第4話 男のロマンは白衣を着ていた

「さて、話戻そか」


 何事もなかったかのように、アトリは似非関西弁で話を始めた。挫けねえなコイツ。ハートの強さだけは芸人以上だ。


「今回、自分をアクラクセインに呼んだんは、この国に『お笑い』文化を広めたいからや」


 いきなりスケールのデカい話が飛び出した。順を追って説明するわ、とアトリは一口、優雅に紅茶を啜った。その仕草も完成された絵画のように完璧だぜレディ。二物も三物も与えられてるのにどうして日本語の習得だけ面白いことになったかな。


「アクラクセインっちゅう国、表向きは医療最高の国だなんだと煽てられとるが、裏向きはなんて言われとうか知っとる?」


 裏向き、と言われても思いつかない。マンガとかだと日本のことをよく平和ボケした国、なんて揶揄することがあるけれど。


「『棺桶』や」

「それはまた、不名誉な仇名がついたもんだね」


 まったくや、とアトリもため息を吐いた。


「でもどうして? むしろ棺桶とはもっとも縁遠いところだと思うんだけど」


 医療技術最先端の国、アクラクセイン。子どもでも知ってる常識だ。ふむ、とアトリは考え込んで、何かを思い出したかのようにスタンリーを見た。


「今何時?」

「十時にございます」

「ほんならちょうどええか」


 再びアトリは俺の方を見た。


「ちと付き合ってくれへん?」


 断る理由がない。美女から付き合ってくれと言われて、それが喩え荷物持ちの為だけであろうとも、疲れたから車で迎えに来い的な足代わりのことであっても、男は悲しいかな服従する。美女の言葉は絶対。男にだけ通じる暗黙の了解だ。


「どこか行くのか?」

「病院や」


 アカシャ総合病院。

 その名の通り、アカシャ伯爵家が設立し、運営する病院だ。国内でも指折りの医療施設が整い、技術も患者に対する対応も最高水準のスタッフがそろった、名実ともに世界最高と呼べる病院だ。ここで駄目なら神頼みしかない、とジョークが生まれるほどだ。

 スタンリーの運転するポルテがスタート、ストップを感じさせない見事な運転で病院の駐車場に止まった。


「遠い異国の地で日本の国産車に乗るとは思わなかった」


 車で移動するというから、てっきり黒塗りの、胴体の長い高級車かと思っていた。いや、もちろん文句をつけるわけじゃない。むしろ今までかなりお世話になってる。実家では年季十年以上のファンカーゴが今も活躍している。


「貴族が全員黒塗りのいかにも、みたいな高級車に乗っ取るわけやないで。むしろ色んな車持っとって、気分に合わせたり一緒に乗る相手に合わせたりするんちゃうかな? それに、車椅子のうちはトヨタのウェルキャブ助かってんねん」


 見た目もカワイイしな、と助手席に座りながら外に出てきた彼女が言う。ポルテは助手席が電動で外にスライドするように設計されている。出てきた彼女は、スタンリーが素早く準備した車椅子に乗り換える。車いすや、介護を必要とする方とそのご家族にとって、こういう車は便利だと思う。

 自分の国で生まれた技術や物が、世界中で人の役に立っていることを目の当たりにして、自分のことでもないのに少し誇らしい気持ちになった。素晴らしい技術は、海の東西を問わず国境を越えて活躍する、その例を見た気がした。負けないように頑張ろう。


「何ぼさぁっとしとんの。行くよ?」


 先を行くアトリとは、いつの間にか距離が開いていた。慌てて彼女たちの背中を追う。

 自動ドアを潜り抜け、病院に入る。やはり、というか、独特の匂いと雰囲気があった。真っ白な壁、真っ白な照明、真っ白なスタッフのコスチューム、どこもかしこも白、白、白、全面白色の中で、所々色が違うのは俺たちのような外来の人間だ。寒々しい雪山に点々と残る、野生動物のフンのような


「その例えはどうなん?」


 隣で呆れかえるアトリがいた。どうやら声に出していたらしい。


「病院内やぞ。衛生面とか超気ぃ使っとる場所でフンとか言いな」

「ごめん」

「まあ、日本語分かるんはうちらくらいやから大丈夫やろうと思うけどね。・・・けど、寒々しい雪山かァ。なかなかおもろいこと言うやん?」


 彼女はエレベーターのボタンを押した。ピンポーン、とお馴染みの返事でドアが開く。すかさずドアを手で押さえ、彼女たちが入るまで待つ。


「ありがとなジェントルマン」

「どういたしまして」


 彼女とスタンリーが入ったことを確認して自分も入る。階層ボタンは、すでに押してあった。三階か。何気なく閉ボタンを押す。一度押したら閉まり始めたので、そのままエレベーターガールの役目よろしくボタン付近に立っていると、アトリが驚愕の目で僕を見上げていた。


「どうした?」

「自分、ホンマに日本人か?」

「生まれも育ちも両親も生粋の日本人だけど、何でそんな疑われてんだよ」

「だって自分、閉まるボタン一回しか押さへんかったやん!」


 悔しそうに車椅子の肘置きを叩く。叫ぶほどのことか? 今の自分の行動に何もおかしな点は無い。


「だって、一回押したら充分でしょ? ちゃんと閉まったし」

「そんなアホな。日本人って閉まるボタン連打するもんやろ?! 教材に書いてあったで!」


 むしろ、連打したら故障の原因になるって何かの番組で言ってた。結局最初に押した時の信号で処理されるから一回押そうが連打しようが変わらないらしい。


「どこで手に入れたんだよそんな偏見に満ちた教材」

「ネット。確か『関西人あるある百選』とか書いとった気がする」


 関西ローカルと全国を一緒にすな。


「なんや、話とちゃうやん。自分おもんないわ~」


 君には失望したよ、と言わんばかりにアトリが肩を落としてため息を吐いた。どうしてその程度のことで芸人としても男としても女性から言われたくないセリフの剣で刺されなきゃならない。

 ちょっと傷ついた俺を乗せて、エレベーターは浮上する。ピンポーンと俺の心情に構ことなく到着した。機械はいつだって命じられたとおり命じられた仕事をきちんとこなすのみ、そこに情が入る余地はないのだ。


「ここ何科?」


 後に続いて降りた俺は、彼女の背に問いかける。


「ん? ああ・・・・リハビリテーション科とかやな。他にも色々あるけど」


 アトリの物言いが少し歯切れの悪いものになった。どうしたのだろうとは思ったが、彼女はそのまますいすいと行ってしまうので、聞きそびれてしまった。

 アトリがドアの前で止まり、ノックも無しに開いた。診療室、と何とか読めた。言葉はまだわかるんだけど単語が分からないことが多いんだよな。


『入るぞ?』

『いらっしゃい』


 少しおっとりとした、柔らかい女性の声が迎えた。アトリ、スタンリーに続いて診療室に入る。


「なっ・・・!」


 言葉を失った。

 まず目に飛び込んできたのは深い、深い肌色の谷間だ。おそらくはUネックのTシャツが可哀そうにあまりの質量に引っ張られてVネックになっている。重力に負けることなく張り出したその巨乳が、通常であれば体の前で左右を合わせる白衣の構造を妨害し、前に張り出していた。格納庫の扉から飛行機の頭が出ているみたいな感じだ。視線を少し上に向けると、その巨乳の持ち主の顔が明らかになる。細い首、笑みを形作った少し厚めの唇、鼻筋の通ったローマ鼻、目尻は少したれ気味で愛嬌があり、目の下にある泣きぼくろが艶っぽい。ブルネットの髪を後頭部で団子のようにまとめている。さてさて、上に行ったら次は下だ。すでに確認済みであるにもかかわらず、人の視線を吸い寄せてならない巨乳を何とかやり過ごし、その下へ目を向けると、くびれた腰とタイトスカートから伸びる少しむっちりとした肉付きのいい長い脚が視る者を魅了してやまない。


 判定、極めて美女。例えるならエロマンガに出てくる女医さん。色々と診察・診療してもらいたい人のランキングをつければ間違いなく№1になる逸材。


「おいコラ」


 ゴッ、と向う脛を強襲された。声にならない悲鳴を上げてうずくまる。アトリが車いすを勢いよく回転させて足を乗せるフットサポート部分をぶつけやがったのだ。


「何を鼻の下伸ばしとんじゃ」


 恐ろしく冷たい声が頭上から降り注いだ。見上げると、永久凍土もかくやというほどの冷たい目でアトリが俺を見下ろしていた。


「いや、だって、あれは反則でしょう・・・」


 涙目で何とか反論する。見ないなんて不可能だ。世の男達の視線を釘付けにするためだけに存在するような人だもの。


『駄目じゃない、アトリ。男の子にはもっと優しくしないと』


 ふんわりと耳をくすぐられる。目を瞑っても耳からも色々と刺激されてしまうのだからこれはもうどうしようもないと思う。


『大丈夫?』


 女医さんが近づいてきた。膝の具合を見てくれようとしたのだが、当然それは俺の正面にしゃがみ込むことになるわけで、目の前によくぞここまで育ってくれましたとも言うべき二つのビッグな果実がデデンと参上する訳で、それが膝に密着してクニクニと縦横無尽変幻自在に形を変えるもんでもう辛抱たまらんのですが。しかも彼女が動くといい香りが鼻腔をくすぐり、細くて長い指が俺の体に触れる度にちょっと強すぎる刺激が患部から全身に広がってやばい。声で、見た目で、触れる指先で、香りで、五感全部が持って行かれる。現在俺の内部で理性と獣性が戦争中ですが圧倒的な戦力差の前に理性が完全降伏した。後は味だけだ、と花に誘われる蝶のようにふらふらひらひらと目の前に広がる楽園に飛び込もうとして


「ええ加減にせえよ?」


 静かな声だった。けれど、一瞬で我に返らせる威力があった。

 よくマンガとかで、殺気で人の身動きが取れなくなるとかあるじゃない? 俺、今までそういうの読むたびに「嘘くせー!」って馬鹿にしてたんだけど、改める。悔い改める。本当に動けなくなるのね。ゾルゥッ、と背筋に走る悪寒が俺を縫い留めたのだ。

 まったく、とアトリはため息を吐いて、女医さんを立たせて俺から離した。


「ケイ。こいつ、うちの主治医のブリギッド・トーラム。この病院でもトップの評判の名医」


 次にアトリはトーラム医師に向き直り


『ブリギッド。こちらが以前話していた日本の芸人ケイ・アワジヤだ』


 アクラクセイン語で紹介したところ、トーラム医師は『おっ』という顔でこちらに手を差しだした。その手を取って、固く握手を交わす。


「ヨロシクね」


 少しぎこちないが、達者な日本語で挨拶してくれた。こちらに気を使ってくれているのか。俺もそんなにアクラクセイン語が得意なわけじゃないから助かる。


「こちらこそ、宜しくお願い致します。トーラム医師」

「ブリギッドでいいわ。私もケイ、と呼ばせてもらうから。良いかしら?」


 どうぞどうぞ。ケイでも犬でも好きなようにお呼びください。


「自分、うちの時となんや対応違わへんか?」


 そんなことはございません。天地神明に誓って。


「さて、それじゃあいつもの定期検診をするので、男性二人は外のベンチでお待ちくださいな」


 ブリギッドがそう言うので、スタンリーと俺は外に出て検査が終わるのを待つことになった。


「淡路谷様。これを」


 スタンリーが差し出したのは俺の携帯だ。


「何でスタンリーさんが俺の携帯を?」

「申し訳ございません。お預かりしていたのをすっかり忘れておりました」


 預けたつもりはない。ああ、なるほど。俺が気を失ったときか。預かったというか、多分俺から抜き取ったんだと思うんだけど。落とさないように気を利かせてくれたのカナ? 大分広域で斬新な解釈しやがる。


「充電はさせていただいております。遅くなりましたが、マネージャーの方に今回の私たちの要請が正規の物であることを確認できるはずです」


 まあ、ここまで言うのだからオファーは正規の物ではあるのだろう。ただ連絡は取っておこう。正規のオファーであるならギャラが幾らか確認しなければならないからだ。今更ながらにわくわくしてきた。海外ロケ、とはちっと違うけど、それで大成した芸人は大勢いる。


「やってやろうじゃないか」


 ようやく到来したチャンスだ。必ず掴む。この世界に傷痕を、俺という名を刻んでやるぜ。ちょっとニヒルな感じで、電話を構えた。


「意気込んでいるところ申し訳ございません。淡路谷様。電話は向こうのロビーでお願いします」


 スタンリーが指差した先には携帯電話の絵にでかでかと赤で×点マークがついている。ニヒルな感じで、停止ボタンを押した。


●----------------


『彼が貴方の計画の協力者なのね? 説明はきちんとしたの?』


 アトリを診察しながら、ブリギッドが尋ねた。


『この国に笑いを広めてもらいたい、とだけ伝えてある』

『それが計画の核ではあるけどね』


 ブリギッドが声を少し落とす。


『良い人には見えたけど、それと貴方の計画とは全く関係がないわ。彼に任せて大丈夫なの?』


 ブリギッドは、アトリの馬鹿げた計画を知る一人だ。そして、応援はしているが反対もしているという奇妙な立ち位置にいる。


『大丈夫か、大丈夫でないか、ではない。私が大丈夫にする』

『アカシャ家のバックアップがあれば、まあ、それなりになるでしょうけど』

『それでは駄目だ。意味がない』


 沈痛な面持ちでアトリは首を振った。


『根差さねばならないのだ。そうでなくては意味がない。私がいなくなった後も』

『止めて』


 静かに、しかし強い語気でブリギッドがアトリの言葉を遮った。


『冗談でも自分がいなくなった後のことなんて口にしないで』

『すまない。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ』


 二人して黙りこくってしまう。沈黙のまま診察は続けられる。


『はい、終わり。相変わらず、というところね。無理だけはしないで。それさえ守ってくれれば貴方は』

『分かっている。この国最高の医者の言う事だからな』


 けれど、言いつけは守らないのだろうな、と半ば予感しながらブリギッドは若き伯爵を見送った。

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