔は仲悪かった。国境線沿いに互いの軍隊配備するくらいは」


 戦争一歩手前じゃねえの。


「ただまあ、そんなん百年以上も前までの話や。今では盛んに交流しとる。あっちは鉱物等の資源がよう採れる。そこで取れた資源が加工されて、巡り巡ってアクラクセインの医療を支えとる。で、ここに入院する国外から来た入院患者はヒュクレイツが一番多いからな。だから、互いに尊敬しあっとる。・・・普通のご家庭レベルの話やったらな」


 嫌な予感というメモリが、確信に振り切った瞬間だ。


「ご家庭じゃないレベル、ってことは、アトリたちみたいな貴族連中のレベルではどうなんだ?」

「まだ仲は悪い。言い訳がましくなるけど、当然っちゃ当然なんよ。貴族が何で貴族になったか言うたら、戦になったら馳せ参じて、最前線で古は剣振り回し、近年やったら銃ぶっ放して国民守るために命がけで戦って偉いさんから領土もろたり称号もうたんや」


 そうやって王や国民から信頼を得て貴族となったってわけか。


「百年前まで血で血を洗う闘争を繰り広げていた者同士は、仲直りできてない、と」


 そう確認すると「せや」と項垂れるようにアトリが首肯した。


「さすがに切った張ったはせえへんが、顔を合わしたら銃弾の変わりに罵詈雑言の雨あられが飛び交う」


 ふう、とアトリが重い息を吐いた。それが部屋に充満して、周囲の磁場や重力場まで変化したみたいに重くなった。だが、このまま澱のような空気のまま止まっているわけにはいかない。よし、と気合を入れて、確認する。心の準備をするためだ。彼女がこう言っている時点で、すでに事態は引き返せない状況にあり、彼女について行くと決めた俺に選択肢はないのだ。


「ヒュクレイツとアクラクセインのお貴族様たちの仲が悪いのはわかった。で、それと俺がどう関係するって?」

「さっきも言うた通り、ケイにはパーティに出席してもらう」

「会場は?」

「ヒュクレイツの首都、カナヤにあるアラバキ家当主、ハーヴィー・アラバキ侯爵のお家。侯爵の銀婚式に呼ばれたんよ」


 ピンポイントで敵地ど真ん中ですね。


「仲悪いんだろ? どうして招かれたんだ?」

「侯爵はヒュクレイツ貴族の中でも数少ない、アクラクセインに友好的な御仁や。ちっこい国同士仲良うしたらええのにて、生前のうちの親とも親交があった。その御仁の誘いは蹴られへん。それに御仁は影響力も強い。彼とうちが仲良うしたら、ほかの貴族連中も続いてくれて、もう少しヒュクレイツと仲良うできる。その機会をみすみす逃す手は無い」


 生前、という言葉が引っかかった。アトリは俺と同い年だという。ということは、親も俺の親と同じ年くらいだと考えられる。五十前後だ。でもこの広すぎる城で見かけたことはない。そもそも彼女がすでに家督を継いでいるってことは、つまりは、そういうことなのだろうか。かなりデリケートな話になりそうだし、聞いていいものかわからない。だから、この場ではなく、またいい機会、折を見て聞いてみようと先延ばしにした。

 それが後に、酷い後悔とともに知ることになるなんて、露ほども思わずに。

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