第6話 彼女との契約
彼女の言葉が質量をもって圧し掛かってくる。これは当たって砕けてハイ終わり、と言う話では済まない。どうしてただのお笑いが、国家の未来を担う一大プロジェクトになってんだよ。こんなの俺なんかが出来るわけがない。無理だ。一流と呼ばれる芸人だってこんなの尻尾巻いて逃げだすに決まってる。失敗したらどうする。責任なんか取れない。俺なら赤っ恥搔いて消えない心の傷が一つ増える程度だ。今更一つ二つ増えたってかまやしない。けれど、もし俺が失敗することで、アトリの企画がとん挫したら? やはり笑いなんて意味がないなんて烙印を押されてしまったら、二度とアクラクセインで笑いは起きない。
断るべきだ。今ならまだ間に合う。
「ビビったか?」
こちらの内心などお見通しだと言わんばかりに、アトリが言った。
「ビビるよ。そんな大事とは思わなかったんだから」
「何や自分。大事小事で仕事選ぶんかいな」
「選ばざるを得ないだろ。だって、もし俺がミスって、アトリの企画がとん挫したら」
「まあ、そやな。この企画はお蔵入り、ついでに少なくない金が消えるな」
それを聞いて、ますます萎縮してしまう。
「けど、だからなんや? 自分、これからもずっと失敗した後のこと考えながら仕事とるんか? そら安全第一、石橋叩いて渡るくらい堅実な生き方は間違いやないけどな。常に自分の実力から背伸びしたとこ取っていかな、ずっとその場で止まってまえへんか? 上への階段は、今の場所より高いとこに設置されとるもんやろ?」
うちはエレベーター使うけどな、と彼女はおどける。
彼女の言葉が沁み渡る。向上心はあるつもりでいた。常にいいネタを作ろうとして努力してきたつもりだ。その努力は間違ってない。断言できる。けど、自分自身の努力に加えて、自分を売り込む努力を怠ってきたのだと教えられた気がした。自分はこの程度だからここだ、とか。努力しているから、自分の実力は誰か見ていてくれている。だから、そのうちに声がかかるはずだ、そう盲信してきた。
そんなはずがないのだ。努力の結果として舞台があり、その舞台で結果を残せてないから俺はいまだに底辺にいる。その舞台に上がるチャンスすら、最近はめっきり減っていた。
拒んでどうする。たとえ数段以上格上の舞台であろうと、上がらなければ。力を振るえる舞台に。例え滑っても、つまらないと呆れられても、誰かの目に映らなければ、俺の努力などないのと同じだ。俺は観客にとっていないのと同じになってしまう。
「やらせて、もらえないか。俺に」
意を決して、彼女に頼み込んだ。こちらを見据える彼女の目と目が合う。タメだとか言ってたが、本当だろうか。今にも圧殺せんばかりのプレッシャーが彼女から感じられた。貴族と聞いて華やかなイメージしかなかったが、とんだ間違いだった。すでに家督を継ぎ、病院の経営他、多岐にわたって事業やってるくらいだ。俺なんか足元にも及ばないくらいの修羅場をくぐって来たに違いない。飲まれたら、すぐに今の言葉を撤回してしまうだろう。そして、二度と上を見ようとしない。そんな気がする。だから、ここは耐える。上に上がるために。
「頼んどいてなんやけど、ある程度結果出すまで後戻りできへんで。帰りたい言うても、この国から出したらへん。覚悟はできとるか?」
「正直、怖いよ。そんな覚悟決めたくなかった。けど」
「けど?」
「俺は、芸人だから。求められたらいつでもどこでも、人を笑わす職業だから。求められてるのに逃げて帰ったら、多分、二度と人を笑わせられないと思うから」
足を踏ん張り、背筋を伸ばし、姿勢を正す。そして、きちっと九十度、腰を折り曲げる。
「お願いします。俺を、舞台に上げてください!」
頭を下げたまま、どれだけの時間が経った? 一秒? 十秒? それとも一分?
顔を上げると、アトリと目が合った。
「よっしゃ、よう言うてくれた」
そして「ヘイ」と手を差し出した。握手にしては、出し方がおかしい。手刀の形なのは一緒だが、肘を九十度曲げて、指先が上を向いている。腕相撲でもする気か?
「何しとんねん。はよ手ださんかい」
同じようにしろという事だろう。アクラクセインの握手は独特だなあ、と思いながら同じように手を出す。
パァン
小気味いい音を立てて、彼女が俺の手のひらを思いっきり叩いた。
「ハイタッチならハイタッチと言ってくれ。拒絶されたのかと思ったよ」
「何でやねん。こういう時は普通ハイタッチやろが」
「いや、ここは握手だろ」
そう指摘すると、分かってへんなぁ、とまたため息をつかれた。
「うちらは、今日から相棒や。相棒には握手なんて他人行儀でよそよそしいもんより、一発パチンとやる方がええやろ」
そうかなあ? と首を捻る俺に、今まで静かに見守っていたスタンリーが教えてくれた。
「相棒とハイタッチするのは、お嬢様の夢だったのです。どうかご容赦を」
「余計なこと言いな!」
アクラクセインでも指折りの貴族で大富豪で企業家の夢がハイタッチ、何とも可愛らしい夢だ。知らず口元が綻ぶ。
「笑いな! ええやんけ別に!」
「笑ってるわけじゃない。微笑ましいなと思っただけだよ」
「それを笑とるいうねん! そんな態度とるんやったら、報酬削んぞ!」
報酬? え? あるの?
「当たり前や。正当な報酬はあるべきやろ。成功の対価として。そうやなかったらフェアやない。きちんと支払う」
「そりゃありがたい。・・・ちなみに、どれくらい?」
期待してないと言えば嘘になる。だって、何度も言うがアクラクセイン指折りの貴族にして企業家、つまり大富豪だ。どれだけの報酬があるか期待しない方がおかしい。いやらしい質問だが、ぜひ答えてもらいたい。
「考えとるんは、舞台成功報酬制なんやけど、一人でも客に受けたら、一公演につき日本円にして百万払う」
ひ・ゃ・く・ま・ん??! 馬鹿な?! 俺の年収を舞台の一回で超えるだと!
「後は、舞台の規模によっても変動させよかな。百人以下の舞台ではそのまま百万やけど、百人以上やったら三百万にしよか。で、アクラクセインのテレビ、ラジオ、何でもええ、公共の電波で放送されても百万。そんで、最終的に、もし自分の活躍で、この国にバラエティというジャンルが普及、定着したら」
「し、したら?」
ゴクリ、と生唾を飲み込む。すでに今までの生活からでは考えられないほどの報酬が、成功と引き換えではあるが確約されている。これ以上なんて、もう恐ろしくて想像することすらできない。
「全部やる」
「ぜん、ぶ?」
答えが抽象的過ぎてよくわからない。
「だから、全部や。うちがもっとる全部を自分にやるわ。アカシャ家の家督、病院・企業の経営権、財産、土地、全部」
何を言ってるんだこいつは。財産放棄するつもりなのか? あまりに凄すぎて想像できないのを通り越して何か裏があるんじゃないかと疑ってしまうレベルだ。例えば、実は経営不振で物凄い借金してるとか、実は闇の組織に命を狙われるのがアカシャ家の定めとか。
「まあ、突然何言い出すんや、と混乱しとると思う。言うとくけど、借金やこあらへん。事業は順調で、年間で数百億ユーロは稼いどるから。あと、スナイパーに狙われるような、誰ぞに恨み買う様なヘマはしとれへんからな」
それでも疑念の消えない俺にアトリは「疑り深いやっちゃな」と苦笑した。
「やる、言うたんでは分かり難かったら、こない言おか。うちと結婚しい」
結婚?? ぽかんとする僕にアトリは畳み掛けるように言う。
「せや。アカシャ家当主ベアトリーチェ・アカシャと結婚しよか。その嫁入り道具がアカシャ家の家督とか病院とか企業とか土地とかその他もろもろや」
「いや、突然、結婚、とか言われても」
男にとって、これほどプレッシャーのかかる単語は無いだろう。恋人にいつ言われるかびくびくするワード第一位だと思う。二位は『これ何?』と浮気の証拠を突きつけられることだろうか。
じっと彼女の真意を図るように観察する。もしかしたら、彼女なりのジョークかもしれない。だって、会って数時間の相手に求婚するか? たちの悪い御貴族様の高級ジョークである可能性が否めない。
「なんや、冗談や思とるんか?」
「当たり前だろ?! 逢って数時間で結婚なんて!」
「そうか? 結婚まで顔逢わしたことない夫婦なんかそこらにゴロゴロおるんやけどな」
さすが御貴族様の習慣はパンピーとは一癖も二癖も違うぜ!
「それとも」
ぐい、と突如豹変したアトリが俺の手を掴み、引き寄せた。息のかかる距離に、彼女の綺麗な顔がある。すっと、彼女の手が伸びてきて、俺の頬を撫でた。
「うちじゃ不満?」
あまりに艶めかしい息が耳朶をうつ。頭がしびれ、身動きが取れなくなる。
「成功したら、うちのこと好きにしてええんよ?」
アトリを? この目の前の、貴族のお嬢様を? 普通の人生を歩んでいればまず知り合いになるどころか滅多にお目にかかれないような美女を、俺の好きにして良い? 脳がオーバーヒートしそうなくらい回転している。何を考えているかは秘密だ。特に十八歳未満の青少年たちには知られてはならない。この瞬間を切り取れば、俺の脳の回転数はスーパーコンピューターを遥かにしのぐだろう。
「どやろか?」
考えるまでもない。答えなど決まっている。一歩下がり、俺は両膝を地面につけ、深々と頭をさげた。それこそ床に額をこすり付けんばかりに。いわゆる土下座スタイルだ。
「不肖、淡路谷圭。アクラクセインに骨をうずめる覚悟です」
顔を上げると、アトリが若干引いていた。ここまで効果があるとは思わなかったらしい。
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『で、美女との結婚をちらつかされて、お前はそこにおると』
夜、国際電話で日本にいる友人に連絡を取った。急にいなくなったから驚いているだろう、もしかしたら捜索願を出してるかもしれないと思い、安心させるために連絡したのだが、友人は俺がいなくなっていたことを今知ったらしい。薄情な奴だ。
『ええんちゃうかな。チャンスがあるなら乗るべきや。どうせ失うもんなんぞあらへんやろ?』
「まあな。当たって砕けてみる」
『砕けたらあかんやろ』
アトリと同じツッコミが入った。
『それよりも、そのネタおもろいな』
友人のスイッチが入った。見えなくてもわかる。長い付き合いだ。俺と話しながら、今頭の中で作品を作り上げようとしている。
『圭、頼みがあんねんけど』
「何?」
『時間ある時でええから、その日に起こったことをこうやって電話で教えてくれへんか。そんで、ネタに使わせてもうてええか?』
「ん? ああ、別にいいぞ。その代わり」
『分かっとる。DVDは返却しといたるし、家の雑用は片付けといたる』
「助かる。それじゃあ、また明日」
『おう、ほんなな』
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