第9話 リベンジ・マッチ

 一週間後。

 再び、小児病棟の一角に子どもたちは集められた。何故自分たちが集められたのか、これから何が始まるのか、そういうことを気にする子どもは、ここにはいない。なぜなら、子どもたちの未来は既に決まっているからだ。ゆえに、未来への希望も、不安もない。

 だから、子ども達の目は、今日も必要な物以外映らない、はずだった。子どもたちの視界の端を、ぼよんぼよんと巨大なボールが跳ねるまでは。


「・・・え」


 人間、日常や常識とかけ離れ過ぎた何かが横切ると、思わず目で追ってしまう。猫が狩猟本能を刺激されて動く物を追いかけるのと同じだ。

 彼らの目の前には、直径一メートル以上の丸いボールがぼよんぼよん跳ねている。そして、彼らの方に徐々ににじり寄ってくる。あまりの出来事に口すら聞けない子どもたちだが、迫りくるボールの迫力に徐々に押され始める。背中を思いきり車椅子に押し付けたり、支えてくれている看護師たちに縋り付いたりして、その場から逃げようとする。だが、車いすのタイヤはしっかり固定されていて子どもの力ではストッパーを外すことも動かすことも出来ないし、腕を掴む看護師の手は巌の如く硬く締り、逃がさんとしている。そんな間もボールはぼよんぼよん弾んで子どもたちに近付いていく。パニックになった子どもたちは恐怖に震え、遂には目に涙を浮かべて


 ボコン


 突如ボールの天辺から、人の頭が飛び出した。恐怖に顔を引き攣らせた子も、泣き叫ぶ一歩手前の子も、唖然とした顔で飛び出したピエロ顔を見た。

 ようやく俺の顔を見やがった。

 目の前で唖然とする男の子の前で小刻みに跳ねる。動作参考は船橋市非公認キャラクターだ。


 ぼよぼよぼよびよん ぼよびよん ぼよぼよぼよぼよ


 弾むたびに男の子の首が、目が上下する。完全に俺を追っている。

 正直ここまでハードだとは思わなかった。以前の舞台の時、大道芸人がやっていた風船の中に入り込む技だ。その人は観客を巻き込んで大ウケしていた。その日一番の歓声はその人が持って行った。

 あれを見たときは、喋りも無しでよくウケるもんだとやっかみ半分で見ていたが、とんでもない。見てるのとやってみるのとでは大違いだ。この狭い風船の中でひたすら動き続けて、なおかつ顔色一つ変えずにいられるってのはアスリート顔負けの体力だ。やっかんでごめんなさい。マジリスペクトだわ。

 そして、ウケる理由もわかる。これ至近距離でされたら見ずにはいられない。目で楽しめる。だって目の前にあるんだもん。

 会いに行けるアイドル、触れ合えるご当地マスコットキャラ、どちらも大人気だ。この技は、その両方の良いとこを持ってる。舞台から突然観客席に降りて観客を掛け合いし始めても不自然にならない。いや、それをした方が断然面白い。

 そして、この方法は前の一番の問題である、こっちの話が向こうに通じないってことを解決している。言葉いらない。野球やサッカー、スポーツと一緒だ。

 風船の中から手を伸ばす。ぐにょんと風船が伸びて、スライムが人に襲い掛かるみたいな絵になる。キャッと子どもが身じろぎして下がる。無理に触ったりはしない。そうしたら逆効果だ。こちらも潔く体を引いて、次の獲物を探す。何人かの前をぼよぼよぼよと渡り歩いて、同じように手を伸ばしていたら、怯えずに手を伸ばしてきた女の子がいた。恐れよりも興味が勝った証拠だ。ぐにゃぐにゃと握手。小さい手だ。


「あ」


 触れて気付いた。観客と握手したのなんか初めてだ。ファンなんていないから、握手を求められたこともない。

 これが、観客との溝を埋めるってことなのかな。

 今まで自分の笑いについてこれないならそれは仕方ないと、自分から溝を作っていたのだ。こんなの、いくら観客が手を伸ばしてくれても届きゃしない。そうして、観客も次第に俺から離れて、ドンドン溝が深まる。

 でも、繋がってたら、伝わることがある。そうか、これが観客を『つかむ』ってことか。

 自分の誤りに気付いたり、初めての観客との触れ合いに驚いたりして、気が緩んだのだろうか。そんなつもりはないのだけど、風船が突然破裂した。

 俺も観客も、一瞬何が起こったかわからず呆然。そして


「ギャアアアアッ」「うわあああああんっ」「ひぃぃいいいんっ」


 阿鼻叫喚の真っただ中に突入した。



「あっはっはっはっはっは!」


 帰りの車内。項垂れる俺とは対照的に、アトリはひぃひぃと腹を抱えて大笑いしていた。


「なんや自分! あの風船割れた時の、あの顔! ひひ、間抜けにもほどがあるわ!」


 そしてまたしばらく笑う。余程つぼにハマったらしい。この国の人間は笑うことを忘れたんじゃないのか?


「お嬢様は、幼いころに日本におられたことがあります。そのため、アクラクセインの国是にどっぷりとつかっているわけではありません。むしろ、その時に触れたお笑いが、今まで抑えつけられていたお嬢様の感情を爆発させたと申しますか」


 ああ、だからお笑い好きなのね。


「しかも、見た? あのクソガキ共、全員ギャン泣き! いっつもマネキンみたいな顔しくさってからに! ザマミロ! ひゃはは!」

「そのせいで看護師大慌てだったけどな・・・」


 そして無茶苦茶怒られた。感情を排除したはずの医者や看護師たちに、まさかの床に正座させられて四方八方を囲まれて怒られた。こんな所だけ親日家かよと思った。


「すまん・・・」


 俯いていたらゲロの代わりに謝罪の言葉が吐き出された。ミラー越しに二人の視線が俺に集まる。


「あんだけ協力してもらったのに、俺はまた失敗した」



 作戦会議の時、インパクトがある作戦ってことで風船の案を出したのは俺だが、見ただけで出来るほどこの芸は優しくなかった。せっかく面白い案が出たのに、と歯噛みしていた時。やはり活躍したのはこの執事。スタンリーだ。


「昔、大道芸人と交流がありましたもので」


 どこまで幅広い人脈持ってんだこの人。そんなわけでスタンリーに協力してもらい一週間使って訓練したってのに。それにアトリにもかなり骨を折ってもらった。失敗した病院でもう一度場を設けるなんて、いくら理事の一人だからって簡単に出来る事じゃない。それにはブリギッド女医の協力もあったという。美女二人の協力を、俺はあんな単純なミスで帳消しにしてしまったわけだ。


「何を謝ることあるん?」


 あっけらかんとしたアトリの言葉に、思わず顔を上げた。ミラー越しに映る彼女の顔は、笑顔は笑顔でも、さっきまでのとは違う、何というか勝負師が見せるような、気迫に満ちたものだった。例えるなら猛禽類の笑みとでも言おうか。


「手ごたえあったで。今まで何しても反応せえへんかった子どもらが、驚く怯える泣く喚く、見事な感情の発露やった。それが確認できただけでも今日は得るもんあったし、それにあの最後の女の子。泣く前は自分に興味出しとったやろ?」


 あの、手を伸ばした子のことか。


「せや。あれ見てうち、確信したね。子どもはまだ、感情の蓋が完璧に閉じてないって。好奇心とか興味とか、そういうもんが無くなってない証拠や。それは、絶対に笑いにつながる。新しい発見ってのは、いつだって嬉しいもんやからな。成功や成功。大成功やあらへんけど」


 小成功くらいかなぁ、と彼女が言う。


「成功・・・って言って良いのか? 誰一人笑ってなかったけど」


 契約では、一人でも笑わせたら成功、って話だったはず。誰も笑ってないのなら成功とは言えない。


「いや、成功やで」


 そう言って彼女がこっちを振り返った。


「うちをわらかしてくれたからな」


 驚く俺の顔を見てにぃ、と笑う。


「・・・観客の一人だったのかよ」

「にひひ、どうせやったら楽しまんとな。人生は楽しんだもん勝ちや」


 人間五十年言うしなぁ、と彼女は舞でも踊りそうなくらいご機嫌だった。

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