第5話 なぜ笑いを欲するのか

 マネージャーに電話したところ、長期契約、と言うことが本人の知らない間に結ばれていたらしい。マネジメントとしてどうなんだと思うが、今更文句を言っても仕方ない。


「おう、お待たせ」


 アトリが片手を上げながら近づいてきた。


「で、どうや? この国最高峰の病院に来た感想は」

「自分が受診したわけじゃないから何とも言えない」


 正直な感想を言うと「なんじゃそら」とアトリが呆れ顔で俺を見上げた。


「何だよ。何かまずいことを言ったか?」

「何普通の感想述べてくれてんねん。芸人やったらワンクエスチョンにはワンボケで返さんかい」


 素人の癖にプロ意識の高い厳しいご意見どうもありがとうよ。勉強になるよ。


「まあええわ。何でもええから言うてみ」

「そうだな」


 少し考え込む。


「無機質、というか静か、というか。なんとなく雰囲気、全体的に暗くない?」


 病院だから静かなのも、余計なものが無くて無機質ってのも当然と言われたらそうなんだけどさ。けど、日本なら花の一つや絵画の一つでも飾ってそうなもんだけど、僕が見たところ、この病院は一面真っ白の壁に覆われていて、言っちゃなんだが綺麗な監獄、みたいなイメージを受けた。売店をちらっと除いたけど娯楽関連が全く無い。雑誌もないしボードゲームもない。テレビを視聴するためのカードもなかった。ということは、この病院にはテレビがないんだ。受付に一台だけ、それも国営の放送なのかずっとニュースばかりを流していて面白くもなんともない。


「ええ目の付け所や」


 まさにそこ、と言いたげに、アトリは僕に人差し指を向けた。


「ここだけがそんなんとちゃうで。国内の全部の病院がそうや。徹底的に合理化を進めて、病院は患者の病気を治すためだけの工場となった。何でか言うたら、そういう国民性やからや。ぶっちゃけ、この国が他の国にたいして自慢出来るもんって医療技術以外無いんよ。名産品も無けりゃ観光名所もない。あるんは雄大な自然の恵み、いうたら聞こえええけど、まあど田舎や。交通の便も悪いし、他国の企業誘致しよう思ても有り余るほど広いわけやないし、山崩そうとしたら機材搬入やら道路整備やら一からせなあかんから金かかってしゃあない。せやからどこも手ぇ付けようとせえへん。他にもっとええとこぎょうさんあるからな。外から来て落とす金も無けりゃ、内側でも金落とさへん。全員大阪の御婦人ばりにケチなんよ。で、必要なもんだけを残して、不要なもんを削ったらもっと節約できるいう精神が身についたわけ」

「でも、それってそんなに非難するほど悪いことじゃないと思うけど」

「うちも悪いとは思わん。無駄遣いして破産するより全然ましや。けどな。うちらは、削りに削ったあげく、削ったらあかんもん削った。感情や」


 真面目な顔をしてアトリが言った。感情を削った? 鰹節削るのとはわけが違うんだぞ? 何の冗談だ、と言い返そうとして、止まる。彼女が俺の顔を真直ぐに見返していた。そこに含まれる真剣みを帯びた表情から、彼女が稀代の女優でもないかぎり、彼女の言っていることは真実だと、そう信じざるを得ない迫力があった。


「感情を露わにして大騒ぎする無駄なエネルギーは、仕事や勉学などに使うことが望ましいと国是として教え込まれてきたんや。だから、この国の人間は感情を表に出さへん。出したくても出し方を知らんのや。当然、娯楽なんか皆無や。娯楽なんて、無駄の極致やもん。何それ、美味いん? くらいの勢いや」


 贅沢は敵、以上の無茶苦茶な話だ。それが国家の方針とされてたってのがさらに驚きだ。


「ん、ちょっと待ってくれ。すると何か? アトリが俺に依頼したいことって」


 感情を抑制されてきた、娯楽すらない場所で笑いを広めろってのか?


「・・・せや。自分の思とる通りや」


 俺の不安げな視線を受け取って、アトリは重々しく頷いた。


「表情筋の使い方知らん奴らの腹筋を崩壊させるほど笑かして、この国が失った感情を取り戻したって欲しい」


 それは、無い物をあると信じ込ませるようなものじゃないのか? 天動説を信じていた連中に地動説を吹き込むガリレオの心境だ。そしてやはり、彼女は冗談で物を言っているわけではないらしい。


「・・・教えてほしいんだけど」

「何や」

「どうして俺だったんだ?」


 恥ずかしながら、俺の実力なんて下の下だ。日本には俺以上の実力者は悲しいかなわんさかいる。この国に笑いを広めようと大それたことを考えるような御仁が、どうして俺を選んだのかが解せない。アトリはあごに指を当てて、少し考えた後


「自分でも分かっとることやと思うが、自分は世間の認知度も無けりゃ、素人のうちが言うのもなんやけど持ちネタもあんまおもんない」


 おおう、分かっちゃいたけど、実際に面と向かって言われるとこんなに胸に突き刺さるのか・・・。視聴者の声は剣となって俺の胸をめった刺しにする。芸人を殺すのにナイフも銃も必要ないな。しかし、なおさら彼女が俺を呼んだ理由が謎だ。


「それはやな。自分のSNSの紹介文を見たからや」

「俺のプロフィール? そんな目を引くようなこと書いてたっけか?」

「書いてあったよ。自分、プロフィールに世界中の人間を笑わすために、色んな言葉覚え中て書いてたやろ」


 そう言われてみれば、書いてた気もする。誰も閲覧してくれないから、最近全く更新してないけど。


「それが引っかかってん。で、実際会うてみたらアクラクセイン語喋るし。へえ、言葉に偽りなしか、てな。少なくとも、こいつは他の国の人間とコミュニケーション取って、笑わしたろいう気ぃはあると思たんや」


 そこまで評価されるようなことじゃない。逆だ。俺は自分のことで話せることが何もない薄っぺらな人間だ。履歴書で資格を持ってないけどこれから勉強していきます、って意欲を見せるのと同じことだ。そう伝えると「そんな卑下すんなや」とアトリは眉を顰めた。


「日本人はとかく白鳥の努力を称賛しがちや。見えへんとこの、影の努力が美しいと思とる。努力を見せたらイキっとんちゃうぞと叩かれることすらある。けど、見えへんかったら相手にはわからへんねんで? アピールするんも才能やとうちは思うけどな。そのアピールが実って、今自分、この国におるんやで。それに、芸人はどんな手段つこてでも目立ってナンボやろが。チャンスや思たら突っ込んでこんかい」


 傷痕残さななぁ、と消極的なところを怒られてしまった。なんだか大御所に弟子入りした気分になってきた。


「わかった。わかったよ。せっかくもらったチャンスだ。当たって砕けさせてもらうよ」


 砕けられたら困るんやけど、とアトリが言った。


「さて、最初の方に話戻そか。何でこの国が棺桶、なんつう仇名つけられとるか。それはやな。自分たちの唯一の武器思うて磨いてきた医療技術が原因なんや」


 発達した医療技術が棺桶になるってどういうことだ。ますます訳が分からない。そのワードどもは線で結びつかないと思うのだが。


「確かにこの国の医療は他の国の一歩、二歩先に進んどる。けどな、それってええ事ばかりちゃうかった。医療、科学が進歩すればするほど、分かることが増える」

「分かることが増えるってのは、普通は良いことだと思うけど」


 病気の原因が分かったり、治療方法が分かったり、良いこと尽くめではないのか。


「それは逆に、どうしょうもないこと、出来へんことも分かってまういうことでもある。いまだに不治の病はあるし、手遅れの患者は手の打ちようがあらへん。医療関係者たちかて諦めんと懸命に闘ってんやけどな。それでも無理なもんは無理なんや。そういう患者を多く診とるからかな、最近のアクラクセインでは、完璧に余命が分かるんや。誤差プラマイ一時間の正確さやと」

「誤差、プラマイ一時間・・・」


 それがどれほど凄いことかはわかる。日本の病院にしたって、余命宣告はあるけれど、余命半年が一年二年となったり、一年が数か月になったりする。多分どの国の病院でも同じようなもんだろう。患者の状態やら生活やら色んな要素が絡み合ってるから仕方ないとは思う。けれど、アクラクセインはそれを可能としたのか。


「しかも、この国に連れてこられるいうことは、他の国では匙を投げられたかなり危険な状態の患者が多い。診断したら手遅れってことがようある。つまりや。この国に病人としてきた患者は、生きて故郷の土踏まれへんことが多いんや」


 だから棺桶。アトリはそう言って締めくくった。


「病院が暗かったんはそう言うのも関係しとる。誰かて死の宣告されたら明るく笑い飛ばすことなんぞできへん。一日一日忍び寄る死の恐怖におびえとるんや。笑おうにも笑えるかいな」


 ふう、と彼女は息をついて、背もたれに寄り掛かった。


「絶望は、人から人へ伝染し、やがて蔓延する。それが今のアクラクセインや。誰も彼もが俯いて、明日は今日よりも一日寿命が短くなったて嘆く朝が来る。そんな国に、先なんぞあるか」


 すっ、とアトリが俺を見据えた。


「だから笑いがいる。この国には、今日もおもろかった、明日もおもろいことが待っとるいう、希望が欲しい」

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