第7話 敵の正体

「さて、まずやってもらいたい舞台は、ここや」


 アトリが自信満々にそう言うが、俺は動揺を隠せない。どんな舞台に連れていかれようと大丈夫なように大量の『人』を飲んだ。浅草演芸ホールでもオペラ座でも大丈夫なように。けれど、想定になかった場所に連れて行かれたら話は別だ。もともとはがれやすいメッキが簡単にはがれた。


「ここって、昨日も来た」

「おう。うちが経営する病院や」


 俺たちは再びアカシャ総合病院前にいた。


「院長に話はつけとる。今日の自分の舞台は、ここの小児科や」

「・・・てっきり、どっかのホールでライブをするのかと思ってたよ」

「いくらなんでもそこは色々段階踏むよ。言うちゃ悪いけど勝算もなく一発勝負の舞台に上げることはできへん。それに、うちが本当に笑わせたいんは子どもなんや。子どもから笑顔奪う様な国は長生きできへんってのは、歴史も証明しとる」


 口調こそ関西弁でいまいち緊張感に欠けるが、その中身と彼女の姿勢は、真に国を憂いていた。少なくとも俺にはそう見えた。

 そうか、これが貴族か。伊達に貴族が尊敬されているわけではないのだ。


「納得してもらえたんやったら、早速準備しよか」


 アトリの後に続いて、病院の正面玄関をくぐった。


 舞台衣装はスタンリーが用意してくれていた。というか


「これ、俺の勝負服・・・」


 自分のスーツだった。なぜ持っている。拉致られたあの時は私服だったし手荷物も持ってなかった。


「あらかじめ、淡路谷様の衣服類を持ってきておきました」


 どうやってだよ・・・。あれか、ピッキングか? この人の前では家の鍵など無きに等しいのか?


「執事の嗜みでございます」


 多彩過ぎんだろ。嗜みでピッキングを習うな。まあいいや。控室代わりに宛がわれた空室で着替える。

 シャツに袖を通す度に、緊張感が高まってくる。ファサッと襟を立たせ、ボタンをしめていく。赤いネクタイを結び、結び目をキュッと首元まで上げて締める。

 パンツをはき、ベルトをいつもの定位置で締めた。ジャケットを羽織る。肘の位置、肩の位置、全てがいつも通りの場所に収まる。

 ノックの音がして、スタンリーが呼びかけてきた。返事をして、ドアを開ける。


「ほう?」


 スタンリーの他に、アトリも待っていた。


「さっきまでの間抜けな顔よりましになっとるやん。きりっとして」

「うるさい。ほっとけ」

「褒めとんねんで?」

「それは、今回の舞台が成功してからにしてくれ」

「弱気やなぁ。最初から負けた時のイイワケか?」


 言われてから気づく。確かに、俺は今までそうやって布石みたいなものを置いてきた。転ばぬ先の言い訳だ。それは、心のどかで失敗する、と思っているからではないのか。彼女の前では、そう言う自分の意識せずにしていた負け犬根性が浮き彫りになってるみたいだ。


「違う。楽しみにしておけって意味だよ」


 でも、素直に認めるのは悔しいので言い返しておく。ニヤニヤ顔の彼女には、それすらも御見通しかもしれない。


「では淡路谷様、こちらに今回のお客様方が集まっておられます。準備の方はよろしいでしょうか」


 スタンリーの後ろには、通路がある。その先は、俺の戦場だ。

 一つ息を吐いて、両頬を叩く。

 体を前にかがめ、下っ腹に力を入れて、ゆっくりと、背骨の一つ一つを意識しながら体を起こす。パズルのように、背骨の上に背骨ががっちりと噛みあう様な、そんなイメージだ。そうすることで、背筋がしゃんと伸びる気がする。


「さて、行くか」


 スポットタイトとは違う、病院内を優しく照らすLED照明灯の下へ。そして・・・


 俺のなけなしのプライドは、粉々に砕け散った。


 帰りの車内は、痛いほどの沈黙と、鉛でも混ぜ込んであるのかってくらい重たく粘っこい空気が充満していた。俺は後部座席で一回の表にワンアウトも取れずにホームラン連発されて降板させられた投手みたいに項垂れて、監督代わりのアトリは窓枠に肘をついて、ずっと車外の風景を見ている。いつもと変わらないスタンリーは走行しているのを忘れるくらい静かでスムーズな運転を心がけていた。今だけは、この空気を入れ替えるような暴走族ばりの爽快な爆走をして、気を紛れさせてほしかった。


 終わった。


 その一言が俺の頭を締めている。舞台は大失敗。子どもたちはくすりとも笑わなかった。

 俺の笑いは、滑るどころの話じゃない。完全なる無反応だ。

 まだ興味が無くなって、他のことで遊びだしたり、騒いだりしてくれたらよかった。だが子どもたちは、ずっと俺を見ていた。何の感情も浮かばない、虚ろな目で、まるで壁のシミでも見ているように。その目を覗き込んだ瞬間、俺の全身が粟立ち、総毛だった。

 ブラックホールみたいな『闇』があった。何も映っていない。光すら飲み込み全てを無に帰す闇が目の奥に広がっている。

 あれが、アトリの言っていた絶望か。

 勝てるわけない。心底そう思わされた。どれだけ光をともしても、この闇の全てを照らせるとは思えない。無理だったんだ。所詮俺みたいな三下が、この国を救うなんて大それた企画に乗れるわけなかったんだよ。

 心底叩きのめされた俺を乗せて車は進み、城に戻ってきた。


「ちょう来いや」


 先に降りていたアトリが、座席から動けない俺に声をかけた。可愛いくせにドス利かすっていう器用なことをして、アトリは先に城に向かう。接着剤でもつけられたのかっていう位シートと引っ付いた腰を上げて、重たい足を引きずってその後に続く。

 呼ばれたのは彼女の執務室だ。濃淡のあるアンティーク仕上げのずっしりとした机の椅子がある場所に車椅子を突っ込んだ。


「何しとん? はよ入れや」


 ドアの前で固まる俺に、ちょいちょいと手招きする。それが死神の手招きにしか見えない。高級なカーペットの上をみっともなく足を引きずって足型を残しながら、彼女の前に向かう。


「ボロボロやったな」


 思わずぐっ、と体を縮こませる。率直な意見が突き刺さる。


「正直、ここまで酷いとは思わんかったわ」

「・・・申し訳ない」


 それしか言えない。歯が砕けんばかりに食いしばって、ようやく言葉を吐き出す。


「芸もやけど、それはまあ、想定通りや。うちが酷い思たんは、自分、舞台の途中で心折れたやろ」


 彼女は見抜いていた。


「うちは素人やけど、流石にそういうのわかるよ。・・・あの子らの目を見たな?」


 その通りなので頷く。あれの覗き込んだ瞬間、俺の気力まで吸い取られた。


「何も期待も希望も映してへん、あれが、うちが何とかしたい奴や。ある程度は覚悟しとったが、何一つ反応せえへんかったな」

「申し訳ない・・・」


 ギリギリと、腰を九十度に曲げて頭を下げる。舞台に上がらせてほしい、と頭を下げた時とは全く真逆の気分。たった一日で天国から地獄だ。

 はあ、と彼女が大きくため息をついたのが分かった。クビか、クビだな。当然だ。あれだけ無様を曝しておいて、彼女が俺を使うとは思えない。


「もうええわ。顔上げ」


 顔を上げても、彼女の顔をまともに見れないので、斜め下に目線を向けたままだ。


「コラ。人と話すときは目ェ見て話すてお母ちゃんに教えてもらえへんかったか? これから作戦会議やぞ?」

「・・・え?」


 その言葉に、俺は舞台の失敗から初めて彼女に目を向けた。「ようやくこっちを見たな」とアトリが苦笑する。


「え、クビ、じゃ・・・」

「アホか。誰がクビにするか。その逆や」


 大仰に鼻から息を吹き出して、アトリが言った。


「あのな、自分一回こっきりで成功すると思とったんか? もしそうやったら、舐めとるとしか思われへんわ。この程度で変わっとったら、こちとらここまで苦労してへんねん」


 ズビシ、と指を差されてのけ反る。


「で、でも、良いのか? 俺は、あんな醜態を・・・」


 思い出しただけで恥ずかしさで身もだえしてブレイクダンス踊れそうな醜態をさらしておいて、まだやらせろと言えるほど心臓強くないのだが。


「デモもストもあらへん。言うたやろ。引き返されへんぞ、て。賽は投げられた。うちらは自分に、淡路谷圭に賭けたんや。賭けたからには、投げっぱなしにはせえへん。全力で自分のことサポートしたる。あかんかったら次どないしたらええか一緒に悩んだる。そっちはどないや。もう挫けたんか? 止めとくか?」


 彼女はそう言って、俺の方を窺っていた。こっちの判断を待っているようだった。

 一体誰が、ここまで俺に言ってくれたことがある? マネージャーですらここまで期待したことは無いはず。ここまで言ってもらえて、どうして降りる、なんて言えるよ。彼女のまっすぐな目を見返して、もう一度あの舞台に立たせてほしいと頼み込んだ。

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